集まりました

2021年4月13日

2021年春、第61回社会部旧友会懇親ゴルフ会

 松山英樹選手(29歳)が米マスターズトーナメントで優勝した4月12日(日本時間)、第61回社会部旧友会懇親ゴルフ会が若洲ゴルフリンクスで開かれた。

 朝、新木場駅からのクラブバス。元スポニチ社長・山本進さん(75歳)はスマホでTBSテレビの生中継を見ていた。最大6打差あった2位との差が15番を終わって2打差。「優勝は間違いないと思うけど」と心配そうに画面をのぞく。

 2オンを狙った15番ロングホールの第2打が「アドレナリンが出過ぎて」(松山選手談)グリーンオーバーして池ポチャ。このホール、ボギー。同組のシャウフェレ選手(米)との差が「4」から「2」に縮まってしまったのだ。

「牧内賞」を獲得した熊澤誠吾さん

 ゴルフの服装に着替えてロビーでスマホを見つめる山本さん。

 そこに私のスマホに「ウイニングパットを決めた。勝った!」とLineで連絡が入った。

 午前8時4分だった。本日腰痛で急遽欠場した澁澤重和さん(81歳)から。「18番、2打目、乗らずバンカー」「最後までハラハラさせる」と。

 若洲ゴルフリンクスは「密」を避けようとしているのか、ロビーのテレビは「使用休止」。歴史的な優勝の瞬間は見られなかったが、「マスターズ優勝!」のお知らせが貼り出された。

 さて、肝心のゴルフ会である。参加11人。平均78.1歳。晴れ、風もない好天気。

 スタートホールで記念写真を撮ろうとしたが、遅刻が1人。タクシーで駆け付け、何とか最終組のスタートに間に合った。ネットで調べた電車のダイヤ通りに来たのだが、勘違いがあった。ボケでした。従って残念ながら集合写真はありません。

 終了後のパーティーは、成績発表の前に全員が近況報告。東京毎友会相談役の高尾義彦さん(75歳)は、「社報は、毎友会HPで読めるようになります。ID、パスワードを入力してください。投稿もお願いします」とHPの宣伝をした。

 優勝は、熊澤誠吾さん(79歳)。グロス100、ネット79。2004年春に初参加以来、22回目で初優勝を果たし(準優勝は3回)、牧内節男さん提供の「牧内賞」を獲得した。

 その優勝スピーチ。「最後の2ホールで9打と8打、計17打の大叩き。あれがなければベスグロ優勝でした」。すかさず、「タラレバなら何でもできる!」とヤジが飛んだ。

 準優勝は勝又啓二郎さん(80歳)。3位の清水光雄さん(72歳)は午前中のプレーに納得できず、昼食をとらずに打ちっ放し、寄せ、パットの練習。午後のラウンドで7打改善する大波賞(賞品はなし)だった。

 BG(ベスグロ)は田中正延さん(81歳)の94。

 参加者は、年齢順に大島幸夫(83歳)▽畝村治男(82歳)▽田中正延、吉沢孝(81歳)▽勝又啓二郎(80歳)▽堤哲、熊澤誠吾(79歳)▽高尾義彦、山本進(75歳)▽清水光雄、常田照雄(72歳)。

(堤  哲)

 社会部旧友・元カルビー会長の松尾康二さんが大会名の入ったじゃがりこを賞品に提供してくれました。

2021年4月4日

第42回「39会」懇親ゴルフ会に6人

写真左から堤哲、鑑江龍一、大野裕朗、中瀬信一郎、勝又啓二郎、田中正延

 前回の東京五輪の1964(昭和39)年に入社した「39会」の第42回懇親ゴルフ会が4月2日(月)若洲ゴルフリンクスで開かれた。参加6人、平均年齢は、ちょうど80歳。

 ほん

 第1回は1999(平成11)年で、参加17人。これが最多で、メンバーのうち白石貞次郎(2000年没60歳)、滝本道生(04年没62歳)、橋本靖正(09年没67歳)、武藤完(09 年没68歳)、河西瑛一郎(18年没77歳)、山野寿彦(19年没77歳)の6人が鬼籍に入っている。

 賞品を1人占めしたのは、田中正延さん(81歳)。ニアピン賞を3つ、ベスグロ優勝。グロス96、ネット91だった。優勝は7回目、最多である。

 「シャンク、シャンクで午後のスタートはトリ・トリ。ショートのバーディーで立ち直りました」と優勝の弁。

 優勝の永井賞は、同期入社の元写真部・永井誠さん(83歳)提供。元志木市議。10期40年をつとめ議長にも就き、2017年春に旭日小綬章を受章している。

 近況報告では、元英文毎日・鑑江さんが「ハワイで生まれた娘の孫に会いに行く予定が、コロナで飛行機の予約を5回も延期した。6月にはなんとか行きたい」と話した後、「ゴルフは今回で引退したい」。

