新刊紹介

2022年9月30日

「記者がひもとく『少年』事件史~少年がナイフを握るたび大人たちは理由を探す」を夕刊編集部の川名壮志さんが刊行

 9月27日。安倍晋三氏の国葬が終わりました。賛成派と反対派の間で怒号が飛び交うほどに大変な議論を呼んだ国葬ですが、歴代最長の在任期間を誇る元宰相が、銃撃されて絶命するという出来事は、戦後の政治史の大きな節目だった思います。衝撃的な事件として、多くの人の記憶に刻まれるはずです。

 毎日新聞は、この事件で時代の「証拠」を残しました。安倍氏の銃撃事件の顛末を、レンズに捉えたからです。アスファルトの路上にあおむけで倒れ、目を開かない安倍氏。救命措置をするスタッフの緊迫した表情。その瞬間をとらえた写真が載った夕刊(7月8日付)は、他紙を寄せ付けない迫力がありました。新聞協会賞に値する写真だと思います。

 撮影したのは、奈良支局の久保聡記者(99年入社)。長崎支局時代の私の先輩でした。電話すると、「政治部も来てへんし、俺しか撮る奴、おらんかったからな」とサラリ。他紙は山上徹也容疑者を追ったり、倒れている安倍氏を遠巻きに見ていたりしたそうです。不測の事態にも動じないところが、いかにも毎日新聞の先輩らしいな、と思いました。

 衝撃的な写真ですが、さらに衝撃的だったのは、撮られた写真が、携帯(iPhone)によるものだったという事実。「今は、機能はデジカメと変わらんからな」。これまたサラリと言われ、驚きました。

 じつは、政治家の殺害事件と毎日新聞とは奇妙な縁があります。2007年に長崎市の伊藤一長市長が銃殺されたときも、写真を撮ったのは長崎支局の記者(01年入社)。私の同期でした(彼も新聞協会賞を受賞しました)。

 そして、なによりも世間に知られているのは、1960年の浅沼稲次郎・社会党党首の刺殺事件でしょう。毎日新聞写真部の長尾靖カメラマンがとらえた刺殺の瞬間の写真は、日本初のピュリッツァー賞を受賞したのですから。

 ただ、この浅沼刺殺の事件は、令和の時代に記者をしている私にとって、違和感を覚えるものでもあります。刺殺した17歳の少年、山口二矢の顔写真も実名も、大きく一面に掲載されているからです。毎日にかぎらず、各紙とも山口二矢の顔写真、そして実名を掲載しています。当時の紙面をめくってみても、少年を実名、顔写真付きで掲載したことについて、読者や識者からの批判は見当たりません。すでに少年法が施行されて長いのに、とても不思議に思います。

 遅ればせながらですが、私は「少年事件」に関心を持っています。

 少年事件の視点で、いま一度、この事件を考え直してみます。すると、当時の新聞が、山口二矢を17歳の「子供」ではなく、政治に憂えた早熟な「青年」として報道しているのも、きわめて印象的です。

 私が毎日新聞に入社したのは2001年。その前年には、17歳の少年による殺人事件が相次ぎ、「キレる17歳」という言葉が流行語になりました。政治的な思想も、厳しい受験戦争のプレッシャーもない少年の事件に、新聞が注目する時代に、私は入社したのです。

 なぜ、少年事件に新聞が注目するようになったのか。

 これは1997年の神戸連続児童殺傷事件の影響が大きいと思います。14歳の「少年A」が逮捕されたとき、朝日、読売、毎日の各紙の朝刊は、一面がこの事件一色に染まりました。以後、新聞は「少年事件」を「成人事件」より大きく扱う方向へと舵を切っています。

 じつは、少年事件の報道というのは、時代によって、その扱い方も、扱うネタも大きく違っています。それは、毎日新聞のOBの方々に話を聞いても、よく分かります。

 70年代に入社した先輩記者に話を聞くと「犯人が少年と分かったら、取材をやめちゃったよ。だってガン首が載せられないんだから」と言われました。殺人事件でも、「犯人」が少年なら大きく扱わない、というのが常識だったそうです。

 80年代に入社した先輩記者には「少年事件は、親子関係と教育だよ」と熱っぽく語られました。これが90年代入社になると「少年の人殺しなら、一面だよね」に変わります。

 戦後の少年事件の記事をめくってみると、その時代ごとに、取り上げられる事件が異なることが分かります。1960年代には、山口二矢のようにテロに走る政治的な少年。それが70年代の手前で、永山則夫のような資本主義の「落とし子」である少年の事件に注目が集まるようになっています。70年~80年代は、暴走族や家庭内暴力の「子供」の事件の記事が続出しています。それが90年代以後になると、神戸の連続児童殺傷事件のように「動機の分からない」事件への関心が高まっています。

 また少年事件を取り巻く環境(教育の問題、司法制度の不備)を大きく取り上げた時代もありました(先日、80年代からの少年事件に詳しい若穂井透弁護士と話をしていたら毎日OBの三木賢治記者と親しかったと聞きました)。

 そう考えてみると、新聞記者ひとりひとりでも、「少年事件」の捉え方が違うのではないでしょうか。

 つまるところ、少年事件は「時代の鏡」だということ、あるいは少年事件は「時代のカナリヤ」ということなのだと思います。ならば、きちんと記録として残さなければ、と思いました。

 そうして書き上げたのが「記者がひもとく少年事件史~少年がナイフを握るたび大人たちは理由を探す」(岩波新書)です。これまで新聞報道で大きく扱われた少年事件と、その時代背景を描いています。

 過去の記事をたどりながら、「これは毎日新聞のアノ先輩が書いた記事だな」と思いながら本を執筆していました。記事に諸先輩方の署名を見つけるのも、執筆の楽しみの一つでした。

 諸先輩方にご一読いただければ嬉しいです。

(毎日新聞東京夕刊編集部 川名壮志)

 川名壮志さんは2001年、毎日新聞入社。佐世保支局を振り出しに、福岡総局、東京社会部などを経て2021年から夕刊編集部。著書に「謝るなら、いつでもおいで」、「僕とぼく」(いずれも新潮文庫)、「密着 最高裁の仕事」(岩波新書)など。

 「記者がひもとく『少年』事件史~少年がナイフを握るたび大人たちは理由を探す」は岩波新書、定価946円(税込み)ISBN 9784004319412