新刊紹介

2021年3月2日

新刊「ぶらっとヒマラヤ」が生まれるまで

 毎日新聞の夕刊特集ワイド面に書いております記者の藤原章生です。2月末に拙著「ぶらっとヒマラヤ」を上梓しましたので、そのきっかけとなった同僚や先輩、編集者の方々を紹介したいと思います。

 私は今から9年前の2012年春、ローマ駐在を終えて帰国し、在京時には所属している古巣、夕刊編集部(現夕刊報道グループ)に戻りました。ところが翌13年、福島県の郡山通信部への転勤を命じられ「もう異動?」と驚いたのですが、何だかいいことがありそうな気がして、「いいですよ」と素直に応じました。結果的にたった一年の郡山滞在でしたが、ジャックポットと言うのか、これが私に実に大きな幸運をもたらすことになったのです。

 赴任して1カ月あまりの5月初め、52歳になったばかりの私は、初の単身赴任をいいことに、本格的に山登りを再開しようと思い立ちました。ネットで調べた郡山勤労者山岳会に入ると、すぐに沢登りを始めました。そんな折、年も経験、体力もほぼ同じ齋藤明さんから「藤原さん、8000m、行きませんか」と声がかかったのです。「行きましょう」と安易に応じましたが、そうそう実現はしないだろうと半信半疑でした。するとその6年後の2019年正月、ネパールの登山エージェントから連絡があり、ダウラギリへという話になりました。日本から行くのは明さんと私の二人。隊は現地で雇った登山ガイドら総勢6人です。

 運良く、その年は入社30年の4週間休暇があり、それに有給休暇を加えて丸二カ月休みをとって19年秋、ダウラギリに挑みました。

 記事を書くつもりなど全くありませんでした。そんなことを考えたら、8167mのピークに達する幸運を逃しそうな気がしたからです。原稿など俗なことは一切考えず、ひたすら高みを目指しました。

 帰国してすぐワイド面執筆の仕事に戻ると、編集長だった同期の大槻英二君から「せっかく行ったんだから、何か一本書いたら」と言われ、「ヒマラヤは人生観を変えるか」という見出しの記事をワイド面に書きました。その翌週、私が学生時代に属していた北大山岳部の忘年会が東京であり、顔を出すと、たまたま記事を読んだ先輩の石本恵生さんから「あれ、面白かったよ。ヒマラヤは山屋(登山家)が書くより、物書きが書いた方が断然面白いね。もっと書いてよ」と言われたのです。

 うーん。その時から私の頭の中のペンが勝手に動きだしました。年明けに、連載をしたいと言ってみると、じゃあ、デジタルでという話になり、医療プレミアの編集長、佐藤岳幸さんが担当してくれることになりました。

 毎週月曜日締め切りで土曜日掲載と話が進み、ちょうど1年前、2020年2月1日に1回に原稿用紙で10枚から20枚ほどの連載を始めました。特にコンテも決めず、せいぜい7、8回と思っていたら、佐藤さんから「面白いし、読者の反応もいいので、できるだけ長く」と言われ、結局7月まで計24回書きました。

 その途上、懇意にしていた新潮社の編集者から「山の本よりも、生き方本ふうに書き換えて、本にしたい」との誘いがあり、連載終了後に少しずついじっていたら、昨年11月になって毎日新聞出版の久保田章子さんから「ぜひ、うちから出したい」と提案をいただきました。久保田さんは出版社から毎日新聞出版に転職し数々の話題作を出してきた人。その彼女に「『ぶらっとヒマラヤ』はずっと年下の、山に行かない女性の私でもぐっと引き込まれる。生き方本は腐るほどありますから、できるだけこのまま出したい」と力説され、文句なしに彼女に乗りました。

 本は著者と編集者の二人でつくる物。私は彼女の感性に従い元の原稿を直し、特に「はじめに」では、エンジニアだった27歳の私がなぜ新聞記者になったのかをジェットコースターに乗ったようなテンポで紹介するという久保田さんの案に従い、28歳から一気に58歳に飛ぶ、という展開にしました。

 目を引く装丁の本に仕上がったのも、毎日新聞の書評欄を担当する著名な装丁家、寄藤文平さんに頼んだ久保田さんのお陰です。

 校了間近の1月、渋谷の喫茶店で打ち合わせをしていたとき、「今はどんな新聞記事を?」と聞かれ、「塩野七生さんのインタビューです」と応じたら、久保田さんはすかさず「じゃあ、塩野さんに帯文、お願いしてもらえないですか?」と持ちかけてきました。塩野さんとのつき合いは、ローマに着任早々の2008年春以来ですが、きちんとインタビューしたのは今回が初めて。2時間ほど国際電話で話した末、「頼みにくいんですけど、今度、ヒマラヤの旅の本を出すんで、さらっと読んで、帯文を書いてもらえたらいいんですが」と頼むと、「えっ、あたしが書いたって売れないわよ」と応じたのですが、一瞬後には「でも、いいわ、あたし、やる」と言ってくれました。これも久保田さんに言われなければ実現しなかったことです。

 本のゲラをすぐにローマに送ると、塩野さんは一晩で読み、粋な手書きの文を送ってくれました。「私の友人の中でも最高にオカシナ男が書いた、フフッとは笑えても実生活にはまったく役に立たない一冊です。それでもよいと思われたら、手に取ってみてください」

 去年の今頃は本になるとは微塵も思っていなかった原稿が、かわいらしい一冊になったのも、久保田さんや塩野さん、寄藤さんをはじめ多くの方々のお陰だと、深く感謝しています。

 重さ、サイズ、触感もとてもいい感じの本です。皆さん、どこかで手にしてみてください。

 〈本の特設ページです〉 https://peraichi.com/landing_pages/view/bhimalaya/

(夕刊報道グループ 藤原章生)

「ぶらっとヒマラヤ」(毎日新聞出版、税別1300円)