 参加メンバーがまた1人減った。「しばらく4人1組で続けよう」となった。

(常任幹事・堤  哲)

2021年3月17日

「スパイ関三次郎事件」「検証 レッド・パージ70年」を語る会

 2020年の春と暮に出版した2冊の本を語る会を3月15日、水道橋「余白」で開いた。最初に2月21日、88歳で永眠された関千枝子さんに黙とうを捧げた。毎日新聞OBでもある関さんは、1985年に「広島第二県女二年西組」を刊行して以降、ヒロシマ原爆被爆者として、悲惨な実態を訴え続け、核兵器廃絶を願っていた。

 語り合った一冊は「スパイ関三次郎事件―戦後最北端謀略戦」(2020年4月27日、河出書房新社刊)、もう一冊は「検証 良心の自由 レッド・パージ70年 新聞の罪と居直りー毎日新聞を手始めに」(同年12月31日、北大生・宮澤弘幸「スパイ冤罪事件」の真相を広める会刊)。呼びかけ人の提起と語られた内容を紹介する。

 「スパイ関三次郎」は、毎日新聞OBの佐藤哲朗さんが約50年の歳月を重ねて、戦後混乱期の宗谷海峡で起きた米ソ二重スパイ・関三次郎の数奇な半生と真相を丹念に追ったもの。そして副題格の注目は、1952年に発生した「白鳥事件」の真犯人と思われる人物をあぶりだしていることだ。佐藤さんは、本書を読んだ現代史家の保阪正康さんから「白鳥事件」についてぜひ書いて欲しいと電話があったと紹介した。高齢で自信がないと言いながらも鍵を握る人物を追って網走まで取材に行っている。「白鳥事件」は依然として残る戦後史の暗部だ。ぜひ解明して出版してほしい。

 「検証 レッド・パージ70年」は、「レッド・パージ反対全国連絡センター」発行の60周年と65周年に行われた集いの記録集に、新聞・通信・放送で49社、約700人がパージされたのに、それが一行も記録されていないこと、そして毎日新聞で解雇された政治部の嶌信正さん(毎日新聞OB・嶌信彦さんの父上)の回顧録「自処超然」に、自らが解雇された状況と裁判所への陳述書全文が掲載されていることを知ったことが端緒になった。昨年一年間、大住広人さんが住まいの近くにある国立国会図書館関西館に日参して、資料を集め、事件後70年の節目である2020年最後の日である12月31日に刊行した。

 レッド・パージに関しては、60年代から一部関係者による発掘・調査が進められているが、人権・報道に最も敏感であるべき毎日新聞を含めた新聞が、これについて徹底調査も総括もしていないことが、現在のマスコミに対する不信感の要因になっていると言わざるを得ない。

 この会には、新聞労連初の女性委員長で、毎日新聞から追われた小林登美枝さんについて記事と写真を提供してくれた明珍美紀さんと、昨年選出された現委員長の吉永磨美さんも参加した。ジェンダー平等が改めて最優先課題となっている今、二人の女性を委員長として送り出している毎日新聞労組は先駆的だ。吉永さんは「レッド・パージについては注目している。今、デジタル関連法案が問題になっているが新聞経営者の認識は非常に弱い。また大手・地方紙を問わず、新聞経営が危機的状況にある。先輩たちの支援を要請する」と訴えた。

(福島 清)

後列左から、佐藤哲朗、嶋倉貞男(顔が少し隠れてごめんなさい)、永井浩、赤川博敏、石原尚樹、高尾義彦、亀山久雄、岩田健一、水久保文明。前列同、里見和男、大住広人、戸塚章介、吉永磨美、明珍美紀、福島清

2021年2月13日

キャンペーン・調査報道の統合デジタル取材センター「二金会」報告

 編集局OBらの勉強会「二金会」が12日夜Zoomで開かれた。「デジタルシフトの現在地」と題して、統合デジタル取材センターの鵜塚健デスク(93年入社)と宇多川はるか記者(07年入社)がレクをしてくれた。

鵜塚健デスク
宇多川はるか記者

 統合デジタル取材センターは2017年4月に発足した。スタッフは井上英介センター長(92年入社)以下デスク5人、記者21人。入社10数年組が主力で、女性が半数以上。前NY特派員國枝すみれさん(91年入社、ボーン・上田記念国際記者賞受賞)もメンバーだ。

