新刊紹介

2024年6月28日

デジタル報道部長、牧野宏美さんが『春を売るひと―「からゆきさん」から現代まで』刊行

 取材を始めたきっかけは、新型コロナウイルス下の2020年秋、ある「からゆきさん」の衝撃的な「声」との出合いでした。

 からゆきさんとは、明治から大正、昭和にかけて貧しさなどさまざまな理由で海外に行き、娼婦となった女性たちのことです。

 島原(長崎県)・天草(熊本県)地方の出身者が多く、その声の主も島原半島の南端の港からシンガポールへ密航した女性でした。

 女性は第二次世界大戦後、島原に戻り、シンガポールでの苛酷な体験をある作家に赤裸々に語りました。その際の録音テープが残されていたことが分かり、研究者らの協力を得て、その内容を2020年12月に「毎日新聞デジタル」で詳報しました。

 貴重な証言ではありましたが、からゆきさんは随分昔の話で、私の周囲でもその存在すら知らない人が多かったです。読者にどれだけ関心を持ってもらえるかは未知数でしたが、想像以上の大きな反響をいただきました。

 なぜでしょうか。理由は一つではないと思いますが、折しも新型コロナによって女性の貧困や生きづらさが可視化され、注目されていた時期。生活苦などから性風俗や売春を始める女性たちの存在が報じられることもあり、そうした社会状況が影響したのではないかと考えています。からゆきさんはけっして過去の問題ではなく、現代にも通じるものがあるのではないか――。そうした問題意識から、その後も取材を続けました。

 本書はまず、主に近現代の娼婦に関する残された史料や取材をもとに、その実態について報告します。上述のからゆきさんのほか、終戦直後、米兵などを相手に体を売っていた「パンパン」と呼ばれた女性たちを取り上げます。

 もちろん、実態といっても、史料自体が多くないため、すべての娼婦がこうだった、と総括できるものではありません。娼婦のあり方は多様であり、時代によっても異なります。それでも今を生きる記者の視点で、一つ一つの事例を丁寧に追うことで、これまでほとんど光が当たってこなかった実相の一端が伝わればと願っています。

 さらに現在、東京・新宿歌舞伎町などで売春したり、性風俗で働いたりしている女性たちにもスポットを当て、その実情も報告しています。

 その上で、過去と現在で、娼婦の在り方や直面する問題はどう変わり、または変わらなかったのか。社会の娼婦に対するまなざしはどう変遷していったのか。そして、過去の娼婦たちの生き方が今、私たちに問いかけるものは何か――。そうした観点から、現場を歩き、彼女たちの生の姿を追いました。

 私は毎日新聞の記者として20年以上、主に社会部で事件や裁判、原爆など第二次世界大戦に関する報道に携わってきました。2019年以降はウェブ向けの記事を手掛ける統合デジタル取材センター(現・デジタル報道センター)やウェブ編集を担うデジタル編集本部に所属しています。

 本書は「毎日新聞デジタル」で2020年~2022年に掲載した記事をベースに、追加取材を踏まえて大幅に加筆・修正したものです。当初からはほとんど別物といっていいほどに内容は変わっています。

 このたび、すばらしいお仕事をされてきた諸先輩方に初の単著を紹介させていただく機会をいただき、大変光栄です。感謝申し上げます。

 よろしければ、ぜひお手にとっていただけますと幸甚に存じます。電子書籍もあります。

https://www.shobunsha.co.jp/?p=8268

(牧野 宏美)

『春を売るひと―「からゆきさん」から現代まで』(晶文社)は6月12日発売。税込み2200円

【目次】

はじめに

第1章 からゆきさんの声

「声」との出合い/「からゆきさん」/汚物で身を守る/ムシロをかぶって上陸/「忙しかときは痛かとですよ」/「日本人客は好かん」/中絶と不妊手術を迫られる/別れと帰国/「醜業婦」と呼ばれて/夜を徹してのインタビュー/からゆきさんの墓へ/春代のからゆきさんとしての半生/帰って来たからゆきさん/「島原の子守唄」/唯一のからゆきさん遺跡「天如塔」/実像と変化/〝娼婦は必要〟/記憶を語り継ぐ/からゆきさんの歌/春代の墓

第2章 「パンパン」と呼ばれて

「街頭に立った女性たち/「性の防波堤/オフリミッツ公娼制度廃止/「キャッチ」/局部検診という性暴力/キャッチの目撃者/パンパンになるきっかけ/「やけくそで」に込められたもの/「会話しただけで」「処女なのに」/家出・孤独/なぜ街娼となったか/街娼と戦後/基地の街・朝霞/「白百合会」/「オンリー」/「日本の上海」と呼ばれた街で/基地の子が見た「お姉さん」/売春防止法から反基地運動まで/口をつぐむ人々/元娼婦との再会/伝説の娼婦、メリーさん/メリーさんのライバル/「仕方ないでしょ、生きるために」/家族を養うため/「もう一度生きてみようと」

第3章 娼婦はどう見られてきたか

「容姿で選ばれる「商品」へ/遊女への蔑視/遊廓/日本の性的慰安施設/公娼制度廃止と売春防止法施行/女性たちへのまなざし

吉原脱出

現在の吉原/吉原を脱出/遊女の取り分と罰金/性病検診/遊女たちの友情/その後の光子と吉原

第4章 分断を越えるために

「風俗業をやっている人間はいなくていい」/立川デリヘル殺人事件/判決/歌舞伎町を夜回りする/居場所のない少女たち/性風俗がセーフティーネットという現実/「困難女性支援法」の成立/現代のからゆきさん/分断を乗り越えるために

おわりに

 牧野宏美(まきの・ひろみ)さんは2001年に毎日新聞に入社し、広島支局、社会部などを経て現在はデジタル編集本部デジタル報道部長。初任地の広島支局時代から、原爆被爆者の方たちから証言を聞き取って伝えるなど太平洋戦争に関する取材を続けるほか、社会部では警察や国税当局を担当し、事件や裁判の取材にも携わった。2019年から統合デジタル取材センター(現・デジタル編集本部)で「毎日新聞デジタル」向けの記事を手がけるようになり、就職氷河期世代のルポタージュやSNSによる中傷被害について考える連載に関わった。2022年からはジェンダー格差や、生きづらさを抱えた女性に焦点を当てたウェブコラムを執筆した。毎日新聞取材班としての共著に「SNS暴力―なぜ人は匿名の刃をふるうのか」(2020年、毎日新聞出版)。