新刊紹介

2022年1月11日

元学芸部長、重里徹也さんが新刊『教養としての芥川賞』(共著)

 このほど、友人の助川幸逸郎さん(岐阜女子大教授)との共著『教養としての芥川賞』が青弓社から刊行されました。

 東京・学芸部で文芸記者をしていた頃、年に2回ある芥川賞・直木賞の発表は重要な取材対象の一つでした。毎回、全ての候補作を読み、事前に選考委員に取材をし、大手出版社の編集者たちと意見をたたかわせたり、社内で候補作品についての勉強会をしたりすることもありました。

 芥川賞・直木賞は1935年に創設されました。民間の主催する最も古い文学賞ですが、見方を変えれば、文芸春秋という一つの私企業が運営している賞に過ぎません。それがなぜ、こんなにも大きな存在になったのでしょうか。

 選考の公平性を大事にしていることをはじめ、ジャーナリズムや大衆意識を熟知した運営方法に大きな理由を求めることができるでしょう。また、担当した文芸春秋社員たちの努力も見逃せません。芥川賞・直木賞は成功したビジネス・モデルとしても、多くのことを示唆しているように思えます。

 この本では芥川賞に絞って、この新人認知システムを一望するとともに、歴代の受賞作品から23作品を選んで、助川さんと私がその読み方を語り合っています。

 第1回受賞作の石川達三『蒼茫(そうぼう)』、ベストセラーになった石原慎太郎『太陽の季節』や村上龍『限りなく透明に近いブルー』、綿矢りさ『蹴りたい背中』、最近の話題作の宇佐見りん『推し、燃ゆ』など、日本文学史を彩る作品群に新しい光をあてたつもりです。

 ちなみに、私の芥川賞受賞作ベスト・ファイブは
 ・井上靖『闘牛』
 ・吉行淳之介『驟雨(しゅうう)』
 ・開高健『裸の王様』
 ・古山高麗雄『プレオー8の夜明け』
 ・絲山秋子『沖で待つ』
 でしょうか。いずれの作品についても、この本で議論しています。

 毎友会の皆さんに手に取っていただければ、幸いです。

(重里 徹也)

 『教養としての芥川賞』(青弓社)は重里徹也、助川幸逸郎著。定価2000円+税。

 重里徹也(しげさと・てつや)さんは1957年生まれ。大阪外国語大学ロシア語学科卒。82年に毎日新聞社入社。下関支局、福岡総局、東京本社学芸部、同学芸部長、論説委員などを経て、2015年に退職し、聖徳(せいとく)大学(千葉県松戸市)の教授に。日本近現代文学を教えている。毎日新聞のサイト「経済プレミア」で毎月、新刊の書評を連載中。

《『毎日新聞』2022年1月8日付け「今週の本棚」から》

 『教養としての芥川賞』(青弓社・2200円)

 数多い文学賞のなかで、なぜ「芥川賞」は特別なのか。本書は全編を通してその問いに答えている。

 熟練した「小説の読み手」二人が、歴代の芥川賞受賞作から23作について、縦横無尽に語り尽くす。それぞれの文学観や歴史観、培ってきた知見、個人的な体験を総動員してぶつかり合う対話は非常にスリリングであり、「文芸批評」の本来あるべき方向性を示しているように思う。

 芥川賞は19日の選考で166回を数える。1935年から年2回、ほぼコンスタントに選考会を開き、受賞作を送り出してきた。対象が新人の短編であること、他の賞よりも選考委員が多く、みな実作者であることなどが特長に挙げられる。

 受賞作は、その時代の雰囲気、価値観を知る指標になる。さらに現代を映し出す鏡にもなり、社会を相対化し続けている。二人はそんな小説の味わい方を、全力で堪能しながら私たちに伝えてくれている。

 「村上龍はある意味梶井基次郎に似ている」「村上春樹と対をなす作家は龍ではなく宮本輝ではないか」など、随所で新鮮な言葉に出合った。小説の読み解き方は、どこまでも更新できる。(部)

2021年12月17日

『毎日グラフ』が電子版で復刻―元学芸部長、奥武則さんが解説

 《「新・ときたま日記》から転載》 http://toku1947.blog.fc2.com/blog-entry-569.html

 かつて『毎日グラフ』ありき――毎日新聞社が1948年に創刊したグラフ誌である。

 奇特な(?)出版社が電子書籍として復刻するという。

 上(写真・右)のパンフレットにあるように、なぜか「解説」を依頼された。グラフ誌について取り立てて詳しいわけでもないので躊躇したが、「新聞」と「写真」を「ジャーナリズム」という観点につなげて、いくぶん強引に書いたのが、以下の文章である。

 『毎日グラフ』が創刊されたのは、一九四八年(昭和二三)七月である。六月二一日の毎日新聞に創刊の社告が出ている。

 当時の毎日新聞は裏表二ページだけである。夕刊はまだ復活していない。社告は、戦時中に廃刊した二つの写真雑誌にふれた後、「この両誌の伝統を新しい時代感覚で生かしはつらつたる『毎日グラフ』を創刊することになりました。ご愛読を得たいと思います」とうたっている。

 写真雑誌は、いうまでもなくジャーナリズムの一分野である。ジャーナリズムの大きな役割は、世界と日本の現在をさまざまな角度から切り取り、人々に伝えることにある。そこで写真という媒体が果たす役割は大きい。

 新聞は長くジャーナリズムの王者だった。しかし、この「王者」には国策に迎合し、国民を戦争に駆り立てた負の歴史がある。『毎日グラフ』は、日本が民主国家として再生する道を歩み出したばかりの時期に創刊された。新聞の前にはジャーナリズムの王者としての道がふたたび開けたのである。

 新聞社にはジャーナリズムの役割を果たす組織とノウハウが健在だった。いまだ占領下だったとはいえ、ジャーナリズムの王者と写真という媒体の幸福な結びつきが花開く時代を迎えていた。創刊社告が「新しい時代感覚」を掲げた所以もそこにあっただろう。

 新聞、なかんずく毎日新聞のような全国紙がジャーナリズムの王者だった理由の一つは、その広範な取材網にあった。

 私は一九七〇年四月に毎日新聞社に入り、鹿児島支局に赴任した。当時、東京本社のほかに大阪(大阪市)、西部(北九州市)、中部(名古屋市)に発行本社があり、札幌市には別会社の北海道発行所があった。その他すべての府県庁所在地に支局があり、その下に通信部があった。鹿児島の場合、支局には支局長以下六人の記者、専用車とドライバーがいた。県内には離島の奄美、種子島をはじめ、駐在記者を含め十か所近くの通信部があった。

 むろん、東京には政治部、経済部、社会部をはじめ、生活家庭部、学芸部、運動部といった部門があり、多くの記者たちが日々取材活動をしていた。海外各地には多数の特派員もいた。国内通信社に加え、外国通信社とも特約契約があった。

 さらに、各本社編集局には写真部があり、かなりの写真記者がいた。先にふれた全国各地に所在する記者たちは常にカメラを持っていた。その意味で彼らは写真記者兼業ともいえた。

 写真記者を含めて、記者たちは日々発行される新聞のために取材活動をしていたのであり、一義的には『毎日グラフ』とのかかわりはなかった。だが、こうした手厚く配された耳と目を持つジャーナリズムが、写真雑誌としての『毎日グラフ』を支えていた。

 鹿児島支局にいたころ、一度だけ私が撮影した写真が『毎日グラフ』に載った。たまたまある出来事の起きた現場にいち早く駆け付けただけのことだが、それは私が新聞ジャーナリズムの末端にいたから可能だった。

 だれでもスマホを持ち、動画まで撮影できる現代、この手の「現場写真」はすでに新聞記者の専有物ではない。だが、そうした事態はたかだかここ十数年ほどのことである。ふつうの人々には遠い場と出来事に耳と目を働かせることがいまも記者たちの日常の職務なのである。

 電子書籍としてよみがえる『毎日グラフ』には、こうした新聞社だからこそ可能だった写真ジャーナリズムの実践の成果が盛り込まれている。むろん、それは事件や事故の現場という狭い対象だけではない。新聞社による写真ジャーナリズムの耳と目は、広範に開かれている。政治・経済の「硬派」から世相・風俗まで、さらに映画・演劇・音楽・スポーツなどエンターテインメントの世界まで、それは届いている。

 しかも、その耳と目の働きの結果は蓄積されて残る。毎日新聞社には幕末期からの膨大な写真が残されている。『毎日グラフ』にはときどきの「別冊」などにもこのアーカイブが活用された。

 今回、この一文を書くために、国立国会図書館(東京本館)で、『毎日グラフ』の初期バックナンバーを閲覧した。「別室閲覧 禁複写資料」だった。特製の帙に収まった創刊号を開く。紙が破れないようにていねいにゆっくりめくる。

 表紙は女優の高峰秀子。巻頭特集は「歸鄕」(常用漢字にすれば「帰郷」)。シベリアや樺太からの帰還者の姿や故郷に帰った際の様子を全四ページ十二枚の写真と短いキャプションで伝えている。

 最初の一ページ大の写真は、舞鶴港に着いた帰還船のデッキに立つ若者と老人のアップ。若者は顔を輝かせ、老人は嗚咽をこらえるような苦悶の表情を浮かべている。皺が深い。

 「さびしい田舎道を荷物の重みによろめきながら身寄りをたずねてゆく五人の母と子と…」というキャプションのついた写真もある。撮影地は秋田県である。

 シベリア開拓団をめぐる悲劇と苦難を記した書物は多い。樺太帰還者についても同様の記録を読むことができるだろう。だが、大判の写真を中心にした『毎日グラフ』創刊号の「歸鄕」特集は、活字の記録とは別のかたちで、ある時代に生きた人と歴史を雄弁に伝えている。

 以上は創刊号の、それも巻頭特集の一部を紹介したに過ぎない。電子書籍版『毎日グラフ』は閲覧すれば、私たちはすべての号で、こうした体験をすることになるだろう。

 インターネットが普及し、あらゆる分野でデジタル化が進み、だれもが情報を発信し、その受け手にもなりうる現代、新聞はとっくにジャーナリズムの王者ではなくなっているのかもしれない。一方、デジタル社会がもたらす影の面もさまざまに指摘されている。

 図書館でこわごわとページをめくることなく、電子書籍版『毎日グラフ』を自由に閲覧できることはまちがいなくデジタル社会の光である。

 近現代史の研究者をはじめ多様な関心を持つ著作者たち、さらには来し方を振り返り、行く末に思う多くの人々にとって、電子書籍としてよみがえった『毎日グラフ』はまさに宝庫となるに違いない。

 個人で入手するにはいささか高価だが(注:1アクセス99,000円)、大学図書館や道府県の代表的な公立図書館には備えてほしいと思う。

 ※復刻版は図書出版株式会社かなえが発刊。
 https://kanae-book.co.jp/academic.html

 同社の『毎日グラフ 復刻版』新刊情報によると新刊第二弾は、『毎日グラフ復刻版』です。戦後グラフ誌創刊ラッシュ時に中心的存在となった「毎日グラフ」。その1948年創刊号から別冊・増刊を含めて順次刊行。表紙を含めた全頁に本誌に無い月号表示とページ数を付し、電子書籍には便利なしおり機能も加え、『毎日グラフ』とは1948年7月に毎日新聞社より刊行された写真報道誌。判型や刊行頻度を変え、誌名も「アミューズ」と変えた後、2001年に休刊。政治・経済から芸能・音楽・スポーツなどの幅広いジャンルを紹介し、グラフ誌が競合しあった時代においても、その斬新なレイアウトとペーソス溢れる文章で注目を集め続けた。

【解説】
〈解説文のPDFはこちら〉
(敬称略)
 奥 武則 (法政大学名誉教授 毎日新聞客員編集委員)
 森 暢平 (成城大学文芸学部教授 元毎日新聞記者)
【推薦】
〈推薦文のPDFはこちら〉
(敬称略)
 江川紹子  神奈川大学国際日本学部特任教授 ジャーナリスト
 難波功士  関西学院大学社会学部教授
 石田あゆう  桃山学院大学社会学部教授
 Martyn David Smith  Lecturer in Japanese Studies, School of East Asian Studies, The University of Sheffield.

 森暢平さんの解説も、上記PDFを開けば、読めます。

2021年11月22日

京都版連載「カキナーレ」の筆者は富士山遭難で九死に一生


深谷純一さん(2014年撮影)

 「毎日新聞京都版の146回にわたる連載から、精選して再編集」と版元のコメントにあったことから、このHPで紹介してもよいのかなと思った。

 「2008年5月から月2回の掲載でスタートし、2014年7月(146回)で終了した」と筆者のあとがきにある。

 京都の私立「成安女子高校」(現在は京都産業大学付属中高校)の国語の先生をしていて、作文教育の一環で始めた「カキナーレ」ノート。その目的は「文章に書き慣れる」ためだったが、「書き慣れ」が、舌がもつれて「カキナーレ」になってしまったのだという。

 ペンネーム、ウソもOK。ノートに本音が溢れた。第1集は2001年発行、第2集は自費出版で2010年、そして今回第3集。生徒たちの作文に、筆者「カキナーレ庵主人」のコメントを初めてつけた。

 筆者深谷純一さんは、私(堤)と早大卒の同級生。在学中は一切面識がなかったが、卒業50年を記念して体育局(現競技スポーツセンター)運動部39部の同期会で「早龍会50年記念誌」を発行したとき、山岳部にいた深谷さんが貴重な体験を寄稿してくれた。

 本の筆者紹介にある「1960年11月の富士山合宿で雪崩に遭い、九死に一生を得たこと」である。

 新人部員対象の新雪期訓練の合宿で、参加者は深谷さんら1年生が11人、上級生12人の総勢23人。その2日目。9合目付近(3550m)で雪崩に巻き込まれ、5合目(2400m)まで一気に流された。高低差1千㍍余。死者4人、重軽傷者15人を出し、山岳部は活動停止に追い込まれた。

 「お母さんと叫んで、気を失った」という深谷さんだったが、雪の中から右手首が出ていたことが発見につながり、救出された。「生と死は偶然」という思いが、その後の人生観になったという。同期の新人は2人が死亡、9人も重軽傷を負った。

 深谷さんは現在、79歳。京都の自宅は「カキナーレ庵」の表札が出ている。社会福祉ボランティア団体「カキナーレ塾」を主宰し、「カキナーレ通信」の発行(年3回)や読書会・教育集会・朗読会等を実施している。

 東方出版刊、定価 1,800円+税
 ISBN:978-4-86249-420-7

(堤  哲)

2021年11月12日

岩波ブックレット『アウシュヴィッツ 生還者からあなたへ―14歳、私は生きる道を選んだ』――元大阪本社経済部長、中村秀明さんがイタリアで翻訳

 2018年10月に定年直前で退職し、イタリア北部の街ボローニャで大学生生活を送っている。日本を離れて4年目に入ったこの秋、岩波ブックレット「アウシュヴィッツ 生還者からあなたへー14歳、私は生きる道を選んだ」を出版した。

 イタリア人女性リリアナ・セグレさんについての本だ。少女時代にアウシュヴィッツへ送られ、死の収容所での日々を生きのびた数少ない生存者の一人である。長い沈黙の後、60歳ごろから若者らに向けて自らの経験を語り続け、昨年秋に90歳となった節目に証言活動を終えた。

 若者や当時のコンテ首相らを前にした、1時間あまりの「最後の証言」を日本語に翻訳し、インタビューなども盛り込んだ本だ。頼まれたわけではない。記者魂は貧弱なので、その成せる技でもない。新型コロナの感染拡大で旅どころか隣町にすら行けず、ただ時間を持て余して始めたというのが本当のところだ。

 しかし、やっているうちに彼女の強い思いが乗り移り、日本に届けたくなった。今年の初め、旧知の岩波書店編集者に粗読みしてもらうと、「日本の若者にも読んでもらいたいですね」と脈ありの返事。この編集者の尽力と当時のイタリア文化会館館長カルヴェッティさんの協力、同級生でもある妻の励ましなどで、なんとか刊行までこぎ着けた。

8月の昼下がり、ベネチアに着いた大学生の私。苦闘の日々の合間に、あちこちを旅するのが楽しみだ。それもコロナの感染状況次第だけど……

 セグレさんの証言には、ナチス・ドイツによる戦争犯罪、ヨーロッパで起きた昔の話というのではなく、現在、そして未来に通じる思いや願いが込められている。それは「無関心」こそが、偏見や差別、排除と迫害、そして社会の分断の始まりになるということだ。それは、生きのびて帰国した後も彼女を苦しめ続け、今またイタリアにとどまらず、世界中でじわじわと広がっていると彼女は危惧している。

 本は安価で100ページに満たず、高校生くらいを意識して読みやすいように書いたつもりだ。お手にとっていただき、身近な若い人たちに一読を薦めてほしい。

 近況も書くよう、との指示を受けた。しかし、60過ぎて哲学科で学ぶ日々は、頭脳劣化との勝ち目のない格闘であり、正直、往生している。卒業への道のりは想像以上に険しく長い……。

(中村 秀明)

 岩波ブックレット『アウシュヴィッツ生還者からあなたへー14歳、私は生きる道を選んだ』はリリアナ・セグレ著、中村秀明訳。定価520円+税。

 中村秀明さんは1958年生まれ。1981年に毎日新聞社入社。経済部、大阪本社経済部長、論説副委員長など歴任し、2018年秋に退職後、イタリアに渡りボローニャ大学で哲学を学んでいる。ブックレットには、アウシュヴィッツで撮影した写真も収録されている。

2021年11月8日

毎日新聞出身の石戸諭さんが『東京ルポルタージュ』『視えない線を歩く』刊行へ

◆『東京ルポルタージュ』の概要は以下の通りです。

 上京して「正義」の自粛警察活動に勤しんだ、ユーチューバーの知られざる過去――
 新型コロナの感染源と名指しされた「夜の街」、取り戻すために動き出した人々の想い――
 東京オリンピック、最前線で感染症対策にあたった専門家が考えたこと――
 薬物依存症患者が直面した危機、やがて彼は小説を書きはじめる――
 「鬼滅の刃」だけが救いになった女性が選んだ道――
 行政が機能不全に陥る中で、訪問診療で新型コロナ患者を救おうとした医師――
 休業を選んだバーが、それでも営業をあきらめない理由――
 デビュー40年目の佐野元春が日本武道館ライブで歌う、「今までの君はまちがいじゃない」――
 困難に直面しても、人は集い、そして歩き始める。

 第1回PEPジャーナリスト大賞受賞、気鋭のノンフィクションライターが街を歩き、耳を澄まし、描き出す。 2020年〜2021年、激動の東京。感染と祭典の都市に生まれた31の物語 聴け、東京の声を――

 「私は歌舞伎町が感染者を責めない街ならば、この社会はあらゆるものを責める社会ではないかと思った。 敵を見つけ、名指しし、排除も差別も肯定する社会を目指すのか。 専門知と現場で積み上がった知を組み合わせて、 共通の目標としてリスクの低減に向けて動き出すのか。 少なくとも、新宿・歌舞伎町という街を守るため、 新型コロナウイルス対策に邁進した行政、名指しされながらも 日々経営を続ける人々は後者を選び、歩き出している」 (本書収録「名指しされた人々」より)

◆「視えない線を歩く」の概要は以下の通りです。

 2011年3月11日。あの日から続く非常事態を人々はどう生きたか。何を考えたか。

 論争の中で塗りつぶされていく多様性、忘却されていく過去を、ていねいに見つめ直す。
 第1回PEPジャーナリズム大賞受賞のノンフィクションライターが綴る傑作。

 第1章 先取りされた「緊急事態」の記録
 第2章 人に会いに行く
 第3章 理解、その先へ
 第4章 トモヤの10年
 第5章 何も知らない
 終章 家族の時間

(石戸 諭)

 「視えない線を歩く」は講談社から11月12日発売。1,650円(税込み)「東京ルポルタージュ」は毎日新聞出版から11月27日発売。1,760円(税込み)。副題に「疫病とオリンピックの街で」

 ※石戸諭(いしど・さとる)さんは1984年生まれ。2006年毎日新聞入社、同年4月〜2011年3月まで岡山支局。2011年4月〜2014年3月まで大阪社会部。2014年4月〜2015年12月までデジタル報道センター。2018年4月に独立しフリーランスに。

2021年11月4日

『冤罪の構図 松川事件と「諏訪メモ」―倉嶋康・毎日新聞記者の回顧から』

 きっかけは、倉嶋康さんのフェイスブック連載「記者クラブ」で、2020年10月12日から2021年6月28日まで、計124回にわたった「松川事件」に引き付けられました。

 「私はこのシリーズ(記者クラブ)を書こうと思い立った時、松川事件の話は触れないつもりでした。(略)しかし、記者クラブの話を通して描きたいのが、行政も民間も巧みにメディアを利用するという内容なので、どうしても避けては通れないのがこの松川事件なのです。自慢話と思わないで下さい」

 敗戦後の1949年夏、下山事件、三鷹事件、松川事件と国鉄を現場とする事件が立て続けに起きました。いずれも表では共産党など反政府勢力による関与が喧伝され、裏ではアメリカ占領軍による謀略が噂されました。中で、松川事件は20人に及ぶ大量逮捕に発展、多くが共産党員でもあったことから、共産党による謀略の典型として世に浸透していくことになります。

 これを逆転させたのが「諏訪メモ」です。威力は絶大でした。松川裁判は治安権力による虚構だったのです。倉嶋さんは、捜査の核にいた刑事の一人から、それまで酒席を一緒にしたり仲良しだったのに、「お前はアカか」となじられました。そんな逸話をはじめ、当時の捜査環境や世情が克明に、時に熱く、時に淡々と、また軽妙な筆致も交え、読んでいて、飽くことありませんでした。

 倉嶋さんは「親父から自慢話はするなと言われていました」と言っています。それにも増して、「諏訪メモ」の重さが口を重くしていたのだと思われます。裁判をひっくり返しただけでなく、4人の無実が死の淵(死刑)から生還したのです。それも最高裁での有罪確定が必至とされた瀬戸際での新証拠でした。

 重しを解くには時間が必要です。今年(2021年)88歳となった倉嶋さんにそのときがきたのでしょう。あったことをあったままに世に伝え後世に遺す。これは大事なことです。この共感をさらに広く多くのひとに伝えたい。そう思わせてくれました。そして、その思いを伝え、快諾をいただいた次第です。

 同時に、「スパイ冤罪事件」(宮澤・レーン・スパイ冤罪事件)の真相を究明した視点から「裁判・松川事件」を検証しておきたいと思いたちました。共通項がいくつかあり、二度と国家権力による冤罪を起こさせない運動の一石になる、そう思えたからです。すると、同じ場面ながら違う視野も開けてきました。捏造の一翼をになった検察・司法にも、逆転を支える良心が厳としてあったことです。「諏訪メモ」がいわば触媒となって、重要な局面、局面で発揮されていました。その大本が新聞記者・倉嶋さんの働きですが、一つ欠けてもあわやの良心の連鎖と知れました。

 この一連を取りまとめたのが、「第二部・冤罪の構図」です。「北大生・宮澤弘幸『スパイ冤罪事件』の真相を広める会」では宮澤・レーン事件で『引き裂かれた青春』(花伝社刊)及び『総資料総目録』を刊行、昨年(2020年)にはその延長で『検証 良心の自由 レッド・パージ70年』を刊行、そして今回と位置づけております。さまざまな場面でさまざまに活動する多くのみなさんとの連帯になればと、願ってやみません。

 最後に大事は、「実在・松川事件」は発生72年にして未解決なことです。「冤罪・松川事件」は裁判によって正道に戻り解決しましたが、事件の犠牲者の無念は晴らされておりません。いま、戦後76年にして風化の懸念が課題となっています。ここでは新聞のありようも問われています。

 飽くなき好奇心と良心を以て真実解明に日々を尽くした倉嶋さんの昔語りを糧に、その系譜が豊かに継承されることを願って本冊子の刊行となりました。倉嶋さんに感謝し、刊行に関わった本会事務局として、一端を紹介させていただきました。意を汲んでいただければ何よりです。

(本書「はじめに」から  福島 清)

 (注 本書は「真相を広める会」のホームページ http://miyazawa-lane.com/index.html で、全文が公開されています)

2021年10月20日

政治部記者だった尾中香尚里さんが初めての単著「安倍晋三と菅直人 非常事態のリーダーシップ」

 ごぶさたしております。1988年入社、2019年退社の尾中香尚里です。

 いきなりで恐縮ですが、先週の10月15日、集英社新書より初の単著「安倍晋三と菅直人 非常事態のリーダーシップ」を出版させていただきました。

 発売からまだ数日ですが、筆者も出版社も驚くほどの反響があり、昨日早々に増刷が決まりました。多くの方にお手にとっていただき、感激しています。

 この本のベースになったのは、毎日新聞政治部時代の取材経験です。

 10年前の東日本大震災と東京電力福島第一原発事故当時、私は政治部のデスクとして、民主党の菅直人政権と対峙していました。

 政治部ではほぼ「野党担当専門」のように育てられ、結果としてこの時の政権幹部の大半が日常的な取材対象だった私にとって、震災発生から菅首相の退陣までは、ただひたすらに心身をすり減らす日々でした。ただその中で、私が見ていた菅政権の、特に原発事故対応に関する当時の世論の評価が、政権に対してやや不当に低いとも感じていました。

 当時の政権幹部は私にとって身近な存在であり、自分の見方にひいき目がある可能性は否定できない、と自戒していました。政治権力を相手にしている以上、取材先には厳しく対峙しなければいけないとも思っていました。

 しかし同時に、こちらがどんなに取材してさまざまな検証記事を紙面化しても、それを上回るかのように、事実が若干歪んだ形で伝えられた上での誹謗中傷とも言える声も少なからず耳にし、「本当にこのままでいいのか」と思い悩んだことも事実でした。

 民主党が政権を離れ、少し世論も落ち着いてきたあとで、一度冷静な形で当時の再検証のようなものを書いてみたい。毎日新聞在籍当時から、そんな思いを漠然と抱いていました。そして昨年夏、ご縁あって集英社新書から単著執筆のお声がかかりました。

 ところが、出版に向けて動き出したその直後、当時の安倍晋三首相が突然辞任しました。震災と原発事故に勝るとも劣らない「国難」といえた新型コロナウイルス感染症への対応に右往左往した安倍首相。彼こそが原発事故当時、原発の海水注入をめぐる誤った情報をもとに、当時の菅首相を、口を極めて罵っていた当事者でした。

 このことに編集者さんが気づき、本の内容は「原発事故対応の再検証」から「菅政権と安倍政権の危機対応比較」へと、大きく比重を移すことになりました。毎日新聞時代の取材記録や、退職後に共同通信47NEWSで執筆していたコラムの内容を大幅に加筆する形で、本格的な執筆が始まりました。

 1人で単行本を執筆するのは、これが初めて。一方で地元・神奈川県藤沢市でのタウン誌での記事執筆、東京都狛江市でのコミュニティFMでの番組出演などさまざまな仕事が重なり、執筆は全く進みませんでした。当初は今年3月の震災10年の節目での出版を目指していたのですが、出版どころか脱稿もできないという、惨憺たる状況でした。

 ようやく本文を書き終えたのは今年度に入ってからでしたが、その頃には後任の菅義偉政権のコロナ対応にも大きな注目が集まり、思い悩んだ挙げ句、あとがきで補足することに。当然ながら脱稿はさらに遅れました。

 何とか書き上げたのが7月下旬。あとがきの最後に「7月23日 東京五輪開幕の日に」と書き添えて、全ての原稿を手放しました。出版もこの時点で「10月15日」と決まっていました。

 すると9月3日、何と菅(すが)首相が月末の自民党総裁選への不出馬、すなわち退陣を表明したではありませんか。そして、編集者さんからの連絡が……

 「まだ校了していません!」

 かくして、最後の最後で「菅首相退陣」まで無理やり入れ込むはめになりました。

 新聞記者時代に何度となく遭遇した、締め切り間際の原稿大幅差し替え。まさか単行本にもそういう世界があるとは、全く思いませんでした。

 そして、この菅首相の退陣によって、ご承知のように総選挙の時期が後ろ倒しされ、10月14日衆院解散、19日公示、31日投開票という日程に。

 まさかの「発売日が解散の翌日」という事態になったのです。

 これを運と言って良いのかどうか、全く分かりません。しかし、結果としてあまりにもタイムリーな時期の出版となり、筆者も出版社も全く想定しなかったほど、多くの皆さんに手に取っていただいています。戸惑うばかりですが、とにかく、懸命に書いたものが多くの方に届いていることを、今はただ喜びたいと思っています。

 10月20日の毎日新聞朝刊に、本書の書籍広告が掲載されました。

 退職からちょうど2年。古巣の新聞にこうして自分の名前を刻むことができることに、深い感慨を抱いています。そして、ここまで私を育てていただいた多くの先輩、同僚、後輩たち、毎日新聞社という組織に、今はただ感謝の思いでいっぱいです。

 本当にありがとうございました。

 そしてここまで来たら、もう何としても来たる投開票日までの間に、1人でも多くの方に本書をお読みいただきたいと、切に願っています。

 大切な、大切な選挙です。どうかその総選挙のおともに、本書を使ってやってください。

 店頭に在庫が少なければ、電子書籍もございます。どうかよろしくお願い致します。

(尾中 香尚里)

 尾中香尚里(おなか・かおり)さんは福岡県出身。早稲田大学第一文学部卒業後、1988年入社。初任地は千葉支局。主に政治部で野党や国会を中心に取材。政治部・生活報道部副部長、川崎支局長、オピニオングループ編集委員などを務め、2019年に退社。
 新著「安倍晋三と菅直人 非常事態のリーダーシップ」(集英社新書) 定価1034円(税込み)

2021年10月13日

『村上春樹をめぐるメモらんだむ 2019-2021』を学芸部編集委員、大井浩一さんが刊行

 7月の『大岡信 架橋する詩人』(岩波新書)に続き、9月に『村上春樹をめぐるメモらんだむ 2019-2021』(毎日新聞出版)を刊行した。いずれも毎日新聞連載をまとめた本だ(後者は毎月第4日曜朝刊文化面に連載継続中)。

 来年2月の還暦を前にした記念出版……というようなつもりは全くなく、たまたま刊行時期が重なった。特に、『村上春樹をめぐるメモらんだむ 2019-2021』(以下は『村上メモ』)のほうは今春、『大岡信』の校正を一通り終えた後、毎日新聞出版に話を持って行ったところ、「9月に出せるなら出す」ということになり、大わらわで間に合わせた感じだった。

 『大岡信』は既に本欄で望外の紹介をしていただいたが、その後、いくつか書評が出た。中でも、毎日新聞10月9日朝刊「今週の本棚」で、社会学者の橋爪大三郎さんがコンパクトながら核心をついた評を書いてくださったのはありがたかった。

 サブタイトルの「架橋」は、大岡さんが現代詩のみならず、古今東西の文学から現代の美術、音楽、演劇など幅広い芸術を論じ、また多ジャンルの芸術家と共作を試みたことを指す。このことを橋爪さんは「輝く星々が夜空を横切るのを、じっと引力の場を張って支える銀河の中心」と絶妙の比喩を用いて表現された。本書には1960~70年代の「政治の季節」をはじめとする時代背景も多く書き込んだが、まさにその時代に青春期を過ごした橋爪さんの世代が、ごく自然に現代詩になじみ、深い理解を持ったことの証左とも感じる。

 一方、『村上メモ』は、何かの巡り合わせで学芸記者になって間もない97年から取材してきた村上春樹さんの最近の動静を、かなり個人的な体験や感想を交えながらつづっているコラム(ウェブ版)をまとめたものである。ルポともエッセーとも評論ともつかない文章を自由に書かせてくれる毎日新聞の度量の大きさには感謝している。

 コラムを思い立ったのは、かつてメディアの取材にほとんど応じなかった村上さんがここ数年、ラジオDJを始めるなど、公の場によく姿を現し、積極的に発言するようになったからだった。こういう方面の話題は、取材してもごく一部を記事にできるだけで、残りは自分の記憶にとどめるのみとなる。それではもったいないという気持ちだった。

 ところが、2019年の連載スタート(当初は月2回だった)から半年もたたないうちに、新型コロナウイルスの感染が拡大し、世の中の様相は一変した。日本と海外を頻繁に往復していた村上さんも国内に「足止め」状態となったわけだが、ラジオ番組などでは休業で苦境に陥った人々に寄り添うコメントとともに、「説明しない」政治への厳しい批判も口にした。思いがけずコロナ禍と、その中で旺盛な発信を続ける作家の動きと伴走する形となり、当初考えていた以上に貴重な記録になったかもしれない。

 幸い、20年7月の単独インタビューも、村上さんの了解を得て収録することができた。出版物としては、これが最大の読みどころといえるだろう。72歳の村上さんの活動は質量ともに年齢を感じさせない。こちらも年寄りぶってはいられない。裏話もいろいろあるが、まだ現役の記者という立場に免じて、この辺でご容赦いただきたい。

(大井 浩一)

『村上春樹をめぐるメモらんだむ 2019-2021』 毎日新聞出版1980円(税込み)
ISBN:978-4-620-32700-6
大井浩一(おおい こういち)さんは1962年、大阪市生まれ。1987年、毎日新聞社入社。社会部などを経て学芸部長、大東文化大学、法政大学講師を歴任。著書『批評の熱度──体験的吉本隆明論』(勁草書房)、「2100年へのパラダイム・シフト」(共編著、作品社)など。

2021年10月12日

元社会部司法記者、飯島一孝さんが新刊「弁護士になるには」――検察官、裁判官、弁護士の3部作完結

 「あなたにとって魅力的な職業とは?」「どうしたらその職業につけるのですか?」

 こうした問いに答えてくれるぺりかん社の「なるにはBOOKS」を手がけて3冊目の本「弁護士になるには」が、このほど出版されました。「検察官になるには」「裁判官になるには」に続く3冊目の司法関係の本で、法曹3部作が揃ったことになります。毎日新聞の司法記者時代に得た経験を踏まえてまとめたつもりですが、どこまで真相に迫れたかは、読者の判断に委ねたいと思います。

 私自身、学生時代には弁護士という職業に憧れた時期もあったので、前の2冊以上に気持ちを込めて書いたつもりです。実際に入学したのは外国語を教える大学で、私の憧れはそこで途絶えた形です。だが、学生の中には司法試験を目指して勉強していた人もいました。クラブの先輩はいったん就職した会社を辞めて司法試験に挑みましたが、合格まで10年近くかかりました。

 さて、前文が長すぎましたが、今回改めて、弁護士を開業している方たち約10人にインタビューしてみて、私が記者として関わった頃と比べて、様変わりしているなと感じました。

