集まりました

平成30年6月6日

千葉旧友会の総会に20人

 千葉旧友会の平成30年度総会が6月3日、千葉市のホテル・ミラマーレで20人が出席して開かれた。

 総会にしては少々寂しい集まりだったが、旧友会最年長の折茂仲治郎さん(92歳)と本田克夫さん(91歳)の両長老がそろって元気な姿を見せられ、会場は拍手につつまれた。

 作田和三事務局長が年次報告の後、ここ数年高齢化が著しく、縮小化する旧友会をいったん解散し、旧知の人がグループごとに集まりを続けていくのはと提案した。しかし、会の閉鎖を潔しとするものは誰一人おらず、暫くは現状維持で春、秋の総会を継続することになった。

 会の創立発起人の一人だった折茂さんからは「ここは元気をいただく若返りの場」と言われては、軽々に解散などと口にしてはいけない。事務局は反省!

 旧友会の継続が決まったところで、出席者一人一人が近況報告や懐かしい現役時代の思い出話を披露して盛り上がり、終わりに齊藤修会長から丸4年間任期を果たし、満80歳を迎えるに当たり会長職の辞意表明があり、後任にはこの春、茂原通信部長を辞した県内取材経験豊富な吉村建二さんが推され、出席者全員の拍手で承認された。

 こうして平成最後の千葉旧友会はお開きとなり、新元号下は吉村会長。作田事務局長の新体制でスタートすることになった。

 総会出席者次の通り(敬称略)
 青木晴夫、伊藤隆、伊藤匡、尾形忠義、岡田弘志、折茂仲治郎、児玉賢二、齊藤修、作田和三、佐久間憲子、佐藤和子,沢畠毅、鳥井輝昭、中島章隆,中村静雄、野口亘、藤代幸一、本田克夫、深山健一、吉村建二

(齊藤 修)

平成30年6月4日

東京写真部のOB会に丸山社長ら

 開会直後に記念撮影をするのが、写真部OB会の習いである。帰りにプリントアウトしたものが渡される。従って遅刻した人は写っていない。今回は元志木市会議長、永井誠さん(昭和39年入社)がオミットされた。

 前列中央に元部長の丸山昌宏社長、その左隣に、元部長で今回の最長老、ことし米寿を迎える中西浩さん。OB15人と現役2人の計17人が並ぶ。

 6月2日(土)竹橋パレスサイドビル1階、ティ―ルーム「花」。

今年米寿迎える中西浩さん

 写真部の存在感が増している、という嬉しい報告が山下浩一写真映像報道センター長と、平田明浩写真映像報道部長からあった。

 2年連続で新聞協会賞を受けた。2016年度は、熊本地震で西部本社写真部の和田大典カメラマン。

 昨年は、リオ五輪の陸上男子400メートルリレー。「何故、日本がこんなところにいるんだ」。ジャマイカのウサイン・ボルト選手の驚がくの表情がなんともいえない。梅村直承カメラマン(現北海道支社報道部写真グループ)が捉えた。

 「先輩たちのDNAを受け継いでいます。3年連続受賞を目指しています」

 もうひとつ。IT時代に、資料写真が稼いでいることだ。売り上げは億単位にのぼるという。「昔の自信作をぜひ提供してください」

 OBからこんな証言もあった。日本写真家協会(JPS)の会員で、日本写真年鑑の編集に携わっている木村滋さん(記念撮影の後列右端)。「ニコンの元社長、小野茂夫さんは写真展をよく開いていますが、『毎日新聞の写真が素晴らしい。各紙で一番』といつもいっています。うれしいことです」

 参加者は五十音順に、荒牧万佐行、伊藤俊文、大住広人、加藤敬、木村滋、黒川将光、酒井孝一、滝雄一、堤哲、永井誠、中西浩、永田勝茂、平澤一郎、丸山昌宏、三浦拓也、吉田真太郎。

 今回欠席した大正15年生まれの川島良夫さん(92歳)のはがきには「大正生まれは小生を除いて皆去ってしまいました」とあったが、OB会の資料を整理していたこんな写真が出てきた。

 いつの写真かは不明。東京駅が建て替える前のステーションホテルだった記憶はある。前列中央に安保久武、佐藤振寿。その左は二村次郎、吉村正治。右へ石井清、辻口文三の各氏。

 後列は左から中村太郎、接待健一、三浦拓也、江成常夫、堤哲、岩合徳光、岩尾光代、納富通、三十尾清、中西浩、佐伯格五郎、橋本保治の各氏。

 存命は中西浩さんをはじめ、後列の6人だけだ。

(堤  哲)

多士済済!昭和40年入社の25人

 5月14日(月)、日本記者クラブで毎日新聞、昭和40(1965)年入社、東京本社在勤経験者55人の同期会があった。亡くなったのは14人、老残の何と25人が集まった。九州、大阪、名古屋から掛けつけたメンバーもいた。スゴイね。

 つい最近、幹事5人のご苦労さん会をやった。当方(佐々木宏人)は司会をしたのだが、その時の写真を元写真部・社会部の板垣雅夫君が手渡してくれた。出席者全員にすでに送っていたのだが、その同封文書にみんなで大笑い。

 「急にアップ写真が必要になる方(!)ご連絡ください」

 要するに葬儀用の写真のことではないか!

 板垣君にいわせると「全員個別写真を撮ったが、佐々木君のが一番いい!絶対喜ばれるよ!」。なんだかなー。帰って女房に見せたら「是非データで送ってもらって!」と嬉しそう。

 でもこの同期会、面白かった。元社長で現在横綱審議委員会委員長でテレビに良く出てくるアゴヒゲの北村正任君、元テレビキャスターで都知事選にも出た鳥越俊太郎君。

 大学教授を含めて教壇に立ったのは、苫米地重亨君、永井浩君、五島昭君、脇地炯君、冨田昌志君、田中良太君、熊澤誠吾君、板垣雅夫君。そういえば鳥越君も大学教授をやっていたなぁ。竹内恒之君は、点字毎日の元編集長。点訳奉仕は今でも続けている。

 社長になった人も結構いて、RKB毎日放送の石上大和君、日本新聞インキの清水敬之君、毎日エージェントの竹内敬康君。水野弘敏君はスポニチの大阪本社の元代表、経理の稲山輝機、石井潔両君は、毎日新聞や下野新聞で役員を務めた。

司会の小生

 1人1分の近況報告、という事で始めた挨拶。どうせオーバーすると思って45分を予定していたが、何と110分。最長の人が17分というからスゴイ。新聞記者ならぬ「新聞話者」だね。