 官庁などの持ち場はない。キャンペーン報道、調査報道がすべてだ。

 元テヘラン特派員で、『イランの野望~浮上するシーア派大国』(集英社新書)の著書がある鵜塚デスクは「記者の目」(1月20日)でこう書いた。見出しは、「2021年の焦点/コロナでメディア一変 デジタルの推進」。

 《今、新聞を取り巻く環境は厳しい。発行部数の減少が続き、取材・発信の手法にもしばしば批判が集まる。それでも、多様な情報の価値や権力監視の必要性は変わらず、報道機関の役割はなくならない。新型コロナウイルス感染拡大の影響でさまざまな制約を受ける今こそ、新聞を含めて幅広くメディアのあり方を考える好機ではないだろうか。かぎとなるのはデジタル化の一層の推進と、男女とも働きやすい環境づくりだ》

 これはパワーポイントで示されたキャンペーン報道だが、「汚れた桜」は出版され、早稲田ジャーナリズム大賞を受けることが内定したという。

 もう1冊。『SNS暴力』。これは2020年9月毎日新聞出版社から刊行された。

 SNS上で誹謗中傷を受けた末、女子プロレスラーの木村花さんが亡くなった事件を記者たちが徹底的な取材で掘り下げた。

 鵜塚デスクが報告している。宇多川はるか記者は遺族取材などを主に担当した。

 《今回の取材班では、私以外の記者5人全員が女性で、4人が子育て中。新型コロナの影響で子供の保育園や学校のスケジュールが変動し、負担が増える中、普段以上に徹底した効率化、工夫が求められた。硬い企画書や対面の会議は一切やめた。時折オンライン会議システムやSNSで情報交換し、走りながら方向性を考えた。各自の生活スタイルに合わせ、深夜や早朝に原稿やメールをやり取りすることもあった》

 パワーポイントに、こんな略語があった。

 ▽PV増 → UU、CV増
   PV=ページビュー(ページ数)
 UU=ユニークユーザー(閲覧者数)
 CV=コンバージョン(契約者数)
 ミッションは、いかに読まれる記事をアップして、有料購読契約者を増やすか、である。
 記事は、新聞よりも長い。書き方も違う。

 ▽大半は長文原稿(平均3,000字、長いと7,000字)
 ▽記者の主観を全面に入れる/ルポ「見る探る」
 ▽逆三角形から三角形。すべて見せず、関心を引きつける…
 ▽見出し、前文、序盤は命。

 私(堤、64年入社)が現役時代、本紙の続き物は最大120行、大体100行が限界といわれた。1行15字の時代。1,500~1,800字である。その後、活字が大型化して、字数は制限され、短縮化した。 書き方も、まっ先に結論を書き、その後に説明を加えていく「逆三角形」。それではダメだというのだ。

 新聞の購読者が減少する中、デジタル記事の購読者をどうやって増やすか。毎日ジャーナリズムをどう継承、発展させるか。統合デジタル取材センターをはじめ、すべての記者たちの健闘を期待したい。

 Zoom参加者は、天野勝文(59年入社)堤哲(64)椎橋勝信(68)高尾義彦、中田彰生(69)奥武則(70)橋場義之、渋川智明(71)金子秀敏(73)中井良則(75)石郷岡建(74)磯野彰彦(78)高橋弘司(81)重里徹也(82)。

(堤  哲)

2021年2月12日

松村明写真展に日曜版で取材を共にした大島幸夫さんら

左から松村明、大島幸夫、堤哲(ポートレートギャラリー入口で)

 写真集『閃光の記憶 ― 被爆75年―』(長崎文献社)を出版した元写真部・松村明さん(74歳)の写真展「閃光の記憶−NAGASAKI 爆心被爆を生き抜いた」が11日から東京四ツ谷のポートレートギャラリーで始まり、元日曜版編集長の大島幸夫さん(83歳)と元東京本社写真部長の堤哲(79歳)がお祝いに駆けつけた。

 松村さんは2016年から爆心地から5キロ以内で被爆した人たちを訪ね、53人を撮影した。谷口稜曄(すみてる)さんは、自転車に乗って郵便配達中に、爆心地から1.8キロの路上で被爆した。16歳だった。背中一面に大やけどを負い、退院できたのは被爆から3年7カ月後だった。

 背中を真っ赤に焼かれ、うつ伏せで横たわる少年のカラー写真。その写真とともに、谷口さんは、核兵器廃絶のための活動を続けた。2017年8月30日に亡くなった。88歳だった。

 松村夫人が被爆2世でもあり、「閃光、熱線、爆音、爆風そして放射能。この特異な体験をされた方々のお顔から何が見えて来るかを写し止めたいと思うに至りました」と話していた。

