随筆集

2023年2月6日

『目撃者たちの記憶1964~2021』番外・写真部記者列伝⑫ ——「写真課」誕生、初代課長は「東日」西牧季蔵、「大毎」北尾鐐之助

 東京と大阪の編集局に「写真課」が新設され、写真課長が発令されたのは1931(昭和6)年5月8日だった。

 その時の職員録が残っている。

 <東京支店>東京日日新聞写真課 課長:西牧季蔵
  課員:関本虎蔵、橋本芳衛、三浦寅吉、山中宏、唐澤貫一
 <大阪本社>大阪毎日新聞写真課 課長:北尾鐐之助
  課員:半田義士、堤謙吉、高田正雄、松尾邦蔵、石川忠行(準社員)

 東日の初代課長・西牧季蔵は整理畑出身で、それ以前に写真場長、整理部撮影係監督をしている。札幌・千葉各支局長のあと、1939(昭和14)年に写真部長に返り咲いた。

 1977年没89歳。社報の追悼録で、入社3年目に写真部長として仕えた26歳年下の石井清(大阪・東京両本社で写真部長、「カメラ毎日」創刊号の表紙を撮影)が「謹厳で朴とつな人柄。『定年になったからと老け込むな。オレは80歳を超えたが元気だぞ』と年賀状に書いてきた」と綴っている。

 大毎の北尾鐐之助は、1913(大正2)年大毎社会部入社。整理部→写真場長となり、「写真研究」の名目でアメリカ出張。その報告を本紙に連載し、26(大正15)年「あめりか写真紀行」を出版した。写真もなかなかの腕前だ。

西牧季蔵
北尾鐐之助

 26年1月「サンデー毎日」第3代編集長(当時は編纂課長)。5月には「日本写真美術展」を大阪、ついで東京で開催した。全国規模の写真展は初めての試みだった。

 映画「新聞時代」制作の監督を務め、29(昭和4)年3月に完成、松竹系映画館14館で一般公開した。これは販促のツールに使われた。

 35(昭和10)年8月にはフォト・マガジン「ホームライフ」を創刊した。北尾編集長は、「社会文化の波のうごきを文字からでなく、写真によって美しく視覚化された雑誌」をうたった。創刊号には、北尾が撮影した「打出の家・谷崎潤一郎夫人松子さん」をはじめ、大毎では松尾邦蔵、半田義士、高田正雄、石川忠行、東日では藤本健爾、橋本芳衛、佐藤振寿、山中宏の作品が掲載されている。

「ホーム・ライフ」創刊号
 
北尾鐐之助撮影「打出の家・谷崎潤一郎夫人松子さん」
藤田嗣治画の表紙
 

 表紙は洋画家の高岡徳太郎。翌11年9月号から1年間は藤田嗣治が描いている。

 終刊は40(昭和15)年12月。わずか5年だったが、2007年に「幻の高級グラフ雑誌『ホーム・ライフ』を完全復刻」とうたった復刻版が発売された。B4版2536㌻。定価28万5千円+税。版元は柏書房だ。

 北尾は1925(大正14)年に発売されたライカをいち早く入手して、大阪の街を歩いて『近代大阪』(創元社1932年刊)を刊行。文章も軽妙だった。大毎にコラム「茶話」を連載していた学芸部記者薄田泣菫に褒められるほどで、いくつもの著作をものにしている。

 写真課長から1933(昭和8)年10月新設の大毎初代写真部長。1970年没86歳。

 大毎写真部長は、そのあと石川欣一→角井龍之介→高田正雄で終戦を迎える。

 一方、東日写真課は、西牧のあと小林万之介→大野木繁太郎、1936(昭和11)年4月、大毎より2年半遅れて写真部に昇格、初代部長に校正部長から弓館芳夫(小鰐)が就いた。弓館は、1903(明治36)年に第1回早慶戦が行われたときの早大野球部のマネジャー。26(大正15、昭和元)年1月26日から5月27日まで、東京日日新聞夕刊で「西遊記」を連載している。写真部長は、その後今吉顕一→堤為章→西牧季蔵→三浦寅吉と続く。

 三浦は42(昭和16)年9月から終戦後の45(昭和20)年10月末まで写真部長を務め、サンフォトニュース社へ出向する。

(堤  哲)