新刊紹介

2021年10月13日

『村上春樹をめぐるメモらんだむ 2019-2021』を学芸部編集委員、大井浩一さんが刊行

 7月の『大岡信 架橋する詩人』(岩波新書)に続き、9月に『村上春樹をめぐるメモらんだむ 2019-2021』(毎日新聞出版)を刊行した。いずれも毎日新聞連載をまとめた本だ(後者は毎月第4日曜朝刊文化面に連載継続中)。

 来年2月の還暦を前にした記念出版……というようなつもりは全くなく、たまたま刊行時期が重なった。特に、『村上春樹をめぐるメモらんだむ 2019-2021』(以下は『村上メモ』)のほうは今春、『大岡信』の校正を一通り終えた後、毎日新聞出版に話を持って行ったところ、「9月に出せるなら出す」ということになり、大わらわで間に合わせた感じだった。

 『大岡信』は既に本欄で望外の紹介をしていただいたが、その後、いくつか書評が出た。中でも、毎日新聞10月9日朝刊「今週の本棚」で、社会学者の橋爪大三郎さんがコンパクトながら核心をついた評を書いてくださったのはありがたかった。

 サブタイトルの「架橋」は、大岡さんが現代詩のみならず、古今東西の文学から現代の美術、音楽、演劇など幅広い芸術を論じ、また多ジャンルの芸術家と共作を試みたことを指す。このことを橋爪さんは「輝く星々が夜空を横切るのを、じっと引力の場を張って支える銀河の中心」と絶妙の比喩を用いて表現された。本書には1960~70年代の「政治の季節」をはじめとする時代背景も多く書き込んだが、まさにその時代に青春期を過ごした橋爪さんの世代が、ごく自然に現代詩になじみ、深い理解を持ったことの証左とも感じる。

 一方、『村上メモ』は、何かの巡り合わせで学芸記者になって間もない97年から取材してきた村上春樹さんの最近の動静を、かなり個人的な体験や感想を交えながらつづっているコラム(ウェブ版)をまとめたものである。ルポともエッセーとも評論ともつかない文章を自由に書かせてくれる毎日新聞の度量の大きさには感謝している。

 コラムを思い立ったのは、かつてメディアの取材にほとんど応じなかった村上さんがここ数年、ラジオDJを始めるなど、公の場によく姿を現し、積極的に発言するようになったからだった。こういう方面の話題は、取材してもごく一部を記事にできるだけで、残りは自分の記憶にとどめるのみとなる。それではもったいないという気持ちだった。

 ところが、2019年の連載スタート(当初は月2回だった)から半年もたたないうちに、新型コロナウイルスの感染が拡大し、世の中の様相は一変した。日本と海外を頻繁に往復していた村上さんも国内に「足止め」状態となったわけだが、ラジオ番組などでは休業で苦境に陥った人々に寄り添うコメントとともに、「説明しない」政治への厳しい批判も口にした。思いがけずコロナ禍と、その中で旺盛な発信を続ける作家の動きと伴走する形となり、当初考えていた以上に貴重な記録になったかもしれない。

 幸い、20年7月の単独インタビューも、村上さんの了解を得て収録することができた。出版物としては、これが最大の読みどころといえるだろう。72歳の村上さんの活動は質量ともに年齢を感じさせない。こちらも年寄りぶってはいられない。裏話もいろいろあるが、まだ現役の記者という立場に免じて、この辺でご容赦いただきたい。

(大井 浩一)

『村上春樹をめぐるメモらんだむ 2019-2021』 毎日新聞出版1980円(税込み)
ISBN:978-4-620-32700-6
大井浩一(おおい こういち)さんは1962年、大阪市生まれ。1987年、毎日新聞社入社。社会部などを経て学芸部長、大東文化大学、法政大学講師を歴任。著書『批評の熱度──体験的吉本隆明論』(勁草書房)、「2100年へのパラダイム・シフト」(共編著、作品社)など。