 大島さんは、日曜版で映画の続き物を展開、『地球人の伝説―もうひとつのシネマワールド』(三五館、1995年刊)をものしているが、「ダンス・ウィズ・ウルブズ」「ゴッド・ファーザー」のアメリカ取材は、松村カメラマンと一緒だった。

 松村さんは日大芸術学部を卒業して、69年入社。写真家長野重一さんに師事していた。

 同展は 2月17日(水)まで。会場のポートレートギャラリー(新宿区四谷1-7-12日本写真会館5階)は、JR/東京メトロ四ツ谷駅から徒歩3~5分。☏03-3351-3002。

(堤  哲)

2021年2月4日

銀座で開催中の書展に「毎日書道クラブ」の作品

 まずこちらの書を見て下さい。何と読むのでしょうか。

 「正任」の署名が入っています。元社長・北村正任さん(79歳)の作品です。

 「消えよ」のあとが難解です。こんな漢字があるのか? ありません。

 《コロナウイルス》と読めませんか。カタカナで「新字」をつくったのですね。

   消えよコロナウイルス!

 願いが込められています。ジャーナリストですね、正任さんは。

 この作品は、東京・銀座のセントラルミュージアム銀座(中央区銀座3-9-11紙パルプ会館5階)で開催中の第45回湖心社書展に展示されています。7日(日)まで、入場無料。

 この書展には、毎日新聞書道クラブの会員が出品しています。作品を見ましょう。

 右から元監査役・高尾義彦さん(75歳)、元毎日書道会専務理事・寺田健一さん(79歳)、左端は北村正任さんの作品です。

 この2点は1964(昭和39)年入社の菅野文彦さん(80歳)。経理・広告で13年、三菱商事に転職し、メルセデスベンツ日本の取締役、さらにディーラーの社長を務めました。

 もうひとり。編集局各部の事務を担当した石崎瑠璃さん(72歳)の作品は、これです。

 「逸」ですか。写真は光線の加減で薄い色がついているように見えますが、真っ白の紙に墨痕鮮やかに、です。

 指導にあたっている「湖心社」代表の書家、友野浅峰さん(79歳)は「それぞれ思いのこもったよい作品に仕上がっています」と、「客員」出品の作品を褒めていました。

(堤  哲)

2021年1月12日

新聞協会賞「にほんでいきる」の2記者を講師に「二金会」

 編集局OBらの勉強会、2021年初の「二金会」は8日午後6時半からZoomで開かれた。

 講師は「『にほんでいきる』外国籍の子どもたちの学ぶ権利を問うキャンペーン報道」で2020年度の新聞協会賞を受賞した奥山はるなさん(08年入社、社会部→現在は「キャリアパスのため」人事部)と堀智行さん(04年入社、現宇都宮支局次長)。

2020年度新聞協会賞に輝いたキャンペーンの第1報2019年1月7日付
奥山はるな記者
堀智行記者

 2019年4月に改正入管難民法が施行され、在留外国人数は同年末で過去最多の293万人に達した。しかし、外国籍の子どもは義務教育の対象外で、学校に行っていない子どもがどれだけいるのか、それさえ分かっていなかった。

 奥山さんは、2017年に産休明けで社会部遊軍記者となり、学生時代から取り組んでいた外国籍の子どもたちの教育問題がテーマにならないか、女性初の社会部長磯崎由美さん(現編成編集局次長)に相談した。元文科省担当の篠原成行デスク(96年入社)が「不就学の実態を調べてみたら」と手掛かりを提案、警視庁担当から遊軍になっていた堀さんらと取材を始めた。

 外国籍の子どもが多く住む上位100自治体へのアンケート調査を実施した。その結果、少なくとも外国籍の子どもの約2割に当たる約1万6000人が、存在が確認できず学校に通っているか分からない「就学不明」になっていると判明。同時に100自治体のうち38自治体で就学不明の子どもの居場所を調査していないことも明らかになった。

 その紙面が、この欄の最初に掲載した2019年1月7日付紙面だが、同時に「にほんでいきる」キャンペ-ンを始めた。第1部では、就学不明になった末に虐待死したブラジル国籍の小学1年生の女児ら、7人の子どもの窮状を伝えた。

 その後文科省の全国調査で「就学不明の子どもは2万2000人」にのぼることが分かった。

 外国で生まれ育った子どもたちの多くは日本語が分からず、日本語指導を受けなければ学校の授業が理解できない。また日本は、子どもの教育を受ける権利を明記した国際条約「子どもの権利条約」を批准しているにもかかわらず、外国人を義務教育の対象外としている。改正入管法案を巡る審議では、こうした子どもの受け皿をどうするか、ほとんど触れられないままだった。

