新刊紹介

2020年11月11日

元学芸部長、奥武則さんが新刊 『感染症と民衆』

 ご本人のブログ「新・ときたま日記」(11月7日)から転載。

 『感染症と民衆――明治日本のコレラ体験』(平凡社新書)の見本が届いた。発売は今月16日らしい。

 奧付までいれて200ページ。かなり薄手の新書になった。著者本人としては、それなりに書きたいこと、書くべきことは書ききったつもりである。もっとも加齢に伴う持続力の低下を感じないわけではなかったが……。

 「あとがき」に、こんなことを書いた。

 新型インフルエンザ等対策特別措置改正法による新型コロナウイルス感染症に対する「緊急事態宣言」が発令されたのは、二〇二〇年四月七日だった。列島にコロナ禍というべき状況が広がった。

 「外出自粛」で盛り場から人が消え、さまざまなイベントが中止に追い込まれた。正直、私の楽観的な予想をはるかに超える展開だった。そんななかで本書の構想が生まれた。ずいぶん前に書いた「近代日本における疫病と民衆」という短い論文を思い出したのである。この小論は、当時特別研究員として籍を置いていた早稲田大学社会科学研究所の紀要『社会科学討究』に掲載してもらった。他のいくつかの小論と合わせて、『文明開化と民衆――近代日本精神史断章』と題した小著として刊行した。

 以上は、本書の「はじめに」にも記したことだが、この小著は、私にとって日本近代史にかかわる最初の著書だった。論文執筆が一九九一年、著書刊行が一九九三年だから、すでに三十年近い月日が過ぎている。むろん、論文のことも著書のことも忘れたわけではなかったが、コロナ禍に直面するまで、明治期のコレラのことを本書のようなかたちで刊行することなどまったく考えていなかった。

 以下、私的な「昔話」をお許しいただく。私は大学卒業後、新聞社に入り、三十三年間在籍して、大学教師に転じた。新聞社では、ほぼ「記者」として過ごした。最後は、一面コラム「余録」を執筆するという僥倖にも恵まれた。新聞記者はむろん、自分で選択した職業であり、基本的には充実した記者生活を全うできたことに満足している。

 だが、子どものころから「研究者」への漠然とした憧れもあった。高校生のころには、「歴史学者」になりたいと思うようになった。大学に進み、藤原保信先生のもとで政治思想史を学んだ。研究者へ進む道もあったのだが、結局、私はそれを捨てて、新聞社を選んだ。

 ジョン・ロックやトーマス・ホッブズといった西洋の政治思想以上に、当時の私が大きなインパクトを受けたのは、色川大吉氏の民衆史・民衆思想史研究だった。大学のたぶん三年生のときだったと思う、大学で色川氏の講演会があった。色川氏の研究チームが「五日市憲法」の名で知られることになる憲法草案を、東京・五日市の深沢家の朽ちかけた蔵から発見して間もない時期だった。「五日市憲法」の画期的な内容と、それを生み出した学習組織の模様を語る若々しい色川氏の熱弁は、新しい歴史研究の領域として近代日本の民衆史・民衆思想史が持つ魅力を私の頭に刻み込んだ。

 色川氏の黄河書房版の『明治精神史』を買ったのは、いまはなき文献堂という古書店だった。やがて、この本をはじめとした色川氏の著作、そして後には、安丸良夫氏の『日本の近代化と民衆思想』などの著作、鹿野政直氏の『資本主義形成期の秩序意識』などの著作が私の書棚に並んだ(新聞記者として日々を送りながら、いつかはこうした分野の著作をものしたいと思っていたような気もする)。

 新聞社を早期退職して大学教師に転じるきっかけは、「ジャーナリズムの歴史と思想」という授業を主担当とする教員の公募だった。「ジャーナリズム」はともかく、「歴史と思想」の部分に引かれて、応募したところ、幸い採用された。私の新聞記者としての履歴も考慮されたのだろう。先に記した「日本近代史処女作」の後、いくつか著作を刊行できたのだが、この担当授業の関係もあって、この「処女作」の後は、「ジャーナリズム」にかかわるものが多くなった。

 こうした私の「研究歴」(こんな大げさな言葉を使うのはいささか恥ずかしいが)に即してみると、本書は私にとって、数十年ぶりに出発点に立ち戻った思いがする。

 むろん、この間、多くの民衆史・民衆思想史分野の仕事に接して来た。以前に書いた論文の問題意識そのままに本書を書いたわけでもない。この間、困民党研究会、それに続く近代民衆史研究会での稲田雅洋氏をはじめとする方々との交流は、私の問題意識を常に鍛えてくれた。とりわけ、コレラ騒動については、困民党研究会以来の長い友人である杉山弘氏に感謝しなければならない。本文で何度も参照した杉山弘氏の先駆的業績がなければ、本書はこうしたかたちで書けなかっただろう。

 コロナ禍はいうまでもなく世界的な災厄だが、本書の執筆に当たって直面した私的コロナ禍にはいささか苦労した(私は幸い、いまのところ、ウイルスに感染してはいないようだから、とうてい「文句」は言えないのだが)。

 大学を退職する際、かなりの量の本を整理した。研究室にあった本と自宅にあった本を十分に吟味する余裕もないままに処理したせいか、残しておいたと思う本がなかったり、どこに置いたか分からないままの本があったりした。図書館が頼りとなる。当然、新聞資料や関連論文の収集にも図書館は不可欠である。ところが、国立国会図書館は閉鎖され、開館された後も事前申し込みによる抽選で当選しないと入館できなかった。法政大学図書館は比較的早く利用できるようになったのだが、けっこう頼りにしてきた早稲田大学図書館は私のような一介の卒業生には利用できなかった。コロナ禍のなか、大学も通常のかたちの授業ができないままのようだが、各種の研究会などもオンラインで行っている。オンラインは便利な面もあるが、研究会後の懇親会は開けない。こうした場での交流が楽しみな私のような人間には、オンライン研究会はまことに味気ない。

 さて、この手のことはいつも最後になってしまうのだが、本書の刊行に際して直接お世話になった平凡社の金澤智之氏に感謝したい。本書の執筆を思い立ち、金澤氏に企画書(めいたもの)をメールで送ったのは、六月末だった。企画の採否を待ちつつ、七月から執筆を始めた。前述のような私的コロナ禍を別にすれば、比較的順調に書き進めることができた。金澤氏には、進行に合わせて適切な対応をしていただいた。思えば、氏に平凡社新書を出していただくのは、本書で三冊目である。ありがたいことだ。

 「こんな時代もあったね」と話せる日がいつか来ると思いたい。その日が来たとき、コロナ禍の時代に書いた本書が私にとって、懐かしい思い出になることを願いつつ。

【ブログ掲載のプロフィール】
ジャーナリズム史研究者。新聞社に33年。2003年4月―2017年3月、法政大学社会学部・大学院社会学研究科教授。「ジャーナリズムの歴史と思想」などを担当。法政大学名誉教授。毎日新聞客員編集委員。