随筆集

2023年8月18日

幣原内閣の「憲法草案スクープ」―ナベツネさんのNHK「独占告白」で思い出す特ダネ記者

 「NHK」BS1スペシャル「独占告白 渡辺恒雄~戦後政治はこうして作られた 昭和編・平成編」の再放送を見た。この場面は、毎日新聞政治部の西山柳造、西谷市次両記者が、犬猿の仲といわれた日本民主党三木武吉、自由党大野伴睦の両総務会長を会わせたことが、保守合同→自民党結成、55年体制につながったことを、ナベツネさんが証言したところだ。

 NHKは、このフィルムを何回も再放送している。

 渡辺恒雄さんは、1926年生まれだから、ことし97歳になる。いまなお読売新聞グループ本社代表取締役会長・主筆である。

 毎日新聞の西山柳造さんは、ナベツネさんより10歳年上で、特ダネ記者だった。42年入社。「1年で47本の特ダネを書いた」と社史で紹介されたほどだが、「新聞記者の本懐であり、生涯の誇りである」と本人が語るのが「憲法草案スクープ」(1946(昭和21)年2月1日1面トップ記事)である。

 このスクープのことを政治部山田孝男記者(人気コラム「風知草」の筆者)が「追跡20世紀 特ダネで動いた戦後史」(2000年3月20日付)で書いている。以下はその引用――。

 《「憲法草案スクープ」といっても、現行憲法の草案を特報したわけではない。幣原内閣の「憲法問題調査委員会」(松本烝治委員長)がまとめた案をスッパ抜いたのである。それが天皇の統治権にこだわった非常に保守的な内容だったために、連合国軍総司令部(GHQ)が本格的な干渉に乗り出した。

 GHQはスクープ直後から10日間で「象徴天皇」と「戦争放棄」を骨格とするモデル草案を作成し、日本政府に受け入れさせた。現行憲法が「米国の押しつけ」といわれるゆえんだが、GHQと天皇や日本政府との交渉過程では、むしろ日本側が「国民主権」や「戦争放棄」に進んで共感を示したと解釈できる資料があり、それらが「押しつけ」否定派の論拠になっている》

 草案の入手先については、《「首相官邸1階にあった松本委員会の事務局に協力者がおり、極秘に草案を借りだした」のであり、「当時、有楽町にあった毎日新聞東京本社に草案を持ち込み、デスク以下で手分けして書き写したうえ、2時間後に元に戻した」と証言した》

 もうひとつ。「天皇会見のパイオニアは西山さんだった」と山田記者は書いている。

 《46年2月18日、AP通信社長ら米国のジャーナリスト3人が天皇と会見した。当時、宮内記者会で唯一の政治部記者だった西山さんは「外国の記者は会えて日本の記者は会えないのか」と猛烈に運動し、記者クラブ員の「謁見(えっけん)」が初めて実現した。宮内省(当時)の門外に記者たちがズラリと並び、天皇が帽子をとって一人ひとりの紹介とあいさつを受けたという》

 西山柳造さんは2005年没89歳。71年入社西山猛さん(政治部、北海道支社長)はその息子。

 西谷市次さんは81年没67歳。敗戦前に2年ほどマニラ新聞に出向、戦後政治部記者となった。

(堤  哲)

※山田孝男さんの記事は、「21世紀への伝言 記者たちのメモワール」のタイトルで、先輩記者を現役記者が取材する手法で毎週1回、連載した企画記事の1回です。1年半にわたる連載は『20世紀事件史 歴史の現場』と改題して毎日新聞社から出版され、この記事はその48ページ以下に掲載されています。