 日本語が理解できないために十分な教育が受けられない子どもが増加すれば、地域のトラブルや分断を生みかねない。問題を広く伝え、「にほんでいきる」ための環境を整える議論を提起することは、グローバル化が進み、外国人との共生が現実的になった時代の中で、避けて通れない道なのではないか――。

 「言葉が通じず、学校に居場所がなかった」「『日本語が分からなければ入学させられない』と言われた」「『国に帰れ』とののしられた」。子どもたちは、口々に厳しい現実を語った。

 「にほんでいきる」キャンぺーンは4部まで続いた。この問題は国会でも取り上げられ、文科省も取り組みを本格化、2019年6月、国と地方自治体に外国人の日本語教育に関する施策を実施する責務があると明記した「日本語教育推進法」が参院本会議で可決、成立した。

 2020年3月には文科省の有識者会議が、全ての外国籍の子どもに対する「就学促進」を法的に位置づけるよう求める報告書案をまとめた。

 文科省は21年度の概算要求で、「外国人児童生徒等への教育の充実」名目で13億5800万円を提出した。20年度の約1・6倍で就学促進策も盛り込まれた。

 ——以上が2人の話を要約したものだ。奥山さんは「こんなニッチなテーマで協会賞をいただけるなんて思ってもみなかった」と話したが、今回の「二金会」の取りまとめ役をつとめた磯野彰彦元編集局次長は「新聞協会賞は、どれを申請するか社内でもめることがある。今回はキャンペーンを進めた磯崎局次長の存在もあったのではないか」と述べた。

 「にほんでいきる」は明石書店から出版された。

 四六判、272ページ。本体1,600円+税。ISBN:9784750351193

 パワーポイントの21枚目が以下の画像だが、磯野さんは即答で「買いました!」と本をZoomカメラに向けた。

「購入しました」と磯野さん

 「二金会」参加者は、天野勝文、磯野彰彦、重里徹也、中井良則、橋場義之、石郷岡建、中田彰生、椎橋勝信、渋川智明、倉重篤郎、高橋弘司とゼミ学生1人、及川正也(論説委員)、堤哲。(順不同)

 毎日新聞の新聞協会賞の編集部門受賞は、今回で32回目。

 1957年「暴力新地図」「官僚にっぽん」「税金にっぽん」▽61年写真「浅沼委員長刺殺される」▽62年北九州5市合併促進キャンペーン▽63年連載企画「学者の森」▽64年連載企画「組織暴力の実態」▽65年企画「泥と炎のインドシナ」▽67年黒い霧キャンペーン▽69年紙上国会・安保政策の総討論▽79年稲荷山古墳「ワカタケル=雄略天皇」銘のスクープ▽80年「早稲田大学商学部入試問題漏えい事件」のスクープ▽81年ライシャワー元駐日大使の核持ち込み発言▽86年スクープ写真「車椅子の田中元首相」▽87年連載企画「一人三脚・脳卒中記者の記録」▽89年連載企画「政治家とカネ」▽92年「リクルート ダイエーの傘下に」のスクープ▽96年アウンサンスーチー、ビルマからの手紙▽2000年「片山隼君事故」から事件事故被害者の権利と支援策の確立を追求し続けたキャンペーン報道▽01年「旧石器発掘捏造(ねつぞう)」のスクープ▽02年 防衛庁による情報公開請求者リスト作成に関するスクープ▽03年自衛官募集のための住民基本台帳情報収集に関するスクープ▽06年「パキスタン地震」一連の写真報道▽07年「長崎市長銃撃事件」の写真報道▽08年「アスベスト被害」一連の報道▽09年「無保険の子」救済キャンペーン▽11年「力士が八百長メール」のスクープをはじめ大相撲八百長問題を巡る一連の報道▽同年「3・11大津波襲来の瞬間」をとらえたスクープ写真▽14年「太郎さん」など認知症の身元不明者らを巡る「老いてさまよう」の一連の報道▽16年連続震度7「奇跡の救出」など熊本地震の写真報道▽17年ボルトも驚がく 日本リレー史上初の銀▽18年キャンペーン報道「旧優生保護法を問う」▽19年「台風21号 関空大打撃」の写真報道▽20年「にほんでいきる」外国籍の子どもたちの学ぶ権利を問うキャンペーン報道。

(堤  哲)

2020年11月18日

小春日和に、第60回社会部旧友会懇親ゴルフ会開催!