 その第一は、司法試験合格までの期間が間違いなく短縮され、合格しやすくなったことです。その最大の理由は試験制度改革で法科大学院(ロースクール)ができたことです。大学法学部を卒業してロースクールで所定の単位を取得・終了すれば、約3人に1人が司法試験に合格できるようになりました。あえて言えば、3年間試験を受け続ければ、ほぼ間違いなく合格できるということです。

 一方で、「誰でも取れる簡単な資格になってほしくない。私は2回不合格になったが、いい意味で挫折感を味わった貴重な経験だった」と語るベテラン弁護士もいました。

 第二は、試験制度改革で弁護士の数が増加し、2018年には4万人を超えています。今後も増え続き、20年後には6万人を超すと推測されています。訴訟社会と言われる欧米諸国に迫っていることは間違いありません。

 第三は、弁護士の職場が法廷から企業や中央官庁に急速に広がっていることです。特に目立つのは、企業に所属して職務を行う「企業内弁護士」で、この10年間で約6倍に増えています。外部から口を出す顧問弁護士と違って、企業の中から法律問題をチェックできるメリットがあるからです。

 その一方、弁護士が数百人所属する大規模法律事務所が増えていて、このうち上位5社は「5大ローファーム」と呼ばれています。こうした事務所では優秀な人材を集めていて、毎年採用される裁判官と検察官の総数とほぼ同数の優秀な人材を確保していると言われています。もちろん、採用された弁護士には高給が支払われていることは明らかです。

 こうした現実を目の当たりにして、日本の司法界も今後さらに変わっていくだろうと思います。ただ、高収入を稼ぐ勝者と、事務所経費に追われる敗者との格差がますます広がっていく気がします。カネや権力に動かされず、正義を貫く弁護士が増えることを心から願っています。

(飯島 一孝)

※「弁護士になるには」 ぺりかん社、定価 1500円+税

2021年10月11日

運動部・論説OB落合博さん著『新聞記者、本屋になる』


 落合博さんの著書『新聞記者、本屋になる』(光文社新書、1,034円税とも)が10日付読売新聞読書欄で紹介された。浅草田原町に2017年4月開店した「Readin' Writin' BOOKSTORE」。

 落合さんは読売新聞大阪本社に入社、7年間勤めて退社、トライアスロンの専門誌を経て、毎日新聞に。運動部から論説委員。58歳で退職。店舗は、元材木倉庫だから、天井が高いうえに、中2階もある。ユニークな本屋さんである。

ISBN 978-4-334-04561-6

(堤  哲)

2021年9月27日

毎日新聞出身の石戸諭さんが『ニュースの未来』刊行

 8月に『ニュースの未来』(光文社新書)という本を出版した。新聞社そしてインターネットメディア、独立した書き手として雑誌、テレビまでさまざまメディアを横断しながら働いている経験をベースに、未来へのヒントがどこにあるのかを探った一冊だ。とりわけメディア環境に左右されない「良いニュース」とは何かという問いを深めている。

 この手の本には「なぜ、あなたが書く必要があるのか」という疑問が必ず寄せられる。40歳でも小僧扱いされる業界のなかで、30代が書くというのもどうなのかという声も少なからずあるだろう。そこで、私はこう答えてきた。新聞社、インターネットメディアで社員記者を経験しながら、かつ独立した書き手であるというキャリアを歩んでいる人を私は自分以外知らない。取材して書くという仕事を続けることは想像している以上に難しいことなのだから、と。

 やや単純化して語れば、新聞記者は将来に対して悲観的な傾向が強い。マスゴミと揶揄され、会社が無くなってしまった時のビジョンが描けないからだ。逆にインターネットメディアにいる人々は過剰なほど自信を持っている。ページビューなどの数字を上げていけば、ビジネスが成立することを知っているから、それも当然といえば当然のことだが、実際に実力があるという人は少数である。メディア環境の追い風、もしくは向かい風と、実力を勘違いしてしまうことほど恐ろしいことはないだろう。

 拙著にもインターネット業界の全体の課題として人材育成機能を上げたが、新聞社やNHK、テレビ、週刊誌記者以外で基本的な取材力を鍛えられるメディアはない。インターネットでも一部は可能かもしれないが、毎年のように一定数を鍛えられる環境ではないのだ。

 新聞記者が思っている以上に、新聞業界はまだまだ恵まれている。それも昔以上に今のほうが恵まれている。字数あるいは本数で数えてみてほしい。仮にフリーランスになったとして、新聞と同じ仕事内容で稼げる額が給与を上回るという記者は超少数だろう。その月に記事を書いても書かなくても一定の給与が保障されている企業は業界の外に存在しない。取材源にアクセスできる力も圧倒的に新聞記者は優位に立っている。

 恵まれた環境というのは、拙著で定義した「良いニュース」を出せる環境ということでもある。私は「良いニュース」を「事実に基づき、社会的なイシュー(論点、争点)について、読んだ人に新しい気づきを与え、かつ読まれるものである。」と定義し、そこには五つの要素があると書いた。それが五大要素と名付けた謎、驚き、批評、個性、思考だ。社会の謎に迫り、驚きを与えるだけでなく、そこには批評が宿り、誰でもできない個性があり、さらに読んだ人にとって考える時間になること。これは、新聞だろうがインターネットだろうが、映像だろうが関係なくあらゆるメディアで通用する定義であり、必要不可欠な要素だ。

 その中には社会をあっと言わせるスクープ、伝統的な特ダネや調査報道、優れたルポルタージュ、単なる説教で終わらない滋味深いコラムもあるだろう。新聞記者が「良いニュース」をどれだけ積み上げていけば、この社会のメディア環境は確実に変わるし、ニュースの未来はより豊かなものになる。

 良いニュースを増やすこと、良いニュースの市場を開拓すること、良いニュースが届けられるメディアの仕組みを作ること、良いニュースの利益が上がるようなシステムを開発することは、それぞれにプロが必要とされている。書き手だけでなく、クオリティを高めるためにはデスクの力も不可欠だ。そして、誰かがサボってしまえば、今以上に状況は劣化する。新聞業界に吹く向かい風のなか、これは困難な道かと聞かれたら当然、イエスだ。

 だが、こう問い直してみよう。

 環境の変化に適応するために変化を選んできたのは、今だけの問題だろうか。実はそんなことはない。かつては記者が記名で持論を展開するのは不文律に反する禁じ手だった。毎日新聞の「記者の目」は常識を打ち破る挑戦だったのだ。それは、新しいメディアだったテレビが速報性、生放送のリアリティで勝負するという流れに対し、深く取材した記者が裏側を自分の言葉でオピニオンを書くという新しい方法で「良いニュース」を生み出す一手にもなっていた。常識にとらわれず、より良い方法を生み出すことが、新聞―とりわけ毎日新聞―の伝統だと私は考えている。

 今、そのような方法の追求はあるだろうか。私はやっていると自負しているが、私の仕事は、ある意味では言語化されていない伝統に連なっているに過ぎないとも言える。そんな話も『ニュースの未来』に記したので、ぜひ御一読いただきたい。

 さて、年内には群像、そしてサンデー毎日の連載をまとめた書籍がそれぞれ講談社、毎日新聞出版より出版されることになっている。ニュースの未来を切り開くための一冊になるために、多くの時間を費やしている。

(石戸 諭)

※石戸諭(いしど・さとる)さんは1984年生まれ。2006年毎日新聞入社、同年4月〜2011年3月まで岡山支局。2011年4月〜2014年3月まで大阪社会部。2014年4月〜2015年12月までデジタル報道センター。退職後、2016年1月、BuzzFeed Japanに転職。2018年4月に独立しフリーランスに。著書には、毎日新聞時代の師匠として岡山支局のデスクだった山根浩二さんが登場する。近著に『ルポ百田尚樹現象 愛国ポピュリズムの現在地』(小学館)など。

2021年9月21日

元外信部長、西川恵さんが『教養として学んでおきたい 日本の皇室』刊行

 最近、マイナビ出版「教養として学んでおきたい」シリーズで、『日本の皇室』を上梓しました。これまで皇室に関係するものでは『知られざる皇室外交』(角川新書)と『皇室はなぜ世界で尊敬されるのか』(新潮新書)を出し、外交の脈絡に皇室を置いた時、どのような世界が見えるかを描きました。今回は皇室そのものを書いてほしいという編集者からの要望です。「皇室の専門家ではない」と断ったのですが、最後は編集者の熱意に根負けし、勉強の機会にするつもりで引き受けました。

 タイトルから分かる通り、皇室のイロハの解説ですが、単にこれまで書かれていることの上書きでは意味がありません。先行研究に学びつつ、私の国際政治記者としての経験を踏まえ、「伝統文化の継承と国際性」に21世紀の皇室の意義を見出したいと指摘しました。

 伝統文化の継承でいえば、天皇は縄文・弥生時代以来のアニミズム系文化を神話・祭祀・儀礼などの形で引き継いでいます。ほとんどの先進国ではアニミズムや神話に彩られた土着信仰は、ユダヤ教、キリスト教、イスラム教といった一神教にとって代わられ、合理精神に基づく社会建設へと向かいました。これに対して民間信仰の神道にもみられるように、アニミズム系文化が社会に息づいている日本は先進国でもかなり特殊です。

 国際性でいえば、少し説明が長くなりますがお許しを。

 今上天皇は親王だった1980年代の半ば、2年4カ月を英オックスフォードで学ばれ、寮生活を送りました。毎朝、大学の食堂で朝食をすませると、購読している英ザ・タイムズ紙を郵便受けからとり、講義の前のひととき、自分で淹れたコーヒーを飲みながら英紙に目を通すのが日課でした。ここでじっくり世界のありようを自分の中に落とし込んだのではないでしょうか。

 私も欧州で特派員をしたから分かりますが、日本ではもっぱら東西の視点で国際政治を眺めますが、欧州にいると、東西と共に南北の視点、つまり地球を俯瞰する視点が育ちます。

 特に徳仁親王の英国滞在中の84年、サッチャー英首相はソ連指導部のナンバー2になったゴルバチョフ氏(当時、共産党第二書記)を英国に招き、チェッカーズ(英首相別荘)会談をもちます。会談は双方が満足する形で終わり、サッチャーは「一緒に仕事のできる男」という有名な言葉を吐きます。これを徳仁親王はお膝元で目撃したのです。ここから国際政治は一気に動き出し、「ベルリンの壁」の崩壊(89年)によって冷戦が終結しました。

 そして徳仁親王は皇太子となりますが、その30代と重なる90年代の世界は、協調と融和が時代の精神となります。NGOのネットワークが国境を越えて広がり、対人地雷廃絶の運動を推進したNGO連合体「地雷禁止国際キャンペーン」と国際人道援助NGO「国境なき医師団」が97年と99年にノーベル平和賞を受賞したのは象徴的です。国家や国連やNGOなど多様な主体が協働して地球規模の問題解決に取り組むグローバルガバナンスという概念が生まれたのも90年代です。

 21世紀になって米同時多発テロを契機にこの流れに逆流が生じますが、今上天皇が20代半ばから40歳はじめにかけて、胸一杯に融和と協調の空気を吸われたことは押さえておいてしかるべきと思います。地球を俯瞰する視座と、人々の善意と可能性と連帯への信頼という時代精神が今上天皇に刻印されていると感じるからです。

 話を元に戻せば、天皇が受け継いできたアニミズム系の超一級の有形・無形民俗文化遺産をグローバルな地球的視座の中に位置づけることで、日本の文化を相対化し、同時にその固有性と独自性を、偏狭なナショナリズムに堕することなく内外に発信していくことに皇室の意義があると考えています。アニミズム系文化は自然の生態系を大切にするエコロジー思想や多文化共生にも通じ、一神教の排他性とも無縁です。私たちは強固な文化基盤としてこのアニミズム系文化を保持しており、祭祀、儀礼、祈りなどを通してそれを体現してきた皇室はその象徴的存在です。

 ただ課題も多々あります。今日ほど皇室が国民に身近になったことはないでしょう。昭和天皇は君主としての意識が強くあり、戦後になっての振る舞いもそうでした。この君主としての意識は明仁天皇にもありました。小学校高学年まで大日本帝国憲法下で育ち、身近に昭和天皇の考えに触れていたことからすれば当然です。これが国民と皇室の間に(プラス、マイナスいずれにせよ)ある種の隔たりと距離感を生んでいました。

 しかし今上天皇には君主としての意識は乏しく、人々と対等にあるとの意識が多くを占めているように感じます。この「対等性」は今上天皇を人々により近い存在とし、権威よりも親しみを感じさせます。しかしこれはコインの表と裏で、一つ逸脱するとポピュリズムや俗世間的な批判の波に洗われ、皇室の威信と尊厳を傷つけるリスクをはらんでいます。

 現在の眞子さまの結婚問題がそれです。拙著が出た時点で結婚がどうなるか分かりませんでしたが、「私は二人(眞子さまと小室圭さん)を静かに見守り、金銭問題を解決して結婚されればいいと思っています」「(世論は)皇室に過度に潔癖さを求めるのでなく、もう少し寛容で柔軟であるべきではないでしょうか」と指摘しました。一部週刊誌の眞子さまと小室さんへの度重なるバッシングは、醜いとしかいいようがありませんでした。

 皇位継承問題もより大きな難題としてあります。今年4月に亡くなったエリザベス女王の夫君エジンバラ公フィリップ殿下がこういう言葉を残しています。「欧州の君主制の多くが、その最も中核に位置する、熱心な支持者たちによって滅ぼされたのである。彼らは最も反動的な人々であり、何の改革や変革もおこなわずに、ただ体制を維持しようとする連中だった」。こうならないように願うばかりです。

(西川 惠)

『教養として学んでおきたい 日本の皇室』は㈱マイナビ出版刊。税込み957円ISBN:978-4-8399-7574-6

2021年 9月17日

「男おひとりさま」の友情を綴った徳岡孝夫・土井荘平さん著『百歳以前』

  社会部旧友・徳岡孝夫さん(91)の新刊が読売新聞9月16日夕刊対社面で紹介された。定価:902円(税込)

2021年9月9日

“風評”を作り出すジャーナリズム――生活報道部元編集委員・小島正美さん編著「みんなで考えるトリチウム水問題 風評と誤解への解決策」

 東日本大震災での東京電力福島第一原子力発電所(F1)の事故により、その構内に増え続けている1千基を越える大型タンク(高さ12メートル、直径12メートル、建設費一基約1億円)。私も見学に行ったことがあるが、そのタンクは広大な敷地を今にも埋め尽くしそうだ。事実、来年にはタンクの増設の余地は無くなるといわれている。

 原子炉内でメルトダウン(溶融)した核燃料を冷やすため、事故直後から水が注入されてきた。その汚染水に周辺からの地下水が流れ込む。この水を放射線除去装置で、ストロンチウムなど高濃度放射線物質は除去する。しかし水と同化するトリチウムだけは除去できない。この処理水・汚染水をどうするか。取りあえずこれらのタンクにため込まれてきた。

 政府・東京電力は、廃炉作業を推進するためにも海洋放出をしたいのだが、この「汚染水」には、人体にはほとんど影響がないといわれる微量の放射性物質トリチウムが含まれている。政府は2021年4月、海洋放出の方針を決定した。しかし周辺の漁業者などは「せっかく事故後10年を越えて、福島県沖の魚が売れ始めたのに、また“放射能風評”で売れなくなる。海洋放出絶対反対!」という声が強い。タンクの水は貯まる一方だ。

 この本は、長く生活家庭部で食品の安全性の問題などに取り組んできた小島正美さんが、読売、朝日出身の現・元科学ジャーナリスト、児童や教師などに放射線について教えているリスクコミュニケーションの専門家、大学教授など8人に呼びかけて作り上げた。トリチウム水問題に「わたしはこう考える」という本音ベースの論評を書いてもらったという。

 私も経済部でエネルギー担当をしたことがあり、これまでの日本の原子力発電所、韓国、中国を含めた海外の原子力発電所の排水には、トリチウムが含まれていることは知っていた。今回のF1のトリチウム排水の放射能は、IAEA(国際原子力機構)の定めた国際排水基準を十分にクリアーして、さらに海外の原発の二分の一から、韓国の月城原発の七分の一程度のもので、漁業に影響があるとは考えにくい。

 小島さんは、日本のマスコミはこの辺の科学的事実を明確に伝えず、「危険性のある可能性を否定できない」というあいまいな表現で、むしろマスコミ自身が“風評”を作る役割を果たしているのではないかと指摘して、報道の在り方を問うている。

 確かに日本の原子力政策のツケの結果としてF1の事故は起きたのだが、その後処理を国際的な基準で進めて行かなくては、カーボンニュートラルなどの新しい政策に進んでいかないのではないだろうか。その意味でこの本はマスコミの在り方、日本のエネルギー政策の推進を考える上で勉強になる。

(佐々木 宏人)

「みんなで考えるトリチウム水問題 風評と誤解への解決策」は、2021年7月、㈱エネルギーフォーラム社刊、本体価格1200円+税。表紙の写真はルネ・マグリットの「大家族」〈小島正美(こじま・まさみ)さんのプロフィール=著書から〉食・健康ジャーナリスト。 1951年愛知県犬山市生まれ。愛知県立大学卒業後、毎日新聞社入社。松本支局などを経て、東京本社生活報道部。編集委員として食や健康・医療問題を担当。2018年に退社。2015年から「食生活ジャーナリストの会」代表。東京理科大学非常勤講師。主な著書は「新版・スズキメソード 世界に幼児革命を―鈴木鎮一の愛と教育―」(創風社)、「誤解だらけの遺伝子組み換え作物」(エネルギーフォーラム)「メディア・バイアスの正体を明かす」(エネルギーフォーラム)。

2021年8月8日

敗戦の8月15日に、後藤基治元MBS副社長の『開戦と新聞』発行

「東京日日新聞」1941年12月8日一面

 「本書は海軍の内幕を取材し、戦時報道に命をかけた記者による第一級のドキュメンタリーである」。元情報調査部副部長で静岡県立大学名誉教授の前坂俊之さん(77)が、序文の「本書に寄せて」に書いている。この本は2017年に出版された『海軍乙事件を追う』(毎日ワンズ)を再構成し、新原稿を増補した、と断り書きがあり、「付・提督座談会」の抜粋も収録されている。

 後藤さんは「大阪毎日」社会部育ちで、海軍省を担当していた昭和16(1941)年12月8日の真珠湾攻撃・日米開戦をスクープした記者として知られる。その内幕は、「銀座一丁目新聞」に牧内節男さん(95)が記した追悼録に詳しい(別掲)。前坂さんも後藤さんの『日米開戦をスクープした男』(新人物文庫、2009年)に解説を書いており、スクープ紙面は現時点で見ても、世紀の特ダネと呼ぶにふさわしい。

 後藤さんは戦後になっても、スクープのネタ元を明かさなかったが、1969(昭和44)年にフジテレビの「小川宏ショー」で28年ぶりに米内光政海軍大将の名前を明かした。「ニュースソースの秘匿、提供者の保護は新聞記者の第一の義務」と書いているが、開戦報道当時、新聞及び新聞記者は、新聞紙法、国家総動員法、軍機保護法などでがんじがらめに縛られ、軍事上の秘密漏洩には死刑も想定されていた。

 特ダネ報道の後、後藤さんはフィリッピン・マニラの陸軍報道部などで仕事をした。著書には、海軍と陸軍の不毛の対立が描かれ、参謀長が捕虜となり対米戦略の最高軍機書類が米軍に渡った「海軍乙事件」についても、多くの証言で真相に迫っている。

 敗戦の年に生まれ、現在76歳の筆者も、戦争の悲惨を肉声で語る著書を、重く受け止めることとなった。

(高尾 義彦)

 『開戦と新聞 付・提督座談会』は毎日ワンズ刊。本体1,100円+税。

《牧内節男さんの「銀座一丁目新聞」2003年11月20日号「追悼録」から転載》

 手元に「戦時報道に生きて」と言う後藤基治さんが著した本がある。後藤さんは私が毎日新聞東京本社で仕えた2代目の社会部長であった。当時48歳である。私より24歳の年上の部長は悠々として大人の風格があった。この本にも書いてあるのだが、若いときは特種記者であった。若い記者たちを食事に誘い出して良く話を聞いてくれた。今思えば仕事のしやすい雰囲気づくりに努力されたのだと思う。いい部長であった。

 後藤さんといえば、昭和16年12月の開戦日の特種を取った事で有名である。同書によると、昭和16年11月12日午後2時ごろ、後藤記者は海軍大臣米内光政邸を訪問した(これが後藤記者の日課になっていた)。雑談しているうち米内さんがかたわらに置いた黒い鞄を取り上げ、何か書類を出しかけたが、ふとテーブルの上に置きざまに「ちょっと失敬する」と部屋から出て行った。その出しかけの書類を見た瞬間、後藤記者はそれが「読んでおけ」と言う意味だと理解できた。『米英、蘭印、泰』などの南方各地の国名とともに、武力発動は『12月初頭』というのが読めた。米内さんは戻ってくるなり、鞄を脇に押しやり『このなかには君たち記者が見たがっているものが入っているのだがそれを見せれば大将もコレだよ』と首をたたいてみせたという。だが新米の政治部記者のこの特種を、社の3人の有力幹部は『あーそうかね』で終わりであった。ことがことだけにニュースソースを教えるわけにはいかなかったそうだ。

 後藤記者に陸軍のマレー作戦は12月8日と教えてくれた軍人がいた。後藤記者が支那事変で従軍したときからの知り合いで、久徳通夫中佐という陸軍航空気象草分けのベテランであった。陸軍砲工学校に設置された航空気象の専科(のちに陸軍気象部に変る)を恩賜の銀時計で卒業した経歴を持ち、昭和16年2月から9月末までバンコックに私服で潜入、現地の気象資料を半年にわたり収集した。気象原簿までコピーしたという。マレー半島の気象状況の分析の結果、統計上12月8日が「上陸可」とでたというのである。陸軍は開戦日を12月8日と決めたわけである。

 さらに後藤記者は12月7日朝、海軍省の自動車部の運転手からこの朝、米内海軍大臣と永野修身軍令部総長が海軍と縁が深い明治神宮と東郷神社に参拝した事がわかった。『そうか、海軍もとうとうやるのだ』と後藤記者は思ったそうである。他の記者たちの情報とあわせた12月8日の朝刊は5段で『隠忍自重限界に達す、断乎駆逐あるのみ』と書きたて対米戦争開始をにおわせた。もちろんその前に開戦に供えて毎日の取材陣は香港10人、タイ15人、マレー半島10人、比島15人、蘭印25人、南支那26人。仏印25人とそれぞれ派遣された。

 後藤記者は社会部長のあと毎日放送に移り、副社長までなられた。昭和48年7月死去された。享年71歳であった。

(柳 路夫)

2021年7月28日

学芸部編集委員、大井浩一さんが新刊『大岡信 架橋する詩人』

 大井浩一著『大岡信 架橋する詩人』が岩波新書として刊行された。著者は毎日新聞に「大岡信と戦後日本」を、2018年4月から2021年2月まで33回にわたって連載し、今回の著書はその内容に大幅に加筆した。なぜ、この詩人を「戦後の詩壇における最大の功労者」と位置付けるのか、詩人の作品、言葉と、詩人を支えたかね子夫人をはじめとする多数の関係者のインタビューを再現して、分かりやすく解き明かしている。

 タイトルは、『詩への架橋』(1977年、大岡信著、岩波新書)に基づくが、詩人が目指したものが、孤立した文学活動ではなく、個と集団の関係性に着目して「架橋」に込めた意思を解読する試みになっている。

 この詩人の名前を聞いて、最初に思い浮かべるのは、朝日新聞に1979年から28年余にわたって連載された「折々のうた」だろう。著者は、連載が終った時点で、作家、丸谷才一が発表した書評で、詞華集および「歌学(詩の批評)の伝統」の流れの中に詩人の仕事を位置づけ、高く評価したことを重視している。

 丸谷才一は「古今和歌集」に始まる勅撰和歌集、松尾芭蕉一門の「芭蕉七部集」など「詞華集(アンソロジー)を目安にしての時代区分」を提案、日本の文学史に新しい視点を導入した。「丸谷が自然主義的、私小説的な傾向に対抗するものとして詞華集の伝統を称揚した」と著者は分析し、その「第5期」として、正岡子規に代表される現代につながる時代を見通す文学史観に立って、「折々のうた」を、現代文学の中で初めて成し遂げられた貴重なアンソロジーと位置づけた、と解説する。

 「みずみずしい感受性と柔らかさと深い知力」「顔の見える人間関係のつながりを大事にする」と詩人を表現する著者の言葉に、ほぼそのまま同感する。そしてそれ以上に、私(高尾)がこの詩人に親近感を抱く理由は、丸谷、大岡に加えて石川淳、安東次男らを連衆とする連句(歌仙)の世界を、自分たちのお手本としてきたことによる。

 個人的な体験で恐縮だが、作品の質では足元にも及ばないことは承知の上で、友人2人と10数年にわたって連句を楽しんでいる。歌仙(長短36句で1巻)はすでに198巻を数え、いまも続く。詩人は連句から連詩へと活動の分野を広げ、国際的な連詩の場も設けてきたが、この手法が、文学をどのようなものとして位置づけるか、という詩人の問題意識に深く関わっている、という著者の論考が興味深い。独りよがりではなく、他者との出会いによって、詩や小説などの文学が新しい展開を始める、とでも言えばいいだろうか。

 大岡らの連句は、連衆が一堂に会して、歌仙を巻く。宗匠が苦吟の末のそれぞれの作品を捌いて、一句ずつ繋げてゆく。酒食をともにしながらのやりとりは、詩人が「うたげ」と呼ぶ交流の場だが、我々3人の連句はメールを使ってやりとりするので、詩人が目指す「うたげ」にはならない。それでも楽しめるのが連句、と詩人とその仲間の『歌仙の愉しみ』などを参考にさせていただき、駄句を重ねている。

 この本を、門外漢が紹介するのはそんな理由からと、ご理解いただければ幸い。

(高尾 義彦)

 大井浩一(おおい こういち)さんは1962年、大阪市生まれ。早稲田大学政治経済学部政治学科卒。1987年、毎日新聞社入社。社会部などを経て96年より学芸部で主に文芸、論壇を担当。学芸部長も務めた。この間、大東文化大学、法政大学講師を歴任。『批評の熱度──体験的吉本隆明論』(勁草書房)、「2100年へのパラダイム・シフト」(共編著、作品社)などの著書がある。

2021年7月27日

元外信部編集委員の永井浩さんが『アジアと共に「もうひとつの日本」へ』を刊行

 凄い本です。敗戦後、これほどアジア諸国との共生、連帯を呼びかけた本はなかったでしょう。アジアを身近に思いながら、台頭する中国と向き合う力をもらいました。

 先の見えないコロナ時代にあって、日本、日本人はどこへ行こうとしているのでしょうか。筆者は「平和国家」日本をどう捉えてきたか。明治七年の台湾出兵からアジア太平洋戦争の敗戦までアジア支配の七十年戦争、その敗戦から七六年の歴史的現在に立つ時、あてのない漂流を続けているといいます。

 ミャンマーのクーデター後の四月、外務省前の集会で目にしたプラカード。「日本のお金で人殺しをさせないで!」。日本の平和にひそむ血の匂いをかぎとったといいます。最大ODA供与国日本の資金が国軍に流れているのを承知で、事態打開へ動かぬ菅政権。敗戦の総括をせず経済発展へ突っ走った姿と重なり、日本の立ち位置が問われます。

 全編を通し強調されているのがアジア諸国への侵略戦争への内実を伴った反省と謝罪の歴史認識です。「村山談話」が反古にされたいま、時の政権まかせではなく、アジアの隣人たちの歴史認識を共有し、アジアの民衆と日本国民一人ひとりが相互信頼を深め共生、連帯することが「もうひとつの日本」を創ることだと知ります。それは米国一辺倒というより、隷従というべき日米関係の変化を意味します。このいびつな関係がどれほどアジア諸国との友好関係を損なってきたか。とりわけ中国、韓国と堅実な信頼関係をつくることができず、「靖国」や「慰安婦」「徴用工」などいまだに解決されていません。

 本書唯一の難であると思わせる長大なプロローグ。もうひとつの日本、平和国家日本を考察するにあたって、七章にわたる問題が連環していること、その巨きな視点、視角について。アジア諸国と共生、連帯するとはどういうことか。人間として連帯する意味について筆者の覚悟が述べられるなど、一語もゆるがせにしない長文になりました。

 七章にわたる重く、深い論考。

 侵略戦争、植民地支配という負の歴史と真正面から向き合ってこなかったことによる日韓関係の悪化。支配する側が内的に腐っていく(第1章)

 米軍のイラク侵攻への新たな加担。憲法上疑義ある「国際貢献」という自衛隊派遣。大本営発表復活を思わせる情報統制。戦闘、銃撃戦の文字あるイラク日報開示と人道復興支援の実態を報道しない共犯者のメディア(第2章)

 新たな空白を生んだ平成天皇の「平和の旅」。戦争への謝罪スピーチに隠された歴史の事実。韓国を訪問しなかった「なぜ」(第3章)

 自らの歴史に向き合うドイツと努力を怠った日本。同じ第二次大戦の敗戦国が荒れ野を脱する岐路はどこにあったか(第4章)

 孫文の中国革命を通し世界革命の理想に生きた宮崎滔天。国家を超えた朴烈との同志愛。命を賭し天皇制反対を主張した金子文子。日本とアジアとの支配、被支配の関係の歴史を克服、あらゆる民族との自主と平等に基づくアジア諸国の平和と発展に寄与した留学生の父・穂積五一。三人の先覚者に学び、「もうひとつの日本」をさぐる(第5章)

 平和国家再建へ日本国憲法の柱・九条は世界の共有財産となるか。経済協力とは貧しいアジアから収奪して日本が利益を得るためのもの。自衛隊と米軍の地球規模での軍事行動の一体化(第6章)

 「人間の目」で世界を見る。ベトナム戦争報道が最良のテキスト。その先駆性と現場重視の歴史認識の確かさ。メディアの再生は可能か。真の愛国者、アフガンの農業復興などに尽くした中村哲医師(第7章)

 「もうひとつの日本」の考察で見逃せないのが昭和天皇の戦争責任の免責とイラク戦争報道をめぐるメディアの役割についてです。

 GHQのマッカーサーは、天皇の権威を利用して占領政策を進めるために戦争責任を免責にしました。これがどれほど大きなことであったか。天皇が法的にも道義的にも追及されないことを受け、「これで責任は果たされた」との思いから日本の指導者、国民まで自らの責任、謝罪の気持ちが薄れました。これに輪をかけたのが平成天皇のアジアをはじめとする侵略戦争の謝罪表明の「平和の旅」だったと指摘します。正しい歴史認識に基づく国民同士の相互理解と和解を意味しなかった。天皇が述べた「戦争のない時代」が平成のキーワードになりましたが、平成の三十年間、国際貢献の名のもとに自衛隊の海外派兵が拡大されたことを忘れることはできません。

 イラク戦争報道はどうだったか。「泥と炎のインドシナ」に代表される日本メディアの報道は米国はじめ各国で評価され、べ平連など国内の反戦機運を盛り上げました。だが、イラク戦争報道はすべてにわたり正反対の体たらく、と手きびしい。なぜか。現場主義の軽視、米国視点への偏重、歴史認識の欠如、平和と人権メッセージの希薄による米日権力層の設定した戦争の枠組みを疑わない報道の展開、この戦争について国民一人ひとりがきちんとした判断を下すのに不可欠な多様で多元的な情報、言説の提供を怠ったといいます。

 メディアの再生は可能なのか。試金石は対テロ戦争の検証報道だといいます。ニューヨーク・タイムズとワシントンポストは大量破壊兵器がなかったことに謝罪し、検証記事を掲載しますが、日本のメディアはその外電を転載するだけで、自衛隊派兵は国際貢献との政権の言い分をそのまま報道したことの検証をすることはありませんでした。

 悪法極まる法案を次々に成立させ、憲法改悪をにらみ、戦時体制への流れを強めた小泉、安倍政権をまるごと継承したのが菅政権です。平和国家日本が変質しようとしているいまこそ、時の権力に対峙できるのはメディアしかなく、米国に偏向しないグローバルな世界認識と、アジアのみならず、世界と日本との関係への正しい歴史認識に立って報道することの重要性を強調します。それは「人間の目」をもち、複雑な国際関係を読み解く「鳥の目」と地を這い肌で感じとる「蟻の目」の複眼作業であり、「国家利益を超えたウルトラ・インターナショナルな、ヒューマニズムの立場」を貫く大森実の姿勢に通じるといいます。

 そして「日本人としての目をもって世界をどう見るか」という大切さは「過去の間違いを繰り返してはならないという戦後日本の平和と民主主義の精神が原動力になっている」と筆者の決意と覚悟が述べられます。

 本書は新聞人として苦労し戦後を生き抜いてきた人たちばかりではなく、ジャーナリストとなった若い記者たち、これから、日本の姿、形を学びメディアに生きたいと願う若者たちにぜひ読んでもらいたい優れた「メディア論」である。

 筆者は自ら主宰する「日刊ベリタ」に渾身の「ミャンマー民主化運動伴走記」を連載し共感を広げています。そこへ四百社を超す現地日本企業を代弁する「日本ミャンマー協会」から記事撤回と謝罪要求がされます。きっぱり反論しますが、なにより恐れるのは厳しい論考はもちろんですが、なにより恐れるのは、永井浩さんが民主化運動で亡くなった尊い命、魂を背負っているからでしょう。その死を悼むとともに、無念の遺志を生かそうとしているからです。それはアジア太平洋戦争で亡くなった三百万の日本人、数千万人のアジア人死者の思いともつながります。

(里見 和男)

 社会評論社 2200円+税

2021年7月27日

元サンデー毎日編集長近藤勝重さんが『まだまだ健康川柳 三途の川も遠ざかる』

 《作家の桜木紫乃さんがNHKの「あさイチ」でこれまでの「健康川柳」の本を紹介してくれたのがきっかけで、「3冊目も!」となった次第》と、著者の近藤勝重さん。

 毎日新聞の大阪本社発行版連載の「健康川柳」をまとめた。

 『一日一句医者いらず健康川柳』(2008年刊)
 『ますます健康川柳 210の教え』(2017年刊)
に続く第3弾である。

 《桜木さん、出版に際し自ら何句か寄せてくれ次の作品に僕の心は動きました。

  1日1回、人のふり見て我がふり笑え

 五・七・五の定型にすべく「日に一度」などがいいかな、と思ってはみたものの、そうするとパワーダウンは免れず、これは破調ならではの句、言ってみれば惹句(じゃっく)が持ち味と理解し、そのまま本の帯に掲載させていただきました。

 加えて同書には皆さんの200句近い佳句の他、桜木さんと、毎日新聞(大阪)の健康川柳を共催するMBSラジオ「しあわせの五・七・五」のパーソナリティー・水野晶子さん、それに僕による川柳談議なども収めています。何とぞご支援を。(選者・近藤勝重)》

 近藤さんは、現毎日新聞客員編集委員。早大政経卒、69年入社。論説委員、「サンデー毎日」編集長、専門編集委員などを歴任した。

 私は大阪社会部で一緒だった。ちょっと斜に構えた事件記者・遊軍記者だったか。

 実は、『サンデー毎日』連載の「ラブYOU川柳」を紹介しようと思っていた。

 先週号の大賞は

  不倫はダメ浮気は許すと妻は言い 東京都・心の叫び(69)

  近藤選者の評。《質問です。不倫と浮気はどう違うのですか? 某作家ならきっとこう書いたことでしょう。

 「ドラマが違うさ」

 不倫には波乱に富んだ物語がいろいろあるのに対して、浮気には気まぐれに関係を持ったという感じで、そこにドラマ性はないというか…。

 ただ、双方、浮気のつもりでも成り行き次第で劇的な不倫に発展することだってないとはいえないような気がしますが。どうなんでしょうか》

 「サンデー毎日」は大人の週刊誌。人気作家村山由佳さんの連載小説「Row&Row」も、村山ワールドに入ってきました。ご愛読を!

