新刊紹介

2020年5月2日

僚友・佐藤哲朗が渾身の一冊を刊行した

 渾身の一冊は『スパイ 関三次郎事件 戦後最北端謀略戦』(河出書房新社、2,500円+税)。帯に「戦後混乱期の宗谷海峡。ソ連の密入国工作員として裁かれた関三次郎は、実はアメリカのCICのスパイであった。死の直前の関が、身を捨てて真相を告発。日米謀略の深層、そして樺太と北海道をつらぬく巨大な闇がここに暴露される」とあり、いささか誇大ながら、一言で紹介すれば、こうなる。読んで損のない面白い本であること間違いない。

 佐藤哲朗は旧・樺太で生まれ、旭川(北海道)で育った。中学校の社会見学で旭川地裁に行き、関三次郎の公判に出くわした。オジロワシのような目が少年の目に焼き付いた。長じて毎日新聞に入り、司法を担当。飛躍を期した1972年の正月早々、関三次郎を有罪に追い込んだ検事と公開の宴で盃を交した。

 検事は検事正になっていて、往年を振り返る。「この事件(関三次郎の事件)には証拠というものが何一つなかった。頼りは本人の供述だけ」と漏らす。これを聞き漏らすわけがない。検事の裏は弁護士で、と、探しあてた。その一人は老弁護士となっていたが、よくぞ来たとばかりに迎えられ、出端で意気投合した。帰り際には「あんた、やるなら持っていけ」と大ダンボールいっぱいの資料を託された。

 中は、ぎゆう詰め。裁判記録をはじめ、ほぼ全ての調書(写し)、当事者、関係者の「証言」がひしめいていた。即むさぼり読んだ、と言えば恰好つくが、そうもいかない。その頃は夕刊、朝刊に追いまくられ、その合間をどう割くか。それに、お宝の壺だとわかっていても、世にいう、釣り上げた魚で締切もない。

 だが、読み進むにつれ、身震いがくる。裁判はどうしようもない生煮えだ。裁判官はお国の検察の意を受けたのだろう、有罪ありきの結審(判決)だけを急ぎ、関三次郎の弁護士は事実関係を棚上げして情状論のみに終始、共犯とされるソ連人被告は起訴状を全面否認したものの、有罪(執行猶予)には服した。ソ連当局が身柄の本国送還を優先したためで、闇から出た事件は、そのまま闇へと戻された。

 ダンボール弁護士は、このソ連人被告担当で、生煮え症候群による消化不良を起こしたのだろう。真実究明の弁護士本能が、一件資料を捨てるに捨てられず、ダンボールを残し続けてきたに違いない。ま、中だるみの話は割愛しておこう。ダンボールの存在は、それ自体が結果としていい自己圧力になった。

 初動後の弛みは、足で超えた。ダンボールによって、事件の全体像が見え、闇に踏み込む切り口も見えている。だが、検事述解のように、物的証拠は全くない。「証言」も裏付けとなると霧中に入る。ならば愚直に踏み込むよりない。佐藤哲朗は、そう覚悟した。

 ダンボールに眠る関係者の全員を起こし、直接会って話を聞く。愚直にできるのは、これだ。「はしがき」で、「取材した関係者は数百人を超え、走行距離は延べ四万キロに及ぶ」と書いているが、これ、それほど誇張はない。本著冒頭3ページにわたって「主な登場人物」80人余を実名で挙げているのが、その証だ。

 実名というのが、凄い。既に死亡していたひとや国外に出て消息のとれなかったひとを除き、少しでも影あれば探し出し、足を運んでいる。当の関三次郎には都合6度会った。中には「本当のことを言うが、生きてる間はばらさんでくれ」というひとも、1人、2人ではなかった。着手から刊行まで48年を要した一半の理由は、ここにもある。

 書きに入ったのは、後期高齢、75を過ぎてから。事実を究め、集めるのも大変だが、書き上げも大変だ。若きのように、馬力で書けとは参らない。歳の功が読み手にわかるように書け、といっている。取材不足も次々痛感、さりとて故人から再度聞けるわけもない。不足は他人の成果から補えと、読んだ本は記憶にあるだけで66冊に及んだ。

 前後して、肺を切り、心臓に管を足し、前立腺を取った。医者の不養生の類で、ずいぶんとひとの命の手助けをしてきた佐藤哲朗だが、己の手当に抜かりがあった。折からあべ一強は一強を重ねている。負けて堪るか。書き上げなければ、48年が無と同じになる、なによりダンボールに申し訳がたたない。愚直にかえって加速へ踏み込んだ。

 書き上げて、買い手がつくまでの1年有半もしんどかった。だが、48年、振り返りみれば、愚直には必ず助っ人がつくもんだ。「あとがき」末尾で吐露の感謝に誇張はない。

 あとは、――直接、本書にあたっていただきたい。直接、本屋に足を運び、手に取っていただき、はたして「帯」のとおりか否か、確認願えれば、著者、望外となる。

(おおすみひろんど)