新刊紹介

2021年3月4日

中澤昭著『行くな、行けば死ぬぞ!-福島原発と消防隊の死闘-』



中澤昭さん

 東日本大震災から10年——。消防作家・中澤昭さん(83歳)から新刊『行くな、行けば死ぬぞ!』(近代消防社2021年3月刊、本体1,600円+税)が届いた。福島第一原発事故で原子炉を冷却するために放水を行う東京消防庁の苦闘を描いたドキュメントである。

 中澤さんは、東京消防庁の元広報係長。その後、消防署長を5つも務めた。金町、石神井、荒川、杉並、志村各署長である。私はサツ回りの時、知り合い、以来半世紀以上の付き合いだが、社会部旧友のかなりが火事や救急の現場でお世話になったハズである。

 消防記者といえば警視庁キャップも務めた開真(2008年没82歳)オープンさん。東京消防庁の広報体制をつくった鎌田伖喜さん(2016年没90歳)=中澤さんが『激動の昭和を突っ走った消防広報の鬼』で取り上げた。よく一緒にイッパイやった。

 毎日新聞シンパということで、このHPに紹介したい。

 「セミの小便みたい」。ヘリから原子炉に冷却水を投下したとき、東電の関係者が漏らした。震災から7日目の3月17日だった。

 東京消防庁に「注水」出動要請があったのは、18日午前0時50分。「注水は消防の仕事」と現場の出動部隊は、準備をしていた。

 午前3時45分、32隊139人が消防総監と1人ずつ握手をして出発した。決死の覚悟である。

 福島第一原発の正面に到着したのは、18日午後11時20分。シーンと静まり返った、真っ暗闇の構内を、ヘッドライトの明かりで構内図を見ながら進む。

 海の水を毎分8,000リットル吸い上げて、ホースをつなげて800メートル先の放水車で3号機原子炉に注水する。

 放水車(屈折放水塔車)は、3号機の壁から2メートルのところに止めた。建屋の高さは45メートル。放水車のアームは最大に伸ばして22メートルだ。

 遠距離大量送水システム(スーパーポンパー)は、ホース延長車と送水車がセットだ。送水車を海岸べりに止め、ホース延長車でホースを自動的に伸ばすが、450メートルが限度。それ以上は手作業だ。20キロもある鉛入りの防護服をまとった消防隊員が1本100キロもあるホースを7本もつなぎ合わせる難作業である。「ピーピーピー」。線量計が警告音を発する。

 ホースが結合されたのが、19日午前0時15分。

 「送水開始!」。平べったいホースが丸く膨らんで、生き物のように跳ねて先に向かう。

 被曝を避けるために脱出用のマイクロバスで待機していた隊員が暗闇の中、放水車の操作台に乗る。ホースの先から勢いよく吹き出している水を制御する。

 「もっと右」「もっと上」。隊長からだ。

 このとき、3号機の建屋上空に水蒸気が舞い上がった。

 「いい水が出ているぞ!」

 中澤さんは書いている。《「ホースを延ばす」「ホースをつなぐ」「梯子を延ばす」「水を出す」。消防なら目をつぶっても出来る事が、こんなにも難しい事であったか》と。

 19日以降も第2次派遣隊8隊が出動し、放水車の放水角度を固定して無人放水を続けた。放水は3月23日まで続いた。

 東電の事故調査委員会の報告書には、「燃料プールへの対応に失敗すれば破局的な影響が懸念されたが、冷却の回復に成功した。災害のさらなる拡大を防止した点で極めて重要な分岐点だった」とある。

 中澤さんの著書は以下の通り。

『生きててくれ! : 119番ヒューマンドキュメント : 命を大切にし、命を守る。そのために我々はがんばっている』(NTTメディアスコープ1998年刊)
『救急現場の光と陰 : 119番ヒューマンドキュメント』(近代消防社99年刊)
『東京が戦場になった日 : なぜ、多くの犠牲者をだしたのか!若き消防戦士と空襲火災記録』(近代消防社2001年刊)
『9・11、Japan : ニューヨーク・グラウンド・ゼロに駆けつけた日本消防士11人』(近代消防社02年刊)
『なぜ、人のために命を賭けるのか : 消防士の決断』(近代消防社04年刊)
『暗くなった朝 : 3・20地下鉄サリン事件』(近代消防社05年刊) 『激動の昭和を突っ走った消防広報の鬼 : おふくろさんから学んだ広報の心』(近代消防社15年刊)
『皇居炎上 : なぜ、多くの殉職者をだしたのか』(近代消防社16年刊)

(堤  哲)