(堤  哲)

 『まだまだ健康川柳 三途の川も遠ざかる』は幻冬舎刊、定価1,100円(税込み)
 ISBN 13 : 9784344038189
 ISBN 10 : 4344038185

2021年7月26日

「関千枝子さん追悼集」発行 「ヒロシマ」被爆の残酷と核兵器廃絶を訴え続けたジャーナリスト

 今年2月21日、88歳で亡くなった関千枝子さんの追悼集が完成しました。「ヒロシマ通信」の竹内良男さんから「関さんの毎日新聞時代とその後についてまとめてほしい」と呼びかけられ、編集委員会に加わりました。安倍靖国参拝違憲訴訟、「ヒロシマ通信」などの関係者の追悼文で知った関さんの活動の質と量に圧倒されました。そして、巻末に掲載した関さんの長女・赤尾緑さんからの一文「百日法要を終えて」を読み、「ヒロシマ」被爆の残酷と核兵器廃絶を訴え続けたジャーナリストとして、そして人間として、初心を強烈に貫いた生き方だったと、強い感銘を受けました。

 関千枝子さんが毎日新聞に在籍したのは、1954年から67年までの13年間でした。早稲田大学文学部露文科卒業後、54年4月、毎日新聞東京本社へ入社。当時、「女にゃ無理だ」とされた支局勤務を強引に志願して千葉支局に赴き、56年4月社会部、59年5月学芸部、62年8月ラジオテレビ部と転々、男慣行に抗して鍛え抜き、折からのお后取材などで社史に残る実績を重ねました。

 この間、労働組合運動にも積極的に入り込み、61年には毎日新聞労働組合本部婦人部長として、男目線の鈍感さに一石も二石も投じています。

 最初の転機は67年、同じ毎日新聞の外信部記者だった夫・関元さんのワシントン総局転勤でした。別居を嫌って新聞記者を断念、アメリカ暮らしを選択しています。1年ほどでニューヨーク支局勤務に転じ、郊外の隣州ニュージャージー・グリニッジに住み着きましたが、ここでの関さんはPTA活動と、その延長の図書館活動に目を開かれ、入れ込んでいます。

 帰国も夫の転勤に伴う突然で、73年の夏には横浜にあった自宅に戻りました。既に中軸を担っていた図書館活動には、やりかけの企画もあって未練がいっぱいだったようですが是非もありません。これは持ち前の執念で横浜を舞台に仕切り直し、市民のための図書館運動として根づかせていますから、地域にとっては得難い実績となっています。

 次の転機は、いろいろあってのことでしょう、80年には離婚を選択しています。同時に喫緊は再就職。関さんは、迷わず、新聞記者復帰に絞っていました。右から左とはいきませんでしたが、同年中に「全国婦人新聞」への入社が決まり、再び新聞記者としての活躍の場を得ることになりました。一度、経営者との軋轢で退社しますが、期せずして編集同人一同による復帰要請が起り、経営側が容れて、編集長として復帰することになりました。関さんならではの異例といっていいでしょう。

 以来、64歳で編集長を降り、再び一記者に戻って同紙の休刊(廃刊)までの通算26年間を勤め上げています。『毎日新聞』時代に倍する記者活動の拠点でした。この間95年6月には題号を『女性ニューズ』と一新、女性解放と発展の発信源として尽力努めましたが、もう一つの時流、新聞離れには社として克服しきれず廃刊のやむなきに直面しました。

 もとより、これでやむ関さんではありません。併行して取り組んだ『広島第二県女二年西組』の取材活動は新聞記者の活動そのものであり、その延長での平和活動、そして図書館運動を軸とした地域活動は、関さんの緩むことない生涯活動であり、本追悼集刊行の主柱となっています。

 さらに特筆は、活動を共にした同人たちへの篤き思いです。毎日新聞労働組合のOBたちが始めた交流組織「無名会」(旅と呑み会)には全20回のうち欠席は2回だけでした。毎日新聞と毎日新聞労組のさまざまな集会にも、声がかかると積極的に応じておりました。

 また、全国婦人新聞の関係では、先任編集長で毎日新聞時代の先輩でもある平野正夫さんの在職死亡を悔やみ、通夜・法事等に率先して参集、振り返れば事実上のOB会の主役格になっていて、これにも27回忌まで無欠席だったと聞きます。半面、晩年になるにつれ積極的な独り住まいを実践、世情の孤独死悲惨論に強く反発したのも関さんらしい生き方でした。

 毎日新聞関係では、野村勝美、牧内節男、大住広人、大島幸夫、宮田貞夫、明珍美紀、福島清が書いています。追悼集は400部制作しました。残部少しあります。ご希望の方は福島まで。送料込み1000円です。(メール:misuzuya@jcom.zaq.ne.jp

(福島 清)

2021年7月8日

元ソウル特派員、大貫智子さんが『愛を描いたひと イ・ジュンソプと山本方子の百年』刊行

 韓国に赴任して4年目を迎えた2016年6月のことだった。それより半年前に日韓両政府は慰安婦問題で電撃的な合意を果たしたものの、韓国国内では合意への批判が高まっていた。両国関係の取材に疲れを感じていたところ、ある雑誌の記事が目に入った。

 「李仲燮は歴史となって久しいが、夫人は現在を生きていた」

 韓国大手紙・朝鮮日報系の「週刊朝鮮」に掲載された日本人女性のインタビューだった。夫は韓国の国民的画家といわれる李仲燮(イ・ジュンソプ)で、半世紀以上前の1956年、39歳で夭折した。妻の山本方子さんは当時95歳とある。この年6月に朝鮮日報などが主催して開かれた李仲燮生誕100周年記念の展覧会を前にした特集だった。

 東京の自宅のダイニングで語る写真や、B5サイズで6ページに及ぶ記事の内容から、長時間の取材に応じたようだった。この女性に会ってみたい。そんな思いに突き動かされた。展覧会場はソウル支局から徒歩5分の国立現代美術館だった。早速、支局のスタッフとともに美術館へ足を運んだ。

 美術は子供の頃から最も苦手な科目で、美術館などほとんど行ったこともなかった。二重、三重の人だかりができる油絵の価値は正直なところ、よく分からなかった。

 夫婦の世界に引き込まれたのは、李仲燮が方子さんにあてた日本語の手紙を読んだ時だった。平仮名とカタカナ、漢字で書かれた数々の便りは、日本統治時代に日本語教育を受けたことを十分うかがわせた。ただ、どこかつたなさが残っていた。韓国語で微妙な感情表現をすることの難しさを日々感じていた私は、2人がどんな時を刻んだのか、もっと取材を深めたいと強く感じた。

 2人が出会ったのは日中戦争開戦から2年後の1939年、日本統治時代の東京だった。一流の芸術学校だった文化学院で愛を育み、日本の敗戦直前の1945年春、方子さんは単身

 玄界灘を渡って元山の李仲燮のもとへ嫁ぐ。5年後に朝鮮戦争が勃発すると、戦火を逃れて韓国へ避難するものの、極度の栄養失調に襲われた。方子さんは幼い2人の息子を連れて、一時東京へ帰郷する。

 一家の再会を阻んだのは、日韓の断絶だった。家族4人でまた暮らすという望みを絶たれた李仲燮は絶望し、長年のアルコールによるものか、肝臓をやられて一人、静かに息を引き取る。

 こうした悲劇的な物語が映し出されている数々の作品が、韓国では絶大な人気を誇っている。ところが日本ではほとんど知られていない。そこで毎日新聞本紙の長文ルポ「ストーリー」で掲載することにした。掲載直前に朴槿恵大統領(当時)の弾劾を求めるうねりが激しくなり、掲載日の1面トップは弾劾もの、その下にストーリーの記事が掲載されるというタイミングに恵まれた。

 その記事を見て、出版社から打診があったのは1カ月後のことだった。面識のなかった編集者からのメールは、大変光栄だった。特派員として数年にわたって駐在するのだから、本の一冊くらい出さなきゃだめだ。そう先輩記者から送り出されていたこともあり、そろそろ何かテーマを決めなければならないとちょうど考えていた時期だった。

 弾劾や大統領選、新政権発足など日々の業務に追われ、すぐには着手できないことを伝えると、編集者は私のペースで進めてくれればよいと理解を示してくれた。この日から、「ついに本を書けるのだ」というわくわくした気持ちとプレッシャーが入り混じった生活が始まった。

 いざ取りかかってみると、さまざまな壁にぶつかった。当時を知る関係者はほとんど鬼籍に入っている。李仲燮の友人たちが残した1960年代以降の回想録などを片っ端から入手したものの、北朝鮮から韓国へ逃げてきた人々の証言は反共的な部分が誇張されがちだ。それをどこまで差し引いて読めばいいのか判断が難しかった。

 方子さんへの取材は3度にわたって実現した。ただ、1度目の2016年は2時間余りに及んだが、3回目の2019年は45分ほどで切り上げざるを得なかった。記憶の薄れや体力の低下は明らかだった。

 ノンフィクションと新聞記事の書き方の違いにも苦労した。恐る恐る初稿を編集者に送ると、「一度新聞記事の書き方は忘れて下さい」と真っ赤に添削されたファイルが返送されてきた。指摘されてみると、紙面の都合でやむを得ないとはいえ、新聞記事がいかに体言止めを多用しているか、気がつかされた。日本語の勉強も一からやり直しとなり、多忙を理由に筆が止まってしまう日々が続いた。気がつけば、初めて美術館に足を運んでから5年の歳月が過ぎていた。

 何度も挫折しそうになりながら、何とか仕上げることができたのは、2人の物語を日本でも伝えたいという信念のようなものがあったからだ。「子育てをしながら単著を出せたというモデルケースにしましょう」と、自身も子育てに追われる編集者が辛抱強く待ってくれたことも大きかった。

 難しい日韓関係を支えているのは、政治家や外交官だけではない。人と人の心が通じ合っていれば、民族や国家といった難しい問題を乗り越えることができる。夫婦への取材を通じて、私はそう教えられた。コロナ禍で家族ですら自由に会えなくなってしまった今、拙著を通じて心の触れ合いの大切さを改めて感じてもらえれば幸いである。

※大貫智子さんは1975年、神奈川県生まれ。早稲田大政治経済学部卒。2000年毎日新聞社入社。13~18年ソウル特派員。12年と16年に訪朝し、元山や咸興、清津など地方も取材した。論説委員、外信部副部長を経て21年4月から政治部で主に日本外交を担当している。

この作品で第27回小学館ノンフィクション大賞受賞。

《小学館のプレスリリース(抜粋)》

【推薦コメント】

この作品を通じて彼という画家の存在を多くの人たちに知ってほしいと純粋に願う――辻村深月(作家)

太く短く生きた情熱的な画家と、日々を懸命に生きた寡黙な妻。その非対称性が胸に迫り、日韓の微妙な関係 性まで映し出しているように思えた――星野博美(ノンフィクション作家)

朝鮮戦争時に、家族に怒濤の勢いで押し寄せてくる歴史の荒波が、あたかもそこにいるかのような臨場感で迫 ってくる――白石和彌(映画監督)

【内容についてのお問合せ】
小学館 出版局文芸編集室 柏原航輔
電話 03(3230)5959 kashiwa@mai.shogakukan.co.jp

2021 年6月25日発売 定価:1800 円+税  四六判384ページ

※著書に関する韓国大使館のユーチューブ
https://www.youtube.com/watch?v=-5MNhNBs-8g 

2021年7月6日

小倉孝保著『十六歳のモーツァルト 天才作曲家・加藤旭が遺したもの』

 KADOKAWAのHPにある、この本の紹介——。

 「病気の子も、好きなことをしたい気持ちを持っています」

 作曲家・池辺晋一郎から才能を賞賛された少年は、幼少時から500曲を作るも、脳腫瘍で世を去った――

 栄光学園同級生に影響を与え、病に向き合う人々を勇気づけた〈永遠の十六年〉をたどる感動のノンフィクション!

 「模倣がなく、すべてがオリジナルだ」

 「目の前の風景を描くように音を紡いでいる」

 幼少期から類いまれな作曲の才能に恵まれた加藤旭は、音楽家から「モーツァルト以上の才能」と評され、将来を嘱望される存在だった。しかし、栄光学園(神奈川県)進学後、脳腫瘍を発症し、全身にがんが転移する悲劇に見舞われる。

 宮沢賢治の童話に影響を受けた旭は、失明しながらもオリジナルCDを世に残そうと、周囲の支えの中で一度遠ざかった音楽に再び向き合う――。

 定価: 2,420円(本体2,200円+税)

 ISBN-10 ‏ : ‎ 4041112206  ISBN-13 ‏ : ‎ 978-4041112205

 筆者・小倉孝保さんは、1964年滋賀県生まれ。88年毎日新聞社入社。カイロ、ニューヨーク両支局長、欧州総局(ロンドン)長、外信部長、編集編成局次長を経て論説委員。

 2014年、日本人として初めて英国外国特派員協会賞受賞。

 『柔の恩人 「女子柔道の母」ラスティ・カノコギが夢見た世界』(小学館)で第18回小学館ノンフィクション大賞、第23回ミズノスポーツライター賞最優秀賞をダブル受賞。

 著書に『ロレンスになれなかった男 空手でアラブを制した岡本秀樹の生涯』(KADOKAWA)『100年かけてやる仕事』(プレジデント社)など多数。

 日刊ゲンダイの連載「一条さゆりとその時代」は7月5日付第66回が最終回だった。取材のきっかけは「一条さゆりが西成に住んでいる」と知ったこと。大阪社会部の鑑である。

(堤  哲)

2021年6月23日

関千枝子さんの追悼集が出版される-牧内節男さんの「銀座一丁目新聞」転載

 柳 路夫

写真は3月掲載の追悼録から

 今年2月に亡くなった関千枝子さんの遺稿集『「ヒロシマ」を原点に生き抜いた人生』が8月6日に出版される(2月21日死去・享年88歳)。彼女が毎日新聞にいた期間は昭和29年4月から昭和42年退職するまでの僅か13年。千葉支局、社会部、学芸部、ラジオ・テレビ部に在籍する。この間、組合の婦人部長を務める。遺稿集には毎日新聞関係者が7人追悼文を書いている。目次を見ると『安倍靖国参拝違憲と即位・大嘗祭違憲訴訟』で活躍した人々が14人、「ヒロシマ」「ヒロシマフィールドワーク」で絆を深めた方々28人がそれぞれ追悼文を寄せている。それに彼女が書いた「中国の『反日デモ』報道に1930年代を思う」など7篇の遺稿も収められている。おそらく大書になるであろう。

 なんといっても原点は彼女が出版した「広島第二県女西組―原爆で死んだ級友たち」(筑摩書房)である。この本がもとで志を同じくする人々が、更に刺激を受けた若い人々が、それぞれ集り、彼女と社会・地域のつながりがさらに広がった。この本は『ノーモアー・ヒロシマ』を後世に伝える一書ともなるであろう。その意味では画期的な遺稿集である。

 関さんとの思い出を少し付け加える。何事にも積極的な彼女だが、千葉支局時代、酔虎伝の微笑ましい話もある。当時、酒飲みは好意的に見られるよき時代であった。コーヒー党の私はいつも隅で小さくなっていた。スポニチの社長時代、娘さんが民放の試験を受けるので民放の社長に「一言声をかけてくれませんか」と頼まれた。一応電話しておいたが『入社』はだめであった。後で本人を連れてその社長のところへ挨拶に行けばよかったと後悔した。頼りがいのない先輩であった。

 何事につけ人の面倒を見る福島清さんがこの本の編集委員会の一人であるのは毎日新聞の先輩として嬉しい。福島さんは、関さんが『安倍靖国参拝訴訟』の原告団団長であったことを書いている。2014年4月、宗教者・平和遺族会274人の代表として当時安倍首相が靖国神社に参拝したことを憲法違反として、今後の参拝差し止めを求めたのである。ときに82歳。司法記者クラブでの記者会見までやっている。その徹底ぶりは見事と言う他ない。振り返ってみれば関さんを大きく成長させたのは夫と離別後3人の子供を抱え再就職した全国婦人新聞時代かもしれない。大きく社会を見る目ができたとも言える。「戦後民主主義の原点に立ち返り、みんなが安心して平和に暮らせる社会をつくる」という言葉は我々に重くのしがかってくる。

※牧内節男さんが主宰する「銀座一丁目新聞」は
http://ginnews.whoselab.com/

2021年6月21日

元社会部環境記者の滑志田隆さんが小説『道祖神の口笛』を発刊

 ——前作『埋もれた波濤』で人気を博した元新聞記者の著者による、綿密な取材の上で紡ぎ出される「虚構」の糸が、4つの短編として編み出される。

 著者・滑志田隆は、社会部旧友。1951年神奈川県藤沢市生まれ。早稲田大学政治経済学部卒業。1978~2008年毎日新聞記者。2008~10年統計数理研究所客員研究員。2010~15年森林総合研究所監事。2015~内閣府・農林水産省・国土緑化推進機構各委員。

 日本山岳会、日本野鳥の会、山形文学会、日本記者クラブに所属。俳誌『杉』『西北の森』同人などと履歴にある。

 あとがきでいう。《サラリーマンを引退した後、60の手習いでいくつかの雑誌に小説まがいの作品を書いている。その中から4作品を選んで2冊目の小説集を編むことにした。

 前作『埋もれた波濤』(論創社)が売れ残っているのに、愚挙を繰り返すつもりかと言われそうだが、気持ちに区切りがつかず、前に進めなくなった。できるだけ多くの人から批判を受け、老残の文芸に磨きをかけたい一心である》

 内容は——。「ミャンマーの放生」=民主化運動が広がる社会主義国ミャンマーを舞台に、観光客と現地人通訳が生の意味を問う物語。臨死、病気や事故の経験から、自分の生を見つめ直すことはできるのか。老・病・死の重力を緩和する“旅"という人間行為の魅力。マンダレー中央乾燥地での植林作業の模様も記述。

 「漂流船」=次々に北朝鮮から漂着する木造船の見物行と、20年前の山形県知事“笹かまぼこ疑惑"の真相が並行して語られる。黒いカネが行政を歪めることを未然に防いだ知事であったが、それが原因で世間から疑惑の目を向けられる。漂流ともいえる事態に陥った事件の真相とは。

 「ボートは沈みぬ」=有名な歌曲“真白き富士の嶺"をめぐり、その裏で展開した人間関係を再検証する。運命に弄ばれる個性の連環と生の不条理、不公平を描こうとする探索もの。

 「道祖神の口笛」=戦時下の仙台市を舞台に、大学生の焦燥の日々を通して、虚構の設定が無ければ前にすすむことのできない知性の哀しさを描く青春小説。太宰治らしき謎の人物との邂逅——という設定が、読み手の想像をかきたてる。

(堤 哲)

論創社2021年6月30日刊行。定価:1,980円
ISBN-10:4846020584、ISBN-13:978-4846020583
「お買い求めの場合は、新宿紀伊国屋・文芸書コーナー電話注文専用(☎03・3354・5702)への予約が便利」と滑志田さん。

2021年6月18日

伊藤絵理子著『清六の戦争 ある従軍記者の軌跡』

 ——2012年、私は、東京・竹橋の毎日新聞東京本社で色あせた一枚の写真に出会った。若いころの父や、かすかな記憶に残る親戚たちに似た顔立ちに、懐かしささえ感じた。それが、私の曽祖父の弟、伊藤清六(1907~1945)だった。

 ——清六の存在を初めて知ったのは、私の毎日新聞入社が決まった2004年のことだ。父が「昔、毎日新聞にいて、フィリピンで戦死した親戚がいる」と教えてくれた。

 ——2011年、私は東京本社の資料を管理する情報調査部に配属された。写真は情報調査部の、社員の顔写真を収めたキャビネットにあった。「本社員 伊藤清六」。70年近くも前に亡くなった親戚の写真が、こんなにも身近に眠っていたことが不思議に思えた。

 ——ある日、ジャーナリズム関係の本が並んだ書棚に、ぼろぼろになった本を見つけた。それは、1952年に毎日新聞社が出版した物故社員の追悼冊子だった。ページをめくると、「伊藤清六」の名前があった。私は、その人生に一気に引き込まれた。

 ——清六は戦前に農政記者として働いていたが、戦争末期の1944年、毎日新聞社がフィリピンで経営していた「マニラ新聞」に取材部長として出向し、戦局が悪化するとルソン島の山中で日本兵のために陣中新聞を作っていた。最期は、多くの仲間とともに山中をさまよい、餓死するという悲惨な結末だった。戦時中にフィリピンで死亡した毎日新聞の関係者は56人。死亡時の詳細が不明な人も多いという。

 2020年7月~8月に毎日新聞に掲載され、第26回平和・協同ジャーナリスト基金賞・奨励賞と第15回疋田桂一郎賞を受賞している。

 著者・伊藤絵理子さんは1979年生まれ。2005年入社。仙台支局、経済部、情報調査部、「開かれた新聞委員会」事務局兼社会部、阪神支局を経て、現在東京本社コンテンツ編成センター勤務。

毎日新聞出版社、定価:1650円。
ISBN-10:4620326860 ISBN-13:978-4620326863

(堤  哲)

2021年6月7日

元台北支局長、近藤伸二さんが、台湾の民主化に尽くした人物の評伝『彭明敏』を出版

 =大阪毎友会ホームページから

 台湾の民主化に尽くした元台湾大学教授の評伝『彭明敏 蔣介石と闘った台湾人』(白水社・2750円)を、5月末に出版しました。台湾の民主化といえば、日本では李登輝元総統の偉業がよく知られていますが、台湾では、彭氏は李氏と並んで民主化実現に大きな功績のあった巨頭と位置付けられています。そうした実情を、1人でも多くの日本人に伝えたいとの思いで書き上げました。

彭明敏氏(中央)には毎年、自宅でインタビューしました(2019年8月撮影、向かって前列右側が筆者)

 彭氏は李氏と同じ1923年、日本統治時代の台湾で生まれ、日本に渡って京都・三高を卒業し、東京帝大法学部に入学しました。戦局の悪化で生活が困難になり、診療所を任されていた兄を頼って長崎入りしたところ、乗っていた船が米軍の機銃掃射を受け、かろうじて一命は取り留めたものの、左腕を失います。長崎郊外の兄宅で療養中、原爆投下にも遭遇しました。

 終戦で台湾に帰った彭氏は46年、旧台北帝大を引き継いだ台湾大学法学部に編入し、京都帝大で学び台湾大学農学部に編入した李氏と知り合います。2人の交友は、李氏が亡くなった2020年7月まで70年以上にわたって続くことになります。

 卒業後、彭氏は台湾大学法学部助教となり、国際航空法の分野で次々と研究成果を上げます。カナダとフランスにも留学し、若くして法学者として国際的な名声を得て、台湾大学史上最年少の34歳で教授に就任しました。

 蔣介石総統が率いる国民党政権はそんな彭氏に目を付け、国連代表団の顧問に任命して米ニューヨークで開かれた国連総会に派遣しました。蔣介石が個別に面会するなど破格の厚遇ぶりで、彭氏は将来を約束されたも同然でした。権力に逆らわなければ、恐らく、李氏より先に総統になっていたでしょう。

 当時の国民党政権は一党独裁体制で、「中華民国(台湾)は大陸も含む全中国を代表する唯一の合法政府」との看板を下ろさず、共産党が支配する大陸を武力で奪還する「大陸反攻」の目標を掲げていました。現実離れした主張でしたが、それを批判する者は「共産党のスパイ」だとして、逮捕されたり、処刑されたりしていました。

 そんな国民党政権から重用される彭氏は良心の呵責にさいなまれ、教え子2人とともに蔣介石の虚構を暴く「台湾人民自救運動宣言」を作成して印刷し、各界の指導層に配布して社会的な議論を巻き起こそうと計画しました。そして、64年9月、下町の印刷所で1万部を印刷したところを、密告により逮捕されました。懲役8年の判決を受け、総統の特赦で釈放されましたが、自宅は24時間厳重に監視され、外出時は尾行される実質的な軟禁状態に置かれました。

 70年1月、彭氏は変装し、自分の写真に貼り換えた日本人のパスポートを使って、亡命を受け入れたスウェーデンに脱出します。世界をあっと言わせたこの脱出劇には、台湾独立運動を支援する日本人や在日台湾人が深く関わっていました。米国に移った彭氏は、米議員らに働き掛けるなどして台湾民主化の外堀を埋める役割を果たし、独立運動の「精神的指導者」としてカリスマ的な存在になりました。

 台湾の民主化進展に伴って、彭氏は92年、22年ぶりに台湾に戻りました。4年後、台湾初の総統直接選挙で野党・民進党の公認候補となり、国民党の現職である李氏と対決します。李氏に大敗を喫しはしましたが、かつての「国家反逆者」が最高指導者のポストを争ったのです。彭氏の人生は台湾の民主化の歴史を体現しています。 00年の初の政権交代で発足した民進党の陳水扁政権で、彭氏は総統府資政(上級顧問)に就任しました。97歳の現在も新聞に寄稿するなど評論活動を続けています。李氏の死去に際しては、新聞に「李登輝と私」と題した長い追悼文を寄せ、李氏の告別式の葬儀委員も務めました。

 私は17年から19年まで毎年台湾を訪問し、彭氏に長時間のインタビューを行ってきました。彭氏は高齢ながら、補聴器を付ければ聞き取りは問題なく、驚くべき記憶力で歴史の真相を証言してくれました。

 インタビューには、ネイティブ並みの日本語で応じてくれました。発言を資料と付き合わせると、いつも正確で、記憶が曖昧なところは「はっきりしません」と、研究者らしく、確認された事実と未確認情報を明確に区別して答えてくれました。

 日本でも、私は東京や横浜、山形などを訪れ、彭氏の海外脱出に協力した人たちから話を聞いて回りました。この脱出劇はあまりにもセンシティブな事件だっただけに、関係者は長らく口を閉ざしてきましたが、いずれも80代になった支援者たちは、私のインタビューで詳細を語ってくれました。彼らは、資料を準備し、懸命に記憶を手繰り寄せ、「ぜひ記録として残してほしい」と私の背中を押してくれたのです。

 事件に関係する台湾の現場も歩きました。彭氏らが特務機関の取り調べを受けた施設や、海外脱出のため日本人の協力者からパスポートを受け取った場所などを探して出して訪ねました。公文書を公開している政府機関にも行き、膨大な関連文書を閲覧しました。

 こうした調査・研究、取材の結果、4年がかりで刊行にこぎつけたのが本書です。彭氏は拡大鏡を使って徹夜で読んでくれ、「台湾の近代史を勉強する人にとっては不可欠で必読の古典的な存在となる」と過分な評価をしてくれました。

 ありがたいことに、大阪日日新聞が5月26日付で大きく紹介してくれたほか、毎日新聞も6月5日付朝刊に書評を掲載してくれるなど、メディアも相次いで取り上げてくれています。国際問題の評論家も自身のメールマガジンで推奨してくれました。毎友会の皆様にも、ぜひご一読いただければ幸いです。

(元論説室、近藤 伸二)

※近藤伸二さんは外信部、香港、台北支局長、大阪経済部長、論説副委員長など歴任。現在、追手門学院大学教授。

2021年5月17日

環境ジャーナリスト、川名英之さん(85)が、36冊目の著書『社会問題に挑んだ人々』

 この新著を紹介するのに、最も適切な文章が、本人執筆の「あとがき」冒頭にある。

 ――これまで37年間、世界や日本の政治・社会との絡みで環境問題や核兵器など様々な社会問題の歩みを35冊の本に書いてきた。代表的なものが、『ドキュメント日本の公害』(全13巻)、『世界の環境問題』(全11巻)、『核の時代70年』の三つ。これらの本を書くための調査と取材の過程で、その生き方に感銘を受けた、社会問題に挑んだ人びとが少なからずいた。この人たちの中から何人かを選んで評伝を書いてみたいという思いが、人生の終盤になってやっと実現した。これこそ、私のライフワークである――

 川名さんは、毎日新聞入社後、1963~1964年、ウイーン大学へ文部省交換留学。社会部に所属し、環境庁(現在は環境省)を7年余、担当、7代の環境庁長官の仕事ぶりを報道してきた。この期間を含め一貫して環境問題に取り組み、1985年に編集委員、90年に定年退職した。これまで35冊の著作は、40年間の積み重ねであり、永年、志を維持し執筆を継続してきた先輩記者から「新刊紹介」を要請されたことは、光栄なことと受け止めている。

 私が知っている川名さんは、東京都江東区にあった日本化学工業による「六価クロム公害」を徹底的に取材する姿だった。浅草にあった東支局に所属していた頃、市民運動団体の告発で、宅地造成などに提供された六価クロム鉱滓が土壌汚染を引き起こしていることを知り、継続して取材、報道を重ねていた。土壌汚染の問題だけでなく、従業員にがんなどの職業病が発生していることが明らかになり、職業病裁判に発展し、労働者側の勝訴判決となった。川名さんは「私は1975年の夏中、クロム鉱滓投棄の実態を丹念に報道し続けました」と振り返り、私も汚染現場を取材する記者としての活動を記憶している。従業員の一部は、鼻の隔壁に穴が開く(鼻中隔穿孔)という悲惨な健康被害も受けていた。

 当時、美濃部都政だった東京都では、公害局の田尻宗昭規制部長が指揮してこの問題に取り組んだ。田尻さんは伊勢湾・四日市沿岸海域の公害取り締まりに当たる「海のGメン」としての実績を買われて、海上保安庁から東京都にスカウトされた。新聞社にとって公害は大きな取材テーマだったが、六価クロムにこれだけこだわった記者は、川名さん以外に思い浮かばない。その成果は著書『ドキュメント クロム公害事件』(1983年、緑風出版)にまとめられている。

 今回の新著は、「あとがき」で川名さんが触れているように、高い志をもって、その困難な道を切り拓き、その「声」が人々の心に響き、現実を動かした18人の軌跡を辿る。「感染症・医療」「地球温暖化・植樹運動」「環境汚染・公害」「核兵器」「難民・人種差別・分断」の5章に分けて、評伝が綴られている。

 最初に登場するのは、新型コロナウイルスの発生をめぐって、早期に告発の声を上げながら弾圧された武漢の李文亮医師。ペストの猛威と闘った北里柴三郎、医療看護を改革したナイチンゲールが登場する。

 「地球温暖化」などのテーマでは、砂漠に水を引き、飢餓を防いだ中村哲医師、グリーンベルト運動に尽力したワーガリ・マータイ、十六歳少女グレタの類い稀な温暖化防止キャンペーンを取り上げている。以下名前だけをあげると、レイチェル・カーソン、アル・ゴア、水俣病を追求した石牟礼道子と細川一医師、放射線医師永井隆、湯川秀樹、杉原千畝、緒方貞子、キング牧師、フューラー牧師。ベートーヴェン不朽の名作「第九・合唱」の誕生も取り上げられている。

 「より住みよい社会を創るために」と題した終章では、賀川豊彦、宮沢賢治に言及している。全編を通じて「より住みよい地球社会の建設を目指そう」という川名さんの願いが込められている。

(高尾 義彦)

『社会問題に挑んだ人々』 花伝社、定価2,200円(税込)
ISBN978-4-7634-0961-4  2021年4月5日発行

2021年4月20日

『はじめてのニュース・リテラシー』-元ワシントン特派員、白戸圭一さんが出版



 立命館大学国際関係学部教授、白戸圭一さんが19年間の毎日新聞記者としての体験などを基に、ニュース、情報とどのように付き合うべきか、学生や若い社会人を主な対象に、具体的事例を盛り込んで、丁寧に解き明かしている。

 活版印刷の普及が進んだ17世紀初頭に「ジャーナリズム」が誕生した経緯など歴史を踏まえて、「情報」をめぐる現代社会の問題点を指摘し、読者としての学生を意識しつつ、新聞記者経験者が読んでも、考えさせられる分析に富む内容になっている。

 新聞とテレビが、ほぼ情報発信のすべてを支配していた時代から、いまはSNSなどの進化によって、誰でもニュースや意見を発信できる時代になった。

 ある意味では民主主義にとって良き時代の到来なのかもしれないが、トランプ米大統領の誕生に伴って、「フェイク」と名づけて気に入らない情報を排除する風潮が拡散したことや、ネット社会に真偽不明の情報が飛び交い、それらの情報を事実と信じる、あるいは信じたい人たちによって、誹謗中傷や責任を取らない匿名発言が氾濫し、不幸な時代に直面している。

 こうした時代に必要とされる「ニュース・リテラシー」とは何か、白戸さんがこの著書で伝えたい主眼はそこにある。読者は「正確な事実をつかむための作法」をこの著書から学んでほしい。

 白戸さんの批判の目は、事実、情報を伝える新聞社などメディアにも向けられている。本来の調査報道ではなく捜査情報の先行報道に大きな力を込めている取材現場や、ニュース価値の判断の仕方、記者の育て方に関する疑問にも言及している。

