随筆集

2023年2月27日

『目撃者たちの記憶1964~2021』番外・写真部記者列伝⑮ ――何枚も写真を撮らなかった津川政二郎

1974(昭和49)年9月6日夕刊3面
津川政二郎さん

 西部本社の写真部長も務めた津川政二郎は、シャッターをバシャバシャと切らないので有名だった。「これ」という決定的瞬間だけ撮ればよいという考えだ。

 この先輩カメラマンと会津に出張した。百歳の誕生日を迎えるおばあさんの取材だった。子、孫、ひ孫、玄孫139人に囲まれて、と思っていたら、お宅を訪ねると、誕生日の2日前に急逝したというのだ。

 さぁ困った。おばあさんはチャンチャンコが縫うのが得意で、百歳記念のお返しに「寿」のノシをつけて贈ることにしていて、チャンチャンコ27枚が残された。

 この話を隣に座って聞いていた津川が「それを物干し竿にかけていただけますか」と頼んで撮ったのが、この紙面である。4、5枚撮ったのだろうか。

 手前にコスモスが咲き乱れ、向こうに茅葺の農家。センスあふれるワンショットだった。

「曲がってますね」毎日グラフ1988年6月23日号(部分)

 西部本社は、報道部写真課から1958(昭和33)年7月1日独立課となった。その初代課長が日澤四郎。その後国平幸男→岩本重雄→大沢勇之助と続き、津川は70(昭和45)年4月に第5代写真課長となった。翌71(昭和46)年2月に写真部に昇格、初代部長になった。

 その後、東京本社に転勤になり、一緒に仕事をする機会に恵まれたわけだ。両切りピースをうまそうに吸う、おしゃれでダンディな津川さんを憶えている。2008年没82歳。

 津川さんは、こんな写真も撮っている。「天皇陛下(昭和天皇)のネクタイのゆがみに気づかれた皇后さま(香淳皇后)がニコニコされながら直してさしあげた。急いでシャッターを切ったが、スピグラでは1枚がやっとのチャンスだった。

 東京五輪では柔道を担当したからこの紙面の写真も津川撮影だ。

(堤  哲)