随筆集

2023年9月22日

初任地静岡で新聞記者の基本を教わった今泉章さん。その面影が娘さんの新刊に

 批判精神旺盛でしかも温かい目で人間を見ていた先輩記者、今泉章さんの長女圭姫子(本名・恵子)さんの新刊『青春のクイーン、永遠のフレディ 元祖ロック少女のがむしゃら突撃伝』が、世田谷区に住む母親の秀さんから贈られてきた。

 「我が今泉章の歴史を知ってもらいたいと思いまして」という言葉が添えられ、筆者(高尾義彦)が1969年に静岡支局に赴任して以来の自分の歴史に重ね合わせて、さまざまな思いが蘇ってきた。

 今泉さんは整理本部から静岡支局に赴任し、当時は次長に次ぐ三席の立場だった。その後、73年2月に甲府支局次長に転任し、後に宇都宮支局長(1982年5月~86年1月)などを歴任、1995年に64歳で亡くなった。

 恵子さんの著書から引用すると―

 「静岡、甲府に住んでいた時代は、音楽番組の公開収録に人気歌手が来るとなると、応募しては参加した」

 「父親が新聞記者だったことで、家族はかなりの引っ越しを重ねた」

 経歴を見ると、1958年に埼玉県鳩ケ谷市で生まれ、福島、東京と引っ越した後、1969年4月、小学校5年生で静岡に引っ越し、となっている。この年が今泉さん一家との出合いの年で、ご自宅にもたびたびお邪魔しているので、恵子さんを筆頭に3人の娘さんと顔を合わせる機会は多かったが、成長後の姿は想像できなかった。

 さらに著書の別の部分―

 1976年のクイーン日本公演。会場は武道館で、甲府から中学校の授業を早退して参加。とてつもなく天井に近い席。「私たちは父に相談して、新聞社にある高性能の双眼鏡を持ち込んでいた」

 「家族の中で、(ロックに関しては)ちょっと仲間外れだった父とは、1987年、後楽園球場でのマイケル・ジャクソン公演を一緒に観に行き、家庭内のバランスは取れた」

 恵子さんは「ボヘミアン・ラプソディー」などで世界的に熱狂的なファンを集めたイギリスのロックバンド「クイーン」にのめりこみ、湯川れい子さんのラジオ番組「全米トップ40」のアシスタントDJから音楽業界でのキャリアをスタートさせた、と経歴に記載し、英国留学やさまざまな突撃インタビューについて熱い思いを綴っている。

 静岡支局当時の今泉さんは、事件などがないとき、夕方からちゃっきり横丁の居酒屋などに腰を据え、支局で下手な原稿を書いていると、「早く出てこい」と電話をかけてくる。いそいそと出かけて、記者の体験話や取材の基本を、お酒を交えて教わるという日々だった。タクシーで奥様の秀さんや恵子さんらが待つ自宅にお送りして一日が終わる、というのがルーティンだったが、この「酒場講義」は自分の身体にしみる多くの教訓をもたらしてくれた。当時の次長(デスク)、阿部脩三さんは「こんちゃん、こんちゃん」と呼び信頼していたが、阿部さんも鬼籍に入って久しい。

 支局で警察・検察担当の頃は、今泉さんがキャップだった時期もあり、島田の一家4人殺害事件(1971年12月)など未解決事件の聞き込みに走り回ったり、懐かしい思い出が多い。清水市(当時)で猟銃を発砲し二人を殺して寸又峡に立てこもった金嬉老被告の裁判が静岡地裁で続いていた頃で、その取材でもいろいろ知恵を授けてもらった。南伊豆の妻良港で、転覆した船の船底に数人が閉じ込められた海難事故では、今泉さんの甲府支局転勤が決まっていたため、経験の浅い自分が初めて現場キャップを命じられ、心細い思いで仕事をした。

 遅ればせながら、改めてご冥福をお祈りしたい。

(元社会部、高尾 義彦)

『青春のクイーン、永遠のフレディ 元祖ロック少女のがむしゃら突撃伝』はシンコーミュージック・エンタテイメント発行、定価2,000円+税