 白戸さんは立命館大学大学院国際関係研究科修士課程を修了し1995年に毎日新聞に入社。鹿児島支局、西部本社報道部、東京本社外信部兼政治部、ヨハネスブルク、ワシントン特派員などを歴任。2014年に毎日新聞を退社し三井物産戦略研究所に移り、欧露中東アフリカ室長などを経て、2018年から母校の教授を務めている。京都大学アフリカ地域研究資料センター特任教授も兼任、一貫してアフリカにこだわっている。『ルポ 資源大陸アフリカ』(東洋経済新報社、朝日文庫、日本ジャーナリスト会議賞受賞)、『アフリカを見る アフリカから見る』(ちくま新書)などアフリカに関する多数の著書がある。

(高尾 義彦)

 「はじめてのニュース・リテラシー」白戸圭一著 ちくまプリマー新書 924円(税込)ISBN:978-4-480-68398-4

2021年4月12日

関千枝子さんの絶筆『続ヒロシマ対話随想』発売

 関千枝子さん(1954年入社。2021年2月21日逝去、88歳)の毎友会HP追悼録に、社会部旧友・野村勝美さん(91歳)が《「関千枝子さんが亡くなった」と電話をくれたのは、私と早大露文科で同級だった作家の中山士朗君だった。中山君は、「知の木々舎」なるブログに、関さんとの『ヒロシマ往復書簡』を発表し、それらを2012年から4巻、西田書店から刊行している》と記していたが、その完結となる第5巻(「往復書簡」3巻と「対話随想」2巻)が、西田書店から発刊された。

 《広島に原爆が落ちた時、中山君は県立広島一中の3年生で15歳、関さんは広島第二県女の2年生で13歳だった。中山君は勤労動員で建物疎開の作業中に被爆、関さんはその日動員に欠席して死を免れた》のである。

 毎日新聞は4月10日付社会面で竹内麻子記者が「原爆の記憶込めて/2月死去関千枝子さんの絶筆/『続ヒロシマ対話随想』発売」と報じた。

 その記事によると、《関さんが中山さんを誘い、2012年からウェブマガジン「知の木々舎」でエッセーを連載。多感な時期に原爆に遭った2人は互いの言葉に刺激を受けて記憶をたぐり寄せながら、200回にわたって世の中に対して思うことを率直につづった。このエッセーをもとに「ヒロシマ往復書簡」第1~3巻と「ヒロシマ対話随想」(いずれも西田書店)を出版し、今回が集大成の5冊目となった》。

 西田書店のHPには、《 二人の被爆者が遺す日本人が忘れてはならない記録と記憶の継承は私たちに委ねられた》とある。

 ISBN-978-4-88866-658-9 定価(本体1600円+税)。

(堤  哲)

2021年4月8日

好評発売中!『2021NFLドラフト候補名鑑』を制作した小座野容斉さん

 アメリカンフットボール・マガジン別冊「NFLドラフト候補名鑑2021」というMOOKを4月7日にベースボールマガジン社から刊行しました。定価 1,100円(税込)。編集者兼ライター兼フォトグラファーとして、携わりました。

 内容紹介にこうあります。《全米プロフットボールリーグNFLのスーパーボウルに次ぐビッグイベントと言われるドラフトの情報を網羅した一冊。候補選手123人の名鑑を中心に、上位指名が確実視されているクォーターバックの評価、世界最高のスポーツリーグの基盤となっているドラフトの仕組み、チーム別の展望などを掲載》

 NFLの本はこれまでにも何冊も出ていますが、ドラフト会議に特化した書籍はこれが初めてです。ありがたいことにAmazonでは売り切れになるほど、ファンの反応も良く、初めての試みとしては成功ということになりそうです。

https://www.amazon.co.jp/dp/458362669X

 この本を出版した経緯をお話しします。

 12月のある夜、布団の中で夜寝る前に「ドラフトの本を出せないか」と思いつきました。1月になって、普段からお世話になっているベースボールマガジン社の樋口幸也さん(元陸上競技マガジン、ランニングマガジン「クリール」各編集長、現執行役員営業局次長)に提案しました。最初は「?」という感じでしたが、社内を説得してくださって話が固まりました。

 今回、本を出す中で考えたのは、選手を人間として見る視点です。

 NFLやバスケのNBAでは、高い順位でドラフト指名されながら、プロで全く活躍できなかった選手を意味する「バスト(BUST)」という有名な俗語があります。元は「破裂」という意味ですが、「大失敗」という語感です。その選手を罵るときに使う言葉です。

 バストという言い方はしたくない。そう考えました。

 余談ですが、我が家の息子も今春大学を卒業し就職しました。高校ではアメフトの選手でした。

 NFLのドラフト候補選手は、195センチ115キロで100メートルなら10秒台半ばで走るような超人たちです。彼らも一皮むけば、息子と変わらない、どこにでもいる青年です。親が、家族が、地域が、形の違いはあれ、大切に育ててきた人間です。

 選手としての実績だけで、その人を評価する。プロの実力の世界である以上、ある程度は仕方のないことですが、そこに少しずつ違う視点を入れました。

 名鑑の部分をすべて担当したのですが、全米の大学から選んだトップ選手123人の選手評を書くときに、なるべく競技以外の人となりを示すエピソードを盛り込みました。

 その中で、特に気になった選手がいました。西アフリカ・リベリアの内戦のため隣国ギニアの難民キャンプで生まれ、母と兄と3人で米に移住、今ドラフトで、有力候補となったミシガン大のクウィティー・ペイ選手の話です。

 ペイ選手が生まれた1998年は、毎日新聞が「難民救済キャンペーン」で、ちょうどリベリアを取り上げた年であり、後輩カメラマンの米田堅持さん(現東京本社編集編成局)が現地に取材に行っていた時期とも重なりました。米田さんにも参考として話を伺い、いろいろとストーリーが膨らんだ中でできた記事です。

 中身については本を読んでいただきたいのですが、そうやって一人一人、本当にさまざまなバックボーンを持つ選手たちが活躍しているのがアメリカのプロスポーツの魅力だと思います。私自身も、25年前、アフリカではない他地域ですが、難民取材に行きました。あの時に出会い、写真を撮った子供たちは、どんな大人になったのか、今何をしているのか、ふと思うことがあります。

 そういう毎日時代の貴重な経験が今回の雑誌の中でも生かすことができたのかなと思います。

 このペイ選手の記事の他、以下を執筆しました。

 ・Quarterback Shuffle 2021—司令塔たち、激動の春
 ・Thank you Drew, Goodbye Philip—引退する偉大なQBの足跡
 ・If もしも、あの時...「たられば」で振り返るNFLドラフト指名
 ・QBとして林は高田鉄男に匹敵した—橋詰監督が語った日大フェニックスの2年半
 ・オービックシーガルズ 7年ぶりの王座奪還—その瞬間、男たちは涙を流した

 今年の第86回NFLドラフトはオハイオ州クリーブランドで4月29日から3日間(日本時間4月30日~5月2日)にわたって開催されます。AFC (American Football Conference)とNFC(National Football Conference)各16チーム、計32チームが参加。シーズンわずか1勝で地区最下位、リーグ全体でも最低の成績だったAFC南地区ジャクソンビル・ジャガーズが1番に指名、32番目はスーパーボウル優勝のNFC南地区タンパベイ・バッカニアーズだ。

 日本では日本テレビ系列の有料チャンネル「ジータス」が、初日の1巡指名(32選手)を完全中継します。

NFLドラフトとは

 米プロフットボールNFLは、俗にいう米4大スポーツ(野球のMLB、バスケットのNBA、アイスホッケーのNHL)の中でもNo.1の人気を誇ります。

 そのNFLの中で、ファンやメディアの最大の注目を集めるイベントが4月末にあるドラフトです。

 これは意外と知られていないことですが、MLBのドラフトは1965年スタートで、日本でドラフト会議が始まった年と同じです。日本のプロ野球(NPB)ドラフトが手本にしたのは、NFLのドラフトでした。

 NFLドラフトは1936年に始まりました。一部の声の大きなチームの圧力でいびつに歪められたNPBドラフトとは違い、前年成績最下位チームからの完全ウェーバーです。指名順位が切り替わるときに折り返したりもしません。

 なぜなら、「弱いチーム、人気のないチームでも、浮上できるリーグ全体の戦力均衡こそが繁栄の基礎」という思想が完全に行き渡っているからです。

 もちろん指名権を巡る抽選などもありません。

 では、かつての「江川事件」のように、選手が行きたくない球団に指名されたらどうなるのか。

 指名権がトレードできます。指名権対指名権のトレードができますし、指名権対現役選手のトレードもごく一般的です。それだけでなく、交渉権も交換できます。

 さらに

 ・FAで戦力ダウンしたチームには補償指名権付与
 ・ヘッドコーチかGMがマイノリティの場合にも指名権付与
 ・公式戦などで重大な規則違反を犯したチームへの罰則としてドラフト指名権はく奪

 などがあります。ドラフトを基盤にしてNFLは運営されていると言っても過言ではありません。

 リーグや球団だけではありません。ファンにとっても重要です。よく、「スーパーボウルがNFLで最高のイベント」と言われますが、ある意味で正確ではありません。

 競技として本当に楽しめるのは出場2チームのファンだけです。それに対してドラフトは、32チームすべてのファンが楽しめます。

 スーパーボウルは出場チームが決まって2週間でお祭り騒ぎは終わりますが、ドラフトは、2月上旬のシーズン終了後2カ月半にわたって、盛り上がりが長く広く続きます。

 ドラフトのエンタメ性に気が付いたNFLは、3日間に分けて、公開イベントとして行うようになりました。昨年はCOVID-19 の影響で、ネット上のリモート開催でしたが、今年はリアルなイベントとして開催することが決まりました。

(小座野容斉)

*小座野さんは89年入社。写真部→デジタルメディア局→知財ビジネス室などを経て2020年退職。アメフトファン歴は小学校以来47年。ドラフト候補123選手の名鑑作成は、スタッツを扱う専門サイト、全米各大学チームのHP、地元新聞などの情報によったそうです。

2021年4月7日

「世界を敵に回しても、命のために闘う ダイヤモンド・プリンセス号の真実」

 昨年秋に新聞紙上で連載した企画が、このほど大幅加筆して毎日新聞出版から本になりましたので、この場をお借りして紹介させていただきます。

 タイトルは「世界を敵に回しても、命のために闘う ダイヤモンド・プリンセス号の真実」です。副題にもありますが、昨年2月に横浜港に停泊した大型クルーズ船で起きた集団感染事故についての本です。当時、国内外から注目された事案で、船内の感染対策は厳しく批判されました。しかし、検疫・患者搬送に尽力した人たちの話を直接聞くと、まったく違う印象を受けました。いえ、それどころか、活動を仕切ったリーダーたちは、官邸・厚労省の命令・指示に反しても、「いのちを守る」ことに全力を尽くしていたことがわかったのです。それじゃあ、書かずにはいられません、ライターのサガであります。

 私は社会部の専門編集委員ですが、いつもはコラム「掃苔記」を連載し、たまに、毎日jpの政治プレミアで自衛隊のことについて書いています。新型コロナ感染症については、一般読者と同程度の関心、知識しかありませんでした。

 ところが、事件が収束してしばらく経った昨年夏、神奈川県の感染症対策を仕切っている人物として、藤沢市民病院の阿南英明・副院長がNHKテレビに出ておりました。実は彼には7年ほど前に、毎日新聞の名物企画「ストーリー」の取材で密着したことがあり、「いまならオモシロイ話が聞けるかも」という軽い気持ちでメールしたのが取材のきっかけであります。返事はすぐ届きました。

 「タキノさん、長い話になりますよ」

 その通り、長い取材になりました。

 彼は1995年の阪神大震災のとき、「救える命が救えなかった」という反省から厚生労働省に創設された災害派遣医療チーム(DMAT)の創設メンバーで、ダイプリ号事件でも、ほかに危機対応オペレーションをやれる組織が見当たらないということで、DMATが活動の中心となりました。阿南医師が県庁にいて患者搬送を指揮し、あとは船内活動のリーダー、厚労省の若手幹部、そして事件後、「神奈川モデル」という医療体制を立案していく若い県顧問の計4人が主な登場人物です。私はこの4人を「DP4」と呼んでいます。

 ここでは活動の内容にはあまり踏み込みませんが、とにかく、発熱患者はどんどん出続ける。日々数十人、多い日では100人近く出ます。一方、感染症指定の病床は県内に74床しかない。昨年2月といえば、国内全体で判明感染者が20人程度の時期です。新型コロナ感染症患者をどこに運べばいいのか。東京など隣県に受け入れを要請しても、断られる。さて、どうするか――。しかも、官邸は「早く検疫して、隔離しろ」と矢継ぎ早の指示をしてきます。「あのまま官邸の指示に従っていたら、船内で死者が確実に出ていました」。そう言います。つまり、面従腹背して対応に当たったのでした。

 しかも、活動開始から2週間ほどして、唐突に、世界の感染症の現場を歩いてきた神戸大学の教授が数時間だけ船に乗り込み、「対策がまったくなっていない」「恐怖を感じた」という感想をネットに動画で流します。現場はさらに混乱し、批判も強まっていきました。

 実は、その数日前、感染症の専門家チームが派遣され、「対策指導」をしていたのでした。ただ、チームは3日で撤退していた。なぜなんだ! 専門家に対する不満が現場に充満していたときに、神戸大学の先生がやってきたのでした。

 さて、1カ月にわたるダイプリ号船内の活動が第一幕とすれば、この事件には第二幕があります。危機の中から、彼らは教訓を引き出し、「神奈川モデル」という国内のコロナ対策の下敷きになる医療体制モデルを作り上げていくのです。しかも、ここで中心となったのは、神奈川には何のゆかりもない若手研究者です。県顧問の肩書は持っていますが、それは別の医療保険手続きに関する県とのコラボ事業のために便宜的にもらった肩書にすぎません。なぜ、彼は、「他人ごと」である県の医療モデルづくりに粉骨砕身するのか。それは、彼の父親である元金融庁長官との…………と、ここまでにしておきます(笑)。

 執筆しながら、「反・役人気質」という言葉が勝手に浮かんできました。「役人」とは「前例踏襲に執心する人」、あるいは「ものごとを変えない理由ばかりを考え続ける人」といっていいのかもしれません。いまの日本には、まだまだこんな役人気質の人が幅を利かせている気がします。そういう人を駆逐しないと、日本に未来はないと思います。

 DP4は、永田町や霞が関にはびこっている「忖度」とは無縁です。ただ「いのちを守る」というシンプルな原則にのみのっとって行動していきます。その清々しさを、伝えたかった。それが、本を書いたいちばんの動機であります。もっといえば、こんな人たちが出てこないと、日本はますます衰退していくと思うのであります。

 タイトルは大仰ですが、以上のような経緯からできた本で読みやすくなっています。あ、もっとも私には、高尚な文章は書けませんけれど(笑)。手に取っていただければ、あるいは図書館にリクエストしていただければ、幸甚であります。値段も手ごろです!

(東京社会部専門編集委員、滝野隆浩)

 「世界を敵に回しても、命のために闘う ダイヤモンド・プリンセス号の真実」(毎日新聞出版、税込み1,210円)

2021年3月10日

『ゆうLUCKペン』第43集 ここに刊行しました!

 執筆者は、掲載順に神倉力(84歳)▽大住広人(83歳)▽永杉徹夫(81歳)▽今吉賢一郎(83歳)▽渡辺直喜(73歳)▽倉嶋康(88歳)▽渡部節郎(74歳)▽飯島一孝(72歳)▽松上文彦(75歳)▽野島孝一(79歳)▽松崎仁紀(74歳)▽堀込藤一(92歳)▽半田一麿(85歳)▽大島幸夫(83歳)▽本田克夫(94歳)▽山埜井乙彦(96歳)▽堤哲(79歳)▽斎藤文男(79歳)▽岩崎鴻一(84歳)▽福島清彦(76歳)▽藤川敏久(79歳)▽舟橋渡一(94歳)▽中谷範行(80歳)▽諸岡達一(84歳)の24人。

 平均82.1歳。最長老は大正13年生まれの山埜井乙彦さんの96歳。大正生まれはもうひとり舟橋渡一さん、94歳。本田克夫さんは昭和2年生まれだが、1月5日に誕生日を迎え94歳だ。

 なんだかんだ世間様の風吹く中、ゆうLUCKペン43集をここに刊行しました。

 『私の世相診断。なんじゃっこの世はっ』……あっちでこっちで右往左往だらけの地球世界をジャーナリストが書かない 書けない 書いてもマスゴミ扱い。

 しっかし……ゆうLUCKペン同人会員は43集に「書いてきました」ねえ、思いっきり。愉快な視点から独特の批判精神旺盛なるみなさまの心が嬉しいよ、まったく。じっくり楽しんでお読みください。

 43集刊行パーティーはありません。ずっと会場にしていた9階「アラスカ」が消えたからではなく、マスクマスクのソーシャルディスタンスだのオーバーシュートだのクラスターだの「間違い英語」を多量にばら撒いた罪は負いたくないからである。

 コロナウイルスは大歓迎です。戦争好き人間を大々的にやっつけてくれよな。何を言ってるのか判らないのが「ゆうLUCKペン幹事団」の特異なところで、わけもなく、ともかく、馬鹿三蜜OBだ、と現役記者連に言われないよう、一応、止めました。ま、つまるところ面倒くさいのである。同じ理由から「東京オリムピック・パラ……」も中止しなさいよ。

 なお、なんと言われようとへっちゃらな大多数のメンバーが、頃合いを見て「刊行をきっかけにして飲み喋る飛沫パーティー」を竹橋パレスサイドビル 1F「花」で開くようです。問い合わせは堤哲さん(tsukiisland@gmail.com:080-3284-1568)へ「俺は行くぞ」と声を掛けてください。では・では。

2021.2.26 諸岡達一

 ぜひ!是非!ぜひ! 手に取って読んでください。

 1冊千円でお分けします。申し込みは事務局長中谷範行スマホ 080-1027-9340まで。送料は会負担で無料です。

2021年3月4日

中澤昭著『行くな、行けば死ぬぞ!-福島原発と消防隊の死闘-』



中澤昭さん

 東日本大震災から10年——。消防作家・中澤昭さん(83歳)から新刊『行くな、行けば死ぬぞ!』(近代消防社2021年3月刊、本体1,600円+税)が届いた。福島第一原発事故で原子炉を冷却するために放水を行う東京消防庁の苦闘を描いたドキュメントである。

 中澤さんは、東京消防庁の元広報係長。その後、消防署長を5つも務めた。金町、石神井、荒川、杉並、志村各署長である。私はサツ回りの時、知り合い、以来半世紀以上の付き合いだが、社会部旧友のかなりが火事や救急の現場でお世話になったハズである。

 消防記者といえば警視庁キャップも務めた開真(2008年没82歳)オープンさん。東京消防庁の広報体制をつくった鎌田伖喜さん(2016年没90歳)=中澤さんが『激動の昭和を突っ走った消防広報の鬼』で取り上げた。よく一緒にイッパイやった。

 毎日新聞シンパということで、このHPに紹介したい。

 「セミの小便みたい」。ヘリから原子炉に冷却水を投下したとき、東電の関係者が漏らした。震災から7日目の3月17日だった。

 東京消防庁に「注水」出動要請があったのは、18日午前0時50分。「注水は消防の仕事」と現場の出動部隊は、準備をしていた。

 午前3時45分、32隊139人が消防総監と1人ずつ握手をして出発した。決死の覚悟である。

 福島第一原発の正面に到着したのは、18日午後11時20分。シーンと静まり返った、真っ暗闇の構内を、ヘッドライトの明かりで構内図を見ながら進む。

 海の水を毎分8,000リットル吸い上げて、ホースをつなげて800メートル先の放水車で3号機原子炉に注水する。

 放水車(屈折放水塔車)は、3号機の壁から2メートルのところに止めた。建屋の高さは45メートル。放水車のアームは最大に伸ばして22メートルだ。

 遠距離大量送水システム(スーパーポンパー)は、ホース延長車と送水車がセットだ。送水車を海岸べりに止め、ホース延長車でホースを自動的に伸ばすが、450メートルが限度。それ以上は手作業だ。20キロもある鉛入りの防護服をまとった消防隊員が1本100キロもあるホースを7本もつなぎ合わせる難作業である。「ピーピーピー」。線量計が警告音を発する。

 ホースが結合されたのが、19日午前0時15分。

 「送水開始!」。平べったいホースが丸く膨らんで、生き物のように跳ねて先に向かう。

 被曝を避けるために脱出用のマイクロバスで待機していた隊員が暗闇の中、放水車の操作台に乗る。ホースの先から勢いよく吹き出している水を制御する。

 「もっと右」「もっと上」。隊長からだ。

 このとき、3号機の建屋上空に水蒸気が舞い上がった。

 「いい水が出ているぞ!」

 中澤さんは書いている。《「ホースを延ばす」「ホースをつなぐ」「梯子を延ばす」「水を出す」。消防なら目をつぶっても出来る事が、こんなにも難しい事であったか》と。

 19日以降も第2次派遣隊8隊が出動し、放水車の放水角度を固定して無人放水を続けた。放水は3月23日まで続いた。

 東電の事故調査委員会の報告書には、「燃料プールへの対応に失敗すれば破局的な影響が懸念されたが、冷却の回復に成功した。災害のさらなる拡大を防止した点で極めて重要な分岐点だった」とある。

 中澤さんの著書は以下の通り。

『生きててくれ! : 119番ヒューマンドキュメント : 命を大切にし、命を守る。そのために我々はがんばっている』(NTTメディアスコープ1998年刊)
『救急現場の光と陰 : 119番ヒューマンドキュメント』(近代消防社99年刊)
『東京が戦場になった日 : なぜ、多くの犠牲者をだしたのか!若き消防戦士と空襲火災記録』(近代消防社2001年刊)
『9・11、Japan : ニューヨーク・グラウンド・ゼロに駆けつけた日本消防士11人』(近代消防社02年刊)
『なぜ、人のために命を賭けるのか : 消防士の決断』(近代消防社04年刊)
『暗くなった朝 : 3・20地下鉄サリン事件』(近代消防社05年刊) 『激動の昭和を突っ走った消防広報の鬼 : おふくろさんから学んだ広報の心』(近代消防社15年刊)
『皇居炎上 : なぜ、多くの殉職者をだしたのか』(近代消防社16年刊)

(堤  哲)

2021年3月2日

新刊「ぶらっとヒマラヤ」が生まれるまで

 毎日新聞の夕刊特集ワイド面に書いております記者の藤原章生です。2月末に拙著「ぶらっとヒマラヤ」を上梓しましたので、そのきっかけとなった同僚や先輩、編集者の方々を紹介したいと思います。

 私は今から9年前の2012年春、ローマ駐在を終えて帰国し、在京時には所属している古巣、夕刊編集部(現夕刊報道グループ)に戻りました。ところが翌13年、福島県の郡山通信部への転勤を命じられ「もう異動?」と驚いたのですが、何だかいいことがありそうな気がして、「いいですよ」と素直に応じました。結果的にたった一年の郡山滞在でしたが、ジャックポットと言うのか、これが私に実に大きな幸運をもたらすことになったのです。

 赴任して1カ月あまりの5月初め、52歳になったばかりの私は、初の単身赴任をいいことに、本格的に山登りを再開しようと思い立ちました。ネットで調べた郡山勤労者山岳会に入ると、すぐに沢登りを始めました。そんな折、年も経験、体力もほぼ同じ齋藤明さんから「藤原さん、8000m、行きませんか」と声がかかったのです。「行きましょう」と安易に応じましたが、そうそう実現はしないだろうと半信半疑でした。するとその6年後の2019年正月、ネパールの登山エージェントから連絡があり、ダウラギリへという話になりました。日本から行くのは明さんと私の二人。隊は現地で雇った登山ガイドら総勢6人です。

 運良く、その年は入社30年の4週間休暇があり、それに有給休暇を加えて丸二カ月休みをとって19年秋、ダウラギリに挑みました。

 記事を書くつもりなど全くありませんでした。そんなことを考えたら、8167mのピークに達する幸運を逃しそうな気がしたからです。原稿など俗なことは一切考えず、ひたすら高みを目指しました。

 帰国してすぐワイド面執筆の仕事に戻ると、編集長だった同期の大槻英二君から「せっかく行ったんだから、何か一本書いたら」と言われ、「ヒマラヤは人生観を変えるか」という見出しの記事をワイド面に書きました。その翌週、私が学生時代に属していた北大山岳部の忘年会が東京であり、顔を出すと、たまたま記事を読んだ先輩の石本恵生さんから「あれ、面白かったよ。ヒマラヤは山屋(登山家)が書くより、物書きが書いた方が断然面白いね。もっと書いてよ」と言われたのです。

 うーん。その時から私の頭の中のペンが勝手に動きだしました。年明けに、連載をしたいと言ってみると、じゃあ、デジタルでという話になり、医療プレミアの編集長、佐藤岳幸さんが担当してくれることになりました。

 毎週月曜日締め切りで土曜日掲載と話が進み、ちょうど1年前、2020年2月1日に1回に原稿用紙で10枚から20枚ほどの連載を始めました。特にコンテも決めず、せいぜい7、8回と思っていたら、佐藤さんから「面白いし、読者の反応もいいので、できるだけ長く」と言われ、結局7月まで計24回書きました。

 その途上、懇意にしていた新潮社の編集者から「山の本よりも、生き方本ふうに書き換えて、本にしたい」との誘いがあり、連載終了後に少しずついじっていたら、昨年11月になって毎日新聞出版の久保田章子さんから「ぜひ、うちから出したい」と提案をいただきました。久保田さんは出版社から毎日新聞出版に転職し数々の話題作を出してきた人。その彼女に「『ぶらっとヒマラヤ』はずっと年下の、山に行かない女性の私でもぐっと引き込まれる。生き方本は腐るほどありますから、できるだけこのまま出したい」と力説され、文句なしに彼女に乗りました。

 本は著者と編集者の二人でつくる物。私は彼女の感性に従い元の原稿を直し、特に「はじめに」では、エンジニアだった27歳の私がなぜ新聞記者になったのかをジェットコースターに乗ったようなテンポで紹介するという久保田さんの案に従い、28歳から一気に58歳に飛ぶ、という展開にしました。

 目を引く装丁の本に仕上がったのも、毎日新聞の書評欄を担当する著名な装丁家、寄藤文平さんに頼んだ久保田さんのお陰です。

 校了間近の1月、渋谷の喫茶店で打ち合わせをしていたとき、「今はどんな新聞記事を?」と聞かれ、「塩野七生さんのインタビューです」と応じたら、久保田さんはすかさず「じゃあ、塩野さんに帯文、お願いしてもらえないですか?」と持ちかけてきました。塩野さんとのつき合いは、ローマに着任早々の2008年春以来ですが、きちんとインタビューしたのは今回が初めて。2時間ほど国際電話で話した末、「頼みにくいんですけど、今度、ヒマラヤの旅の本を出すんで、さらっと読んで、帯文を書いてもらえたらいいんですが」と頼むと、「えっ、あたしが書いたって売れないわよ」と応じたのですが、一瞬後には「でも、いいわ、あたし、やる」と言ってくれました。これも久保田さんに言われなければ実現しなかったことです。

 本のゲラをすぐにローマに送ると、塩野さんは一晩で読み、粋な手書きの文を送ってくれました。「私の友人の中でも最高にオカシナ男が書いた、フフッとは笑えても実生活にはまったく役に立たない一冊です。それでもよいと思われたら、手に取ってみてください」

 去年の今頃は本になるとは微塵も思っていなかった原稿が、かわいらしい一冊になったのも、久保田さんや塩野さん、寄藤さんをはじめ多くの方々のお陰だと、深く感謝しています。

 重さ、サイズ、触感もとてもいい感じの本です。皆さん、どこかで手にしてみてください。

 〈本の特設ページです〉 https://peraichi.com/landing_pages/view/bhimalaya/

(夕刊報道グループ 藤原章生)

「ぶらっとヒマラヤ」(毎日新聞出版、税別1300円)

2021年2月1日

『検証 良心の自由 レッド・パージ70年 新聞の罪と居直り―毎日新聞を手始めに―』

 寿限無寿限無のような表題の冊子を刊行しました。熊五郎と一緒で、あれもこれも大事と取り込んだ次第、降版間際、絞らなボツと言われりゃ「良心の自由」でしょうか。冊子といいながらB5判で300ページに達しましたが、その中で「良心の自由」と柱を立てた論考もありません。しかし振り返れば、常に「良心の自由」を念頭に、あるいは胸奥に秘めて取材し整理し執筆していたように思います。

 世情は2極分化といい、格差が際限なく広がり、他を完膚なきまでに排除する風潮が蔓延しています。輪をかけての悪は、これをつまみ食いして胡坐かき、寄らしむべし知らせるべからずを政治と心得る政権が居座っていることでせう。根っこにあるのは得体のしれない不安、不安定感かもしれません。そこから逃れるには絶対差別の対象をつくり、おれたちゃ奴らと違うんだと思い込むことで安全地帯を築き上げる。そんな誘惑にかられたことがないと言い切れるでしょうか。忸怩たるところです。

 われらの世代、「レッド・パージ」という言葉、常に内なる辞書の中にあったように思います。だが殊更にひもとく気は起こさなかった。あたしとは関係ない、そんな強迫観念をかこっていたのやもしれません。ここを一丁、何が出て来るか、徹底掘り返してみようやとなったのが今回冊子です。言い出しっぺは、かの新旧分離の難時に組織のかなめ書記長を担った福島清さん。その両脇を盟友、根岸正和、水久保文明が固め、さらには大勢のみなさんから、ああでもない、こうでもない、あなたそれじゃ駄目よ、本気で掘り直しなさいと叱られ励まされ、いくつもの新事実や見識を引き出し、広がり深まりました。

 良心の自由は権利であり義務です。暮らしに取り入れ、時に権力による侵害には死に物狂いとならなければ唯の憲法の条文として棚上鎮座となります。レッド・パージは、それを雄弁に立証しています。本件解雇被害者の一人・小林登美枝さんは戦後獲得の女性の権利にからめ、「物質的に豊かになったけれど、本当に人々は幸せになったのか。獲得した権利を使わない人がいる一方、間違った使い方をしている」と懸念、絶筆の一部としています。学び生かさなければならない言葉と肝に銘じおります。

 何が、どう書かれているかは、どうぞお手にとってお確かめください。印刷は懐相談で500部に限りましたが、若干の在庫がございます。版元も「北大生・宮澤弘幸『スパイ冤罪事件』の真相を広める会」といって、これも寿限無ですが、千代田区労協事務局に間借してますので、同連絡先(03・3264・2905)へ。特別頒価・送料込み2000円です。「真相を広める会」ホームページに全文を公開しています。http://miyazawa-lane.com/ 南無

おおすみひろんど(東京社会部OB)

2021年1月19日

「ムラ社会」レポート 秋山信一記者が『菅義偉とメディア』出版

 永田町や霞ケ関の「ムラ社会」には旧態依然とした慣習が多く残っている。2017年にムラに足を踏み入れてみると、住民たちの生態が面白く、おかしく、バカバカしく映った。同業だったムラの記者たちも興味深かった。すごくムラのことには詳しいのに、外には少ししか伝えないのが不思議だった。

 ムラ生活の最後には、全体への目配せを欠かさない助役の近くで、新たな角度からムラを眺めることができた。助役は新参者の記者にも丁寧に接し、義理堅く、人間味のある人物で、見方を変えれば記者を手なずけるのが上手だった。目立ちたがり屋の村長を縁の下で支えて、役場の人たちからは畏怖されていた。

 でも、村長が病気になった時、まさか助役が名乗りを上げるとは思わなかった。近くで見ていても、助役には助役がぴったりなのであって、「村長」というタイプではなかった。口下手だし、秘密主義だし、堂々と表舞台で引っ張っていく力に欠ける。周りから推されても固持すると思っていた。

 新村長は外の世界でも当初は歓迎されたが、リーダーとしての資質や人柄がよく理解されているとは思えなかった。だから、間近で見聞した助役時代の姿や言葉、ムラの記者たちとの関わりなどをまとめた見聞録を記すことにした。

 前村長の時代から流行病が広がって、ムラは混乱が続いている。新村長は言葉足らずな面が露呈して、「指導力不足」と批判されている。助役時代に近くにいた記者として、そうした実像をほとんど伝えてこなかったことには責任を感じる。

 見聞録にはムラの記者たちへの批判も記した。ムラの記者たちを「村の御用聞き」「広報紙」なんて揶揄する人たちもいるけれど、個々の記者を見てみれば「権力の監視」という意識を持っている記者が大半だ。相手の懐に潜り込んで情報をとってくることに長けた記者も多い。問題はそれをどう外に伝えるのかということだと思う。ムラを離れた自分ができなかったことを求めるのはおこがましいが、記者魂をどんどん発揮してほしいと思う。

(秋山 信一)

 「菅義偉とメディア」 定価:1320円(税込) 毎日新聞出版

 【秋山信一記者プロフィール】
 1980年、京都市生まれ。2004年、毎日新聞社入社。岐阜支局、中部本社(愛知県)、外信部、カイロ支局長を経て、2017年に政治部へ。外務省、防衛省を計2年半担当した後、2019年10月から約1年間、菅義偉内閣官房長官の番記者を務めた。2020年10月に外信部に配属。

2021年1月14日

あれから45年、作家、真山仁さんがノンフィクション大著『ロッキード』刊行

 590ページにのぼる大著『ロッキード』が文藝春秋社から1月10日、出版された。週刊文春に「なぜ角栄は葬られたのか?」のサブタイトルで2018年5月から2019年11月まで連載された作品に大幅加筆修正した、との触れ込み。毎日新聞関係者も随所に登場、毎日同人の出版物が引用されて、改めて、いまなぜロッキードか、と考えさせられる。

 著者は1976年2月5日に、米上院外交委員会多国籍企業小委員会でロッキード社が航空機売込みのため巨額の工作資金を日本などの政治家や秘密代理人に贈っていたとの元社長の証言が明らかにされ、日本を直撃した瞬間から、今も残る謎や疑問を追いかけて大作を仕上げている。著者の視点は、21億円が支払われた秘密代理人、児玉誉士夫が暗躍したといわれるP3Cなど軍用機売込みの謎が捜査の対象とならず、全日空のトライスター導入に事件が矮小化されたのは何故か、田中角栄元首相を有罪とした司法の判断・手続きは適正だったか、といった問題意識を基に、考えられる限り元裁判官や弁護士、元特捜検事や政治家ら関係者に取材して、証言や記録を精力的に綴っている。捜査の主任検事だった吉永祐介さん(後に検事総長)の個性が、ありありと浮かぶ。

