随筆集

2023年4月20日

「少子化と私」―成田 紀子さんが寄稿

 今は昔のことを書く。

 なんで今さらと思われるかもしれないが、「少子化が問題」と言われてかまびすしい現在、私には書かずにいられないことがある。

 毎日新聞社に入社して10年ほどたっていたころ、ちょうど今から半世紀ほど前になるが、私は、0歳数カ月の赤ん坊と2歳の女児2人を育てていた。会社ではなるべく所帯臭さを出さないように、あたかも子どもなんていないように振舞っていたが、家に帰れば子どもたちを相手にシッチャカメッチャカの生活だった。

私は子どもを抱かない母親だった?

 上の娘がすでに50歳に近いころ、ポツンと「私って、お母さんに抱かれたことあったのかしら?」と言った。私は、びっくりして「当たり前でしょ。子どもを抱かずに育てられるわけないでしょ!」と返したが、いい大人になって、なぜ娘がそんなこと言うのか考えてみると、母親から離れていたような生活の淋しさをずっと抱えていたのかなと思った。

 上の娘が赤ん坊の時は、預かっていただいた家へは遠かったので、私が毎朝行けず、夫の仕事の都合で朝7時に車で連れていき、夕方も7時過ぎに連れ帰る生活が続いた。ウイークデイは抱く時間なんてなかったし、休日も抱き癖がつくと困るので、ほとんど抱かなかった。

子どもを産みたくなかった私

 振り返ってみると、もともと私は子どもを産みたくなかった。まさに男性と同じように、出来るだけ、仕事に没頭したかったのだ。しかし夫は子ども好きだったし、夫の母、すなわち姑は孫を欲しがっていた。結婚して4年ほど経過したころ、弟夫婦に先に子どもが生まれると、姑が「あなたは子どもが産めないの?」とねちねち言い出した。子どもを産むか、離婚するかしかないかと思い始めたころ、妊娠した。致し方なく出産することに決めたが、生まれた赤ん坊を見るまで、どこか長期に預かってくれるところはないかと、私はいろいろ探して施設を見に行ったりしていたが、安心して預けられるような所はなかった。

赤ん坊の顔を見て一転

 そうこうしているうちに、いよいよ出産となり、無事赤ん坊が生まれ、子どもがいざ自分の隣に寝かされてみると、そんな考えはいつのまにか吹き飛んでしまい、何とか自分の手元で育てなければという気持ちに変わっていった。まさかそんな気持ちになるなんて、自分自身に驚いていたが・・・・・・?

育児と仕事の両立・・・ かなり甘かった私

 産休は予定日より1か月前から取り始めたが、出産が半月遅れたので、産後の休暇は1か月半しか残っていなかった。その頃は「育休」は全くなかったので、「産休は産前・産後90日」が規定だった。

 どうやって仕事をしながら育児をしていくか? 私としては漠然と同じ屋敷内に住んでいた、まだ50歳代の姑が赤ん坊を見てくれるかもしれないぐらいのことも考えていた。しかし産休が切れる少し前になって、そのことを姑に頼んでみると、全くけんもほろろに「私は赤ん坊なんて見ないから」と取り付く島もなかった。姑は姑で、きっとこれで嫁は仕事を辞めるだろうと思っていたらしいのだ。

 私は自分の甘さをかみしめながら、出勤まであとわずかとなった期間に八方手を尽くして子どもを預かってくれそうなところを探し回った。結果、ようやく探しあてたのが、出勤開始の前日で、家から歩いて30分もかかる無認可保育園だった(横浜は山坂が多く、自転車を使いにくいという難点がある)。藁をもつかむ思いで直ちに夫とその保育園の責任者のところへ頼みに行ったが、保育園の開園時間が朝8時から夕方5時ということで、私の勤務時間に合わず、まして通勤時間を考えると全く無理ということが分かった。しかしそこで引き下がっては、翌日からの出勤に間に合わないので、膝詰め談判をした。朝晩の保育園の時間外は、その保育士さんに、私たちの子どもを特別に引き取って見てもらうように、なんとか頼み込んだ。幸いその保育士さんは保育園の隣に住んでおられたので、都合が良かった。ともかく強引に引き受けてもらったのだ。

 このような次第で、私は何とか出勤できる状態になったが、まだ首の座らない生後一か月半の赤ん坊を柳行李に寝かせて、朝7時に車で件の保育士さんの家へ届け、夜は私が7時半近くに駅に着くと、走って赤ん坊を迎えに行き、おんぶして帰宅するという状態だった。確かに娘に「私はお母さんに抱っこされたことないんでしょ」と言われるとおり、ゆったりした気持ちで娘を抱いたことはなかったかもしれない。