 でもそれぞれ人生の決算期に来て思うこと、言えなかったこと、これまでの人生での山谷を越えて吹っ切れて、ホンネを吐露して、聞いていて本当に気持ちが良かった。

 丁度、我々の入社のときは、1964年の東京オリンピックの時。入社前にオリンピック取材のアルバイトにこき使われた。それだけに同期意識が強いのかもしれない。

 次回の東京オリンピックの年の2020年にまたやろうという事になったが、この写真を使わないように元気で開催したい。

 出席者(五十音順、敬称略)
 赤松徳禎、浅沼英範、稲山輝機、石井潔、石上大和、板垣雅夫、大井弘久、尾島一平、北村正任、木脇洋、熊澤誠吾、五島昭、佐々木宏人、斎藤光紀、清水敬之、竹内敬康、竹内恒之、田中良太、鳥越俊太郎、苫米地重亨、冨田昌志、永井浩、三浦碩哉、水野弘敏、脇地炯。

(佐々木宏人)

大学教授らの「さつき会」が、竹橋「花」で

 毎日新聞OBで大学などで教壇に立った元論説委員や編集委員の集まり「さつき会」が5月24日、竹橋パレスサイドビル1階ティールーム「花」で開かれた。

 さつき会の誕生は1965(昭和40)年。何度かの中断を経て今回は38回目。85(昭和60)年以降は毎年5月に開かれている。

 参加25人といつもよりちょっぴり少な目だったが、本社側からは朝比奈豊会長、丸山昌宏社長や小島明日奈教育担当執行役員、中根正義大学センター長らが参加した。

 丸山社長は「若者に新聞を読んでもらえるよう、皆さんのお力を拝借したい」と挨拶して、乾杯の音頭をとった。

 最長老は、85歳の新実慎八さんと北畠霞さん。次いで84歳の天野勝文さん、83歳の辻康吾さん、秋山哲さん。昭和一桁はここまでで、82歳の大久保貞義さん、諸岡達一さん、81歳の前田康博さん。

 「これから講義に出掛けます」と津武欣也さん(72歳)がいうので、開始早々に撮影したのがこの写真だ。白髪とハゲが目立つのは致し方ないとこころ。

 会員の訃報も相次ぐ。この1年で、小林弘忠さん(80歳)、近藤健さん(84歳)、柴田寛二さん(82歳)、原田三朗さん(82歳)、藤原新一郎さん(92歳)、池田龍夫さん(87歳)、松本博一さん(96歳)、松島利行さん(80歳)。ゲストスピーカーでお見えになったこともある富重圭以子さん(62歳)も。

 最近では、主筆をつとめた岸井成格さん(73歳)、橋本達明さん(73歳)が亡くなった。

 岸井さんをめぐって、1972(昭和47)年の佐藤栄作首相の退陣会見が話題になった。「新聞記者は出て行け!」と机を叩き、新聞記者たちが一斉に会見場をあとにした、あの事件である。

 佐藤首相は、そのあと誰もいなくなった記者会見場で、テレビ画面に向かってひとり話をするのだが、毎日新聞に掲載された評伝には《「じゃあ出よう」と真っ先に他社の記者に呼びかけたのは岸井さんだった。これが政治史に残る「延々とテレビカメラに向かい1人で語り続けた首相」の逸話につながる》とある。

 これに対し、他紙から「首相から売られた喧嘩に、真っ先に応じたのは、朝日新聞の官邸キャップ田中豊蔵記者(1933年生まれ、元取締役論説主幹)」と指摘があったという。

 岸井さん自身は、生前、毎日新聞記者の検証取材に、こう語っている。「出て行けと言われても、じーっと座っている(記者がいる)。それで『出よう、出よう』と。若気の至りだった」と答えている。当時27歳。政治部記者になったばかり、と記事にある。

 そんな話題もあって、会員たちは久闊を叙した。

 この他の参加者は、磯野彰彦、薄木秀夫、大橋弘、荻野祥三、奥武則、梶原英之、瀬川至朗、玉木研二、中井良則、長崎和夫、西敏彦、西田實、福島清彦、福原直樹、細野徳治(五十音順、敬称略)。

(堤   哲)

春の社会部旧友会懇親ゴルフ会

「きょうの荒天は、私がボストンから持ち帰ったようです」

 大島幸夫さん(80歳)がラウンド終了後の懇親会でこう言った。公務員ランナー川内優輝さん(31歳、埼玉県庁)が優勝した第122回ボストンマラソン(4月16日)。大雨と強風、季節外れの寒波に見舞われ、最高気温が3度だった。

 「スタート前に低体温となり、震えながら走り始めた。ボストンマラソンは今回で3回目だったが、こんなにひどい天候は初めて。でも、来年も挑戦しようと思っています」

 5月9日、雨の若洲ゴルフリンクスで行われた第55回社会部旧友会懇親ゴルフ会。午後には雨があがったものの、最高気温14度の肌寒い1日だった。

 参加は写真の11人。澁澤重和さん(78歳)=後列右から2人目=は、2006年春以来、12年ぶり2度目の参加。懇親会で最初に近況報告をしたが、「体形が変わってしまって誰だかわからない。まず姓名を名乗ってください」と要望が出て、まず自分の名前を言ったあと、身長・体重を報告するのが定番となった。

 最長老は牧野賢治さん(84歳)、次いで川合多喜夫さん(82歳)。最若手が高尾義彦さんと山本進さん(72歳)。平均77・6歳だった。

 優勝は37入社の畝村治男さん(79歳)=前列左端。袋の中にカルビー元会長の松尾康二さんからの参加賞。大会名入りのじゃがりこ(写真)、かっぱえびせんやフルグラなどが入っている。

 吉沢孝さん(78歳)は週一野菜づくりをして、農産物を市場に出している。勝又啓二郎さん(77歳)はちょうど1年前に狭心症による心臓バイパス手術をした。この日もベスグロで3位に入り、元気だ。湘南ボーイ熊澤誠吾さん(76歳)は、中国首相の来日で道路が大渋滞、滑り込みセーフのスタートだった。

 このゴルフ会は、1987(昭和62)年に第1回、1991(平成3)年から春秋2回、定期開催している。交通の便がよいことから、最近はもっぱら若洲ゴルフリンクスだが、コンペ予約の電話がなかなか繋がらない、幹事泣かせの会場でもある。

五月なのに 震えてゴルフ 風と雨   河彦(高尾義彦さんの俳号)

 若洲ゴルフリンクス。社会部旧友会のゴルフコンペが昨日あった。雨が降り風も強く、五月としては最低の気温。アイアンでボールを打つと、水しぶきが上がる。スコアはともかく八〇歳代も多いメンバー11人が無事、“完走”出来たことが収穫。今回で55回目。

(幹事・堤  哲、76歳)