 こうした取材の過程で、社会部の『毎日新聞ロッキード取材全行動』(講談社)、『児玉番日記』(毎日新聞社)、『構造汚職 ロッキード疑獄の人間模様』(国際商業出版)や政治部の『日本を震撼させた200日』(毎日新聞社)、『政変』(角川書店)、『黒幕 児玉誉士夫』(エール出版)、『角栄のお庭番 朝賀昭』(中澤雄大著、講談社)、『田中角栄と中曾根康弘 戦後保守が裁く安倍政治』(早野透、松田喬和著、毎日新聞出版)などが引用され、参考文献として記載されている。山本祐司元社会部長の『特捜検察』(角川書店)、西山太吉著『記者と国家 西山太吉の遺言』も引用文献にあげられた。拙著『陽気なピエロたち―田中角栄幻想の現場検証』(社会思想社)も取り上げられている。毎日新聞の取材協力者として、西山さんのほか松田喬和さん、板垣雅夫さんの名前もある。

 昨年出版された「ロッキード疑獄 角栄ヲ葬リ巨悪ヲ逃ス」(春名幹男、株式会社KADOKAWA)が米国の公文書館などに残された記録を主な材料に事件の「謎」に迫ったのに対し、このノンフィクションは人間の取材に力点を置いた成果だ。その推論や論法に全面的に同意するものではないが、ロッキード事件が現役の新聞記者も詳しくは知らない事件となった現在、改めて焦点を当ててくれたことには感謝したい。

 私が真山さんの取材を受けたのは、2017年10月と本文に記されている。事件発覚当日の2月5日の状況などが再現され、当時「30歳」と表現されているのだが、75歳のいまも昨日のことのように記憶が蘇る。

(高尾 義彦)

2021年1月6日

復刊!江成常夫著『シャオハイの満洲』

 シャオハイは中国語で子どもを意味する。

 旧満州(中国東北部)では、敗戦で多くの日本人の子どもたちが取り残された。中国人の養父母に育てられたが、敗戦のとき何歳だったのか、日本の父母の名前、自分の日本名もわからない。残留孤児である。

 写真家・江成常夫さんは、5年にわたって現地で撮影取材、その人たちの写真とプロフィールを紹介した。

 単行本は集英社から1984年10月に発行され、1985年第4回土門拳賞に輝いた。

 その後、1988年7月に新潮文庫で再刊された。

 今回、論創社から復刊されたのである。

四六判356ページ。定価:2400円+税。
ISBN: 978-4-8460-1988-4

 江成さんは1962年毎日新聞社入社。64年の東京オリンピック、71年の沖縄返還協定調印などの取材に携わる。74年に退職し、フリーに。戦後、駐留していた米兵と結婚し渡米した「戦争花嫁」を撮影取材。以後一貫して「戦争の昭和」に翻弄された人たちの声を写真で代弁し、日本人の歴史認識を問い続ける。

 『花嫁のアメリカ』(講談社)は木村伊兵衛写真賞を受賞した。

 写真集に『花嫁のアメリカ 歳月の風景』(集英社)、『生と死の時』(平凡社)、『鬼哭の島』(朝日新聞出版)、『被爆 ヒロシマ・ナガサキ いのちの証』(小学館)など多数。

 1936年神奈川県相模原市生まれ。九州産業大学名誉教授。

(堤  哲)

2020年12月24日

越川健一郎元社長が綴る『わたしのナゴヤキャッスル物語』

 名古屋市の出版社「風媒社」から『わたしのナゴヤキャッスル物語』という本を令和2(2020)年12月末、出しました。

 34年間勤務した毎日新聞社から子会社の一つで、ホテルを運営する株式会社「ナゴヤキャッスル」に転身したのが平成24(2012)年春。代表取締役社長として6年、代表取締役相談役と非常勤相談役をそれぞれ1年。この8年間に、名古屋城を借景に見立てたホテルナゴヤキャッスル(前ウエスティンナゴヤキャッスル)を拠点に繰り広げられた人間模様を元ブンヤの眼で描いたノンフィクションです。

 異次元のホテル経営者の人事案を当時の朝比奈豊・毎日新聞社代表取締役社長より示された時、精神的な肉離れ、腸ねん転を起こし、甲府支局長時代以来2回目の帯状疱疹を発症。極楽とんぼの私でも相当なストレスを感じて別天地に飛び込んだのです。

 しかし、いざ働き始めてみると「伝える」「記録する」ことを使命とする新聞記者とは違う「おもてなし」の現場に身を置く「謙虚さを持った誇り高き集団」の仲間入りをしたことに非常な喜びを感じることになります。

 赴任直後、ホテルの1階ロビーに設えられていた七夕飾りに「亭主が早く死にますように!」と赤字で書かれた短冊が見つかりました。そして同じような「けしからん内容の短冊」が再び見つからないかどうか、客がいなくなった夜間、脚立に乗りながら点検するスタッフの姿に目がしらが熱くなったものです。

 「歴史を最初にデッサンする」新聞記者で言えば、世間を震撼させる事件・事故で大スクープをものにした時、取材源の秘匿を守るのは最低限の作法です。「ネタ元のことは墓場まで持っていく」なんて言い方をしますよね。

 実はホテルでもスタッフと顧客との関係は似たようなところがあって、秘密は共有して他言しないからこそ信頼関係が生まれ、リピーターになってくれるのです。日本を代表するビッグビジネスの大きなパーティーをナゴヤドームで行い、億単位の利益を上げる舞台裏は「書かないでくださいね」と言われました。在職中、宴会途中に爆弾を仕掛けるという予告があり、愛知県警へ警備要請をしたことも幾度となくあります。

 ホテルナゴヤキャッスルは令和2(2020)年9月末で閉館。現在の親会社である興和株式会社の主導で解体、建て替えが進められ、4年後にグランドリニューアルオープンする予定です。また、名古屋駅前にあるキャッスルプラザも明治安田生命との定期賃貸借契約が令和3(2021)年初めに満了となり、閉館します。

 そのような時期に合わせ、ナゴヤキャッスルを愛し、育ててくれた地元名古屋の方々に表玄関からは決してうかがい知ることのできないホテルの「舞台裏」のエピソードを伝えたい。正社員やAS(アシストスタッフ)が、それぞれ新たな職場、道を求めていくことを考えた時、先輩から引き継いだキャッスル・スピリット、遺伝子を心に刻み込んで強く生きていってもらいたい、と思って筆をとりました。

 興味のある方はネットからも予約できますので、ご一読願えれば幸いです。

 「毎友会」のHPに拙著の紹介の場を提供してくれた敬愛する高尾義彦先輩にも感謝の言葉を差し上げたいと存じます。

(追伸)

 本書12ページにある「ラインホルド・ニーバー」は「英国の詩人」ではなく「米国の神学者」の誤りです。勉強不足、点検不足のなせる業です。お詫びして訂正します。

(元株式会社ナゴヤキャッスル代表取締役社長、越川健一郎)

風媒社 http://www.fubaisha.com/

『わたしのナゴヤキャッスル物語』 1,600円+税

2020年12月18日

『我慢できない 許せない』 元印刷部長‣山野井孝有さんが自費出版

 元東京本社印刷部長・山野井孝有さん(88歳)が『我慢できない 許せない』と題した意見集を自費出版した。“老いてますます”の気概が溢れている。

 毎日新聞労組で、ガンガン闘っていた時、山野井さんは口角泡を飛ばして喋り捲ると同時に、ニュース原稿などもよく書いていた。自他ともに認める記憶力の良さと速記を習った経験と、社会部出身の毎日新聞労組委員長の増田滋さんから「山野井君は話がうまいから、話した通りに書けば読みやすい文章になる」と激励されたこともあって、書くのは結構早かった。ただ江戸っ子なので、話すと「ひ」と「し」が区別できない。山野井さんは「そんなこと書くなよ」と言うかもしれないが、人間は誰しも自分の弱点は隠したいもの。しかし山野井さんは弱点を理由に怖じけるのではなく、伝えたい思いを徹底して優先して貫いている。議事規則改正問題で大騒動になった志道執行部時代、書記長の山野井さんと一緒に組織部長をしていた大住広人さんは、「山おやじ」と言いながらも今なお山野井さんの生き方を評価している。

 山野井さんのこれまでの人生の軌跡は、1932年の誕生から1952年の青年期までが20年。1953年から1987年の毎日新聞時代が34年。そして1987年から現在までの33年と、大きく分けて3つになる。第1期は、誕生から12歳でゼロ戦部品製造に動員され、東京大空襲の残酷に出会って「この敵必ず討つ」とグライダー特攻に志願。戦後は14歳で労働組合結成に参加した時期。第2期は、「労働組合活動はしない」と言って入社した毎日新聞ではユニオンショップで組合員になるやいなや、すぐに活動を開始し、労働組合運動の延長線上で印刷部長となって定年退職した期間。そして第3期は、定年退職後から現在まで。本書は、その第3期に書いたものをまとめたものだ。人間、「終わり良ければすべて良し」「棺を蓋いて事定まる」と言う。これは、晩年の生き方が大切だということを意味している。青年時代の行動や考えを「若気の至り」とか言ってごまかし、現在の立場を正当化する人もいるが、山野井さんの人生には、それは微塵もない。正直一直線だ。

 山野井さんは5年前の2015年11月、83歳の時に最愛の孝子さんに先立たれた。そして5年が経った。「一人で生活するということは本当に大変だよ」の愚痴を電話やメールで何度も聞く。今年になると「88歳だよ。あと一年はもたないかもしれないなあ……」と口にするようになった。

 しかし、その一方、社会の不義不正、戦争の道へと暴走する政治に対する怒りは、身体の衰えと反比例するように燃え盛るばかりだ。山野井さんの人生からは、サムエル・ウルマンの詩「年を重ねただけで 人は老いない 理想を失うとき はじめて老いる」と、渥美清・風天の名句「お遍路が一列に行く虹の中」が浮かんでくる。

 「働く者が主人公の社会を!」との理想の虹に向かって一直線に歩いてゆく山野井さんの後ろ姿が見えるようだ。山野井さんの闘い続けた人生に〝乾杯!

(福島 清)

2020年12月4日

『競輪という世界』 (共著) 堤哲さんが意外な(?!)新刊

 競輪、ケイリン、KEIRIN。それぞれに意味が異なる世界が、歴史や人間物語を含めて、この1冊ですっきりと頭に入る。ちなみに競輪は、日本各地で展開される公営ギャンブルとしての意味、ケイリンは東京五輪にも種目登録されているスポーツで、海外ではKEIRINとして通用する、日本語由来の国際的なスポーツ用語だ。

 新聞記者初任地の静岡で、競輪好きの先輩に連れられて競輪場を初めて体験し、金網越しに疾走する選手たちを見た。その後は、先輩ほど競輪の世界に引きこまれることはなく、今回、堤哲さんからこの新刊書をいただかなければ、無縁のままで通り過ぎた世界かもしれない。

 世界選手権10連勝の偉業を刻んだ競輪界のレジェンド、中野浩一選手をはじめ歴代のスター選手たちのインタビューや育成過程のレポート、いま脚光を浴びているガールズケイリンのヒロインたち、美濃部都知事時代にピリオドを打った後楽園競輪など各地の競輪場の栄枯盛衰……。競輪の世界に大きく裾野を広げてくれる読み物になっている。

 東京五輪では、日本人のメダル獲得が十分期待できるという。新型ウイルス感染拡大で、今年は各地の競輪で開催中止が相次いだが、その後、インターネットで車券が買えるようになって人気が回復している現象は、競馬界にも共通する新たな時代を象徴する。

 堤さんがなぜ専門外と思われる分野の新書執筆に関わったか、「終わりに」で、その〝秘密〟が明かされる。公益財団法人JKAの前身である日本自転車振興会の会長に元NHKアナウンサー、下重暁子さんが就任した際、広報誌『ぺだる』が創刊され、堤さんが「競輪事始」の連載を担当したのが縁、という。同期でJKA2代会長石黒克己さんも登場し、補助事業による公益増進、社会貢献の意義を強調している。

 堤さん以外の著者は、朝日新聞の名物記者だった轡田隆史さん、元朝日新聞記者の藤原勇彦さん、それにノンフィクション・ライター、小堀隆司さん。轡田さんが担当した「競輪文学散歩」で、かの夏目漱石が英国留学中にノイローゼになって、その治療のため自転車に乗って身体を動かした、というエピソードが紹介されていた。我が身を振り返って、競輪のようなスピードは出さないが、佃の自宅から銀座や皇居周辺など自転車で駆け回っている体験から、自転車に対する関心を高めてくれるこの新書に感謝したい。

(高尾 義彦)

 『競輪という世界』文春新書 本体900円+税

2020年12月3日

元司法記者、飯島一孝さんが新刊 『裁判官になるには』

 人気の職業への道を紹介するぺりかん社の「なるにはBOOKS」シリーズから『裁判官になるには』が出版されました。中高生向けの入門書ですが、現役の裁判官や書記官のナマの声が数多く掲載されていて、現代のリアルな裁判所を浮き彫りに出来たと自負しています。

 筆者は1990年代に東京社会部の司法記者クラブ員としてロッキード事件の裁判などを担当しましたが、当時と比べ裁判所の雰囲気がガラッと変わっていて驚きました。

 最大の変化は、この本のカバーに女性裁判官が描かれているように、女性の進出です。数字で表すと、2005年には女性裁判官の割合は全体の16・5%だったのですが、2019年には26・7%に増えています。大雑把にいうと、女性の割合がおよそ15年間に6人に1人から4人に1人に増えているのです。

 裁判官になるには、文系で最難関と言われる司法試験に合格しなければなりませんが、その試験も相次ぐ改革で門戸が広がり、合格率がグンとアップしています。以前のように、何年も浪人を続ける人は大幅に減っています。

 また、裁判所といえば役所の中でも最も堅いと言われていましたが、著者が担当していた頃に比べてソフトになったなと感じました。裁判所の取材は主に最高裁事務総局広報課の現役裁判官が対応してくれましたが、とてもオープンで、本の文章表現についても、それほど細かくチェックされませんでした。

 以上のような雰囲気を出来るだけ本の中身に反映させようと努めたので、中高生にとどまらず、一般の方にも興味深く読んでいただけると思います。

 「なるにはBOOKS」のシリーズでは、すでに『検察官になるには』が今年5月に出版され、好評発売中です。2冊合わせて読んでいただければ、現在の司法の状況が理解していただけると思います。書店などで本を見かけましたら、手にとって読んでいただければ幸いです。

(ぺりかん社、1500円+税)

(飯島一孝=元東京本社社会部員、元モスクワ支局長)

2020年11月18日

『安倍・菅政権vs.検察庁 暗闘のクロニクル』  毎日・朝日で検察記者一筋の村山治さんが新著

 社会部・司法記者クラブで一緒に仕事をした後輩の村山治さんが、その記者人生を注ぎこんだタイムリーな一冊を上梓した。毎日新聞から朝日新聞に移ったことは残念だったが、検察記者一筋の生き方には敬意を表したい。

 安倍内閣が今年1月末に、黒川弘務東京高検検事長の定年(勤務期間)を違法に延長し、検察庁法改正を目指した問題が、有権者や元特捜検事らの激しい反発を受けた。この〝事件〟の真相と、安倍・菅コンビの意図は何だったのか。著書は、取材メモをもとに、内閣官僚と検察官僚の熾烈な暗闘を綿密に検証し、政府と検察のあるべき姿を考える材料を提供してくれている。

 すでに触れられていることだが、今回の検察の危機は2016年の検察首脳人事が大きな分岐点になったことが、元検察首脳らの肉声で語られる。法務事務次官だった稲田伸夫が、次の次の検事総長に就任することを前提に、検察首脳人事案を練り上げた際、法務・検察の意向は、林真琴刑事局長を検事総長へのルートに乗せるため次官への昇格を優先、同期だが政界寄りと見られていた官房長の黒川は地方の高検検事長に転出させる、というものだった。ところが菅義偉官房長官サイドにこの人事案を拒否され、黒川を法務次官にせざるを得なかった。この時の法務・検察と官邸の確執が4年後に、より露骨な形であからさまになる。

 著書は検察の歴史にも遡り、造船疑獄当時の指揮権発動や思想検察と経済検察の争いなども含めて、法務・検察の世界に詳しくない読者にも理解できるように、丁寧に説明している。今回の騒動が、第一義的には、安倍・菅政権が長期政権のおごりから、法律解釈まで勝手に捻じ曲げて民主主義、三権分立を踏みにじろうとしたことに起因すると批判していることは当然だが、一方であるべき検察首脳人事を組み立てるべき法務・検察サイドに、政治の介入を許す隙があったのではないかと指摘しているところに、興味を覚えた。

 私自身が検察の現場を取材した当時は、ロッキード事件で田中角栄元首相を逮捕した1976年を頂点に、検察が国民の信頼と期待に支えられていた。しかしその後の検察は証拠捏造などの不祥事が相次ぎ、国民の信頼が揺らぐとともに、政界の腐敗に切り込む検察の迫力も衰えを見せた時代を経験している。

 著者は永年の取材の積み重ねと豊富な人脈を大事にして、国民の目には見えにくい世界を解きほぐしてゆく。現役の記者にとっても、大切な取材姿勢を感じさせる。

 ロッキード事件当時の記者として、最近、出版された「ロッキード疑獄 角栄ヲ葬リ巨悪ヲ逃ス」(春名幹男、株式会社KADOKAWA)にも触れておきたい。元共同通信記者が書いたこの本では、山本祐司・元社会部長の著書『毎日新聞社会部』などの引用も見られるが、米国の公文書館で公開されている文書を丹念に渉猟し、なぜ、巨悪が逃れたのか、というテーマを追求している。

 日本の捜査機関に田中元首相の名前が入った秘密資料が提供された裏には、「角栄嫌い」のキッシンジャー元国務長官の意向が働いたと著者は示唆する。ところが、ロッキード社秘密代理人、児玉誉士夫に連なる軍用機売込みの闇は、戦後一貫して巨額の黒い資金が流れたにもかかわらず、巧みに隠されてきた。情報公開先進国の米国も、この領域では巧妙に秘密指定を解除せず、米国の国益や米国にとって好ましい日本の政権を温存してきた、と読み取れる内容になっていて、興味深い。

 定価1,760円(本体1,600円) 文藝春秋刊

【著者プロフィール=同書から】

 村山治(むらやま おさむ) 1950年徳島県生まれ。73年に早稲田大学卒業後、毎日新聞を経て、91年に朝日新聞入社。東京佐川急便事件(92年)、金丸脱税事件(93年)、大蔵省接待汚職事件(98年)、KSD事件(2000、01年)、日本歯科医師連盟の政治献金事件(04年)など大型経済事件の報道にかかわる。17年11月、フリーランスに。著書に『市場検察』(文藝春秋)、『小沢一郎vs.特捜検察 20年戦争』(朝日新聞出版)、共著に『田中角栄を逮捕した男 吉永祐介と 特捜検察「栄光」の裏側』(朝日新聞出版)など。

(高尾 義彦)

 『安倍・菅政権VS検察庁 暗闘のクロニクル』が2020年12月5日の毎日新聞「今週の本棚」に取り上げられ、中島岳志・東京工業大学教授(政治学)が書評を書いています。

2020年11月12日

元西部本社学芸部記者、米本浩二さんの新刊 『魂の邂逅 石牟礼道子と渡辺京二』

 この本では、「石牟礼道子」と「邂逅」について考察しました。辞書によると「邂逅」とは「思いがけなく会うこと。めぐりあい」という意味です。

 石牟礼道子は何と邂逅してきたか。熊本県の天草に生まれ、慈愛にみちたやさしい両親と邂逅しています。それなのに道子はこの世がいやでいやでたまりません。思春期の道子は呪詛のような文句をノートに書き散らします。文字との邂逅です。次に短歌との邂逅がありました。代用教員をしながら短歌に生の希望を見出します。

 以後の主な邂逅を列挙してみましょう。

 熊本の短歌会での志賀狂太との邂逅。
 異性として意識したひとつ下の弟一の死。
 サークル村での森崎和江、上野英信との邂逅。聞き書きに目覚める。
 女性史研究の高群逸枝、その夫、橋本憲三との邂逅。女性の苦難の歴史に思いをはせる。
 渡辺京二との邂逅。ともに水俣病闘争に参加。文学・思想的同志となる。

 その後、渡辺は道子と半世紀以上、行動を共にし、道子作品の成就に全身全霊で尽くします。道子の生涯で一番大きな出来事は渡辺京二との出会いです。渡辺にとっても道子との出会いは生涯を左右する出来事でした。ふたりはどうやって魂の邂逅を果たしたのか。本書では1969年春をクローズアップし、ふたりの交わした言葉をたどっています。

(新潮社、税込み1,980円)

(米本浩二=元毎日新聞学芸部記者)

※米本浩二さんは1961年、徳島県生まれ。毎日新聞学芸部記者を経て著述業。石牟礼道子資料保存会研究員。著書に『みぞれふる空――脊髄小脳変性症と家族の2000日』(文藝春秋)、『評伝 石牟礼道子――渚に立つひと』(新潮社、第69回読売文学賞評論・伝記賞)、『不知火のほとりで――石牟礼道子終焉記』(毎日新聞出版)。今回の出版は、文芸誌「新潮」に「石牟礼道子と渡辺京二 不器用な魂の邂逅」として連載された。福岡市在住。

2020年11月12日

毎日新聞が開発した「記者トレ」が本になった!

 毎日新聞社が開発した教育プログラム「記者トレ―伝える力育てます―」を分かりやすく解説した『新聞記者に学ぶ 観る力、聴く力、伝える力—記者トレ』が出版された。

 相手と目線を合わせる▽取材相手の発言を本人に要約して返す▽具体的に書く▽一文を短くする――など、記者のスキルを45の「必勝パターン」に分解して解説。その実践編として、実際に記事を書いたり、見出しつけたりする。プロが実践している「伝える」ための技法を、誰もが活用できる形でまとめたのが特徴だ。

 監修にあたった東京理科大の井藤元・准教授は「この本には上手な文章を書くためのノウハウが記されているのではなく、必要な情報を取捨選択しつつ、現実を捉える力を育むためのヒントが描き出されている。予測不能な現代社会を生きる全ての人に手にとっていただきたい」と話している。

 日本能率協会マネジメントセンター刊、1650円(税込)

2020年11月10日

元学芸部長、奥武則さんが新刊 『感染症と民衆』

 ご本人のブログ「新・ときたま日記」(11月7日)から転載

 『感染症と民衆――明治日本のコレラ体験』(平凡社新書)の見本が届いた。発売は今月16日らしい。

 奧付までいれて200ページ。かなり薄手の新書になった。著者本人としては、それなりに書きたいこと、書くべきことは書ききったつもりである。もっとも加齢に伴う持続力の低下を感じないわけではなかったが……。

 「あとがき」に、こんなことを書いた。

 新型インフルエンザ等対策特別措置改正法による新型コロナウイルス感染症に対する「緊急事態宣言」が発令されたのは、二〇二〇年四月七日だった。列島にコロナ禍というべき状況が広がった。

 「外出自粛」で盛り場から人が消え、さまざまなイベントが中止に追い込まれた。正直、私の楽観的な予想をはるかに超える展開だった。そんななかで本書の構想が生まれた。ずいぶん前に書いた「近代日本における疫病と民衆」という短い論文を思い出したのである。この小論は、当時特別研究員として籍を置いていた早稲田大学社会科学研究所の紀要『社会科学討究』に掲載してもらった。他のいくつかの小論と合わせて、『文明開化と民衆――近代日本精神史断章』と題した小著として刊行した。

 以上は、本書の「はじめに」にも記したことだが、この小著は、私にとって日本近代史にかかわる最初の著書だった。論文執筆が一九九一年、著書刊行が一九九三年だから、すでに三十年近い月日が過ぎている。むろん、論文のことも著書のことも忘れたわけではなかったが、コロナ禍に直面するまで、明治期のコレラのことを本書のようなかたちで刊行することなどまったく考えていなかった。

 以下、私的な「昔話」をお許しいただく。私は大学卒業後、新聞社に入り、三十三年間在籍して、大学教師に転じた。新聞社では、ほぼ「記者」として過ごした。最後は、一面コラム「余録」を執筆するという僥倖にも恵まれた。新聞記者はむろん、自分で選択した職業であり、基本的には充実した記者生活を全うできたことに満足している。

 だが、子どものころから「研究者」への漠然とした憧れもあった。高校生のころには、「歴史学者」になりたいと思うようになった。大学に進み、藤原保信先生のもとで政治思想史を学んだ。研究者へ進む道もあったのだが、結局、私はそれを捨てて、新聞社を選んだ。

 ジョン・ロックやトーマス・ホッブズといった西洋の政治思想以上に、当時の私が大きなインパクトを受けたのは、色川大吉氏の民衆史・民衆思想史研究だった。大学のたぶん三年生のときだったと思う、大学で色川氏の講演会があった。色川氏の研究チームが「五日市憲法」の名で知られることになる憲法草案を、東京・五日市の深沢家の朽ちかけた蔵から発見して間もない時期だった。「五日市憲法」の画期的な内容と、それを生み出した学習組織の模様を語る若々しい色川氏の熱弁は、新しい歴史研究の領域として近代日本の民衆史・民衆思想史が持つ魅力を私の頭に刻み込んだ。

 色川氏の黄河書房版の『明治精神史』を買ったのは、いまはなき文献堂という古書店だった。やがて、この本をはじめとした色川氏の著作、そして後には、安丸良夫氏の『日本の近代化と民衆思想』などの著作、鹿野政直氏の『資本主義形成期の秩序意識』などの著作が私の書棚に並んだ(新聞記者として日々を送りながら、いつかはこうした分野の著作をものしたいと思っていたような気もする)。

 新聞社を早期退職して大学教師に転じるきっかけは、「ジャーナリズムの歴史と思想」という授業を主担当とする教員の公募だった。「ジャーナリズム」はともかく、「歴史と思想」の部分に引かれて、応募したところ、幸い採用された。私の新聞記者としての履歴も考慮されたのだろう。先に記した「日本近代史処女作」の後、いくつか著作を刊行できたのだが、この担当授業の関係もあって、この「処女作」の後は、「ジャーナリズム」にかかわるものが多くなった。

 こうした私の「研究歴」(こんな大げさな言葉を使うのはいささか恥ずかしいが)に即してみると、本書は私にとって、数十年ぶりに出発点に立ち戻った思いがする。

 むろん、この間、多くの民衆史・民衆思想史分野の仕事に接して来た。以前に書いた論文の問題意識そのままに本書を書いたわけでもない。この間、困民党研究会、それに続く近代民衆史研究会での稲田雅洋氏をはじめとする方々との交流は、私の問題意識を常に鍛えてくれた。とりわけ、コレラ騒動については、困民党研究会以来の長い友人である杉山弘氏に感謝しなければならない。本文で何度も参照した杉山弘氏の先駆的業績がなければ、本書はこうしたかたちで書けなかっただろう。

 コロナ禍はいうまでもなく世界的な災厄だが、本書の執筆に当たって直面した私的コロナ禍にはいささか苦労した(私は幸い、いまのところ、ウイルスに感染してはいないようだから、とうてい「文句」は言えないのだが)。

 大学を退職する際、かなりの量の本を整理した。研究室にあった本と自宅にあった本を十分に吟味する余裕もないままに処理したせいか、残しておいたと思う本がなかったり、どこに置いたか分からないままの本があったりした。図書館が頼りとなる。当然、新聞資料や関連論文の収集にも図書館は不可欠である。ところが、国立国会図書館は閉鎖され、開館された後も事前申し込みによる抽選で当選しないと入館できなかった。法政大学図書館は比較的早く利用できるようになったのだが、けっこう頼りにしてきた早稲田大学図書館は私のような一介の卒業生には利用できなかった。コロナ禍のなか、大学も通常のかたちの授業ができないままのようだが、各種の研究会などもオンラインで行っている。オンラインは便利な面もあるが、研究会後の懇親会は開けない。こうした場での交流が楽しみな私のような人間には、オンライン研究会はまことに味気ない。

 さて、この手のことはいつも最後になってしまうのだが、本書の刊行に際して直接お世話になった平凡社の金澤智之氏に感謝したい。本書の執筆を思い立ち、金澤氏に企画書(めいたもの)をメールで送ったのは、六月末だった。企画の採否を待ちつつ、七月から執筆を始めた。前述のような私的コロナ禍を別にすれば、比較的順調に書き進めることができた。金澤氏には、進行に合わせて適切な対応をしていただいた。思えば、氏に平凡社新書を出していただくのは、本書で三冊目である。ありがたいことだ。

 「こんな時代もあったね」と話せる日がいつか来ると思いたい。その日が来たとき、コロナ禍の時代に書いた本書が私にとって、懐かしい思い出になることを願いつつ。

【ブログ掲載のプロフィール】
ジャーナリズム史研究者。新聞社に33年。2003年4月―2017年3月、法政大学社会学部・大学院社会学研究科教授。「ジャーナリズムの歴史と思想」などを担当。法政大学名誉教授。毎日新聞客員編集委員。

2020年10月29日

藤原章生記者の 『新版 絵はがきにされた少年』

 2005年に第3回開高健ノンフィクション賞を受賞した作品の新版。

 出版社のHPによると、内戦中のスーダンで撮影した「ハゲワシと少女」でピュリッツァー賞を受賞、その直後に自殺したカメラマン。

 ルワンダ大虐殺を生き延びた老人の孤独。アパルトヘイトの終わりを告げる暴動。紛争の資金源となるダイヤモンド取引の闇商人……。

 新聞社の特派員として取材を続ける中で、著者は先入観を崩され、アフリカに生きる人々、賢者たちに魅せられていく。

 アフリカ―遠い地平の人々が語る11の物語。

 悲惨さの脇に普通の人々の日常がある。

 悲惨な風景の中でさえ、目を凝らせば、人の幸福を考えさせる瞬間がある。―本文より

 2020年10月28日発売! 柏艪舎刊、定価:1870円(税込み)
 ISBN:978-4-434-28068-9 C0095

【柏艪舎からの案内】
https://tinyurl.com/y2d9rdfp ← Ctrlキーを押してクリックすれば、書籍案内、著者略歴などのほか、You Tubeで本人が新版出版について語る肉声が聞ける画面になります。
本書特設ページで試し読みもできます。
著者コメント動画やコラム、写真もお楽しみいただけます。
イベント情報も掲載しておりますので、ぜひご覧ください。

【トークイベント申込受付中】
毎日メディアカフェで藤原章生さんが登壇!
11/13(金)18時半 毎日新聞東京本社1階  定員25名
詳細・お申込みは https://tinyurl.com/y3mkk5jf

2020年10月14日

『盗まれたエジプト文明 ナイル5000年の墓泥棒』 ― 外信部・篠田航一さんの新刊が日本記者クラブ会報「マイブック」などに

《話題の新刊 (週刊朝日)》
『盗まれたエジプト文明 ナイル5000年の墓泥棒』 篠田航一著

 毎日新聞の特派員としてカイロに滞在した経験から、一歴史ファンの目でエジプト史を概観しようとして、行き着いたテーマが「盗掘」だったという著者。「エジプト史は盗掘の歴史でもある」というその弁に違わず、紀元前の時代からこの地は、ありとあらゆる略奪にさらされてきた。

 ピラミッドがあれば、「ここに財宝がある」と宣伝しているようなものだし、目立たないところに移しても、王家の墓は必ず暴かれてしまう。ナポレオンのように、国家的事業として大規模な略奪を行った人物もいる。ただ、相次ぐ盗掘こそが、埋もれていた古代文明の粋に光を当てたという一面もある。

 IS等のテロ組織が古代遺跡からの盗掘品を資金源にしているなど、盗掘は現在進行形のできごとでもある。かくまで長きにわたって盗まれつづけるエジプト文明への敬意を禁じ得ない。(平山瑞穂)

 「週刊朝日」2020年10月16日号

 【篠田航一さん】1973年東京都生まれ。早稲田大学政治経済学部卒業。97年毎日新聞社入社。甲府支局、武蔵野支局を経て東京本社社会部で東京地検特捜部などを担当。ドイツ留学後、2011年から4年間、ベルリン特派員としてドイツの政治・社会情勢を取材。青森支局次長を経て17年からカイロ特派員。著書に『ナチスの財宝』(講談社現代新書)、共著に『独仏「原発」二つの選択』(筑摩選書)がある。

2020年9月7日

小倉孝保著『ロレンスになれなかった男 空手でアラブを制した岡本秀樹の生涯』

 映画「アラビアのロレンス」に憧れ1970年、シリアに向かった岡本秀樹。空手の稽古を通じて、アラブ民族に自立への誇りと現地の活気をもたらしていく。稽古を通じ築いた政官中枢との人脈を生かしエジプト、イラクでビジネスに挑むが、国際情勢に翻弄され計画は暗礁に乗り上げる。すべてを失った男が、たどり着いた場所とは——。

 これは出版社のHPにある紹介だが、9月6日付産経新聞に作家の黒木亮氏が書評を書いている。

 《本書は、アラブ現代史でもある。ぞくりとさせられるのは、岡本がベイルートの道場で、パレスチナの秘密武装組織「ブラック・セプテンバー」の最高幹部、アリ・ハッサン・サラメに稽古をつける場面だ。道場に入る前は必ず部下たちが検分し、サラメや一緒に指導を受ける若者たちが周囲に置くタオルを、ある時めくると、拳銃が現れる。72年の初夏、サラメは「しばらく稽古を休む。元気でいてください」と告げ、間もなく彼らはミュンヘン五輪の選手村でイスラエル人選手ら11人を殺害。7年後、サラメはイスラエルの対外特務機関「モサド」の報復で爆殺された》

《本書は、女癖の悪さや悲喜こもごもの愛憎劇など、岡本の裏の部分も容赦なく描く。しかし、そうした記述によって、読者はアラブ世界の現実を肌で思い知らされるのである》

 《痛快で、強烈で、哀愁漂う一冊だ。読者は、岡本秀樹の人間像に驚きあきれながらも共感を覚え、一度会ってみたかったと思うのではないだろうか》

 小倉氏は1988年入社。カイロ・ニューヨーク両支局長、欧州総局(ロンドン)長、外信部長、編集編成局次長を経て論説委員。2014年、日本人として初めて英国外国特派員協会賞受賞。『柔の恩人 「女子柔道の母」ラスティ・カノコギが夢見た世界』(小学館)で第18回小学館ノンフィクション大賞、第23回ミズノスポーツライター賞最優秀賞をダブル受賞。著書に『空から降ってきた男 アフリカ「奴隷社会」の悲劇』(新潮社)、『100年かけてやる仕事 中世ラテン語の辞書を編む』(プレジデント社)などがある。

