随筆集

2023年2月1日

福島清さんの「活版工時代あれこれ」⑨ 活版工の闘いの記録

 「❻日本の労働運動と活版工」で、活版工が日本の労働運動史の中で、先駆的な活動をしたことを紹介しました。今回はその続きで、1冊の本を紹介します。

【戦時中印刷労働者の闘いの記録―出版工クラブ】

 編者の杉浦正男さんは1914年東京生まれ。小卒後東京印刷で文選工に。1937年に結成された「出版工クラブ」に参加。1942年に治安維持法違反で逮捕。戦後釈放されると全日本印刷出版労働組合書記長、全日本産業別労働組合会議(産別)書記長などを歴任し、2020年106歳で死去しました。本書(1964年2月18日刊、非売品)発行の目的について次のように書いています。

 旧出版エクラブのおおくの会員が力をあわせて(本書を)つくった理由はいくつかある。一つは日本の労働運動史を訂正してもらいたいと思うからである。すなわち昭和15年から昭和20年の終戦の日まで、日本の労働運動は戦時下の徹底的な弾圧による左翼勢力の衰退と、それに加え右翼幹部の戦争協力という裏切りのため労働運動は影をひそめ、その意味では暗黒期といわれ労働運動の記録のうえでも空自となっている。私たちはこれに対して異議をとなえるものである。労働運動はけっしてなくなっていなかったのだと、印刷労働者の間には立派に労働運動は存続していたのである。あの烈しい弾圧のなかで抵抗し、組織をのこし闘いをすすめていた力こそ印刷労働者の、いや日本の労働運動全体の不屈の精神を示すものであると思うのでここに出版エクラブの活動の全貌を発表するのである。

 二つには私たち出版エクラブの指導者であった柴田隆一郎氏の活動の上でのこした高い指導性と徹底した大衆路線は、現在の労働運動においても学ぶべき点がたくさんあるのではないかと思うからである、私たちはおおくの人がこの本のなかから何かをつかんでくれたらありがたいことと思う。

 では、出版工クラブは、どのようにして結成され、どのような運動を組織したのでしょうか。

 杉浦さんは冒頭の「出版工クラブと柴田隆一郎氏の思い出」で次のように書いています。「出版工クラブは、東京の印刷労働者によって組織され、労働組合と同じように戦争に反対し、労働者の生活と権利を守るために闘ってきた組織である。なぜ労働組合の看板をかけなかったという問いに対して、激しい敵の弾圧の中で大衆の中にしっかりと根を下ろし、大衆とともに闘うにはこの形態が一番ふさわしかったのだと答えれば足りるだろう」と簡潔に書いています。

 この詳細は「1934年出版工クラブ準備期」から「1945年柴田の獄死と終戦による指導部の出獄」までの各項で紹介しています。出版工クラブが組織化の対象にしたのは、1938年当時の印刷製本工場3,932のうち、98.3%をしめる100人以下の中小零細工場の労働者たちでした。出版工クラブの存在と方針への支持は高まり、1939年には1500人に達しました。当時、東京で参加した工場名が、以下のように記録されています。

【神田支部】鉄道弘済会、同興社、塚田印刷、太陽社、文雅堂、一番館、広業印刷、日英社、加藤文明、川瀬印刷、長瀬印刷、三秀社、宮本印刷、三鐘印刷、有朋堂、オーム社、精興社、大山印刷、勝文社、秀英社、活文社、新間の新聞社、常盤印刷、松村印刷、松浦印刷、桑田印刷、文誠社、明治印刷、堀口印刷。
【芝支部】常盤印刷、中屋三間印刷、川口印刷、一色活版、ユニオン社、ジャパンタイムス社、安久社、ダイヤモンド社、青野印刷、小野印刷、山県印刷、中村印刷、野村五七堂、和田印刷、金山印刷、近藤印刷、民友社、鷲見文酉堂、硯文社、杉田屋、あけぼの新間、日進社、月山社、東京製本合資、青山印刷。
【京橋支部】大参社、三友社、原田印刷、浜野印刷、第一印刷、丸の内印刷、円谷印刷、豊文社、尚文社、倭文社、三豊社、邦文社、金凰社、大倉印刷、庄司印刷、典文社、電信堂、石川印刷、国際出版印刷、細川活版、文祥堂、特急社、藤生社、三協印刷、帝国興信所、福神印刷、ヘラルド通信、安信社、伊坂印刷、不二印刷、京屋印刷、三共印刷、農林印刷、国光印刷、川橋仁川堂。
【その他】行政学会印刷所、陸軍小林印刷、康文社、昭文社、今井印刷、文明社、正文社、畠野製版、旭印刷、凸版印刷、中島印刷、安田印刷。

 あの戦中、大手新聞社の印刷活版労働者たちは何をしていたでしょうか。新聞労働運動の歴史には何もありません。今、新聞各社には現場労働者はほとんどいません。また新聞経営は極めて深刻になっていると報道されています。毎日新聞も例外ではありません。さらに労働運動は「連合芳野麻生にチン上げおねだりし」(亀山久雄さん)で、「野党共闘」は幻と化しています。「出版工クラブの闘い」は、「じっとしていていいのか」と問いかけてきます。

(福島 清・つづく)