本当に私は「子ども嫌い」なのか

 今でも、私は時たま「私は子どもが嫌い」と言ってしまうことがある。あえて子どもと遊んだり、抱いたりしたいと思わないのだ。しかしこれは「子どもが嫌い」ということなのかとよく考えることがあるが、「嫌い」というより「苦手」といった方がよいかもしれない。ゆっくり子どもたちを相手に遊んで楽しんだ経験がほとんどないのだ。もっと時間的なゆとりがあって、子ども達と遊び方を考えたりして遊んだら、子どもとの時間を楽しめて、子どもを好きになったかもしれない。こんなふうに考えると、私は仕事にかまけて後天的に子ども嫌いになったのではないかと思う。

 人間はそもそも先天的に幼いものをかわいがる性質をもっていると思うのだ。それが何かが原因で後天的に幼いものをわずらわしく嫌いになるのではないかと思う。

かくいう私も6歳まで一人っ子で育ち、弟たちが次々生まれるまで、自分の下に小さい弟妹がいたらかわいいだろうと思ったものである。しかし次々と弟が3人生まれ、彼らの面倒を見るのが私の仕事になってきて、幼い子どもたちが嫌いになってしまった経験がある。

長女が子ども嫌いに

 上の娘が結婚して5年ほどたった30歳代前半のころ、私は彼女に「あなた子どもを産まないの?」と聞いたことがある。すると彼女は「産まないことにしたわ」と言うので、理由を尋ねると、「私、子ども嫌いだから」とのこと。その上「お母さんだって嫌いでしょ」と言われてしまって、私はグーの音も出なかった。私はそれ以上聞けず、黙ってしまった次第。その後、娘の夫に聞いてみたが、「二人で話し合った結果ですから」と言われ、それ以上何も聞けなかった。本当の理由は何だったのだろうか?聞かなくても私にはわかる気がする。しかしはっきり言うのは、つらい。現在娘は50歳を過ぎ、趣味と実益を兼ねる好きな仕事をしながら、夫との生活を楽しんでいる。もちろん「子どもが居たら良かったのに」という言葉は聞いたことがない。

 私の生き方が、彼女に子どもを持たない選択をさせてしまったのか、あるいは現在の社会状況がそのような選択をさせたかは、明確には分からない。

少子化へ進む社会
  ・・・・遅まき、見当はずれの行政の対応

 これまで私が漠然と感じてきた「こんな世の中では、いずれ子どもを産む人が少なくなる」という思いが現実になってしまったということは、言えるように思う。少しでも出生数を少なくするか、産まないという選択をし、自分たちの生活をエンジョイしたいというのは、自然の成り行きである。男女ともに長時間労働で、しかも育児は母親がやるのは当然という社会的な意識のなかでは、特に母親はボロボロになってしまう。毎日新聞東京本社では、私が出産した後、数人の出産する女性社員が出たが、子どもさんたちが幼かった時期は、みな戦闘状態だったようだ。

 ここ数年は、政府や地方自治体が保育園を作ったり、子ども・子育て支援のための方策を実施したりしているが、本当に今さら遅すぎる。実際、私の下の娘が出産して子どもを保育園に預けようとしたとき、それは私が自分の子どもを預けるために保育園を探してから30年も後のことになるわけだが、若干保育園の数は増えていたが、預ける子どもの数が増えているため、保育園不足は続いており、保育士の待遇は相変わらず悪く、少し良くなったのは、育休の制度が出来たくらいで、一体行政は30年間何をしてきたのかと思ったものである。

 ただ金をばらまけばよいという見当はずれの施策が多かった。本当に男女が働きながら幸せな家庭を築くには、何を変えなければならないか。家庭の中だけではなく、労働の現場の意識や仕組み、制度を変え、社会の中へジェンダー平等の基本的な考え方をしっかりと根付かせることが重要だ。

 人間が家庭を営んで、出産するのは当たり前のこと。その当たり前の生活ができないようでは、社会の形に歪みが出てくる。現在、私自身の若かった頃を思い返してみて、いつのまにか「子ども嫌い」になっていたということを前述したが、もの凄く悲しいことではないかと思うのだ。

 2022年の日本の特殊出生率は1.30を割る公算が大きいという。最近聞いたところでは、韓国のそれは、0.78という。他人事ながら、空恐ろしさを感ずる数字である。人間の「幸せ」とはどういうものか?いま本当に真剣に考えなければならないことだと思う。

2023.3.11
(元販売企画本部 成田 紀子)