 角川書店刊、定価:2,200円+税。 ISBN:9784041091609

2020年8月17日

『特攻と日本軍兵士 大学生から「特殊兵器」搭乗員になった兄弟の証言と伝言』

 毎日新聞客員編集委員広岩近広さんの近著。8月15日付毎日新聞「今週の本棚」で紹介された。

 ——本紙朝刊(大阪本社発行)2018年11月から今年3月まで連載された「昭和の戦争を語る」を大幅に改稿したものである。ともに特攻から生還した兄弟、岩井忠正氏と忠熊氏と、ジャーナリストの広岩近広氏との出会いが、本書に結びついた。

 忠正氏は慶応大から、忠熊氏は京都大から徴集された。人間魚雷「回天」や特攻ボート「震洋」といった「必死の特殊兵器」による非道な訓練を強いられた。聞き役である広岩氏は繰り返し問う。なぜ最高の教育を受けながら「十死零生」の特攻要員となることを受け入れたのか、と。

 長い問答を通して明かされる、拒絶できぬ時代の「空気」。だが、それは一方的に押しつけられたものではない。国民の側にも受け入れる素地があったことが率直に語られる。「備えあれば憂いあり」。忠熊氏の言葉が印象的だ。強大な軍事力という「備え」が、破滅的な戦争という「憂い」をつくりだしたのだ、と。

 集団的自衛権の次は、敵基地攻撃能力が論じられるご時世である。75年前の悲劇から何を学んだのか。改めてその問いが胸を突く。(彦)

 連載は62回に及んだ。広岩さんは1975年入社。大阪社会部やサンデー毎日で主に事件と調査報道に携わり、2005年大阪本社編集局次長として戦後60年企画の原爆報道を担当。その後平和担当の専門編集委員。現在、客員編集委員。

 毎日新聞出版刊、定価:2,000円+税。ISBN:978-4-620-32642-9

2020年8月11日

被爆者の瞳に宿る記憶 長崎原爆テーマの写真集3作目、福岡市の松村さんが出版 にじみ出る悲しみや苦しみ感じて /福岡

長崎原爆をテーマにした3作目の写真集を手にする写真家の松村さん

 毎日新聞2020年8月10日 地方版

 福岡市の写真塾「フォトマッサージ」主宰で、写真家の松村明さん(73)=東区=が長崎原爆をテーマにした写真集「閃光(せんこう)の記憶―被爆75年」(長崎文献社)を出版した。被爆者の瞳に宿る被爆の記憶の表現に挑んだ。

【下原知広】

詳しくは下記URLで
https://mainichi.jp/articles/20200810/ddl/k40/040/256000c

2020年8月6日

『緊急解説!2020年上半期 ニュース丸わかり80 新型コロナで変わる日本』(毎日新聞社)

 ちょっと題名が長いが、2020年上半期に起きた出来事をコンパクトに紹介した新書判の本。毎日新聞に好評連載中の「質問なるほドリ」から80本を選んだ。

 まず新型コロナウイルス問題。武漢ってどんな街?/新型コロナ薬すぐに使える?/お酒、消毒に使える?/なぜ異業種がマスク生産?/コロナで話題の「エクモ」って?/非接触型体温計の仕組みは?/米疾病対策センターって?/ジョンズ・ホプキンズ大って?などなど。

 「東京オリンピック延期問題」、「政治・経済」検察庁法改正案って?/「ムーンショット」どんな研究?など、「社会」延期された「立皇嗣の礼」とは?/国外逃亡の犯罪者、どうなる?/将棋のプロ棋士になるには?など。

 本文192ページ、定価:1,000円(税別)、毎日新聞出版 ISBN:978-4-620-32639-9

2020年7月23日

大治朋子さんが『歪んだ正義』出版

 【大治朋子さんのフェイスブックから】新著「歪んだ正義『普通の人』がなぜ過激化するのか」(毎日新聞出版)を上梓いたします。都内7月30日(木)、全国8月3日(月)発売。私たちの中に潜む攻撃性。「自分は絶対に正しい」と思い込む時、人間の凶暴性が牙をむく。「普通の人」が過激化する過程にはどのようなメカニズムがあるのか。そんな疑問を追いかけた調査報道です。4年余りにおよぶエルサレム特派員生活と2年余りの現地大学院・シンクタンクでの研究生活の集大成としてまとめました。可能な限り論文や書籍を参考文献として具体的に引用し、同じような疑問を抱いた人がこれを土台にさらに調査・研究できるようにと思って取り組みました。これは長年私が個人的に目指してきた「アカデミ・ジャーナリズム」(私の造語です)の実践です。書籍の写真は高橋勝視さん(元出版写真部)撮影。

 http://mainichibooks.com/books/social/post-730.html

2020年7月20日

「閃光の記憶-被爆75年-」写真集出版とクラウドファンディング


 「閃光の記憶-被爆75年- 」松村明写真集(長崎文献社)として7月10日に出版しました。

 妻が被爆2世ということもあり、長崎原爆に関心があり、これまでに「ありふれた長崎」(窓社)、「Evidence NAGSAKI-爆心1Km(冬青社)と原爆にまつわる写真集を出し、これが締め括りの3冊目です。

 10年前出版の「ありふれた長崎」を撮影の折り、被爆者のお顔にはただならぬ苦労が見えてきました。そのことが気掛かりで3冊目の撮影に駆り立てられた。撮影にあたり、爆心より5キロ以内、その瞬間を体験された方に限らせていただいた。

 被爆の方々は閃光、熱線、爆音、爆風そして放射能という誰も体験のない超常状況下に置かれた。

 爆心より2、3キロの路上で閃光を受けた山田一美さん。ほんの数メートル先にいた人は衣服が燃えたまま走り去った。もちろんこの付近で屋外被爆した人はほぼ亡くなっていった。ところが山田さんは、小山の陰に居たことで一命をとりとめることができた。

 53名のまさに奇跡の人たち。この特異な体験をされた方々のお顔、目から何が見えてくるかを写しとめたいと思った。

 READYFORというクラウドファンディングに、ものは試しとチャレンジしてみました。設定寄付に達成すれば出版費用の補填となりますが、さて、どうなりますか。

https://readyfor.jp/projects/39500

(元カメラ毎日編集部、松村 明=福岡在住)

 長崎文献社のホームページによると、顔写真53人を掲載、生年と被爆当時の年齢、被爆地、爆心地からの距離、被爆の瞬間、その後の記憶、伝えたいメッセージを記録(日英対訳掲載)。 3,630円 (税込)

 目次によると、巻頭序文は高橋眞司さん(哲学者)。

 登場者(掲載順、敬称略)は

・羽田麗子・小峰秀幸・山田一美・清水則雄・山川富佐子
・高谷英二・山口美代子・上田亨・西山進・松本恵美子
・森田博満・木口久・池田松義・築城昭平・草合護・川村幸子
・中島正徳・山川剛・内田伯・峰徹・磯田玲子・深堀譲治・市丸彪
・山脇佳朗・松尾幸子・谷口稜嘩・伊藤芳美・永野悦子・早崎猪之助
・森悦子・下平作江・吉岡泰志・宮川雅一・大倉峰代・山田拓民
・川野浩一・深堀好敏・吉崎幸恵・舛本佳子・大田スズ子・門 隆
・池田道明・桑崎英子・小西勝・城臺美彌子・鈴木一郎・小崎登明
・深堀リン・西村勇夫・中村一俊・田中熙巳・田川博康・深堀繁美

2020年7月7日

出版しました~「朝鮮戦争と『戦後史の穴』」をテーマに

 大阪大学出身の私は、毎日新聞の第一次面接試験を大阪本社で受けた。

 「ほお、阪大ですか。吹田事件を僕は取材しましたよ」。そう言った老練な面接委員の言葉を、奇妙によく覚えている。

 吹田事件とは朝鮮戦争2周年前夜の1952年6月24日、大阪大学待兼山キャンパスに結集したデモ隊が、阪急電車を「人民電車」に仕立てて国鉄吹田操車場に侵入し、米軍物資の朝鮮輸送を阻止しようとした「戦後の三大騒擾事件」の一つである。日本共産党と在日朝鮮人団体による暴力闘争路線そのものだが、「忘却された事件」といってよいだろう。

 私は4月末、『占領と引揚げの肖像 BEPPU1945―1946』を出版した。
版元は西部本社報道部長だった三原浩良氏(故人)が退社後に創設した「弦書房」(福岡市)である。国際温泉都市・別府は戦後の10年間は「被占領都市」であり、引揚者3万人以上が殺到した「引揚者都市」だったという趣旨の本だ。不思議なことに、こういった観点で書かれた別府戦後史は一冊もなかった。

 「朝鮮戦争と別府」について、章を立てて詳述した。

 ソウル特派員を経験した私は、朝鮮戦争が自由主義陣営と共産主義陣営の熾烈な戦争であったことを知っている。別府周辺でも朝鮮戦争当時、民団系と民戦系(北朝鮮系)の激しい闘争があった。拙著では、朝鮮半島に動員されて「戦死」した別府の日本人労働者のことを詳述した。その際、全国的な事件として「吹田事件」に言及し、札幌の白鳥警部射殺事件(共産党員によるテロ)も調べて、記述した。

 さらに地元紙の大分合同新聞を調べて、驚いた。朝鮮戦争当時、大分県内にも数多くの北朝鮮スパイが潜入し、摘発された事件があったのだ。極めつけは耶馬渓で知られる下毛郡下郷村(現在の中津市)元役場書記が、4人の密航者に偽の外国人登録証を発行していた事件だ(1951年3月25日付け記事)。韓国慶尚北道慶州地区の労働委員長だった男が密航スパイ事件の主犯である。

 私は1973年に毎日新聞に入社した。

 山口支局―佐世保支局―西部本社報道部(小倉)を経て、1986年に東京本社外信部に転勤した。九州・山口の事情には詳しいつもりだったが、朝鮮戦争当時の九州には無知であることを思い知らされたのである。

 しかし、毎日新聞の先輩たちは素晴らしい仕事を残していた。

 西部本社の各県版で連載された『激動二十年』(1965)である。大分版には戦後の同県内で起きた朝鮮民族間抗争に関する詳しい記事があり、福岡版には小倉の米兵死体処理場の記事や、日本人「参戦者」へのインタビュー記事も載っていた。1950年10月12日付けの毎日新聞(全国版)は、「韓国義勇軍/悲願の猛訓練/“北鮮軍撃滅”に燃ゆ」との見出しで、大分県日出生台演習場でのルポ記事を掲載していた。これらも併せて拙著では引用し、紹介した。

 朝鮮戦争は古くて新しいテーマである。

 北朝鮮や在日朝鮮人学校では、史実とは真逆の「北侵説」を教えている。韓国では、いつ朝鮮戦争が始まったかも知らない世代が増えた。対北融和政策の背景にある。最近の朝日新聞には、相変わらず「朝鮮戦争の勃発」という曖昧表現が登場した。NHK報道のように「北朝鮮の南侵によって始まった朝鮮戦争」と表記するのが的確である。毎日新聞も日本人参戦の事実を報じたが、昨年夏のNHKドキュメンタリーの域を出ない後追い報道だった。
一連の朝鮮戦争70周年報道には、北朝鮮スパイの浸透が当時の暴力闘争の背景にあり、その後の在日朝鮮人帰還(北送)運動のテコであり、日本人拉致の固定装置(土台)であったとの観点は見られない。歴史の総合的検証としてはまことに不十分である。

 なぜ、地域の戦後史が重要なのか。

 外交史、政治経済史に偏重した東京中心の戦後史では、「個々の住民が体験した戦後」が見えないからだ。その一方、行政史中心の地域戦後史では、「大日本帝国」時代とその後の東アジア規模での人間の大移動が見えない。

 朝鮮戦争は「戦後史の穴」であり、現在に続く「戦後のトリック」を生み出した。

 (鹿児島生まれ―大阪大学)―山口支局―佐世保支局―小倉報道部―ソウル支局―東京本社(―ソウル―大分―東京在住)。そういう私の軌跡は「朝鮮戦争と日本」を描くのにふさわしいと自認しても良いだろう。「吹田事件」も新たな観点から書き直すことになるかもしれない。

(元ソウル支局長・論説委員 下川正晴)

【近著】『忘却の引揚史―泉靖一と二日市保養所』(弦書房、2017)、『日本統治下の朝鮮シネマ群像~戦争と近代の同時代史』(弦書房、2019)、『占領と引揚の肖像BEPPU1945-1956』(弦書房、2020)、『ポン・ジュノ 韓国映画の怪物』(毎日新聞出版、2020年6月)、『私のコリア報道』(Kindle版)

2020年7月6日

藤原健著『終わりなき<いくさ> 沖縄戦を心に刻む』

 7月4日付毎日新聞朝刊「今週の本欄」で紹介された。

 筆者は、1950年岡山県生まれ。74年毎日新聞入社。大阪本社社会部長→同本社編集局長→スポニチ常務→2016年妻の古里沖縄に移住。沖縄大学大学院入学(現代沖縄研究科沖縄・東アジア地域専攻)。琉球新報客員編集委員。

 2018年12月に琉球新報社から『マブイの新聞―「沖縄戦新聞」沖縄戦の記憶と継承ジャーナリズム』を発刊している。

 75回目の沖縄慰霊の日。女子高校生は「平和の詩」の中で、凄惨(せいさん)な地上戦を奇跡的に生き延びて命をつないでくれた「あの時」の「あなた」に感謝し、平和の尊さを訴えた。一方、ある教員団体の調査では「沖縄戦を語る家族や親族がいない」と回答した高校生が今年半数を超えた。継承の重みは年々増している。

 琉球新報客員編集委員を務める著者が連載コラムを軸にし、沖縄戦をどう心に刻み、いかに語り継ぐかを徹底して考え抜く。ゆがんだ歴史修正主義の陰がちらつく中で、苦い過去から得た「民衆知」にこそ真実があるとし、体験者の声に耳を傾け、戦跡を訪ね、記憶を継承する若い記者や教員、子どもたちに希望を託す。

 著者は本土の新聞社を退職後、66歳で沖縄に移住。大学院で学び、沖縄の歴史と現実に自分ごととして関わり直したという。住民の意思を無視し、「国の都合と論理」で米軍基地の移設工事が続く現状に「終わりなき<いくさ>の影が沖縄から消えることはない」と指摘。「気の毒だが、仕方ない」と基地負担を容認する国民の思考放棄の責任にも触れる。沖縄が抱え続ける痛みとどう向き合うのか。誰もが自問させられる。

 (琉球新報社・2200円)

(鵜)

2020年6月19日

75歳の記念に、俳句とコラム『無償の愛をつぶやく Ⅲ』




 私の誕生日は1945年6月19日で、この本のコラムでも触れていますが、アウンサンスーチーさんと同じ日です。日本新聞インキをリタイアした3年前に『無償の愛 Ⅱ』を、そのまた3年前、まだ毎日新聞監査役だった2014年に『無償の愛 Ⅰ』を自費出版し、これが3冊目です。

 いずれも俳句とコラムを合体させたもので、今回は2018年元日から河彦名のツィッターで毎日1句、WEBに掲載してきたものを中心に、1106句を収容しています。ツィッターは140字の制限があり、この範囲内で、俳句の説明というか、日記のような記録を付け加えています。

 コラムは合計30本で、ハワイ・ホノルルで発行されている日本語新聞「日刊サン」に掲載されたものが22本です。1回2,000字以内、昨年6月から月2回、寄稿していましたが、現在は月1回になっています。それというのも、ハワイもコロナ禍に直撃され、一時は日本からの観光客がゼロになるなど非常事態となって、新聞広告のクライアントも激減、4月から週に2回の発行となったためです。

 コラムはほかに、木戸湊・元主筆が発案して6年前から発行している季刊同人誌『人生八聲』に寄稿したものや、日本記者クラブ会報に掲載してもらった「書いた話 書かなかった話」なども収録しました。新聞記者リタイア後も、書くことにこだわり、楽しませてもらっている日常の報告です。

 無償の愛と ビールの泡に つぶやいて

 元スポニチ社長(元社会部長)、牧内節男さんがWEB上で展開している「銀座一丁目新聞」の銀座俳句道場で褒めていただいた拙句をタイトルに使っています。俳句の出来は、自慢できるレベルではありませんが、俳句を意識することで、人間の心の機微や自然の移り変わりに敏感になったと実感しています。題字は書道クラブの一員としてはお恥ずかしいのですが、自分の筆によるものです。

 後期高齢者の仲間入りをした後も、気分は若くしなやかに、と心がけています。興味がありましたら、この本を手に取っていただき、今後ともお付き合いを、とお願いする次第です。

 ご希望の方には、残部の範囲内で、1部1,000円(送料込み)でお送りします。

  までご連絡ください。

(高尾 義彦)

2020年6月16日

『汚れた桜—「桜を見る会」疑惑に迫った49日』遅まきながら新刊紹介

 毎日新聞出版のHPの惹句にこうある。

 明細書のない前夜祭、黒い友達関係、消された招待者名簿...... 一連の「桜を見る会」疑惑を追った記者たちの記録。

 著者は、毎日新聞「桜を見る会」取材班。政治部、社会部の混成チームかと思ったら、全然違った。

 東京本社編集編成局(かつての編集局)統合デジタル取材センター(2017年4月新設)の江畑佳明、大場伸也、吉井理記の3記者によって2019 年11 月11 日に発足したチームとある。その3日前、11 月8日の参院予算委員会で田村智子議員(共産)がこの問題を初めて取り上げ、「SNS で大きな反響を呼んだことがきっかけだった」と取材チーム発足の経緯を説明している。

 記事の掲載は、毎日新聞本紙ではなく、毎日新聞ニュースサイトである。本紙の紙面では記事のスペースが限定されるが、こちらは国会審議の詳細や、安倍首相の記者会見の模様も裏話を含めて記事のボリュームに制限がない。安倍晋三事務所が出した『桜を見る会』の案内、参加申し込み書、前夜祭・桜を見る会の当日の日程の入ったツアー案などなど、データがそのままアップされる。むろん写真もである。

 「はじめに」にこうある。

 ――本書は世の中を揺るがしたスクープの回顧録ではない。生々しい政界の裏話でもない。ただ、SNSを通じて届く人々の声を背に、桜を見る会で何が起きたのか、そもそも何が問題なのかを、問題が発覚してから2019年最後の野党による政府(注:内閣府)ヒアリング(12月26日)までの49日間、できるだけ分かりやすく伝えようとしてきた記者たちの記録である。

 そして、記者の動きを追っていただくことで、日々SNSに流れてくる断片的なニュースにどういう意味があるのか、理解を深めていただくための書である。2月1日に初版、桜の咲くころには、あっという間に4刷りを記録した。

 執筆者の履歴が載っている。

 江畑佳明。75年寝屋川市生まれ。同志社大大学院修了後、99年入社。山形・千葉支局→大阪社会部→東京社会部→夕刊編集部→秋田支局次長→2018年現職。

 大場伸也。73年横浜市生まれ。早稲田大学大学院修了後、2000年入社。船橋・千葉支局→政治部→東京経済部→長崎支局→西部本社小倉報道部→現職。

 吉井理記。75年東京生まれ。法政大学卒、99年西日本新聞→2004年入社。宇都宮支局→東京社会部→北海道報道部→夕刊編集部→19年現職。

 デスクの日下部聡。筑波大学卒、1993年入社。浦和(現さいたま)支局→サンデー毎日編集部→東京社会部→2018年統合デジタル取材センター副部長。16~17ロイタージャーナリズム研究所客員研究員。著書に『武器としての情報公開』(ちくま新書)。

 中年記者たちの躍動ぶりを味読してください。
 定価:1,200円+税、毎日新聞出版
 ISBN:978-4-620-32619-1

(堤  哲)

2020年6月5日

毎日新聞取材班著『公文書危機 闇に葬られた記録』

 HPによる内容紹介——。

 国がどのように物ごとを決めたのか、政府の政策決定の過程がまったく検証できなくなっている。「森友・加計学園」「桜を見る会」、そして検察庁法改正案……これらに共通して見られるのは、政権による公文書の軽視だ。

 省庁は、表に出せない公文書を請求されると、「私的な文書」にすり替え、捨ててしまう。あるいは捨てたことにする。重要なやりとりをメールで行い、「メールは電話で話すのと同じ」と言って公文書にしない。公開対象の公文書ファイルのタイトルをわざとぼかし、その中身を知られないようにもしていた。

 きわめつきは、官僚にメモすら取らせない、首相や大臣の徹底的な情報統制だ。証拠を隠し、捨てるどころか、そもそも記録を残さないようにしていた。情報開示請求を重ね、官僚が重い口を開く。一歩ずつ真実に近づいてゆく、取材班の記録。

 取材班の代表者は、大場弘行記者。1975年生まれ。 2001年毎日新聞社入社。 阪神支局(兵庫県尼崎市)を振り出しに、 大阪社会部府警担当、 東京社会部検察庁担当、 週刊誌「サンデー毎日」編集部、 特別報道部などを経て、 現在東京社会部記者。 2017年に「公文書クライシス」取材班を発足、 中心的な役割を果たす。

 本書の元となった連載「公文書クライシス」は2019年、 優れたジャーナリズム活動に贈られる第19回「石橋湛山記念早稲田ジャーナリズム大賞」(公共奉仕部門)大賞受賞。

 2020年6月 2日発売
 ISBN:978-4-620-32632-0
 1,500円+税、毎日新聞出版社

2020年5月26日

「夢に住む人 認知症夫婦のふたりごと」(木部克彦著)



 奈良支局や大阪本社整理部に在籍したことのある作家、木部克彦さんが新しい本「夢に住む人 認知症夫婦のふたりごと」を出版しました。2020年5月23日の毎日新聞の書評欄で紹介されました。認知症の両親と自分とのかかわりを書いています。そのことを木部さんが、フェイスブックに投稿しました。木部さんが毎日新聞を退社したのは、28年前だそうです。以下は、フェイスブックの要約です。

(文責・梶川 伸)

◇   ◇

 今日(2020年5月23日)の毎日新聞書評欄に、新刊本「夢に住む人 認知症夫婦のふたりごと」(言視舎)の書評が載りました。版元が毎日の東京本社に送ってくれたのでしょう。

 むろん、誰が書いてくれたのか知るよしもなし。ただ、本をきちんと読んでくれた事がよく分かる的確な書評でした。書いてくれた記者さん、心からお礼を言います。ありがとうございました。

 「縮刷版」という永久保存資料に今さら自分の名前が残るというのも、なんとなく複雑な気分ですなあ。そうそう、新聞の縮刷版って、まだ存在しているんだったっけか。

(=以上、大阪毎友会のHPから)

 木部さんは、1958年群馬県生まれ、1980~92年毎日新聞記者。出版社「あさを社」編集主幹、明和学園短大(前橋市)客員教授、群馬県文化審議会委員。食・料理・地域活性化論・社会福祉論・葬儀論等で取材・執筆。各地のお寺の精進料理研究を続け、「食による健康づくり」を実践。明和学園短大で人間学、地域文化論、食文化史を講義。

 単行本の企画から、自分史・回想録・エッセイ集・句集・歌集・写真集などの個人出版まで幅広く展開。企業オーナー・政治家をはじめ、多くの人たちの「聞き書き」による自分史・回想録を数多く手がけ、「自分史の達人」と評される。

2020年5月24日

瀬川至朗編著『ニュースは「真実」なのか』

 2019年春学期に開講した「石橋湛山記念 早稲田ジャーナリズム大賞」記念講座の講義録である。「本書では、ジャーナリストの方々が多面的かつ徹底した調査・取材で得たファクト群について、それらにどのようにたどり着いたか、生々しい経験や手法が語られる」と、瀬川至朗早大政治経済学術院教授(元毎日新聞記者)が「はじめに」に書いている。

 トップバッターが、毎日新聞・遠藤大志記者(1985年生まれ)。2018年度の新聞協会賞を受賞した「旧優生保護法を問う」。仙台支局時代に「旧法の違憲性をめぐり宮城県の被害女性が史上初の国家賠償を起こす方針であることをスクープして以降、法律の問題点を世に問うキャンペーン報道を展開」した。

 他に「#Me Tooとジャーナリズム」(伊藤詩織)、「日産のカルロス・ゴーン転落劇の取材」(ハンス・グライメル)など。

 あとがきで瀬川さんは書いている。

 選考委員の吉岡忍さん(作家、日本ペンクラブ会長)は、贈呈式の講評において以下のように指摘している。

 いったいジャーナリズムにおける力作とは何でしょうか。

 今回の大賞、奨励賞の作品に共通していることは、記者や制作者自身が「知りたい」「理解したい」「わかりたい」と切実に思ったことをテーマにしている、ということです。そのテーマをしっかり保持しながら取材し、考え、また調べて、作品にしています。(中略)あくまで自分の関心に忠実に、脇目も振らず、まっすぐにテーマに突き進んでいく。これが力作を生む最初の条件です。

 もうひとつ、ジャーナリズムではしばしば「公正・公平・中立」が大事だ、と言われますが、少し乱暴な言い方をすれば、そんなことを言っているうちは取材や思考が足りない、ということです。記者や制作者がほんとうに知りたいと思ったことを取材し、調べ、そこで手にした事実に基づいて考えに考えていけば、だんだんにわかってくるのは究極の事実、これしかないという真実です。そこまでたどり着いたとき、力作が生まれる。

 優れたジャーナリズム作品の特質が、吉岡さんの言葉で端的に語られている。

 早稲田大学出版部、2019年12月刊、1,800円+税

(堤  哲)

2020年5月9日

古森義久著 『新型コロナウイルスが世界を滅ぼす』

 毎日新聞の先輩で産経新聞ワシントン駐在客員特派員・古森義久さん(79歳)から新著が届いた。

 テーマは新型コロナウイルス。相変わらず手が早い。

 書き出しは、《すべては武漢で始まった》。

 集団感染のプロセスを《まず東京で目撃、体験し、その後、まだ感染の圏外だったアメリカの首都ワシントンに移動した。すると、まもなくウイルスは超大国で燎原の火のように広がった》《アメリカで最初の感染者は、1月21日に西海岸のワシントン州で確認された30代のアメリカ人男性だった。仕事で武漢に滞在して、アメリカに戻ったところ、ウイルス感染が判明した》

 一方で中国は、《米軍が武漢にコロナウイルスを持ち込んだ》との情報を流す。2019年10月、武漢で行われた「世界軍人陸上競技大会」にアメリカの軍人170人が参加したからだ。

 感染源をめぐる米中戦争である。

 2020年5月ビジネス社刊、1,400円+税

(堤  哲)

2020年5月8日

原剛著『日本の「原風景」を読む――危機の時代に』

 早稲田環境塾(2008年発足)塾長の原剛さん(82歳、早稲田大学名誉教授、毎日新聞客員編集委員)が『日本の「原風景」を読む――危機の時代に』を出版した。

 海、山、川、野鳥、里山……日本各地の「原風景」を訪ね、価値観の根源を問い直す!

 原さん自らの本の紹介――《「原風景」とは人が挫折した時、そこへ戻って反撃し、立ち直っていく精神的な空間を意味します。

 本書の帯に記された「第4の風景論」とは志賀重昂『日本風景論』、小島鳥水『日本山水論』、上原敬二『日本風景論』を意識したものです。

 それぞれ日清、日露、太平洋戦争時に出版されて国家意識を高め、ベストセラーになりました。これらの風景はいわば戦争文学でした。第4の風景論は早稲田環境塾が指向する自然、人間、文化からなる環境三要素を統合、文化としての「環境日本学」の実体を現場から模索する試みです。この場合、「文化」とは内発的な共感を意味します。

 本書は、私が毎日新聞朝刊に10年間にわたり連載した「新 日本の風景」を「原風景」に焦点を絞り込んで書き改めたものです。ご一読いただけましたら幸いです》

 四六並製 328ページ・カラー口絵8ページ(写真は写真家・佐藤充男氏)
 藤原書店2020年4月刊
 定価 2,700円+税=2,970円

 原さんに申し込むと、著者割引きで購入できる。

 送料とも1冊2,556円、2冊5,122円。

 注文は直接原さんへ(メールアドレス:

 併せて同じ藤原書店発刊の早稲田環境塾(原剛塾長)編
 『高畠学』=2011年5月刊、2,750円(税込)、
 『京都環境学[宗教性とエコロジー]』=2013年3月刊、2,200円(税込)

 の購入も呼びかけている。

(堤  哲)

2020年5月2日

僚友・佐藤哲朗が渾身の一冊を刊行した

 渾身の一冊は『スパイ 関三次郎事件 戦後最北端謀略戦』(河出書房新社、2,500円+税)。帯に「戦後混乱期の宗谷海峡。ソ連の密入国工作員として裁かれた関三次郎は、実はアメリカのCICのスパイであった。死の直前の関が、身を捨てて真相を告発。日米謀略の深層、そして樺太と北海道をつらぬく巨大な闇がここに暴露される」とあり、いささか誇大ながら、一言で紹介すれば、こうなる。読んで損のない面白い本であること間違いない。

 佐藤哲朗は旧・樺太で生まれ、旭川(北海道)で育った。中学校の社会見学で旭川地裁に行き、関三次郎の公判に出くわした。オジロワシのような目が少年の目に焼き付いた。長じて毎日新聞に入り、司法を担当。飛躍を期した1972年の正月早々、関三次郎を有罪に追い込んだ検事と公開の宴で盃を交した。

 検事は検事正になっていて、往年を振り返る。「この事件(関三次郎の事件)には証拠というものが何一つなかった。頼りは本人の供述だけ」と漏らす。これを聞き漏らすわけがない。検事の裏は弁護士で、と、探しあてた。その一人は老弁護士となっていたが、よくぞ来たとばかりに迎えられ、出端で意気投合した。帰り際には「あんた、やるなら持っていけ」と大ダンボールいっぱいの資料を託された。

 中は、ぎゆう詰め。裁判記録をはじめ、ほぼ全ての調書(写し)、当事者、関係者の「証言」がひしめいていた。即むさぼり読んだ、と言えば恰好つくが、そうもいかない。その頃は夕刊、朝刊に追いまくられ、その合間をどう割くか。それに、お宝の壺だとわかっていても、世にいう、釣り上げた魚で締切もない。

 だが、読み進むにつれ、身震いがくる。裁判はどうしようもない生煮えだ。裁判官はお国の検察の意を受けたのだろう、有罪ありきの結審(判決)だけを急ぎ、関三次郎の弁護士は事実関係を棚上げして情状論のみに終始、共犯とされるソ連人被告は起訴状を全面否認したものの、有罪(執行猶予)には服した。ソ連当局が身柄の本国送還を優先したためで、闇から出た事件は、そのまま闇へと戻された。

 ダンボール弁護士は、このソ連人被告担当で、生煮え症候群による消化不良を起こしたのだろう。真実究明の弁護士本能が、一件資料を捨てるに捨てられず、ダンボールを残し続けてきたに違いない。ま、中だるみの話は割愛しておこう。ダンボールの存在は、それ自体が結果としていい自己圧力になった。

 初動後の弛みは、足で超えた。ダンボールによって、事件の全体像が見え、闇に踏み込む切り口も見えている。だが、検事述解のように、物的証拠は全くない。「証言」も裏付けとなると霧中に入る。ならば愚直に踏み込むよりない。佐藤哲朗は、そう覚悟した。

 ダンボールに眠る関係者の全員を起こし、直接会って話を聞く。愚直にできるのは、これだ。「はしがき」で、「取材した関係者は数百人を超え、走行距離は延べ四万キロに及ぶ」と書いているが、これ、それほど誇張はない。本著冒頭3ページにわたって「主な登場人物」80人余を実名で挙げているのが、その証だ。

 実名というのが、凄い。既に死亡していたひとや国外に出て消息のとれなかったひとを除き、少しでも影あれば探し出し、足を運んでいる。当の関三次郎には都合6度会った。中には「本当のことを言うが、生きてる間はばらさんでくれ」というひとも、1人、2人ではなかった。着手から刊行まで48年を要した一半の理由は、ここにもある。

 書きに入ったのは、後期高齢、75を過ぎてから。事実を究め、集めるのも大変だが、書き上げも大変だ。若きのように、馬力で書けとは参らない。歳の功が読み手にわかるように書け、といっている。取材不足も次々痛感、さりとて故人から再度聞けるわけもない。不足は他人の成果から補えと、読んだ本は記憶にあるだけで66冊に及んだ。

 前後して、肺を切り、心臓に管を足し、前立腺を取った。医者の不養生の類で、ずいぶんとひとの命の手助けをしてきた佐藤哲朗だが、己の手当に抜かりがあった。折からあべ一強は一強を重ねている。負けて堪るか。書き上げなければ、48年が無と同じになる、なによりダンボールに申し訳がたたない。愚直にかえって加速へ踏み込んだ。

 書き上げて、買い手がつくまでの1年有半もしんどかった。だが、48年、振り返りみれば、愚直には必ず助っ人がつくもんだ。「あとがき」末尾で吐露の感謝に誇張はない。

 あとは、――直接、本書にあたっていただきたい。直接、本屋に足を運び、手に取っていただき、はたして「帯」のとおりか否か、確認願えれば、著者、望外となる。

(おおすみひろんど)

2020年4月29日

続『プリンストン大学で文学/政治を語る バルガス=リョサ特別講義』

 同志社大学グローバル地域学部准教授・立林良一さんが翻訳した『プリンストン大学で文学/政治を語る バルガス=リョサ特別講義』を新刊紹介(2020年2月9日)で掲載した。

 立林さんからお礼の手紙が届いた。朝日新聞に掲載された作家いとうせいこう氏の書評と、「折々のことば」にバルガス=リョサの言葉が紹介されたとコピーが同封してあった。

 いとうせいこう氏は《「民主主義は不完全な仕組みですが(略)最も人間的なもの」「社会が権力の濫用に対して持つ唯一の防御手段は表現の自由です」といった言葉が実に重い》と書いている(2020年1月18日付)。

 毎日新聞の現役でもOBでもない立林さんの訳本を紹介したのは、立林さんが元くり読(Teen's Spaceをう たった週刊紙「くりくり」の読者)だったからだ(詳細は2月9日欄)。

 手紙にこうあった。《大学(東京外語大学スペイン語科)で岩波文庫の『ドン・キホーテ』の翻訳を手掛けられた牛島信明先生という方に出会ったことでスペイン語圏(特にラテンアメリカ)の文学に興味を持ち、大学院に進学してスペイン語教師を目指すことになりました。最初の6年間を福岡大学で過した後、同志社に転任してまる28年になります》

 《7年前にグローバル地域文化学部が設立され、そこに移籍して今は学部生向けのラテンアメリカの文化や社会についての講義や新入生ゼミも担当しております》

 そして最後に《同志社でも今学期は教室での授業を一切行わないことになったため、今はゴールデンウィーク明けに本格的に始まるオンライン授業の準備に追われています。この年齢になって(注・1959年生まれだから、ことし61歳)今風なハイテク対応を迫られることになろうとは、まったく想定外でした》。

 マリオ・バルガス=リョサ氏は、2010年のノーベル文学賞受賞者。ペルー生まれの83歳。フジモリ大統領が当選した大統領選に出馬して敗れている。

 定価3,300円(税込み)河出書房新社刊

(堤  哲)

2020年4月23日

『検察官になるには』――元司法記者、飯島一孝さんが出版

 息子さんや娘さん、あるいはお孫さんにお勧めしたい一冊が、出版された。

 現役の検事たちのインタビューを導入部に、最高検察庁から高検、地検、そして区検察庁まで、検察官や検察事務官がどんな仕事をしているか、分かりやすく解説し、いかついイメージの世界への入門編となっている。「司法」に興味を持っている人や、進路に迷っている若者にとって、一読する価値がある。ぺりかん社の「なるにはBooks」シリーズとして出版された(本体1,500円+税)。

 

 「正義の心で捜査する!」「検察官の世界」などの章に分かれ、検察の歴史をはじめ、最近ではデジタル技術を駆使した捜査が重要になっていることや、裁判員裁判が10年前に導入されて、捜査手法や公判での立証方法に変化が生じていることなど、「進化する検察」の素顔も、現場の生の声で報告されている。昔に比べて女性の進出も目立ち、検察官の総数に占める割合は2018年3月末で24.6%、482人になり、地検検事正50人のうち女性は6人を数える(2018年9月)。

 飯島さんと言えば、モスクワ特派員としての仕事が印象に残り、退社後もその分野を専門として大学に籍を置いてきたが、それ以前に、社会部司法記者クラブに所属していた時代がある。「1年以上かかって取材、執筆しました。司法記者の経験が役にたったようです」と振り返る。

 政治の世界では、東京高検検事長の定年延長など安倍政権の恣意的な法律解釈で、検察の中立性に疑問が投げかけられている。飯島さんの著書に登場する検事たちは社会正義の実現を目指し、独立して真実解明に全力をあげる心意気にあふれる。健全な検察を取り戻すためにも、編集に最高検察庁も協力しているこの一冊を役立ててほしい。

(高尾 義彦)

2020年4月10日

『ハルビン学院の人びとー百年目の回顧』飯島一孝さんが群像社から出版!