『ゆうLUCKペン』刊行の集い&ハラサブさんを偲ぶ会

 毎日新聞OB同人誌『ゆうLUCKペン』(第40集)の刊行記念パーティーが2月26日、東京一ツ橋のパレスサイドビル9階レストラン「アラスカ」で開かれた。

 今回は同人の駿河台大学名誉教授原田三朗さんが昨年暮れのクリスマスイブに亡くなり(享年82)、その偲ぶ会を兼ねた。ハラサブさんは、編集委員らの草野球チーム「大東京野球団」S・ライターズの発足にかかわり、第4代監督。同球団が2014年に刊行した『野球博覧』(菊判、本文416ページ)から抜き刷りした小冊子『不動の一塁手』が、出席者50人に配られた。

 最長老は、93歳の山埜井乙彦さん。整理部の大ベテランで、世論調査部長、新聞研究室委員などをつとめた。司会は、だじゃれの諸さん・諸岡達一さん(81歳)。

 まず幹事団を代表して牧内節男さん(92歳)が「現役時代、先輩から芥川賞は必ず読めといわれ、今月の文春も購入して読んだ。しかし、この『ゆうLUCKペン』の方が遙かに面白い」といつもながらの「独断と偏見」。

 例えばとしてあげたのが、定年退職後、中国南京大学で日本語教師を12年続けた斎藤文男さん(76歳)。「所沢通信部にこんな逸材がいるんですから、人材豊富な毎日新聞だ」とドクヘン氏。

 乾杯の音頭は、初執筆の元サンデー毎日編集長今吉賢一郎さん(80歳)。「歩いて引っ越せます」と、巻頭を名文で飾っているが、「平昌五輪のテレビで、元気をもらいました、とアナウンサーらがいっているが、元気は出すもので、もらうものではない」などと日本語の乱れを厳しく指摘したあと「かんぱ〜い!」。

 元英文毎日の半田一麿さん(83歳)が、ハラサブさんが駆け出しの長野支局時代、元論説委員長清水幹夫さん(78歳)が論説委員時代を語り、教育担当論説委員から駿河台大学教授と直系後輩の瀬戸純一さん(69歳)が、同大学でも論客ぶりを発揮していたことを証言した。

 朝比奈豊現毎日新聞社会長(70歳)は東大安田講堂封鎖の際、構内で毎日新聞社会部の取材を受けたことを明らかにしたが、元社会部長森浩一さん(82歳)は、ハラサブさんとともに「安保学生取材班」(高井磊壮キャップ、吉野正弘、松尾康二、内藤国夫)の一員。1968(昭和43)年東大医学部から始まった学園紛争が全国へ、さらにはパリなど全世界のスチューデントパワーに火をつけた、歴史的な報道だったことを力説した。

 参加者の平均年齢は、70歳を優に超えている。90歳超は、もうひとり本田克夫さん(91歳)。元気な老人パワーの「春一番」であった。

 参加者は次のとおり。

 朝比奈豊、天野勝文、荒川冨士男、石井國範、石塚浩、池田達雄、★磯崎由美(社会部長)、今吉賢一郎、大久保貞義、大島幸夫、大住広人、大坪信剛(編集編成局次長)、尾崎美千生、加藤順一、加納嘉昭、神倉力、北村勝彦(毎栄)、熊澤誠吾、倉嶋康、坂巻熙、佐藤哲朗、佐藤忠峯、清水敬之、清水幹夫、瀬戸純一、高尾義彦、田中正延、堤哲、苫米地重亨、中井良則、中谷範行、長崎和夫、★新実慎八、野島孝一、野村勝美、半田一麿、福島清彦、藤川敏久、堀一郎、堀越章、本田克夫、前田昭、牧内節男、松崎仁紀、森浩一、諸岡達一、山埜井乙彦、山本進、横山敏彦、横山裕道、蕨南暢雄 以上51人(★印は会費参加者)

(堤 哲)

絵画展・今野当夫(元制作部)

 絵画グループ「逍遥会(会長・中林透)」の年1回の展示を、2017年11月22日から12月22日までビル1階「喫茶 花」でおこないました。フラワーアレンジメントなど絵画以外の作品も含めて10点の作品が並びました。

 私は、青森県白神山地の未だになぜ青色なのか分からない神秘的な青池①を描きました。静かな森の中に青池はありました。

 近隣で目にした日常の景色②、幻想的な日本海に沈む夕陽③、海の安全を守る灯台④と、それぞれが地元や旅先で心に留めた風景を描き持ち寄りました。

 作品の取り付け日には、お手伝いしてくれる人やメンバー以外の方々も参加して、楽しい飲み会で親睦を深めました。写真は会場から撮りました。

① 青池(白神山地)/今野当夫
② 赤い屋根の家(入間市)/ 中林 透
③ 千畳敷海岸(青森県深浦町)/ 菊池義正
④ 地蔵埼海岸(小豆島)/ 松田宏一

ロッキード事件社会部取材班

 写真を見て下さい。前列中央は当時の社会部長牧内節男さん(92歳)。ロッキード事件発覚直後に論説委員から現場復帰した。ドクヘン(独断と偏見)部長、50歳だった。

 その右が取材班のキャップ澁澤重和さん(77歳)。逮捕予定稿をどれほど書かされたか。紙面展開、特集の紙面どり、取材費の予算要求など一切を取り仕切った。取材班の動きを克明に、誰が何をしゃべったまで一字一句大学ノートに記録。それがアンコとなって『毎日新聞ロッキード取材全行動』(講談社1977年2月刊)が生まれた。

 『全行動』のアンカーを務めたのがナンパ記者瀬下恵介さん(牧内さんの左、79歳)。ロッキード事件の起きた1976(昭和51)年の元旦社会面から連載「大都会の日々」第1部ホテルで、を始めた。「ニューズウィーク」日本版初代編集長。

 前列左端堀一郎さん(76歳)。米上院チャーチ委員会の議事録を、お隣の丸紅広報部からいち早く入手、その議事録が資料分析班の吉川泰雄さん(78歳)と寺田健一さん(76歳)=後列左から2,3人目=に渡って、いくつもの特ダネが生まれた。

 後列右端の板垣雅夫さん(75歳)、その左中島健一郎さん(72歳)は、澁澤キャップの特命取材班。「中板コンビ」が、国内取材でどれだけ特ダネを放ったか。草野靖夫さん(2012年没72歳)も航空に詳しく、有力な取材メンバーだった。

 その左は英語使いの中村恭一さん(74歳)。『全行動』裏表紙にあるロ事件の大がかりな構図。それを逐一解説しながら黒板に描いた。事件の途中で四方洋さん(2016年没80歳)とともにモントリオール五輪の特派員。

