新刊紹介

2021年9月9日

“風評”を作り出すジャーナリズム――生活報道部元編集委員・小島正美さん編著「みんなで考えるトリチウム水問題 風評と誤解への解決策」

 東日本大震災での東京電力福島第一原子力発電所(F1)の事故により、その構内に増え続けている1千基を越える大型タンク(高さ12メートル、直径12メートル、建設費一基約1億円)。私も見学に行ったことがあるが、そのタンクは広大な敷地を今にも埋め尽くしそうだ。事実、来年にはタンクの増設の余地は無くなるといわれている。

 原子炉内でメルトダウン(溶融)した核燃料を冷やすため、事故直後から水が注入されてきた。その汚染水に周辺からの地下水が流れ込む。この水を放射線除去装置で、ストロンチウムなど高濃度放射線物質は除去する。しかし水と同化するトリチウムだけは除去できない。この処理水・汚染水をどうするか。取りあえずこれらのタンクにため込まれてきた。

 政府・東京電力は、廃炉作業を推進するためにも海洋放出をしたいのだが、この「汚染水」には、人体にはほとんど影響がないといわれる微量の放射性物質トリチウムが含まれている。政府は2021年4月、海洋放出の方針を決定した。しかし周辺の漁業者などは「せっかく事故後10年を越えて、福島県沖の魚が売れ始めたのに、また“放射能風評”で売れなくなる。海洋放出絶対反対!」という声が強い。タンクの水は貯まる一方だ。

 この本は、長く生活家庭部で食品の安全性の問題などに取り組んできた小島正美さんが、読売、朝日出身の現・元科学ジャーナリスト、児童や教師などに放射線について教えているリスクコミュニケーションの専門家、大学教授など8人に呼びかけて作り上げた。トリチウム水問題に「わたしはこう考える」という本音ベースの論評を書いてもらったという。

 私も経済部でエネルギー担当をしたことがあり、これまでの日本の原子力発電所、韓国、中国を含めた海外の原子力発電所の排水には、トリチウムが含まれていることは知っていた。今回のF1のトリチウム排水の放射能は、IAEA(国際原子力機構)の定めた国際排水基準を十分にクリアーして、さらに海外の原発の二分の一から、韓国の月城原発の七分の一程度のもので、漁業に影響があるとは考えにくい。

 小島さんは、日本のマスコミはこの辺の科学的事実を明確に伝えず、「危険性のある可能性を否定できない」というあいまいな表現で、むしろマスコミ自身が“風評”を作る役割を果たしているのではないかと指摘して、報道の在り方を問うている。

 確かに日本の原子力政策のツケの結果としてF1の事故は起きたのだが、その後処理を国際的な基準で進めて行かなくては、カーボンニュートラルなどの新しい政策に進んでいかないのではないだろうか。その意味でこの本はマスコミの在り方、日本のエネルギー政策の推進を考える上で勉強になる。

(佐々木 宏人)

「みんなで考えるトリチウム水問題 風評と誤解への解決策」は、2021年7月、㈱エネルギーフォーラム社刊、本体価格1200円+税。表紙の写真はルネ・マグリットの「大家族」〈小島正美(こじま・まさみ)さんのプロフィール=著書から〉食・健康ジャーナリスト。 1951年愛知県犬山市生まれ。愛知県立大学卒業後、毎日新聞社入社。松本支局などを経て、東京本社生活報道部。編集委員として食や健康・医療問題を担当。2018年に退社。2015年から「食生活ジャーナリストの会」代表。東京理科大学非常勤講師。主な著書は「新版・スズキメソード 世界に幼児革命を―鈴木鎮一の愛と教育―」(創風社)、「誤解だらけの遺伝子組み換え作物」(エネルギーフォーラム)「メディア・バイアスの正体を明かす」(エネルギーフォーラム)。