写真は左から(敬称略)、堤哲、高尾義彦、熊澤誠吾、常田照雄、畝村治男、山本進、勝又啓二郎、小川 一、田中正延、吉沢孝、大島幸夫

 60回の記念大会が16日、若洲ゴルフリンクスで開催され、11人が参加しました。堤哲さんがグロス96、ネット82で4回目の優勝、名誉会長、牧内節男さん提供の優勝賞金とベスグロ賞を独り占めしました。準優勝は吉沢孝さん(グロス105、ネット84)、3位は勝又啓二郎さん(グロス99、ネット84)でした。

 今回は久しぶりに60歳代の〝若手〟常田照雄さんと小川一さんが参加、高齢者集団の平均年齢を引き下げてくれました。常田さんはリタイアした後、トータルセキュリティコンサルティング株式会社を立ち上げ、社長として活躍。小川さんは役員を退き顧問としてネットでメディア論などを展開して、元気です。今後も若手参加の牽引車の役割を期待しています。

 4位の畝村治男さんは、タクシー会社勤務も引退し、地域社会に貢献して悠々自適。5位の熊沢誠吾さんは茅ヶ崎から車で駆け付け、スタートぎりぎりに間に合ってセーフ。お腹周りをスマートに、と努力中のようです。田中正延さんは地元で日独協会の世話人として得意のドイツ語を駆使して活躍、東京五輪当時のドイツ語要員としての取材経験など楽しい話題が次々に。会長の山本進さんは、奥様を亡くされた後、新たなパートナー(?)と幸せな日々のようです。

 大島幸夫さんは、今年もボストンマラソンに挑戦する、と意欲を見せています。前日に20キロを走った疲れのせいか、スコアはいまひとつでした。

社会部旧友で、元カルビー会長の松尾康二さん(82歳)提供の参加賞(日付けは16日)

 今回は、東日印刷が新型ウイルス対策としてマスク販売にも経営を広げ、全員に参加賞のマスクが贈られました。東日印刷は映画やテレビの撮影に工場などを提供するフィルムコミッションでも売り上げ1億円を目指し、「猪苗代町とロケ誘致提携」が17日朝刊で報道されるなど厳しい環境の中、健闘しています。

 元カルビー会長の社会部旧友、松尾康二さんからは、今回も、じゃがりこなどを全員にいただきました。内外切抜通信社の近藤義昭社長からは、いつも通りにビール券など賞品を提供していただきました。

 60回を機に、幹事の堤哲さんがまとめた記録によると、59回までの優勝回数は①牧内節男6回②田中正延5回③中村侔、吉沢孝、勝又啓二郎、堤哲各3回⑦内藤国夫、岩崎繁夫、大澤栄作、浮田裕之、武藤完、遠藤満雄、中村恭一、畝村治男、沢畠毅、山本進、高尾義彦各2回。出場回数は①堤哲53回②永井康雄46回③吉沢孝44回④牧内節男、牧野賢治42回⑥遠藤満雄、川合多喜夫33回⑧大澤栄作29回⑨畝村治男、中村侔28回。

 ゴルフバッグ 小春日和に よっこらしょ   河彦

 若洲ゴルフリンクスで社会部旧友会ゴルフコンペ。我が家から有楽町線で3つ目の駅なので、ゴルフバッグを担いで早朝の電車に。小春日和にパーが4つ。キャディーさんと足の爪先でグータッチ。

2020年10月22日

続・ユートピア「土太郎村」訪問記 ― 牧内節男さんの「銀座一丁目新聞」10月20日号から

牧念人 悠々

 毎日新聞社会部時代の友人4人でロッキード事件の取材仲間中島健一郎君の千葉県市原市山口の「土太郎村」を訪れた(10月14日)。中島健一郎君ら有志は10年ほど前に

1、新しい生き方の追求
2、地産地消
3、エコフレンドリー
4、直接民主主義

を目標にしたコミュニティの目標を掲げ、市原市の10万坪に『土太郎村』を計画した。現時点で100軒余がコミュニティを形成、フレンドリーに生活をエンジョイしている。中島君から以前から土壁の家(地産地消の木、土、砂、藁の家)で歓談しませんかと誘われていた。やっと数年ぶりが実現した。この日、予め決めた時間に板垣雅夫君、堤哲君、牧内が東京駅南口に集合、午前10時発の東京駅八重洲口の高速バス・安房小湊行に乗車、市原鶴舞バスターミナルで下車(1時間余)、迎えの中島君の車で土太郎村へ。千葉県習志野に住む寺田健一君は自分の車で直行した。