 前列右端は、沢畠毅さん(78歳)。田中角栄元首相が逮捕されたとき、本社主催の都市対抗野球大会の社会面取材キャップだった。球場内の放送室へ行って、「田中逮捕」のニュース速報を場内放送で流すよう交渉し、観客のどよめきをナンパ面に送稿した。

 後列左端が堤哲(75歳)。警視庁公安3課(右翼担当)で児玉誉士夫の動静取材をしているうちに「児玉担当」となって、『児玉番日記』(毎日新聞社1976年刊)のアンカー。取材班の遊軍的立場で、全日空だ、丸紅だ、と取材に出された。

 10月7日(土)新宿に集まって、2時間の旧友会。マスコミ塾「ペンの森」を主宰する瀬下さんが「95年設立以来、マスコミ各社に500人を送り出した。ただ、最近はマスコミ志望者が減っているね。存続の危機だ」。菅官房長官の会見で一躍有名になった東京新聞望月衣塑子記者も出身者だそうだ。

 最後に立った牧内さんの話に迫力があった。昨年、事件発覚40年の機会に事件の本筋を知る某大物にインタビューを試みた。「ロ事件の本質はトライスターでなくP3C。それを証言してもらいたかったが、結局口を開かなかった」と語った。まだ特ダネを狙っている記者魂に、一同呆然、ア然。一拍置いて感嘆の拍手だった。

 この取材グループが1991年軽井沢72でゴルフに興じたときの写真が出てきた。

前列左から2人目から牧内節男、堤哲、沢畠毅。後列左から板垣雅夫、寺田健一、瀬下恵介、澁澤重和、吉川泰雄。

 皆、若かった。

(堤 哲)

山本祐司さんお別れの会

大住広人

 2017年9月15日、竹橋の毎日ホールで山本祐司さんお別れの会が催された。亡くなったのは7月22日午前10時7分。その2月半前の5月6日に4回目の脳出血で救急病院に送られ、意識混濁から覚めることなく病床で最後の呼吸を終えた。火葬の順番待ちで密葬は29日、ディズニーランドとほとんど隣り合わせの浦安市斎場で営まれている。享年81。

 お別れの会には123人が集った。司会(小川一さん)、呼びかけ人挨拶(朝比奈豊さん=社内、瀧鼻卓雄さん=社外)、献杯(牧内節男さん)と、ここまで全て元社会部長。数において、さながら社会部旧友会の趣だった。だが、追悼に立った学窓同期(坂倉重徳さん)、応援知人(中嶋義臣さん)、友人代表(森浩一さん)をはじめ、参会者から期せずして上がった声は「山本祐司は正義と優しさの社会部記者だった」。

 これは祐司の像にして、社会部記者が共有せんとした社会部の真髄だったのかもしれない。これを60年間支え切ったのが喪主の久子さん。「さよならも言わず手も握らず一人でいってしまいました。いつものように」の思いを胸に止めつつ、長年、祐司を囲んでくれた参会者をはじめ多くの仲間に「ありがとう」の五文字をもって謝辞とした。

 同期・杉山康之助が若くして死んだとき、祐司は杉山をピーターパンに擬えて羨ましがった。だが半生みれば祐司自身が「大人になりたくない」社会部記者だった。日本記者クラブ賞をはじめ手中にした賞は数えきれないが、祐司が最初に手にし最後まで大事にした賞は、滝本学校(入社研修)の修了時に得た「大人はいやで賞」だった。

 正義と優しさは、実は子供の心。そう、祐司、子供たちは大きく育ってるぞ。「凄いねえ」「いいねえ」「大丈夫だよ」といい続ければ、時に真に受けて化けてくるから堪えられんよなあ。会長、社長、支社長、代表、編集局長となっても、その師を祐司と公言し、いまも祐司の旨を旨としている。祐司のいう人間万歳だ。最後に、現・社会部長の磯崎由美さんが中締めの名において、名残り尽きないお別れの会をお開きとした。

 なお、祐司の絶筆となる『ルパン文芸創立二十周年記念誌』の会場販売で、74冊のお買い上げを頂きました。ありがとうございます。ルパン文芸は祐司晩年の心地好き居場所でした。同人9人が参加しています。南無

献杯(牧内節男さん)=B1:毎日ホール=

堀井淳夫さんを偲ぶ会

堀井さんの祭壇

 5月31日に逝去された元社会部・堀井淳夫さん(享年90)を偲ぶ会が7月29日(土)午後零時半から竹橋パレスサイドビル9Fレストラン「アラスカ」で開かれた。参加60人余。戦艦武蔵の生き残り・塚田義明さん(92歳)が奥さまとともに出席した。

発起人代表の添川光一氏の挨拶

 黙祷のあと、発起人を代表して添川光一氏(元常務取締役)が挨拶。元社会部長・スポニチ社長の森浩一氏が献杯の音頭をとった。

 引き続き堀井多津子夫人のお礼の言葉を司会の堤哲が代読した。

 堀井さんと慶應義塾大学の同級生2人、競走部で一緒だった平野重樹氏(元明治生命)と三代目田村駒治郎氏(野球殿堂入りしている田村駒治郎氏=戦前の大陽ロビンス、セ・リーグ初代優勝松竹ロビンスのオーナー=の長男)が学生時代の思い出を語った。

 引き続き、元社会部長の愛波健氏が、堀井さんは大山康晴15世名人と雀卓を囲むほどで、将棋の名人戦が毎日新聞に戻ったこと喜んでいたなどと話した。西支局で堀井支局長を支えた?水野順右氏が2度目の献杯!

 最後に、社会部・総推3人娘=国井道子(旧姓茂木)、伊藤敏子(旧姓寺岡)、田村みどり(旧姓柳)が堀井さんの人情味と懐の深さ口々に語り、そこに山本祐司元社会部長(7月22日没、81歳)の密葬から駆けつけた大住広人氏が秋口に山本さんのお別れ会を開くことを予告した。 

              

 中締めは、毎日新聞で初の女性社会部長・磯崎由美さん。堀井さんとは無縁の世代だが、紙面から陰徳を探し出した。

 「東北大震災の直後、毎日社会事業団への寄託者に名前を見つけました」

 会場から思わす「エライ!」と感嘆の言葉が洩れた。堀井さんならではのエピソードの披露で、真夏の偲ぶ会はお開きとなった。

堀井淳夫さんへのエピソードを語る

献杯する元社会部長
森 浩一 氏
元社会部長
愛波 健 氏
元社会部西支局デスク
水野 順右 氏
元毎日労組委員長
大住 広人 氏
堀井氏の慶応大の同級生
田村 駒治郎 氏(左)、平野 重樹 氏
社会部・総推の三人娘
右から国井さん、伊藤さん、田村さん

