随筆集

2023年1月23日

『目撃者たちの記憶1964~2021』番外・写真部記者列伝⑨ ——空襲も、「額縁ショー」も撮った吉村正治

吉村正治さん

 「写真部にボーヤから入ったから社歴は長いんですよ」

 いつも色鮮やかなネッカチーフをして、おシャレだった吉村正治さん。背番号は「42」。戦前、昭和17年入社である。

 空襲のたびに有楽町にあった本社ビルの屋上に上がって、カメラを構えた。3月10日の東京大空襲の時も、新館のプラネタリウムに焼夷弾が落ちて炎上した1945(昭和20)年5月25日夜半の空襲のときもそうだった。

 48(昭和23)年7月1日、毎日グラフ創刊。表紙は高峰秀子。先輩カメラマンの助手を務めた。

 52(昭和27)年5月1日、皇居前広場の血のメーデー。スピグラで3枚撮り、夕刊最終版に間に合うと社に駆け戻った。

 後輩の米津孝さん(94歳)は「トシは4歳違いだが、社歴は10年違った」という。米津さんは、早大文学部美学卒で、52年入社だ。

 吉村さんの代表作?!に——。

 日本のストリップショーのはしりともいわれる「額縁ショー」だ。その始まりは、1947年(昭和22)年1月、東京・新宿帝都座五階劇場での「ヴィーナスの誕生」だった。

 吉村さんが撮ったのは、同年9月、洋画家東郷青児氏が描いた「牧歌」「南風」「月光」などをモチーフに、出演者が絵と同様のポーズをとる「東郷青児アルバム」。その稽古中に撮影した。

 「毎日グラフ」1948年(昭和23)年10月15日号に掲載された。写真説明に、「東京都新宿区の帝都座で1947年(昭和22)年9月、吉村正治撮影」とある。

 吉村さんは、2016年、91歳で亡くなったが、米津さんは、この毎友会HP「追悼録」で「1964(昭和39)年東京オリンピック前、アメリカ特派員で取材された中の1枚、ロサンゼルスの高速道路をチャーター・ヘリからの空撮写真は、とりわけ印象深い。自信に満ちた吉村さんの取材姿勢に、自分の夢が託されていく幸せ感を持ったものです」と綴っている。

 沖縄取材を始めたのが、1960年代初頭。アメリカの占領下にあった時代から40年以上にわたって取材し続け、写真集『沖縄いまむかし』(2001年)を出版している。

 歌人塚本邦雄著『新歌枕東西百景』の写真を担当、毎日新聞社から1978年9月に出版。

 芭蕉の「奥の細道」を追って、写真集『芭蕉紀行』①~③(グラフィック社 1994年刊)をものにしている。

(堤  哲)