 土壁の家というが窓ガラスがいっぱいの瀟洒な建物であった(写真参照)。2世帯分が十分入れる設計であった(75坪)。入り口では靴を脱いだ部屋がキッチンリビングであった。まず暖炉を燃やしてくれた(別に床暖房の設備もある)。燃料は木材。大工さんが持ってきてくれるのでふんだんにあるという(写真参照)。此処の住人は彼一人である。昨年音楽家であった奥さんを亡くしたばかりである。そこで晴天は女性たちとハーフゴルフ。雨天は読書で過ごす。昼食は野菜タッぶりのスープと焼き肉であった。ス―プが実に美味しかった。食後、雑談に話が咲く。話はロッキード事件にゆく。昭和51年7月27日朝、田中角栄元首相が逮捕された。毎日新聞は朝刊でその逮捕を暗示させる『検察重大決意…』のニュースを一面トップで報じた。そのソースは誰だったのかと話題にでる。当時の裁判所のキャップ・山本祐司君がなくなっているのでわからない。「ナゾ」として残しておくほうがより特ダネの価値が増す。

 村を案内してもらう。電柱はすべて埋蔵である。人造湖もある。外国人の家もある。落ち着いた雰囲気が漂う。穏やかでのびのびした感じである。感染者289名(1月18日)を出している私が住む府中に比べるとユートピアである。此処にはコロナ後の世界があるような気がする。『国境の壁』をなくした豊かな自然の村を予感させる。中島君自身は近い将来、ミニゴルフ場の芝居の上に設えた仮設の劇場でイタリアのオペレッタを上演する夢を見ている。定期的にイベントを行い『土太郎芸術祭』として売り出せばよい。夢は色々広がる。

 板垣君に感想を聞くと次のような返事がメールで来た。『緑に囲まれた家の窓から外を眺めながら「日本のようで日本でない。外国のようで外国でない」という、漫談もどきの言葉を思い付きました。そのことを昨夜、中島健一郎さんへの感謝メールに入れたところ、「さすが鋭い感想。私は地球には国家はいらないと思っています。土太郎村は、日本でも外国でもない地球の村を目ざしています」との返信をいただきました』とあった。

 板垣君の感想は続く。『もう1つの率直な感想は、45年前ほど前、長野支局から東京へ転勤してきたばかりの中島健さんが、「僕は都会育ちなので朝、目ざめて窓の外を見て、ビルが見えないと落ち着かなかった」と言っていたことを思い出したことです。私は田舎育ちでしたので、まったく正反対なのですが、都会育ちは、そんな思いを抱くのか、と意外な感じを受けました。ところが、そんな根っからの中島シティボーイが、今は、窓の外に延々と続く緑の土地に執着し、どっぷりと浸っているわけですから、人は変われば変わるものだと驚いています。標高110メートル余の丘陵地帯、窓の外の一面の緑。小さくてきれいな湖は、東山魁夷が描いた長野県の湖の日本画の世界そっくりだと感じました。ビレッジの中のミニゴルフ場、同じような色に統一されて点在する住宅。とにかく、どれもこれも魅力的なうえ、自分が今までに見た風景とはまったく違うものがあり、そこにいる人々の生き方も、私には分からないが、違うのだろうな、とも感じました』。

窓ガラスがいっぱいの瀟洒な建物

2020年10月16日

社会部の仲間で中島健一郎氏「土壁の家」訪問

 中島元社会部長が千葉県市原市の丘陵地に「土壁の家」を建てたというので、ロッキード事件取材班の仲間たちが当時の指揮官、牧内節男元社会部長とともに10月14日、訪れました。

左から寺田健一、板垣雅夫、牧内節男、中島健一郎、堤哲

 東京駅から1時間、高速のバス停から車で数分の「土(ど)太郎村」に家は建っています。豊かな緑、なだらかな丘、日本画の世界のような湖、ミニゴルフホールもある85戸の住宅地です。

 中島家の敷地はなんと1,320平方メートル(400坪)、建坪は250平方メートル(75坪)。ワシントン支局長も務めた中島さんは、和と洋の心を取り入れた独特な設計思想で家を建てました。1階は仕切りのない広い間取り。でも、巧みなスペース配置で中を歩いていると迷ってしまうほどです。全ての窓から緑の景色が見渡せ、その窓の全てが独立した1枚の「絵」になるように工夫されていました。2階は来客用ベッドが置かれています。

 季節的にちょっと早めでしたが、大きな暖炉を燃やし、バーベキューをしていただき、周辺も見学して楽しい1日を過ごしました。

 参加した牧内さんは今年95歳、とても元気な様子で府中市の自宅から1人で来ました。毎日、文章を書くこと、一日一善の行いが健康の秘けつだそうで、「この家にもっと早く来たかったな」と意欲的な感想を述べていました。

 堤哲さんはウエブと出版の世界で幅広く活躍しており、今回は、元写真部長の腕前を発揮し近くの水田の案山子を見事に写し取っていました。寺田健一さんは、頭髪の色を除けば現役時代と同じ外見を保ち、「村内」の道をスタスタと歩いていました。 板垣雅夫は、今回のツアーも幹事役で、年齢とともに反応が遅くなりつつある先輩、同輩たちとの連絡調整に取り組んでいます。

市原鶴舞バスターミナルのカカシ。バスターミナル周辺にはゴルフ場が33ある「ゴルフ銀座」。カカシがクラブを振ってお出迎え!