――飯島一孝ブログ「ゆうらしあ!」から転載

 日露戦争後、旧満州のハルビンに設立されたロシア専門家養成の学校「ハルビン学院」は今年、創立百年を迎えます。ロシアとの共存の道を探ろうと設立した満鉄初代総裁、後藤新平の願いとは裏腹に、日中戦争、第二次大戦に巻き込まれ、終戦と同時にわずか25年で閉校となりました。そんな激動のただ中で、卒業生1,514人はいかに学び、戦後の混乱期を生き延びたのか。その軌跡をわずかな生存者を探してインタビューしてまとめたのがこの本です。

 私は1991年のソ連崩壊前後に、モスクワで毎日新聞特派員として6年間駐在し、社会主義の盟主が倒れるのを目撃しました。日々の取材に追われる中、旧ソ連で活躍したハルビン学院卒の先輩たちの話を聞く度に、彼らの活躍の原動力は何だろうかと気になっていました。モスクワ駐在を終えて帰国後、ハルビン学院24期の麻田平蔵さんを取材した縁で、毎年4月に東京・八王子の高尾霊園で行われているハルビン学院記念碑祭に出席するようになりました。そこで知り合った学院同窓生たちの話は、波乱万丈で興味を引くことばかりでした。いつかこうした話をまとめられないだろうかと考えていました。

 そんな時、ユーラシア文庫を出版している「ユーラシア研究所ユーラシア文庫編集委員会」の方に後押しされ、本格的に取材を始めました。ただ、卒業生で生存している人は全体の5%ほどで、しかも取材に応じていただけそうな元気な方は10人前後という状況でした。それでも、同窓会の事務などを担当されているハルビン学院連絡所の方々から連絡先を伺い、取材をお願いする手紙を出して返事を待ちました。そしてようやく数人の方にお会いして話を聞くことができました。なぜもっと早く取材をしなかったのか、と何度悔やんだかしれませんでした。

 取材を通じて、終戦直後の国民の反ソ感情と、GHQの有形無形の圧力を跳ね返し生き抜いてきた知恵と勇気に感服しました。こうした先輩たちのおかげで、われわれロシア研究者のはしくれも何とかやってこれたのではないかと感謝したい気持ちでいっぱいです。こんなご時世ですから、じっくり読書とはいかないかもしれませんが、逆にこういう時だからこそ、先人の生きてきた道をたどり、今後の生き方の参考になればありがたい限りです。

 なお、この本は900円(税別)で書店で販売中です。入手しにくい場合は群像社ホームページ(http://gunzosha.com)から購入できます。

自己紹介
毎日新聞社でモスクワ特派員、外信部編集委員を経て08年秋、定年退職。その後、東京外国語大学、上智大学などで講師を務めた。著書に「新生ロシアの素顔」「ロシアのマスメディアと権力」「六本木の赤ひげ」など。

2020年3月30日

元気な全共闘世代! 毎日新聞OBは?

 700ページを超える『続・全共闘白書』(情況出版、3500円+税)を編集した元東大全共闘の前田和男さん(72歳)が3月19日付毎日新聞「ひと」欄で紹介された。

 1994年の『全共闘白書』(新潮社)の続編。あれから半世紀、かつての活動家にアンケート調査した結果をまとめたものだ。回答者は全国120超の大学・高校での学園闘争体験者計467人。匿名でも掲載不許可を除く451通が掲載された。

 獄中から重信房子、和光晴生が応じている。

①運動には「活動家として参加」②参加理由「自らの信念で」③参加したことを「誇りに思っている」④あの時代に戻れたらまた参加するか「する」⑤革命を「信じていた」……質問は75項目にわたる。この回答は前田さんのを引用した。

 前田さんは編集プロダクションを経営し、私もいくつかの企画で一緒に仕事をしてもらったことがある。路上観察学会の事務局をつとめ、著作には資生堂『MG5物語』、アシックスのペダーラを追った『足元の革命』、『男はなぜ化粧をしたがるのか』や、『選挙参謀 三ヵ月で代議士になれる!』『民主党政権への伏流』など。翻訳本もいくつも出している。

 それはさておき当然、毎日新聞記者OBもいるはずと思って、探してみた。

 匿名で元新聞記者がいた。定期購読紙誌に「毎日新聞」とあったので、多分……。

 その回答。1948年生まれ、68年早大入学。無職(元新聞記者)

⑤革命を「信じていなかった」⑥社会主義の有効性「失った」⑦運動は人生を「変えなかった」⑧思い出に残る闘争「学園闘争(早稲田大学)」⑨運動から離れたのは「内ゲバ(党派闘争)、暴力闘争辞退⑩運動は人生に「役立っている(生涯を通しての友人・先輩ができた)……(75)最後にこれだけは言いたい「東大・安田講堂で機動隊導入の前夜、日和ったトラウマを、早大闘争で革マル突入(実際にはなかったが)前夜、校舎内で耐えたことで克服した。以来、人生ってリターンマッチがあることを学んだ。挫折の後には、また夜明けがあることを若い人に知ってほしい」

 アンケート結果。③参加したことをどう思うか「誇りに思っている」310名(69.5%)。25年前の296名(56.3%)より増えている。
④あの時代に戻れたらまた参加するか「参加する」299名(67.0%)。これも25年前の291名(55.3%)を上回っている。

 元気な全共闘世代である。《「連帯を求めて孤立を恐れず」という全共闘の名文句は、今も生きているのです》と前田さんはいっている。

(堤  哲)

2020年3月14日

元毎日新聞、現産経新聞ワシントン客員駐在員古森義久氏の新刊

 毎日新聞63年入社、1年先輩の古森義久さんから『米中激突と日本の針路』が送られて来た。

 本文の最初に、古森さんは1998年から2000年まで産経新聞の初代中国総局長として北京に駐在したと書いているが、1998年8月、毎日新聞論説委員OBらの「北京・上海マスメディア調査団」(団長鳥井守幸、副団長天野勝文、秘書長澁澤重和)は北京で古森さんと旧交を温めた。私も調査団に加えてもらい、北京では「人民日報」や「北京青年報」の編集局長らにインタビューした。

 古森さんは静岡支局振り出しで、社会部では警視庁も担当。その後外信部でサイゴン・ワシントン特派員を務めた。産経新聞に移って、励ます会でこう話したことを覚えている。

 「原稿を書く、マス目を埋める作業は、毎日新聞時代も、産経に移っても全く変わらない。新聞記者ほど移籍の自由な職種はないのではないか」

 共著者の矢板明夫氏は、中国生まれで中国育ち。松下政経塾出身で、古森さんが中国総局長のとき、中国語のできない古森さんを助けた。その後、産経新聞に入社、2007年から10年間北京特派員を務め、現外信部デスク。

 第1章は「新型コロナウイルスの恐怖」。武漢で最初の感染症者が確認されたのが2019年12月8日。それがどうして世界中に蔓延してしまったのか。40ページにわたって、そのドキュメントを綴っている。

 海竜社2020年3月刊、1600円+税

(堤  哲)

2020年2月24日

元社会部宮内庁担当、森暢平成城大教授の『近代皇室の社会史』

 著者の森教授は、1964(昭和39)年埼玉県生まれ。京都大学文学部を卒業して1990年毎日新聞社に入社、社会部で宮内庁、警視庁を担当。98年退社して国際大学大学院。修了後に渡米し、CNN日本語サイト編集長、琉球新報ワシントン駐在記者。2005年、40歳で成城大学へ。文芸学部マス・コミュニケーション学科担当だ。

 皇室ものでは、『天皇家の財布』(新潮新書)を刊行しているが、吉川弘文館HPにある内容紹介は――。 側室制や乳人制度など伝統的な婚姻・子育ての形を色濃く残していた皇室が、なぜ「近代家族」化の道を辿ることになったのか。一夫一婦制への転換、「御手許」養育の変遷、恋愛結婚の実態など、明治中期から戦後を対象とし、皇室内部の史料と新聞雑誌メディアをもとに検討。大衆化する社会情勢と連関させて考察し、時代に順応していく皇室の姿に迫る。

 2020年1月31日刊、A5判 390ページ 、定価 9,000円+税

(堤  哲)

2020年2月9日

元くり読・立林良一訳『プリンストン大学で文学/政治を語る バルガス=リョサ特別講義』

 終活で資料を整理していたら、「くりくり」時代の読者からの手紙が出てきた。創刊2年目の夏休みにアメリカ西海岸へ1週間ほどのホームステイを中3から大学1年までの20人ほどの読者とともに体験した。

 その同行記を「くりくり」に掲載したら、「私もWatsonvilleに留学していました」という手紙が届いたのだ。

 差出人を検索すると、ノーベル文学賞を受賞したマリオ・バルガス=リョサ氏の翻訳本を昨年11月に出版していた。

 立林良一さん。訳者の紹介に、1959年生まれ。同志社大学准教授。ラテンアメリカ文学・文化研究。共著に『ヨーロッパ・アメリカ文学案内』など、とある。

 くり読(Teen's Spaceをうたった週刊紙「くりくり」の読者)も還暦を迎えていた。

 ワトソンビルは、米サンフランシスコの南100キロほど、西海岸沿いの田舎町である。

 立林さんは、同志社大学グローバル地域文化学部のHPに《今からかれこれ35年ほど昔、高校生のときに交換留学生として1年を過ごした米国、カリフォルニア州の小さな町は、人口の半分がメキシコ系で、通った学校では英語以上にスペイン語が飛び交っていました。自分が漠然と抱いていたアメリカという国のイメージとは全然違う雰囲気に最初は戸惑いもありましたし、ラテン系の人たちのメンタリティにもなかなか馴染めませんでしたが、そうした違和感の正体を見極めたいという思いから、大学ではスペイン語を専攻することに決めました。いずれスペイン語を武器に、海外で活躍できるような仕事に就きたいと考えていました》と書き込んでいる。

 さて、肝心の本の内容――。

 河出書房新社のHPには、《キューバ革命、ペルー大統領選、ドミニカの独裁政治、シャルリ・エブドのテロなど、ノーベル賞作家が自らの足跡も交えて政治・暴力と文学の密接な関係を語り尽くす、刺激に満ちた講義録》とある。

 マリオ・バルガス=リョサ氏は、2010年のノーベル文学賞受賞者。ペルー生まれの83歳。フジモリ大統領が当選した大統領選に出馬して敗れている。

 定価3,300円(税込み)河出書房新社刊

(堤  哲)

2020年2月3日

青野由利著『ゲノム編集の光と闇』

 元TBS記者で、ソ連の宇宙ステーションから実況中継をした秋山豊寛さん(77歳)が、月刊紙「健康と良い友だち」2月号のコラム「終活の合間の読書」で紹介していた。

 《ここ数年のニュースの中で私の想像力を最も刺激したのは、人類の遺伝子の中には古代型人類と呼ばれているネアンデルタール人の遺伝子も入っており、日本人も例外でないという話です》

 《現代の遺伝子分析技術は、そこまで進んでいるのかと、生命科学分野での技術展開の速さに驚くと同時に不安も強くなりました》

 《そこで本屋さんで関係する本を同時に何冊か買い込んで、この暮れと新年を楽しんだ次第。その数冊の中で一番バランスが取れていると思われる一冊が今回取り上げた本》というのだ。

 青野由利さんは、毎日新聞朝刊2面で毎週土曜日コラム「土記」の筆者。

 ちくま書房のHPでは、こう紹介している。

 科学ジャーナリスト、毎日新聞社論説室専門編集委員。東京生まれ。東京大学薬学部卒業後、毎日新聞社に入社。医学、生命科学、天文学、宇宙開発、火山などの科学分野を担当。1988−89年フルブライト客員研究員(マサチューセッツ工科大学・ナイト・サイエンス・ジャーナリズム・フェロー)、97年東京大学大学院総合文化研究科修士課程修了(広域科学専攻)、99−2000年ロイター・フェロー(オックスフォード大学グリーンカレッジ)。

 著書に『宇宙はこう考えられている』『ニュートリノって何?』『生命科学の冒険』(ちくまプリマー新書)、2010年科学ジャーナリスト賞を受賞した『インフルエンザは征圧できるのか』(新潮社)、『ノーベル賞科学者のアタマの中──物質・生命・意識研究まで』(築地書館)、『遺伝子問題とはなにか──ヒトゲノム計画から人間を問い直す』(新曜社)等。

 ちくま新書 880円+税

(堤  哲)

2020年1月17日

社会部OB・滑志田隆著『埋もれた波濤』

 1983(昭和58)年9月1日、旧ソ連領空で起きた大韓航空機撃墜事件。社会部1年生の筆者が取材で得た事実をもとに書き上げた。

 その日のデスク番だった先輩記者、原剛早大名誉教授は「これは文学作品ではあるが現代ジャーナリズムの位置に関する真実の記録でもある」という。

 出版社のHPにある内容紹介——。1983年、北方の海上に消息を絶った大韓航空機。数多の無辜の命を奪ったのは、ソ連戦闘機が放ったミサイルだった。報道の最前線で国際政治の思惑と入り乱れる情報に翻弄される記者たちの奮闘と葛藤を描く表題作をはじめ、元新聞記者が体験した激動の昭和をリアルに紡ぐ4篇の小説集。

 滑志田氏は、1978(昭和59)年入社。2008年に退職したあと、統計数理研究所客員研究員、森林総合研究所監事。2015〜18年、内閣府・農林水産省・国土緑化推進機構各委員をつとめた。現在は、森林総研フェロー。日本山岳会、日本野鳥の会、山形文学会、日本記者クラブに所属。俳誌『杉』『西北の森』同人。

(論創社刊、2,000円+税)

(堤 哲)

2020年1月3日

野宮珠里著
『新芸とその時代—昭和のクラシックシーンはいかにして生まれたか』

 ——「新芸術家協会」という名前を記憶しているクラシックファンは今、どのくらいいるだろうか。通称「新芸」は、昭和のクラシック業界で一時期頂点に君臨していた音楽事務所である。1955(昭和30)年に西岡芳和が創設、60年代にかけて急成長し、70年代には他の音楽事務所より「頭一つ」抜きんでた存在として、国内外の一流アーティストの招へい、マネジメントを手がけていた。

 これは2016年10月に毎日新聞WEB版「クラシックナビ」で始まった連載《「新芸」とその時代》の書き出しである。以来2週に1回掲載で、丸3年分に加筆して出版された。

 筆者野宮珠里さんは、異色の学芸部記者だ。国立音大声楽科卒。教員、画廊勤務などを経て1990年入社。事業本部で日本音楽コンクールなどを担当、自ら企画・プロデュースした奈良・薬師寺の仏教儀礼「最勝会」の舞台上演は2003年度文化庁芸術祭賞大賞(音楽部門)を受賞している。その後記者として青森支局、京都支局を経て学芸記者となった。

 「新芸」創設者の西岡芳和(1922~2013年)に生前何回か会っていて、その時の取材メモから関係者を尋ね、「新芸」の活動の軌跡とクラシックが「熱かった」時代を振り返る。

(人文書院刊、定価3,300円(税込))

(堤 哲)

2019年11月27日

毎日新聞科学環境部取材班
『誰が科学を殺すのか―科学技術立国「崩壊」の衝撃』

 11月24日付毎日新聞「今週の本棚」で紹介された。

 ——「平成・失われた30年」をもたらした「科学研究力の失墜」はなぜ起こったのか?「選択と集中」という名の「新自由主義的政策」および「政治による介入」の真実、および疲弊した研究現場の実態、毎日新聞科学環境部が渾身のスクープ!

 本の帯に山極寿一・京都大学長が「日本の学術に輝きを取り戻す必読の書」とのメッセージを寄せている。

 これは毎日新聞出版社のHPにある惹句だが、以下は内容紹介である。

 ——かつて日本は「ものづくり」で高度経済成長を成し遂げ、米国に次ぐ世界第二の経済大国になった。しかし「ライジング・サン」「ジャパン・アズ・ナンバーワン」と言われたころの輝きはもはやない。日本メーカーが力を失い、経済が傾くのと並行して、大学などの研究も衰退している。政府による近年のさまざまな「改革」の結果、研究現場は疲弊し、大学間の格差も広がった。どうしてこんなことになってしまったのか。それなのになぜ政府はまずます研究現場への締め付けを強めようとしているのか。そうした問題意識から、われわれの取材は始まった。(本文より)

 連載「幻の科学技術立国」は、2018年4月から19年5月にかけて4部構成で掲載された。取材班のメンバーは、西川拓(デスク)、須田桃子(キャップ)、阿部周一、酒造唯、伊藤奈々恵、斎藤有香、荒木涼子。

(人文書院刊、定価3,300円(税込))

(堤 哲)

2019年11月20日

奥武則著『黒岩涙香』(ミネルヴァ日本評伝選)

 副題は「断じて利の為には非ざるなり」。

 本の紹介にこうある。

 ——黒岩涙香(1962~1920)新聞記者、小説家。

 明治時代、大衆新聞『萬朝報』を創刊しスキャンダリズムや社会悪の糾弾で部数を伸ばした涙香は、「探偵小説の元祖」としても知られ、『巌窟王』『噫無情』などで人気を博した。権力におもねらず、いち早く「大衆」を見据えた「まむしの周六」の全体像を描き出す。

 毎日新聞1964年入社黒岩徹(79歳)の祖父。黒ちゃんは、ロンドン特派員が長く、サッチャー首相から記者会見で「とおる」と名指しされるほどで、2001年英国王より大英名誉勲章OBEを授与された。日本記者クラブ賞も受賞、現東洋英和女学院大名誉教授。

 私は、元読売新聞記者の作家三好徹『まむしの周六 万朝報物語』(黒岩涙香伝、中央公論社、1977年刊。のち文庫化)を読んだが、同期入社で駆出しの長野支局で一緒だった黒ちゃんの面白がりのセンスと反骨精神は、涙香から受け継いだと思っている。

 余談ながら第1回早慶戦(1903年)時の早大野球部のマネジャー弓館小鰐(芳夫)は卒業と同時に「萬朝報」の記者となり、その後「東京日日新聞」へ。キャプテンの橋戸頑鉄(信)も第1回早大アメリカ遠征後、再渡米したが夢破れて帰国、「萬朝報」の記者となっている。頑鉄は「東京日日新聞」の記者として、都市対抗野球大会を創設したことで知られる。

 涙香と、早大野球部の生みの親・安部磯雄は親しい関係にあった。第1回早慶戦を報じたのは「萬朝報」と、福沢諭吉が創刊した「時事新報」だけだった。

 著者奥武則氏(72歳)は、毎日新聞客員編集委員。前法政大学社会学部教授。都立新宿高→早大政経学部政治学科→1970年毎日新聞社入社。学芸部長→1面の「余録」筆者。

 著書に『論壇の戦後史 1945-1970』(平凡社新書、2007年刊)、『幕末明治新聞ことはじめ―ジャーナリズムをつくった人びと』(朝日新聞出版・朝日選書、2016年刊)『ジョン・レディ・ブラック――近代日本ジャーナリズムの先駆者』(岩波書店、2014年刊)などジャーナリズム史関係の著作多数。

(ミネルヴァ書房、税込4,180円)

(堤  哲)

2019年11月11日

堤哲編著『早慶戦全記録』が面白い、と銀座一丁目新聞

 94歳牧内節男さんの「銀座一丁目新聞」11月10日号、安全地帯は《『早慶戦全記録』―伝統2大学の熱すぎる戦いー出版される》。信濃太郎のペンネームで次のように紹介している。http://ginnews.whoselab.com/191110/safe.htm

 ―—今年の秋の6大学野球大会・早慶戦は慶応が連勝すれば10戦全勝で昭和3年の秋以来91年ぶりの快挙という記録が期待されていた。ところが弱いチームが勝つというジンクス通リ早稲田が2勝1敗で勝ち、慶応は優勝したものの全勝優勝の夢が潰えた(慶応7-1早稲田、慶応4-6早稲田、慶応3-4早稲田)この結果、早稲田の242勝、慶応197勝、12引き分けの成績となった。堤哲編著『早慶戦全記録』(啓文社書房・令和元年11月30日初版発行)を見ると、昭和3年秋のリーグ戦で慶応が早稲田に2-0,4-0で連勝。10戦10勝の偉業を立てた。慶応は記念にブルー・レッド&ブルーのストッキングに白線を入れた。一方、早稲田は『若き血』に対抗できる歌を全校から募集、高等師範部3年住治男の『紺碧の空』が選ばれ21歳の古関裕而が作曲した。

 表紙の宣伝文句は記す。「早慶戦は国民的スポーツだーフレンドリー・ライバルは、野球部に限らず誰もが早慶戦にこだわりを持っていた。早慶両校の現役運動部学生・OB・関係者協力の下、戦災や諸事情で散逸した記録を収集。野球を始めとした40種目全ての早慶戦勝敗データを収録した画期的な一冊」という。

 「全種目の早慶戦の記録」がいいところだ。ちなみに早慶戦が6大学リーグ戦の最後に試合をするようになったのは橋戸頑鉄(野球部第2代キャプテン・都市対抗野球生みの親)の提案により昭和7年秋から実施され、一時中断があって昭和10年秋から固定した。

 安部磯雄(1865年-1942年・同志社大学卒)といえば社会主義者だが学生野球の父と言われる。早稲田大学野球の創設者で初代部長を務める(明治34年)。昭和34年他の8人とともに野球殿堂入りした安倍は『スポーツマンシップはフェアプレーの精神にある』と説いてやまなかった。今年100歳を迎えた早稲田OB大道信敏(旧姓中島)の健康法は毎朝富士に向かって「日本棒球の父安倍磯雄を称ふ」という漢詩を吟じることだという。

 大東亜戦争のさなか、学徒出陣壮行の早慶戦が行われてことを書かねばなるまい。昭和18年10月16日戸塚球場である。小泉信三塾長の発意で飛田穂州を介して早稲田野球部に申し込まれた。はじめ早稲田側は軍部、文部省に気兼ねして及び腰であった。試合は早稲田大学側の許可が降りぬまま実施された。小泉塾長は特別席への案内を断って学生と一緒に応援した。試合は早稲田の勝に終わったが慶応の学生たちは観客席の新聞紙を全部かごに収め始末した。当時出場した選手から早稲田川から近藤清、吉江一行、水谷利幸が戦死している。早稲田・慶応の野球選手の戦死者は早稲田34人、慶応20人に及ぶ。剣道の早慶戦は大正14年に始まる。戦後は占領軍の剣道禁止で復活したのは昭和30年である。戦前の最後の早慶戦は昭和18年6月1日、慶応の綱町道場で行われた。慶応が11-9で早稲田を破った。この時、10番目に出場した慶応の坂本充選手は海軍予備学生13期生として出征、昭和20年4月6日、神風特攻隊第一草薙隊(指揮官・高橋義郎中尉・海兵72期)の沖縄特攻に99式艦爆49機とともに参加、米軍の輸送船団に突入戦死した。社会党の浅沼稲次郎委員長(1960年10月12日日比谷公会堂で演説中に右翼の少年に刺殺される)が早稲田の相撲部員であったとは初めて知る。勝ち負けの記録も貴重だが各部のエピソードが面白い。吉永小百合が早稲田のラグビーファン。毎年「牛1頭」をラグビー部へ寄付している。吉永さん(昭和40年第二文学部西洋史学専修に入学)は毎年夏、広島の原爆の朗読会を開いているのに敬服する。

 早稲田のラグビー部の監督清宮克幸の話も興味深い。伝統を大切にしながら自分の思想を落とし込んいく「本我一体」の戦略・戦術を遂行して確実の結果を残した。何処へ行っても通用する人物だ。はしなくも大隈重信の言葉を思い出す。「人の元気を持続する方法は種々あるけれども身体の強壮を図るのが第一である」「まず体育を根本として人の人たる形体を完全にし,而して後道徳訓ふべく、知識導くべきのみ」

 その大隈は日本で最初に始球式を行った名誉を保持する。明治41年11月22日早大戸塚球場で行われた早大対米リーグ選抜「リーチ・オール・アメリカン」戦。球はあらぬ方向に転がったが打席の早稲田の一番バッター山脇正治はとっさに空振りをした。それ以来、始球式で打者が空振りをするのが礼儀となった。日本のスポーツは礼に始まり礼に終わるのである。良い本を読ませていただいてありがとう。

(本体1800円+税、啓文社書房刊)

(高尾 義彦)

2019年10月18日

岸俊光編集委員が内調もの2連発

 『核武装と知識人 内閣調査室でつくられた非核政策』(勁草書房)

 本の紹介には、日本の核政策はどのように作られたのか? その陰には内閣調査室の知られざる活動と、それに協力した知識人たちの苦悩があった、とある。 日本の核政策の背景にある内閣調査室の活動と、若泉敬、永井陽之助、高坂正堯らの協力の姿を内調元幹部の証言やジャーナリストの秘密資料を駆使して光を当てた。 岸論説委員はこの本で、早稲田大学の博士号を取得した。

 本体3,600円+税

 もう1点。志垣民郎著『内閣調査室秘録 戦後思想を動かした男』(文春新書)の編者。長年、内調に勤めた志垣民郎の詳細な記録と手記をまとめた。

 文春のHP——内調は本当に謀略機関だったのか!? 内調は戦後日本を親米反共国家にするための謀略機関だった――今も残る謎のヴェールをはがす、創設メンバーによる第一級の歴史史料!

 本体1,200円+税

 岸編集委員は、1961年愛媛県生まれ。早稲田大法学部卒。85年入社。中部本社などを経て東京学芸部で論壇記者。2009~10年米国ジョンズ・ホプキンス大学に客員研究員として所属し、日米「密約」問題を調査。学芸部長、論説委員などの後、編集委員。

(堤 哲)

2019年10月10日

出版しました
『生類憐みの令』の真実(仁科邦男著、草思社)

 著者の仁科邦男さんは、社会部記者から出版局長、毎日映画社社長などを歴任したが、こうした経歴よりも、いまや「犬」研究の第一人者として知られている。

 関係の著書は「犬の伊勢参り」(平凡社新書)、「犬たちの明治維新 ポチの誕生」(草思社)、「犬たちの江戸時代」(同)、「西郷隆盛はなぜ犬を連れているのか」(同)がすでに出版されており、NHKの番組「日本人のおなまえっ!」にも出演したことがある。「名もない犬たちが日本人の生活とどのように関わってきたか」。これが、仁科さんのライフワークのテーマとなっている。

 今回、新たに上梓した著書について、仁科さんは「生類憐みの令のことを調べようと思ったのは、大学の受験勉強中でした。その後、毎日新聞に入ってからも、気になって時折、調べていたのですが、結局、既存の歴史学者の研究に納得がいかず、自分で一から史料調べを始めました。30年くらい経てば、今の誤謬に満ちた教科書、辞書、辞典類の記述も少しは変るかな、と思ってこの本を書きました」とコメントしている。

 その調査ぶりは、巻末4ページにわたって、小さな活字で列挙されている参考図書、引用図書・雑誌一覧を見れば、よく分かる。国立国会図書館は言うに及ばず、「折りたく柴の記」(新井白石)など著名な文献だけでなく、「盛岡藩雑書」「南紀徳川史」など日本全国にちらばる史料を探し求め、こまめに検証してきた成果が、この本に込められている。

 戌年生まれの徳川第五代将軍綱吉が発布した「生類憐みの令」。その評価は、「悪法中の悪法」といわれた時代から、最近は見直しの動きが顕著になっているという。大まかに言えば、綱吉の治世が、動物愛護の精神に支えられ、人間を含め命の大切さを再認識させた、とする見方が、最近の再評価のポイントだ。しかし、著書はこの見解を「私の見解とは相いれない」とばっさりと切る。

 その論証のために、渉猟した史料をひとつ一つ引用して論証する。膨大な参考文献の中から、たった一行を見つけ出し、記録する。読者は、気の遠くなる作業に付き合わなければ、この一冊を読み通すことは出来ない。

 この労作は、丸善の歴史関係のコーナーなどに平積みされて、読者を待っている。仁科さんを知っている人も知らない人も、ぜひ手に取ってほしいと願っている。

(高尾義彦)

2019年10月7日

「ストライキ消滅―――『スト権奪還スト』とは何だったのか」(大橋弘、風媒社)

 今という時代を考える時に、振り返らずにはいられない出来事がこの半世紀の間でもいくつかある。半世紀近く前の1975年11月、日本ほぼ全域で、国鉄といわれたJR全線が、ストライキ権の確立を要求して国労などの労働組合のストライキによって8日間もストップする事態を引き起こした「スト権奪還スト」も、当時を経験した人々にとっても、その一つではないだろうか。当時、毎日新聞労働担当記者だった大橋弘先輩が、その歴史的意味を振り返ろうとしたのが本書である。

 リーダーだった富塚三夫(当時国労書記長)、富塚の後継者だった武藤久・元国労委員長の二人のインタビューを中心にしつつ、動労や総評の労働界、政界、国鉄当局の動きも要領よくまとめられ、当時の全体の構図、動きがよくわかる。

 大橋先輩よりはるか遅れて労働担当記者となった私にとっても、直接知る人々も多く登場してくる。何より懐かしい。そういうことだったのか、と思い知らされる事実もいくつかあった。

 スト権ストについては様々な動き、思惑が交錯した。自民党の中でも、公共企業体労働者へのスト権付与やむなしという立場の議員もいた中で、総評の中核である公労協は一枚岩ではなかった。総評解体の後、連合の初代会長となった山岸章(当時は全電通書記長で、国鉄や電電公社、郵便など公共企業体の労働組合で組織する公労協の代表幹事)が、ストライキを中止しようという動きが強まる中で、「今さらもたないと泣き言をいったところで知ったことではない」とスト中止に反対した、という。来るべき民営化の波を見越して、国労主導のストライキには、表向き賛同しながら、労組内でもそれぞれの企業体、労組の生き残りをかけた冷ややかな動き、見方があったことを同書は教えてくれる。

 スト権ストは、スト権奪還という目的は達せられないままに終わった。それだけではない。その後の中曽根康弘による行革臨調路線が進められる中で、国鉄をはじめとした公共企業体も民営化、総評の中核となった国労や全逓、全電通などの公労協、総評も解体され、労働運動の統一という名の下で、連合が1989年結成され、戦後の55年体制の一翼である社会党を支えた総評が解体されたことで、55年体制も崩れ、政界再編も進んだ。

 その結果、何をもたらしたのか。連合は労働者代表として、政府の審議会に参画するようにはなったが、派遣労働、非正規労働の広がりに歯止めをかけられず、実質賃金もなかなか引き上げられない。労働組合の存在感は薄れ、日本社会の格差は広がるばかりである。それは連合のせいだけではもとよりないが、拮抗力としての労働組合の役割は今こそ必要ではないか。

 スト権ストを打ち抜いた国労に戦略や展望はなかったかもしれないが、社会を巻き込んで異議を申し立てようとした労働組合があった歴史的事実は時折思い出されてもいい。それを大橋先輩は教えてくれた。

山路 憲夫(白梅学園大学小平学・まちづくり研究所長、元社会部、論説委員)

2019年8月9日

横山裕道著『さまよえる地震予知— 追い続けた記者の証言』

 科学記者・横山裕道氏(74歳)からのメールをコピペします。

 日本では東海地震の予知を目指して法律までできましたが、その後、専門家によって「地震予知は困難」という報告書がまとまりました。ところが、政府は東海地震を含む南海トラフ地震に関して「地震発生の可能性の高まり」程度のことは言えると考え、気象庁がいざという時に南海トラフ臨時情報を出すことになりました。予知ではないけれど、臨時情報なら可能というのです。

 残念ながら地震予知が混迷を深めているようです。それにスポットを当てたのが本書です。私自身、「東海地震の予知は有望」とずっと思い続けて取材に当たってきたことへの反省も込めています。民間研究者が地震の予知・予測は可能だと称し、それを民放や週刊誌が無批判に取り上げるという嘆かわしい実態にも迫っています。

 POD(プリント・オン・デマンド)という方式のため、一般の書店には並ばず、基本的にアマゾンを通じての印刷・配本だけです。地震や地震予知に関心がありましたら、アマゾンの次のサイトをご覧になってください。

https://www.amazon.co.jp/dp/4907625472

(紫峰出版、1,944円)

(堤  哲)

