新刊紹介

2022年2月14日

学芸部の栗原俊雄記者が『東京大空襲の戦後史』刊行~新聞ジャーナリズムの役割を果たすために

 拙著『東京大空襲の戦後史』が2月18日、岩波新書から刊行される。私(栗原)が、毎日新聞のウェブサイトで連載している(現在は休止中)「常夏通信」(https://mainichi.jp/articles/20211201/k00/00m/040/335000c )の一部に大幅に加筆し、再編集したものである。

 1945年3月10日、東京東部の下町に対する米軍の無差別爆撃で、およそ10万人が虐殺された。「東京大空襲」として、歴史の教科書に書かれている。毎年この日、新聞やテレビなどのメディアが77年前のそれを報じる。日本人だけでおよそ310万人が命を奪われた第二次世界大戦の中でも、比較的広く知られている事件であろう。

 ただ私が見る限り、東京大空襲の報道には現在に通じる視座がない。他の戦争被害に関する報道にも通じることだが、空襲体験者を探し出してコメントをもらい、被害の実態を伝え、「戦争だけはしてはいけない」などと締めるのが一つの文法だ。

 それを書く記者は「伝統」の書式に守られ、デスクも安心して読むことができる。読者も読み慣れているだろう。私は、そうした報道が必要だとは思うが、自分ではあまりしない。

 その文法は便利だが、それを使ってしまうと戦争があたかも昔話のように思われてしまうのではないか、という危惧がある。戦闘は77年前に終わった。しかし戦争は終わっていない。それが、私の認識である。

 空襲被害者たちにとって、戦争の終結は新しい苦しみのスタートでもあった。家財産を焼かれた者。保護者を殺された者。子どもを焼き殺された者。被害者は殺された10万人だけではない。その数倍、あるいは数十倍の被害者がいたのだ。私はこうした当事者に取材を重ねてきた。

 我らが日本国は、1952年に独立を回復するや、GHQが禁じていた元軍人・軍属や遺族への補償や援護を始めた。その総額は累計60兆円に及ぶ。ところが民間人には「国が雇用していなかった」という理屈で、びた一文出そうとしなかった。

 国に雇われていようがいまいが、国が始めた戦争で被害に遭った点では同じだ。民間人被害者が「差別だ」と憤るのは当然である。ところが行政は頑として応じない。被害者は司法に解決を求めるが、裁判官たちは「戦争被害受忍論」、つまり「戦争ではみんな何らかの被害があった。だからみんなで我慢しなければならない」という寝言のような「法理」で訴えを退け続けた。東京、大阪、名古屋大空襲の被害者が起こした裁判はすべて原告敗訴が最高裁で確定している。

 判決の中には、原告たちの被害を事実として認定し、立法による解決を促すものもあった。しかし政治家たちは動かない。被害者は政治が動かないからこそ、司法に訴えたのだ。我らが日本国の三権は、こと戦後補償に関する限り被害者を救うためではなく、たらい回しにするために機能してきたのだ。

 裁判闘争の中で多くの空襲被害者たちが倒れた。それでも、立法による解決を信じて国会議員たちに働きかけている者たちが今もいる。80歳を過ぎた被害者たちが、議員たちに陳情をしているのだ。また空襲の後遺症を心身に負ったまま今も苦しんでいる人がいる。広義の戦争は未完なのだ。

 かつて新聞は、政府の広報紙と化して戦争に協力した。であればこそ、新聞ジャーナリズムの最大の役割は、為政者たちに二度と戦争を起こさせないことだ。私は20年近く、この「未完の戦争」の実相を取材している。戦争は国策である。為政者たちの責任が決定的に重い。その為政者たちは、ほんの一部を除き戦地には行かない。行くのは庶民だ。そして国策ミスの勘定書きはその庶民に回されてきて、何十年たっても清算されない。そうした事実を具体的に伝えることが、新しい戦争への抑止力になると、私は信じている。本書がその一助になれば幸いである。

(栗原 俊雄)

 『東京大空襲の戦後史』は岩波新書刊、946円(税込み) ISBN-10 400431916

 栗原俊雄(くりはら・としお)さんは1967年生まれ、東京都出身。早稲田大学政治経済学部政治学科卒。1996年毎日新聞入社。横浜支局などを経て2003年から東京学芸部。現在は専門記者(日本近現代史、戦後補償史)