(堤 哲)

大学教授らの「さつき会」が、竹橋ニュートーキヨーで

向って右側 中央 朝比奈会長、同じく一番手前 丸山社長

 本社出身の大学教職員が集まる「さつき会」が、5月23日夕、パレスサイドビル内のニユートーキヨーで開かれた。「さつき会」は、毎年5月の火曜日に行われ、今回で37回目を迎えた。この日、会員約30人が集まり、本社側からは朝比奈豊会長、丸山昌宏社長や「さつき会」の運営をサポートしている教育事業本部の小島明日奈・本部長、中根正義・大学センター長らが参加した。

 開会宣言のあと、朝比奈会長が「『さつき会』は、37回目を迎えた。今年も元気な先輩の皆さんに会えてうれしい。持ち株会社の毎日新聞グループホールディングスを発足させて7年目に入った。おかげさまで、HD、そして毎日新聞社は昨年度も黒字を出すことができた」と挨拶。丸山社長は「社員との対話集会を開いて意見を聞いている。選ばれる新聞を目指して頑張っていきたい」と述べた。

 乾杯のあとは、グラスを片手に歓談、朝比奈会長、丸山社長らを囲み楽しげに語り合った。会場では、この日、出席できなかった会員からのメッセージ集が配布され、その近況報告を話題に話も弾んだ。

 「さつき会」は、これまで本社会議室を借りて開かれたが、今回、パレスサイドビル内のレストランに会場を移した。会場のスペースが狭く、歓談は肩を寄せ合いながら、だったが、かえって会員同士の「親密度」は増したようだった。

(薄木 秀夫)

 

春の社会部旧友会懇親ゴルフ会

 平均年齢77・3歳。15人が参加した春の社会部旧友会懇親ゴルフ会。栄冠を手にしたのは、最高齢91歳の牧内節男さんだった。

 4月7日若洲ゴルフリンクス。桜満開。しかし残念ながら断続的な小雨に加えて、湾岸特有の強い海風。誰もがスコアメイクに苦しむ中、元ドクヘン部長だけはスイスイ?とラウンド。ネット74、2オーバーで2007年春以来、10年ぶり5回目の優勝を飾った。

優勝された牧内節男さん

 全員が近況を報告した後、成績発表。驚嘆、続いて祝福の声があがった。「同伴競技者のお蔭です」。牧内さんの優勝スピーチは謙虚だった。

 ちょうど30年前に始まったこのゴルフ会。1991(平成3)年から春秋2回、定期開催していて、今春で第53回を数える(雨天中止が1回)。すでに22人が鬼籍に入っている。

(堤 哲)

 

絵画展・今野当夫(元制作部)

 2016年11月25日、絵画グループ「逍遥会」を喫茶花で開き、絵画、書道、フラワーアレンジメントなど10点を展示しました。

 バス旅で房総の景勝地をめぐってきました。人気の濃溝の滝、大山千枚田も良かったのですが、赤いサルビアが咲く初秋のマザー牧場を描いてみました(①今野)。

 仲間を紹介します。(敬称略)

 ②中林透=当会の代表で水彩も油彩も。奥多摩を原風景とし画材持ち込みで描きます。過去、5回個展を開いています。③菊地義正=大画布に風景画を繊細に描きます。上野の絵画展に数多く出品しており、定年時にはアートサロン毎日で個展を開きました。④松田宏一=ガラス絵。裏側から手前に見えるものから出来上がりを意識しながら絵の具を重ねていきます。 当日は、取り付けに協力してくれた人も含め男女10名が飲み会に参加しました。年1回の楽しいひと時です。

今野当夫「サルビア咲くマザー牧場・油彩F8」
中林透「真鶴・F6」29.02.22
菊池義正「日本海(深浦)・油彩F4」
松田宏一「日比谷公園・ガラス絵」
 

「野球文化學會」が再興、笑顔のモロさん

野球文化學會・諸岡達一氏

 野球を「歓喜の学問」にする――1999年秋、毎日新聞OBの諸岡達一さんが事務局長となって立ち上げた「野球文化學會」。諸事情で活動が休止していたが、立春の2月4日、東京ドームホテルで再興の総会を開いて新体制を決め、秋にも学会誌「ベースボーロジー」第12号を発刊することになった。

 総会では理事7人、監事1人を新たに選出し、会長には鈴村裕輔氏(法政大学国際日本学研究所客員学術研究員・博士)が就任した。事務局は野球雑誌『野球雲』を発刊する啓文社に置き、事務局長に同社社長の漆原亮太氏を選任した。

 新設の顧問には、慶大名誉教授の池井優氏と、初代事務局長の諸岡達一氏が就いた。

 総会には田和一浩氏(国際野球連盟(IBAF)第一副会長、全日本アマチュア野球連盟専務理事、東大野球部OB)、功力靖雄氏(筑波大名誉教授、元同大野球部監督)、毎日新聞OB松崎仁紀氏ら約50人が出席した。

 議事が終わって最後に挨拶した諸岡さん。「やっとここまで漕ぎ着けました。あとは若い人たちにお任せしたい。野球を研究するという行為は野球の尊厳に対する人類の礼儀です!」

(堤 哲=監事に選出された)

一般財団法人全日本野球協会 Baseball Federation of Japan (略称B.F.J.)の英文サイトに、鈴木美嶺さんの野球殿堂入りと、「野球文化學會」再興総会の記事が掲載されました。

Researchers of Baseball Culture in Japan Opened Doors of 2017 Baseball Season

The Forum for Researchers of Baseball Culture established in 1999 has taken first step on the road to recovery after 5 years’ recess by holding an Extraordinary Congress in Tokyo on February 4, 2017 (Photo).