2019年8月8日

青田孝著『鉄道を支える匠の技 訪ね歩いた、ものづくりの現場』

 2019年8月3日付日本経済新聞に続き、7日付東京本社朝刊「ブックウオッチング」欄で紹介された。

 ——鉄道を支える企業20社の技術に肉薄した。気づくのは、取り上げた企業のほとんどが中小、なかには社員8人という会社さえあることだ。日本の鉄路が、こうした人たちの汗で磨かれてきたことが手に取るように分かる。南満州鉄道(満鉄)出身者が創立した企業が登場するなど、日本の鉄道技術者の系譜がかいま見え、ぞくりとさせられる。鉄道はどんな角度からでも楽しめる、くめどもつきぬ愉楽の泉だ。

 青田さんは、1947(昭和22)東京生まれ。日大生産工学部機械工学科で鉄道車両工学を学び、卒業研究として国鉄鉄道技術研究所で1年間研修をしたという鉄道技術マニア。卒業後、毎日新聞社に入社。技術職から編集職場に移り、編集委員などをつとめた。

(交通新聞社・864円)

(堤  哲)

2019年8月4日

江成常夫著『被爆 ヒロシマ・ナガサキ いのちの証』

 元毎日新聞写真部員の写真家江成常夫さん(82歳)の写真集が、朝日新聞の8月3日付「読書」欄で紹介された。

 ——著者は長年ヒロシマ・ナガサキの被爆、戦地であった南太平洋の島々の撮影を通して、「日本人と戦争の関わり」を考えてきた。

 今回は大判の写真集であり、被爆した建造物や物体を主に接近したカメラでとらえて、もちろん無言で私たちへと示している。

 精細な写真は二次元でありながら、いやだからこそ今なお朽ち続ける「一瞬」を伝える。それは遺品のちぎれた日の丸、もはや顔がわからなかったという17歳の女子挺身(ていしん)隊員の衣服、火ぶくれの出た瓦、被爆校舎の内部などであり、私たちはそのひとつひとつの物体の前で長い時を過ごすだろうし、そうすべきだ。

 中には被爆死した米兵や、中国人の遺品もあって、原爆投下が国際的な暴力であったことを明らかにするし、すべての被写体の背後にある経緯は著者の調べによって巻末に記され、それぞれの生が一度に等しく抹消されたことへの驚きと怒りと悔恨、核兵器廃絶への思いをかきたてる。

 評者は、作家のいとうせいこう氏。
 小学館刊、消費税込み4968円。

(堤  哲)

2019年7月28日

元村有希子著『カガク力を強くする!』

 テレビでお馴染みの論説委員元村有希子さんが、岩波ジュニア新書『カガク力を強くする!』を出版した。

 HPの内容紹介にこうある。

 ——科学・技術の進歩が暮らしの隅々にまで入り込み、その恩恵を当然のこととして享受する私達。しかし一方で、原発やゲノム編集など危うさもクローズアップされている今、科学記者とし活躍する著者は、「カガク力」=「疑い、調べ、考え、判断する力」を身に付けること。それが賢く生きる術となり、よりよい未来をつくる土台になっていくと説く。

 毎日新聞朝刊に、隔週土曜日「窓をあけて」を連載中。

 前科学環境部長。「理系白書」の報道などで2006年第1回科学ジャーナリスト大賞を受賞。毎日新聞出版から刊行した『科学のミカタ』(2018年刊)も好評だ。

(本体860円+税、岩波書店刊)

(堤  哲)

2019年7月9日

米本浩二著『不知火のほとりで 石牟礼道子終焉記』

 7月7日付毎日新聞「今週の本棚」で紹介された。

 米本浩二さんは、毎日新聞西部本社学芸グループの記者で、昨年『評伝 石牟礼(いしむれ)道子 渚(なぎさ)に立つひと』(新潮社)で第69回読売文学賞の評論・伝記賞を受賞した。

 その書評――。

 作家・石牟礼道子の逝去に立ち会った三十五日間の日記と、ここ数年、新聞記者として彼女に「密着取材」をする一方で、常に身近にいて「渾身(こんしん)介護」をした著者によるエッセー集。

 著者はこれの前に『評伝 石牟礼道子--渚に立つひと』という名著を書いている。そちらが本人からの聞き書きとリサーチによる伝記だったのに対して、今回の本は作家の人となりを伝えるエピソードの他に訪れた人々のことも加えて、大きな図柄の中にこの人を置いている。

 やはり家族の話がいい。死期が迫った父・亀太郎に焼酎を控えるように言うと父は怒って、「一生、ろくなことがなかったのに、『こういう世の中に生きとらにゃならんのは、さぞきつかろう。せめて焼酎なりと飲み申せ』となして言わんか」と返したという。酒飲みの勝手な理屈がおかしくてほほえましいが、しかしこの父は「母ハルノと同様、前近代の民、いわば精霊の眷属(けんぞく)であ」り、それが彼女の文業の基礎だった。

 石牟礼道子は「手伝い」よりも「加勢」という言葉を好んだ。人生の基本の姿勢は闘うことだった。それならば「加勢」がふさわしい。(狄)

(毎日新聞出版・1944円)

(堤  哲)

2019年6月24日

改めて紹介、佐々木宏人著『封印された殉教』上下巻

講演する佐々木宏人さん(22日付毎日新聞東京版)

 6月22日付東京版に、元経済部記者佐々木宏人さん(78歳)が毎日メディアカフェで講演した記事が掲載されていた。

 佐々木さんは終戦3日後に起きたカトリック神父射殺事件を追っているのだ。

 このHPですでに紹介したが、その取材から『封印された殉教』(上下巻、フリープレス、定価各2,000円+税)を出版している。

 事件は、1945(昭和20)年8月18日に横浜市の教会で戸田帯刀(たてわき)カトリック横浜教区長(当時47歳)が拳銃で射殺された。事件は未解決のままだ。

 佐々木さんは、戸田神父の出身地・山梨県の毎日新聞甲府支局長時代に事件を知った。退職後の2010年から8年をかけて取材、2018年に出版に漕ぎつけた。

 記事の最後にこうあった。《佐々木さんは、取材のきっかけの一つとして、06年に徐々に手足の末端に障害が出る難病「遠位型(えんいがた)ミオパチー」と診断されたことを挙げ…「車椅子生活になる前に真実を知りたいと考えた」と明かした》

(堤  哲)

2019年6月15日

改めて紹介!小倉孝保著『100年かけてやる仕事』

 朝日新聞の6月15日付読書欄で紹介された。
立命館アジア太平洋大学学長・出口治明氏の書評全文――。

 ■ルーツを読み解く、土台の言葉

 2013年、連合王国(英国)で100年の年月をかけて『中世ラテン語辞書』が完成した。当時、ロンドンに駐在していた著者は「時を超える」働き方に興味を持つ。自分たちの生きている時代に完成しそうもない、自分たちが使うあてもない辞書をつくることになぜそれほど精力を傾けたのか。こうして取材が始まった。それが本書である。

 マグナ・カルタもニュートンの論文も中世ラテン語で書かれている。第一、中世ラテン語は現在のヨーロッパ諸国のアイデンティティーのルーツを読み解く鍵なのだ。辞書編集はハチが花の上を飛ぶのに似ている。図書館が森、書棚が樹木、文献が花、編集者はハチ。西欧とそれ以外の世界を分ける基準がラテン語。連合王国の歴史は中世ラテン語によって記録されてきたので、この辞書の完成は、自分たちの歴史を理解する道具を手に入れたことになる。つまり必要だったから、多くの人が自分の時間の何分の1かを後世のために使ってきた。それは「青銅よりも永遠なる記念碑」なのだ。

 翻って日本はどうか。日本の辞書は中国語を説明する形式から9世紀にスタートした。公(英国学士院)が関与した中世ラテン語辞書とは異なり、日本の辞書づくりは私(民間)の仕事であって、国が作った辞書は一冊もない。『言海』しかり、『大漢和辞典』しかり、『広辞苑』しかりなのだ。日本の言葉に対する危機感の薄さに、ある識者は警告を発する。「土台の言語を失った言語は脆弱(ぜいじゃく)になる」「アイヌ語を守らなくてはいけない。アイヌ語の絶滅は将来、日本語の存続を脅かすことを知るべきだ」と。中世ラテン語は土台の言葉なのだ。

 現代の日本は、市場原理主義、スピード重視で何よりも効率を最優先する社会だ。しかし、市場経済では計れない価値が芸術や文化の世界には厳存している。働くことの意味を考えさせてくれる一冊だ。

 (プレジデント社、1,944円)

 * 

 おぐら・たかやす 1964生まれ。毎日新聞編集編成局次長。『柔の恩人』で小学館ノンフィクション大賞など。

(堤  哲)

2019年5月31日

『消えた球団 毎日オリオンズ』(新書)発刊

 1950(昭和25)年、プロ野球セ・パ2リーグに分裂して生まれた「毎日オリオンズ」。本田親男社長時代で、初年度はパ・リーグで優勝、セ・リーグの覇者松竹ロビンスを破って、最初の日本一になったことは、ご承知の通りだ。

 『野球雲Vol.7 戦後の流星 毎日オリオンズ』(啓文社書房2016年9月発刊)に加筆して新書スタイルで再刊行されたもので、毎日新聞OBでは諸岡達一、堤哲が執筆者に加わっている。

 諸岡は、毎日オリオンズのOB会に出席していて、オリオンズのすべてを知っている貴重な生き証人である。この本では、慶応義塾大学名誉教授の池井優氏らと鼎談をして、蘊蓄を傾けている。

 堤は、「野球ともに歩んだ毎日新聞」として、野球の普及に毎日新聞がどれだけ貢献したか、大正年間の「大毎野球団」、2007年に創設した社内組織「野球委員会」などについて詳述している。

 6月3日ビジネス社から発売される。@1,000円+税。

(堤  哲)

2019年5月24日

小倉孝保著『100年かけてやる仕事 ― 中世ラテン語の辞書を編む』

 1冊の辞書を完成させるのに100年という歳月をかけた人々がいる。『英国古文献における中世ラテン語辞書』の作成プロジェクトは、1913年にスタートし、2度の大戦を経て2013年に辞書が完成した。スペインのバルセロナに建設中のサグラダ・ファミリア大聖堂は、1882年に着工され、完成予定は2026年。この大聖堂ほど有名ではないが、イギリスの中世ラテン語辞書は、それに匹敵する大文化プロジェクトだった。

 僕(小倉孝保東京本社編集局次長)はロンドン駐在時にこの辞書の完成を知った。「中世ラテン語辞書プロジェクト、100年かけてついに完了」と新聞各紙、BBCなどがこぞって報じた。大ニュースというわけではなかったが、この見出しを目にしたときの衝撃は大きかった。おおげさでなくドキンとしたといってもいい。100年もかけて辞書をつくり上げた人たちはいったいどんな人たちだったのか。そもそも、なぜ現代のイギリス人に新しいラテン語の辞書が必要なのか。

 ――以上は、小倉編集局次長の紹介文である。

 小倉記者は、1964年滋賀県長浜市生まれ。88年毎日新聞社入社。カイロ、ニューヨーク両支局長、欧州総局(ロンドン)長、外信部長を経て編集編成局次長。2014年日本人として初めて英外国特派員協会賞受賞。『柔の恩人』で第18回小学館ノンフィクション大賞、第23回ミズノスポーツライター賞最優秀賞をダブル受賞。

 プレジデント社 1,800円+税

(堤  哲)

2019年4月16日

藤原健著『マブイの新聞―「沖縄戦新聞」沖縄戦の記憶と継承ジャーナリズム』

 本書は、その「沖縄戦新聞」の「意味と意義」を柱に据えて、「琉球新報」「沖縄タイムス」に掲載された沖縄戦関連記事をすべて精査し、戦後沖縄の新聞ジャーナリズムと沖縄戦報道を丹念に分析することによって、記者たちの沖縄戦継承の足跡を立体的に詳記した渾身(こんしん)の一冊である。

 毎日新聞大阪本社の編集局長を務めた著者は、定年後、居を沖縄に移し県内の大学院で本書の基になる論文を書き上げた。同じジャーナリストとして、実直なまでに沖縄の記者たちに学ぼうとする著者の心象は行間に深く刻まれ、さらに「継承の『かたち』」と題して記述された、ひめゆり平和祈念資料館の若い説明員たちへのインタビューを通して、沖縄戦継承の展望へとつなげている。

 ――以上は、「琉球新聞」に掲載された沖縄女性史家の宮城晴美さんの書評の一部である。

 「沖縄戦新聞」は、琉球新報が戦後60年企画で、2004年7月から05年9月まで別刷りとして14回発行した。

 筆者は、1950年岡山県生まれ。74年毎日新聞入社。大阪本社社会部長、同本社編集局長、スポーツニッポン常務取締役などを経て2016年、妻の古里沖縄に移住、沖縄大学大学院入学(現代沖縄研究科沖縄・東アジア地域専攻)。琉球新報客員編集委員。

 琉球新報社・2500円(税込み)

(堤  哲)

2019年4月11日

伊藤智永 著『「平成の天皇」論』

 ――天皇像は変わらないものを守るためにこそ、時代に応じて変化しなくてはならない。

 約200年ぶりの譲位実現に道をひらいた天皇の「おことば」は、単なる高齢化に伴う公務負担軽減の問題でも、ましてや一部保守派が言うような「弱音」や「わがまま」でもなく、女系・女性天皇容認や女性宮家創設も含めたこれからの象徴天皇制のあり方をめぐる国民への問いかけだった。

 戦没者慰霊や被災地慰問の旅を平成の象徴のスタイルとして生み出した天皇が、退位表明に込めたメッセージとは何か?

 天皇像は変わらないものを守るためにこそ、時代に応じて変化しなくてはならない。

 講談社現代新書から4月17日発売予定。840円+税。

 筆者の伊藤智永記者は、毎月第1土曜日掲載コラム「時の在りか」の筆者。1986年入社。政治部、経済部、ジュネーブ特派員、現在編集委員兼論説委員。

(堤  哲)

2019年4月2日

広島カープの初代監督石本秀一(野球殿堂入り)は毎日新聞OB

 ――これは以前この欄に書いた記事の見出しだが、西本恵著『日本野球をつくった男――石本秀一出伝』(講談社2018年11月刊)を書店で見つけた。

 本文578ページ。厚さが4cm近くもある分厚い本だ。タテ18.6cm×ヨコ13cm。B6判をひと回り大きくしたサイズ。定価2300円。

 石本秀一(1897~1982)は、広島商業の投手として、現在の夏の甲子園大会の第2回、第3回に連続出場した。1916、17(大正5~6)年である。

 慶大を受験。その先が不明で、関学大を1年で中退し満州に渡る。三井物産に勤務し、満州の早慶戦・大連実業対満鉄戦(実満戦)で活躍。地元大連商のコーチをして、夏の全国大会に2回出場させている。1921(大正10)年は初出場でベスト4に食い込だ。

 1923(大正12)年9月、故郷に帰って、毎日新聞広島支局員となる。25歳だった、とこの本にある。

 ――毎日新聞広島支局は、広島市の中心街である紙屋町の交差点の角にあった。支局員は5人程度。石本は税務署や商工会議所、師団司令部などを担当した。

 野球やサッカーをはじめ、柔道や剣道などの試合も取材した。石本は「2人前ほど働いたような気がします」と語っている。

 「みるみるうちに敏腕記者として成長していった」と書かれている。

 石本本人は「広島で起こった贈収賄事件のてがかりをつかんだのが大手柄だった」と語っているとし、著者は「時代を見抜く、するどい眼力をもつようになった」と記している。

 記者をしながら広島商野球部のコーチ・監督をして、1929、30(昭和4~5)年に夏の甲子園大会2連覇。さらに31(昭和6)年春のセンバツで優勝、そのご褒美で鶴岡(旧姓・山本)一人選手(野球殿堂入り)らのメンバーでアメリカ遠征をした。

 石本は、アメリカ報告を毎日新聞広島版に連載、それを元に『広商黄金時代』(1931(昭和6)年大毎広島支局刊)を出版している。

 伝説の「真剣刃渡り」は、その際の選手の精神統一法で取り入れたのだ。

 ――石本はオートバイを買って仕事と野球の両立をはかった。取材をして原稿を書いて、練習時間の午後3時ごろになれば、広島商業のグラウンドにかけつけた。

 ――広商の対外試合が終わると、指揮をとっていた石本は、事務室にやってきて支局に電話。原稿は下書きもなく、いきなり試合の記事をペラペラと送り、それが実に名文だったそうだ。

 勧進帳で原稿を送っていた。

 石本は、1936(昭和11)年、プロ野球大阪タイガース(現阪神)の監督に招かれ、毎日新聞記者を退職する。

 打倒巨人! 翌37(昭和12)年秋のシーズンと、翌38(昭和13)年春に連続優勝した。

 その後、名古屋金鯱軍2年―大洋―西鉄。戦後、結城―金星2軍―大陽ロビンスと、監督を転々とした。

 そしてセ・パ2リーグとなった1950(昭和25)年、創設された市民球団広島カープの初代監督に就任する。
41勝 96敗 1分、勝率.299
カープは、セ・リーグ8チームの最下位に終わった。優勝した松竹ロビンスとは、59ゲームも差がついた。

 シーズン途中で選手の給料が払えない事態に陥った。伝説の「樽募金」が始まった。こんな新聞記事が残っている。

  身売りか解散か
   カープに危機

 《カープ全選手の給料支払いがすでに20日も遅配となり、そのため選手の留守家族から連日矢の催促が遠征先に舞い込み、ために選手の士気もとみに低下の一途をたどっている》=「日刊スポーツ」同年11月18日付。

 「カープ女子」に、石本の苦労が分かってもらえるだろうか。

(堤  哲)

2019年2月24日

瀬川至朗編著『ジャーナリズムは歴史の第一稿である。』

 石橋湛山記念「早稲田ジャーナリズム大賞」記念講座2018の出版。

 内容紹介に「政府が記録を隠蔽し、改竄し、そして抹消する。ネット上では真偽不明の情報が次々と拡散される。民主主義が根底から揺さぶられる中、ジャーナリズムが果たすべき役割とは何か。 日報隠蔽、沖縄問題、外国人労働者、そしてフェイクニュース……。それぞれの「第一稿」から現代日本の課題を鮮やかに照射する」とある。

 早稲田ジャーナリズム大賞選考委員の早稲田大学政治経済学術院の瀬川至朗教授が、序章に「歴史の第一稿」が問いかけること、終章に、いま求められる「検証のジャーナリズム」を記している。

 瀬川教授は、毎日新聞科学環境部長、編集局次長などを務めた。

(2018年12月成文堂刊、1,800円+税)

(堤  哲)

2018年12月11日

元印刷部長・山野井孝有さんが自費出版
「戦争はいけません―元従軍看護婦戸田ノブ99歳の思い」

 元印刷部長・山野井孝有さんが南足柄市に住む看護師・助産師の後藤眞理子さんと共著で12月10日、自費出版した。46年前、南足柄市母子健康センターで一緒に働いたことがある後藤さんは、老人福祉施設に入所している戸田ノブさんが、元従軍看護婦として日中戦争に派遣された経験を語るのを聞いて、山野井さんに相談。山野井さんは、戦争体験が風化している中でこの体験を記録として残すべきだと直感。2015年から3年かけてまとめたもの。

 戸田さんは、1919年福島生。日赤看護婦に憧れたが学歴などでかなわず、陸軍従軍看護婦試験に合格した。1941年4月から43年10月まで山西省太原陸軍病院に。44年2月再召集されて今度は、山東省兗州陸軍病院へ。翌年敗戦となって、46年博多に帰国した。この二度にわたる中国での体験をしっかり記憶していた。

 この聞き書きを続けた山野井さんは、その体験だけでなく従軍看護婦制度の発足から、日赤従軍看護婦と陸軍従軍看護婦との違い、さらには従軍看護婦に対する戦後補償などを調査して、証言と資料を追加してまとめたもの。

 限定300部、ご希望の方は山野井さんまで。TEL/FAX:043-231-6110

 メールアドレスは、

(福島 清)

2018年11月26日

『新聞記者 山本祐司』(水書坊刊、税込3、500円)の刊行

 2017年7月22日に亡くなった元・社会部長(東京)山本祐司さん(享年81)の遺稿集が2018年11月20日に刊行された。幼くして文才発揮となった早稲田中学時代の作文から、早大童話会での創作ノート、そしてロッキード事件で頂点を極める司法記者としての記事・論考の数々、さらには脳出血で半身不随となりながら驚異の復活でものにした左手書きの著作、次いで晩節全うし手塩にかけたルパン文芸での作品群など、加えて、幼き日のやんちゃから司法記者の取材現場を生々しく写し取った日記、および通史、著作全目録、217人からの追悼一言集も収め、566ページの大部となった。「人間万歳」「巨悪を眠らすな」「居眠狂四郎」等々の自他称形容句そのままの半生を彩る人間記録ともなっている。

 編纂・刊行にあたったのは、故人と入社同期(1961年)、並びに司法記者クラブで同席した仲間たちの有志。はじめ「山本祐司遺稿集期成協力会」の名で広く呼びかけ、最終的には「新聞記者 山本祐司」編纂・刊行の会、と名乗った。会としては、出入り自由で、出来る奴が出来ることをする緩い組織だったが、結果として、天野勝文、今吉賢一郎、大住広人、今江惇、藤元節、勝又啓二郎、野村修右、高尾義彦が常連として携わり、事実上の編集委員会を形成している。

 さらに、立上げにあたって基金協力を呼びかけたところ、毎日新聞内外の119人から、ほぼ本体製作費に見合う額が寄せられた。故・山本祐司の徳とするところであると同時に、この席をかり、刊行の会として、改めて御礼申し上げる。ありがとうございました。

 発行元は、人間形成ものに理解深い「水書坊」に依頼したが、実質上は、製作共々毎日新聞グループ「毎栄」(社長・小泉敬太)に引き受けて頂いた。箱入り装幀の400部。別刷8ページの写真グラフも添えている。原価計算から定価3,500円(税込み)としたが、市販はしない。購読注文歓迎で、問合せ共 (大住) (高尾)090-1500-8740(高尾)へ。

(記・大住広人)

2018年11月10日

釈徹宗、細川貂々、毎日新聞「異教の隣人」取材班著『異教の隣人』

釈徹宗、細川貂々、毎日新聞「異教の隣人」取材班著『異教の隣人』

 毎日新聞11月11日付「今週の本棚」で紹介された。

 記事は、大阪本社朝刊「めっちゃ関西」に昨年3月まで連載された。

 取り上げたテーマは――。イスラム教モスク、ジャイナ教寺院、台湾仏教寺院、ユダヤ教シナゴーグ、神戸市立外国人墓地、キリスト教(カトリック)修道院、シク教寺院、キ リスト教(カトリック)ペルーの祭り、ベトナム仏教寺院、ヒンズー教大阪アーユルヴェーダ研究所、韓国・キリスト教(プロテスタント)の教会、日本人女性イスラム教徒、ブ ラジル・キリスト教(プロテスタント)の教会、神戸の華僑、女性イスラム教徒のファッション、イスラム教ラマダン明け、東方正教会の聖堂、タイ仏教の「みとりの場」コプト 正教会の聖堂、イラン人イスラム教徒、朝鮮半島の民俗信仰、在日クルド人のコミュニティー、台湾・春節祭。

 発行元晶文社のHPの紹介――。異国にルーツを持つ人たちは、どんな神様を信じて、どんな生活習慣で、どんなお祈りをしているのか? イスラム教、ユダヤ教、ヒンドゥー教 からコプト正教まで、気鋭の宗教学者と取材班がさまざまな信仰の現場を訪ね歩いて考えたルポ。

 釈徹宗氏は、浄土真宗本願寺派如来寺住職。相愛大教授(宗教思想)。細川貂々氏は、漫画家・イラストレーター。

 毎日新聞「異教の隣人」取材班は中本泰代(97年入社、現北陸総局次長)▽棚部秀行(98年入社、現東京本社学芸部副部長)▽花澤茂人(2005年入社、大阪本社学芸部)▽清水有香 (2006年入社、大阪本社学芸部)の4人。

(晶文社・1782円)

(堤   哲)

2018年10月24日

横山裕道著『原発と地球温暖化: 「原子力は不可欠」の幻想』

 元科学環境部長、論説委員の横山裕道さん(74歳)の新著。淑徳大学をことし3月に退職した後、執筆作業に当たった。

 横山さんのメール――。POD(プリント・オン・デマンド)という方式で、取次店を通さないため書店に並ぶことはありません。値段も少々高い(¥ 2,376)ですが、カラー版であるほか、第1章に、地球温暖化が高じる中で中国で原発過酷事故が発生するという架空ドキュメント「運命の2030年」を置くなど工夫しています。

 もしテーマに関心がありましたら、次のサイトをのぞいて見てください。

アマゾン(印刷版)のサイトは
https://www.amazon.co.jp/dp/4907625448/
グーグル(ダウンロード版=電子書籍)は
https://books.google.co.jp/books?id=q1hyDwAAQBAJ&pg
です。

 内容紹介にこうある。

 ――我々が石油や石炭、天然ガスを使用することによって起こる地球温暖化がはっきりと姿を現し始めたようだ。2018年夏は北極圏を含め世界を激しい熱波が襲った。日本では豪雨、猛暑、度重なる台風の襲来と異常ずくめの夏で、気象庁は「異常気象の連鎖だ」と認めたほどだった。世界が協力して温暖化を防止しようとパリ協定ができ、いまや温室効果ガスの排出削減を効果的に進めることは国際的に最重要課題となっている。

 そこで問題になるのが原子力だ。発電時に二酸化炭素(CO₂)を発生しない原発は「温暖化対策の切り札」と宣伝されてきたが、チェルノブイリ原発事故に続いて東京電力福島第一原発事故が起きたように原発は安全性の問題が大きな弱点になっている。「温暖化防止は原子力ではなく太陽光や風力発電などの再生可能エネルギーで」という声が日増しに高まり、実際に再エネは急速に普及している。本書ではこうした問題を幅広く取り上げた。

 第1章に架空ドキュメント「運命の2030年」を置いた。温暖化が高じ、超大型台風が首都圏やニューヨークを襲う。世界で洪水や干ばつが頻発する中で、中国で原発過酷事故が発生する。原発は停止に追い込まれ、代わって石炭火力へのシフトが進み、CO₂濃度は急速に高まり始める。さあ、地球の運命は?という近未来のあり得る内容だ。避難を強いられた原発事故の被災者とこれからどっと出てくる気候難民を重ね合わせ、原発も「気候の暴走」もない未来をつくるにはどうしたらいいかという考察も行った。

 本書では原子力を厳しい目で見ている。一方で電力需要の増加への対応と温暖化対策を両立させようと原発に頼る中国やインドと、原発事故への反省もないまま再稼働に走る地震国日本の置かれた事情は異なることを十分意識した。強固な「原子力ムラ」が存在する日本を含め世界の脱原発がそう簡単には進まないことにも言及した内容になっている。

(堤  哲)

2018年9月15日

岩尾光代著『姫君たちの明治維新』(文春新書)

 元毎日新聞の大姉御の力作である。

――明治150年に贈る、幕末維新をきっかけに思いもしなかった苦労に見舞われた大名・皇族の姫君たちの物語。

 「サンデー毎日」に連載したものを加筆した。

 文春新書の内容紹介はこうある。

 深窓の令嬢どころか、堅固なお城の大奥で育った、正真正銘のお姫様たちも、維新の大波には翻弄されます。しかし、決してそれにめげることなく、それぞれの運命を逞しく生き抜いてもいきました。

 徳川家では、最後の将軍、慶喜の義理の祖母でありながら、淡い恋心を交わした一橋直子、また、そのとばっちりを受けた形の、正妻の徳川美賀。

 加賀百万石の前田家では、東大の赤門を作るきっかけとなった、将軍家から嫁入りした溶姫のさみしい晩年。

 九州の大藩、鍋島家では、新政府の外交官になった夫とともに、ヨーロッパに赴き、鹿鳴館の華とうたわれた鍋島栄子。

 篤姫や和宮など、メジャーどころはもちろん、歴史教科書には出てこない、お姫様たちの生涯は興味津々。

 とくに落城の憂き目にあった姫君たちの運命には、思わず涙します。

 なかでも、もっとも数奇な運命をたどったのが、四賢侯の一人、松平春嶽と侍女の子である池田絲。維新後の混乱で彼女は松平家の庇護を受けられず、なんと芸者に。そこで、お雇い外国人であった仏系アメリカ軍人と結婚。二人の間に出来た子が、明治の歌舞伎界の大スターである十五世市村羽左衛門! まるで小説のような物語がそこにあります。

 20人を超える姫君たちの物語にご期待ください。
       (本体980円+税、文芸春秋社)

(堤  哲)

2018年8月26日

佐々木宏人著『封印された殉教』上

 敗戦3日後の1945年8月18日夕、横浜市保土ケ谷区の保土ケ谷教会内でカトリック横浜教区長だった戸田帯刀(たてわき)神父が頭部を撃たれて死亡した。

 この事件を追った毎日新聞OB記者佐々木宏人さん(77歳)のノンフィクション。

 筆者の言葉にこうある。

 一人のカトリック・ジャーナリストとして「戸田帯刀神父射殺事件」を追いかけた。なんとか犯人を割り出し、その背景に迫りたいとの一念だった。多くの取材協力者の助けにより、事件の背後のうごめきが仄かに見えてきた。高まる軍靴の響きをものともせず、普遍の価値の下に「平和であれ」と説き、実践した一人の司祭と、それをとがめて銃弾を放った犯人…戸田師の遺志は、それを覆い隠そうとした勢力の意図にもかかわらず、営々として語り継がれ、生かされていたことが判った。取材者としてそのことが本当にうれしかった。独り勢い込んで重ねた取材・執筆にもそれなりの意味があったのではないかと、ペンを措いた今、実感している。

 

 サーさんとは、水戸支局で一緒だったが、カトリックの信者だったとは、知らなかった。
そのサーさんからの報告――。

新宿「紀伊国屋書店」に行ったら「H10」の「神学」コーナーに平積みされていました
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毎日新聞19日の読書欄に広告も掲載されました

 「下巻」は9月中旬に発行予定です。よろしく。

(フリープレス刊、2000円+税)

(堤  哲)

2018年8月13日

篠田航一著『ヒトラーとUFO-ドイツの謎と都市伝説を追う

  ドイツには都市伝説が今もあふれ返る。ヒトラー、UFO、フリーメーソン、ハーメルンの笛吹き男……。ドイツの怪しげな話を追う。  平凡新書の案内である。

 8月12日付毎日新聞「今週の本棚」では――。

 好奇心旺盛で、子供の頃から伝説好きだったという、ある意味「変わり種」の著者が特派員としてドイツに派遣され、意外にも「一皮むけば実に噂(うわさ)好き」なドイツ人たちと出会い、独特の感性で社会を観察して行く。多くの要素が重なり、初めて生まれた希有(けう)な本だ。

 筆者は、現在毎日新聞カイロ特派員。早大政経卒、1997年入社。私が退職した年である。社会部で東京地検特捜部などを担当。ドイツ留学後、2011年から4年間ベルリン特派員だった、と略歴にあった。

(平凡社刊、760円+税)

(堤  哲)

2018年6月16日

大久保貞義著『自ら宿命を変える―続《人生の恩返し》』

 毎日新聞OBで獨協大学名誉教授の大久保貞義さん(83歳)が『自ら宿命を変える―続《人生の恩返し》』を出版した。

 その序――。《若い頃にアメリカからもらった〝返済不要の奨学金〟のおかげで、私は豊かな人生を送ることができました。その感謝の思いから、経営の第一線から退いた今、「ロイヤル福祉助成法人」を設立して若者と高齢者に恩返しする活動をしています》

 続く「はじめに」に、「なぜ若者に奨学金を贈るのか」。

 返さないでよい奨学金は、すでに12人に計1500万円が渡っている。

 大久保さんは、東大を卒業して1959(昭和34)年に毎日新聞に入社、政治部記者となった。在社中に米スタンフォード、プリンストン両大学の大学院に留学、67(昭和42)年、30歳で退社して、米議会の奨学生として議員の政策担当秘書を経験した。

 帰国して東海大学広報科助教授から獨協大学教授。在職中に介護付有料老人ホーム「ロイヤルハウス石岡」(茨城県石岡市)と「ロイヤル川口」(埼玉県川口市)を経営していた。

 一般社団法人「ロイヤル福祉助成法人」は、老人ホームを経営していたときの報酬を貯めて原資にしたもので「何億といった規模ではないんですよ。ささやかなお返しです」と大久保さんはいう。

(シニアタイムス刊、1,000円+税)

(堤  哲)

2018年6月11日

石寒太著『金子兜太のことば』

 金子兜太さんは、戦後俳壇のトップランナーとして70年間活動を続け、生涯現役のまま、2018年2月20日に98歳で逝去した。

 著者の石寒太さん(本名・石倉昌治)は、毎日新聞OBで、元「俳句αあるふぁ」編集長。兜太と同じ加藤楸邨を師に持つ俳人。兜太との長年の交流の中で胸に刻まれた言葉と俳句を選んで、解説している。

 内容紹介に以下の言葉があった。
 〝俳句があるかぎり、日本語は健在なり〟
 〝物事を成就させるのは、「運・鈍・根」ですね〟
 〝死ぬのが怖くないか? と問われたら、「死ぬ気がしなかった」と答えます〟

(毎日新聞出版社刊、1,500円+税)

(堤  哲)

2018年6月6日

『ベースボーロジー』第12巻

 野球文化學會論叢『ベースボーロジー』第12巻が発刊された。

 特集は、野球と音楽─応援歌の果たす役割─。慶應義塾大学名誉教授池井優さんが昨年12月9日、法政大学キャンパスで開いた野球文化學會第1回研究大会で基調講演したものだ。

 副題は「古関裕而と応援歌」。「紺碧の空」、「六甲おろし」、「栄冠は君に輝く」を中心に、とあるが、慶應の応援歌「若き血」の生まれた背景が詳しい。打倒ワセダ、「都の西北」を凌ぐ、元気の出る応援歌を! で、堀内敬三が作曲し、当時普通部3年の藤山愛一郎が歌唱指導をした。そして昭和2年秋の早慶戦で早大に連勝した。

 毎日新聞OBでは、松崎仁紀さんが「野球の起源」をめぐって―日米の研究成果を検証する▽アメリカ文学にみる野球の文化社会学的考察―『ベースボール傑作選』を読む④の2編。小生(堤哲)が「野球を育てた」記者たちの物語―毎日新聞人の野球殿堂入り列伝を発表している。

(啓文社書房刊、1,850円+税)

(堤  哲)