前列中央に諸岡達一名誉顧問(赤いセーターの左)、その左隣が鈴村裕輔新会長。
前列左から2人目が、この記事を書いた田和一浩IBAF(国際野球連盟)副会長。
後列野球帽・マスク姿の左隣に松崎仁紀氏(毎日新聞OB)、1人おいて堤哲監事。

The Congress unanimously approved new Constitution and elected Dr. Yusuke SUZUMURA of Hosei University, as President, Ryota Urushibara as Secretary General and 7 Directors. The Forum is an assembly of researchers, historians, baseball fans and other like-minded people of about 200 which may well grow under the new administration. The flagship publication of the Forum is “BEESUBOLOGY” (Baseballogy) magazine in Japanese issued at odd intervals and contains variety of articles contributed by members. For example, some of the 30+ articles in the 10th Anniversary issue of “BEESUBOLOGY” in 2009 include: rn History of Women’s Baseball in Japan – in the Meiji and the Taisho era. Historical Analysis of “Poisonous Effect Theory” of Baseball (in 1911) “Ball Four” and Jim Bouton Baseball Physics – Process of bodily movement to produce fast ballrnTemporary office of the Forum is located as follows: Yakyu Bunka Gakkai, c/o Kei-Bunsha, 6-10-5, Minami Koiwa, Edogawa-li. Tokyo 133-0056

◇Baseball Federation of Japan 公式サイト:http://baseballjapan.org/eng/

 

「開かれた毎日」の三金会へどうぞ

 整理本部OBが集う三金会は、数十年も続く懇親会です。毎月、第三金曜日の午後3時からパレスサイドビル地下1階の毎日食堂の個室で開催しています。高齢化に伴い参加者は年々減ってきましたが、時たま思わぬ方もお出でになります。写真は2016年12月の例会ですが、活版部OBの長谷川恭弘さん、1959年入社で整理本部にも少し在席し、間もなく退社し、現在は介護付有料老人ホーム「ロイヤル川口」代表取締役の大久保貞義さん、ソウル特派員などをされた前田康博さんも初めて出席、思い出話に花が咲きました。

 写真の常連は山埜井乙彦さん、高杉治男さん、本田克夫さん、萩原康則さん、諸岡達一さん、岩崎鴻一さん、吉沢孝さん、清水敬之さん、松上文彦さん、星輝雄さん、松崎仁紀さんです。蔵王近くにお住まいの町田和男さんも参加されたことがあります。懐かしい皆さんにお会いしたかったら、ぜひお出でください。事前の連絡は不要です。貴兄の参加をお待ちしています。

(岩崎 鴻一)

 

東京経理同人会に34人が集う

 第34東京経理同人会は9月16日18時からパレスサイドビル・アラスカでOB23人、現役11人の34人が参加して行われた。

 村田経理本部次長の司会で開会し、この1年で亡くなられた同人会員の斎藤薫さん、石井潤太郎さんの冥福が祈られた。会長の稲山輝機さんの開会挨拶と乾杯で懇親会が始まり、宮井取締役が新聞社決算等の報告を行った。今年92歳になる国本清茂さんを始め久しぶりの再会に懇親の輪が広がり、盛会となった。

 最後に染谷良一さんが「来年も元気に会いましょう」との閉会の挨拶を行い散会した。

当日のOB23人の参加者は次の通り。(50音順)敬称略
荒川冨士男、石井潔、市川豊子、稲山輝機、井上信章、上野孝、太田尚、岡田弘志、
門永達郎、金井郁夫、国本清茂、久野三千夫、鈴木崇矩、染谷良一、高梨一夫、高橋猛、
忠保毅、中原和昭、野田定雄、飛沢誠一、松下林太郎、守屋清志、吉田稔。

(経理本部)

 

井草隆雄さんのお別れ会

 社会部のダンディ記者だった井草隆雄さん(6月6日死去、84歳)のお別れ会が、8月 5日午後1時から東京・有楽町の新国際ビル内、日本交通協会会議室で開かれた。猛暑、リオ・オリンピック開幕という気ぜわしいなか、毎日同人、友人、知人、井草夫人タミさん、長女の幸子さんら61人が出席した。演壇には遺影が、両脇には花が飾られた。(追悼欄参照)

 まず、司会の堤哲さんから、故人略歴(前橋高校-東京外国語大学イタリア語科-東京新聞-1967年<昭和42年>10月、毎日新聞入社)、毎日での職歴(警視庁キャップ、社会部デスク、千葉、横浜支局長、写真部長、地方部長、編集局次長)紹介があった。そして、森浩一さんの開会あいさつ、元日航スチュワーデス菅野道子さん(故人の大学後輩)献杯で歓談の輪が広がった。故人生前の仲間も姿を見せた。井上幸彦元警視総監、宮本泰介習志野市長、佐藤正巳千葉県議、友人の田村泰一氏ら8人が遺族に挨拶した。故人が警視庁クラブに長かったため、この日の参加者の中から警視庁キャップ経験者が呼ばれ演壇前に並んだ。堀越章、加藤順一、田中正延、中島健一郎、常田照雄さんら5人。それぞれ、故人との思い出や苦労話を披露した。井草さんは、当時、警視庁捜査一課の名物刑事、平塚八兵衛さんに食いこんでいた。そこで毎日が井草さんを引き抜いたのが”真相”との裏話も飛び出した。故人と競った社会部同人は高齢だが、田中浩さんは夫人の付き添いで浜松から、堀井淳夫さんは90歳ながら杖を片手に、加納嘉昭さんは入院先 の大学病院を抜け出して、参加した。長老格の愛波健さんが「井草さんは、千葉を愛し、毎日退職後は、千葉で働きたいと言っていた。希望通りに千葉で余生を過ごすことが出来て良かった」と挨拶をしめた。最後に夫人の井草タミさんが「主人のことをたくさん聞かせていただいてありがとうございました」と仲間の皆さんに御礼を述べた。

(沢畠 毅記)

 当日の毎日同人参加者(本文中の登場人物は除く、順不同、敬称略)天野勝文、石井富士男、石塚浩、板垣雅夫、岩尾光代、畝村治男、小川一、大坪信剛 勝又啓二郎、国井道子、河野健一、小松浩、佐藤忠峯、沢畠毅、渋澤重和、大洞敬、高尾義彦、高木康紀、高橋豊、寺田健一、中井良則、中田章、中村恭一、中村静雄、野村修右、永井康雄、橋口正、原田三朗、平野裕、堀一郎、前田昭、松田喬和、三浦正巳、水野順右、山田尚宏、山本貞夫、吉沢孝、横山敏彦、横山裕道、渡辺洋子

写真(左)森氏(中央)左から堀越、加藤、田中、中島、常田各氏(右)お礼を述べるタミ夫人
 

日本エッセイスト・クラブ賞を受賞した阿部奈穂子さんを囲んで京都支局同人会が集う

 元毎日記者の阿部奈穂子さん(ロンドン在住、フリージャーナリスト)の日本エッセイスト・クラブ賞受賞・記念講演会が6月28日、日本記者クラブ(東京内幸町)で開かれた後、阿部さんの元毎日京都支局同人が祝杯を上げました。毎日京都支局は全国紙で最古の歴史を持つ伝統ある地方支局で、阿部さんは初の女性記者だった。(受賞著書『チェリー・イングラム 日本の桜を救ったイギリス人』については「随筆集」欄を参照)

 20世紀初め日本の桜を英国に紹介したイギリス人園芸家の生涯を描いたこの本は英国人「桜守」の奇跡を発掘して話題を呼んでいます。昔の仲間たちは阿部さんを囲んで「次は英語訳を出して、日英桜の秘話を世界に広めよう!」と祝杯を上げました。(磯貝喜兵衛)

京都支局同人会
写真は前列右から*西和久、*磯貝喜兵衛、*阿部菜穂子、天野勝文、堤哲。
後列右から倉重篤郎、河野健一、*大西督人、*前坂俊之、竹内光、*村山治、中井良則(日本記者クラブ専務理事)、*山梨博(*印は京都支局同人)

 当時の京都支局は、1928ビル(京都市登録有形文化財第2号)として中京区三条御幸町に現存する。3階の講堂にはグランドピアノがあった。「全国高校駅伝大会の打ち上げのとき、阿部さん(81年入社)が映画『スティング』の主題歌「エンターティナー」を弾いたのを憶えている」と磯貝支局長。「この本を書くきっかけは、何故か。疑問を持ったら取材をしなさい、と駆け出しのとき教わりました」と阿部さん。新人教育担当は“鬼デスク”として勇名を馳せた木戸湊支局次長と前坂俊之静岡県立大名誉教授だった。

 阿部さんのストールは、この日プレゼントされた桜染めである。

 (1928ビル「随筆」欄参照)

(堤哲付記)

 

千葉旧友会 平成28年度定期総会開く

平成28年度定期総会

 毎日新聞千葉旧友会の定期総会が6月12日(日)、京成ホテルミラマーレ(千葉市中央区本千葉)で開かれた。ちょうど梅雨入りで曇り空だったが、30人集まってやァやァと近況を語り合った。就任二年目の齊藤修会長は若い世代の入会が少ないと気にする。だが、会員は約100人。東京管内で最大の組織であることに変わりない。千葉会の特徴はあらゆる職場の仲間がなごやかに交歓できること。雰囲気がいいので時間が立つのを忘れてしまう。千葉市は戦後、海岸の埋め立てや市街地域の拡大でまるっきり変わってしまった。支局も引っ越しを重ね、昔の支局員もまるで「浦島太郎」だ。若い人に聞いてもさっぱり分からない。でも、安心。事務局の佐久間憲子さんが「昔の国鉄千葉駅はいまJR東千葉よ。古い支局はこっち」と地図の上で全くとんでもないところを指さしてくれる。もう一つ収穫は、この日も脳梗塞で倒れ救急車で運ばれてもピンピンしている人に会った。4時間以内で手当すれば元通りになる。つい最近もそんな話を聞いたっけ。来年もまた元気で会おうね!

(平野記)

 

卒寿の堀井淳夫さんを囲む社会部旧同人の集い

卒寿の堀井淳夫さん
卒寿の堀井淳夫さん

 ほりいダンプ、あるいは「ほりいのお父さん」と慕われる堀井淳夫さんが卒寿(7月20日)を迎えるにあたり、後輩たちが5月30日祝いの宴を開いた。本人は「俺なんか(社会部、あるいは社で)何も…」と嫌がったが、寄って集って実現した。伯楽も退く名支局長を演じた西支局長時代の同人を軸に、八王子、くりくり、山形、慶応、麻雀、そして労働組合などの縁をたぐり勝手幹事団の独断で呼びかけたところ、25人中21人が万障繰り合わせてきたから凄い。

 期せずして挙がった声は桃源郷。ダンプ父さんの行くところ、職場はいつも桃源郷と化したとの思い出だ。目先の働きを強要することなく酒を呑ませながら、結果、大きな仕事を引き出していた痕跡がある。それは当時の縮刷版を繙けば一目瞭然だ。ダンプ父さんは、この日も紹興酒をビールのように注ぎまくり(会場は新橋亭新館)、あとは半眼うたた寝風にて、「俺、幸せ者、いつ死んでもいい」。冗談じゃない。次は白寿。楽しみに、頼りにしてますよ、ダンプ父さん。

 同席は、蕨南暢雄、水野順右、天野勝文、加納嘉昭、田中康代、小元広悦、大住広人、吉川泰雄、瀬下恵介、吉澤孝、藤元節、堤哲、平井晋二、鳥潟貞幸、板垣雅夫、宮武剛、高橋豊、高尾義彦、荻野祥三、宗岡秀樹、大井裕、以上平均年齢75.67歳。

(記・大住)

 

写真部OB会で

GHQから国旗掲揚が許された1951年の元旦に、「毎日式多色印刷」で富士山に映える日の丸のカラー写真と広告が掲載された特集紙面。

 「生紙面、創刊号からデジタル化」。社報2016年春号の最終ページに、富士山と日の丸をカラー写真で撮影した1951(昭和26)年元日の1面が載っている。

 この写真について元写真部長の中西浩さん(85歳)が解説した。5月21日、新社長に決まった丸山昌宏元写真部長も出席した写真部OB会である。

 写真説明に「山梨県富士吉田より望む朝空の富士山」=安保特派員撮影の天然色写真(カメラ・スピードグラフィックス4×5、レンズ・テレオプター380ミリ、富士カラーフィルム)」とある。「天然色写真」にエッという声が出た。

 「富士山をバックに国旗掲揚塔に子供たちが日の丸を掲げているところ。撮影者の安保久武氏は、当時写真部のデスクで『敗戦から5年、当時日の丸を自由に揚げられなかった。そんな時、突如占領軍から国旗を掲げてもよいという解禁令が出されるという情報が占領軍。担当記者からもたらされた。当然来年の正月紙面には取り上げられなければならないし、どのような写真にするか各社共に秘策が練られた。

 この時の写真部長は、富士山麓の御殿場出身だけに、この写真は何としても富士山と日の丸を配することと決められた』と記している」と中西さん。写真部長は根上柏実さん(根上磐元常務の父親)、元日紙面は他紙を圧倒した、と説明した。

 凸版印刷の時代。色ずれが難敵だった。写真製版部、印刷部など現業部門の技術力が加わって見事な特ダネ写真となった。

堤 哲(元東京・写真部長)

 

雨で流れた社会部OBゴルフコンペ(4月7日)

じゃがりこ(デザインにネーム入り)

 春秋2回行っている社会部旧友会の懇親ゴルフ会。4月7日若洲ゴルフリンクスの第52回大会は雨と強風のため残念ながら中止。参加者全14人はコンペルームで近況報告して、午前9時45分のクラブバスで解散した。

 平均年齢75.9歳。最高齢は牧内節男さんの90歳。最若手が66歳である。「毎週1冊、本を読むように心がけ、昨年は80冊読んだ」「毎日3時間オペラを聴いている。オペラをよりよく楽しむために、4月からイタリア語の勉強を始めた」「畑づくりに励み、晴耕雨読です」。佐倉マラソンを5時間57分で走った完走者の最高齢(78歳)は「ボストンマラソンは80歳まで、5時間以内のタイム制限があるが、2年後に何とか出場したい」。

 参加賞は、元カルビー会長松尾康二さん(78・OB今回不参加)差し入れのカルビー製品。かっぱえびせん、フルーツグラノーラ、じゃがりこ(写真。デザインにネーム入り )。感謝!です。広島生まれで被爆者手帳を持つ松尾さんはNPO法人「音楽は平和を運ぶ」を立ち上げ、昨年に続きことしも7月10日に広島でコンサートを開く。広島を音楽の町に、音楽の町広島から「平和は楽しい」のメッセージを世界に発信し続ける。

(幹事・堤 哲)

 

同人誌「ゆうLUCKペン」刊行記念の集い

同人誌「ゆうLUCKペン」38集の刊行記念の集い

 同人誌「ゆうLUCKペン」38集の刊行記念の集いが、2月26日竹橋パレスサイドビル9階、レストラン「アラスカ」で開かれた。

 執筆者ら参加21人。最若手が70歳、平均80・4歳。

 最長老は、石綿清一さん、93歳。次いで山埜井乙彦さん、91歳、牧内節男さん、90歳。

 大正生まれがもう一人。ことし卆寿を迎える堀井淳夫さん。

 ことし89歳の誕生日を迎えた本田克夫さんが第5位。以下割愛――。

 諸岡達一編集長(79歳)の司会で全員が1分スピーチ。「喉をやられて、医者から大声を出せといわれた。XX(特に名を秘す)のバカヤローと毎日叫び続けたら、声がでるようになった」と石綿長老。毎友会会長の平野裕さん(84歳)。「私の現役だったKK時代(フルシチョフ、ケネディー)と似てきた。中国は崩壊するかどうか。もう少し長生きしてどうなるか見届けたい」

 OB参加に元カルビー会長の松尾康二さん(78歳)。昭和35年入社、創業の父親を助けるため47年に退社。広島生まれ、被爆者である。NPO法人「音楽は平和を運ぶ」理事長。ことしも「平和のとりでを築くコンサート」を開く。

  同人も会員も高齢化。「とりえず40集までは出そうや」といっているが、どうなりますか。若者の参加を求めます!

(堤 哲 74歳)

 

千葉旧友会秋の総会を兼ねた銚子の旅

千葉旧友会秋の総会を兼ねた銚子の旅

 小春日和の初日は南関東道を経て一路銚子・犬吠崎へ。名物濡れ煎餅の手焼き体験や名刹・満願寺に参内したあと、会場の「太陽の里」へ。

 若干迷路のようなかまえで、大浴場や宴会場へたどり着くのに難儀しつつも鮮魚の夕食と全員で得点を競うカラオケ大会で不満も解消。

 翌日も快晴。日頃鍛えた健脚(?)を生かして100段を超える犬吠崎灯台の展望台まで登り、360度の眺望を堪能するなど、銚子の晩秋を満喫して無事帰路についた。

 参加者はつぎの通り(敬称略)

 伊藤隆、伊藤匡、岡田弘志、菊池吉晃、齊藤修、作田和三、佐久間憲子、佐藤和子、澤畠毅、清水敬之、藤城幸一、本田克夫、深山健一、山崎進一

(菊池吉晃)

 

三金会で老化防止を

三金会で老化防止を

 老いたから出無精に? 出無精になったから老いたのか?

 整理本部の、出無精とは無縁のOBが毎月第三金曜日に集う「三金会」をご存じですか。何十年も続く懇親会です。90歳超の大先輩から、下は60歳台の若手までが、昼間から杯を重ねて、若き日の思い出や、世相を嘆き、本社の経営を心配して。

 「開かれた毎日新聞」の仲間なので、他部の方も大歓迎です。

 大組みをした活版の仲間も、社会部の仲間も顔を出してくれたこともありました。

 定年は遥か昔のことですので、いまさら上司も部下も関係なく、皆んなただの仲間です。心配は整理本部という組織がなくなり、新しい仲間の加入がないことです。やがて消滅の運命でしょうか。

 懐かしい顔に会たくなったら、ぜひお越しを。申し込みは不要です。第三金曜日の午後3時から本社ビル地下1階の社員食堂の 個室です(ビル1階の郵便局の脇の階段を下ります)。割り勘で2千円超です。

 世話役の岩崎鴻一は1959年入社の79歳。この年でも、この会では若手の部類です。

 長寿万歳 三金会よ永遠に!

(岩崎鴻一)

 

根上磐さんを偲ぶ会

追悼の辞を述べる朝比奈社長。正面に妙子夫人と友人代表たち
追悼の辞を述べる朝比奈社長。正面に妙子夫人と友人代表たち

 猛暑の7月22日、根上磐さん(5月19日逝去、80歳)を偲ぶ会がパレスサイドビルB1毎日ホールで開かれた。参加148人。出身の社会部だけでなく、多彩な交遊の関連で、他の新聞社や仕事先の警視庁、名古屋キャッスルホテルはじめ会社関係の友人も加わって、こもごも思い出を語り合って魅力ある人柄を浮き彫りにした。

 磐さんは、社会部ひとすじ20年。おそらく最長不倒距離である。三億円事件は発生から時効まで追って『三億円犯人の独白』、ロッキード事件ではサブデスクとして『児玉番日記』(いずれも毎日新聞社刊)を出版した。生活家庭部長、運動部長、地方部長のあと事業本部長。都市対抗野球大会の東京ドーム開催、日米野球を大成功させた。取締役中部本社代表、東京本社副代表。常務取締役で退任し、ホテルナゴヤキャッスル社長として最高級シティホテルの経営にも手腕を発揮した。

 発起人代表の朝比奈豊社長は、磐さんが警視庁キャップのときの捜査二課担当記者。依田智治元参議院議員氏は警視庁広報課長時代の思い出を話し、8月に卆寿を迎える牧内節男氏が献杯の音頭をとった。井草隆雄氏は磐さんと妙子夫人との馴れ初めを、高橋豊氏は『児玉番日記』の裏話を、 元日経新聞の野田幸雄氏は「夜回り先は根上邸だった」ことを、それぞれ披露した。

 磐さんと一緒に警視庁を担当した現産経新聞の古森義久氏はワシントンから。「あの心なごやむ体型、その体型とは対照的な鋭敏な取材、私たち後輩記者への温かい思いやりと慰めは、決して忘れられません」最後に妙子夫人がお礼の挨拶。大坪信剛社会部長が中締めをしてお開きとなった。

(堤 哲)