(東京毎友会、元社会部、板垣雅夫 78歳)

2020年6月28日

コロナ禍で中止したゴルフ会を開催、社会部旧友会

 夏草に マスク外して 球遊び 河彦

 社会部旧友ゴルフコンペ。一度はコロナで延期になり、若洲ゴルフリンクスを改めて予約して昨日。クラブハウスの玄関で検温、消毒、マスク着用。参加8人。フェアウエーやグリーン上ではマスクを外し、のびのびと。女子のプロゴルフは、プレー中もマスク着用とか。

 (高尾義彦さん(75歳)の6月27日俳句とエッセイ「無償の愛をつぶやく」から)

社会部旧友で、元カルビー会長の松尾康二さん(82歳)提供の参加賞

牧内賞とニアピン賞を獲得してご満悦の田中正延さん

 社会部旧友会懇親ゴルフ会は、今回、第59回。第1回は1987(昭和62)年5月。優勝は岩崎繁夫さん、準優勝米山貢司さん(ともに故人)だった。第2回は4年後の91(平成3)年4月で、それ以降、春秋年2回続けてきた。

 今回コロナの影響もあり参加者は8人と少なかったが、これまで最大は21人。2005年秋は優勝牧内節男さん、準優勝森浩一さん。ともに元社会部長、スポニチ元社長が占めた。

 今回から優勝者に牧内賞が贈呈されたが、第1回受賞者は田中正延元スポニチ専務(80歳)だった。準優勝は元東日印刷吉沢孝さん(80歳)。ベスグロは山本進元スポニチ社長(74歳)。スコアは㊙としておきます。

 最長老永井康雄さん(89歳)は、アウト7番のティーショットを打ったところで、腰痛のためリタイア。引退を宣言した。

 永井さんは第1回から出場し、今回が47回目。幹事の私を除けば最多出場。優勝1回、準優勝2回。第2回大会の会場となった姉ケ崎CCの正会員である。

 永井さんは、吉野正弘さん(89年没、56歳)と同期入社で、健在なのは社会部旧友でもある新実慎八さん(元常務、元パレスサイドビル=現毎日ビルディング=社長)と元政治部の西山太吉さん。

 現役時代、「銀座すずめ」の連載を東京版で3カ月余も続けたナンパ記者。明治百年の1968(昭和43)年だった。半世紀前である。

 自慢の息子はお医者さん。奥さんに先立たれて1人暮らしだが、「料理が面白くてね。作りすぎて1週間同じものを食べるということもあるんだよ」。

永井康雄さん

 今一番熱中しているのは、演歌の歌詞づくり。5年前からヒットメーカーだった星野哲郎さん(1925~2010)の弟子にあたる作詩家・紺野あずささんの教室に通っている。

 「レーコド化され、印税ジャブジャブ?も夢でないからな。宝くじを買うよりマシ」と、いくつになっても、粗忽な?永井さんである。

 「きっかけは、遠縁の者に誘われ、会の後、一緒に飲むのが目的なんですがね。作詞家協会などの演歌の歌詞募集に応募。これまで3回、ド演歌で入選しているんだ」

 大ヒット作の誕生を待とう!

 他の参加者は、畝村治男さん(81歳)、勝又啓二郎さん(79歳)。

(堤 哲78歳)

2020年6月2日

ふ留井が再開、懐かしの顔が(大阪毎友会HPから)

 大阪市・北新地にある居酒屋さん「ふ留井」は、毎日新聞の古い社員のたまり場です。新型コロナウイルスのため、2020年4月1日から店を閉めていましたが、6月1日に再開しました。2カ月ぶりです。

 再開初日に行ってみると、毎日新聞のOBばかりが顔を見せていていました(八木亜夫、宮本二美生、佐竹通男、岡本正、嶋谷泰典、梶川伸)。店の女将ますみさんと一緒に順次記念撮影をし、再開と再会を喜びました。

(大阪毎友会 元地方部・梶川 伸)

2020年5月10日

ズームで二金会、86-62歳の11人が参加

参加11人のZoom二金会(2020年5月8日夜)

 毎月第二金曜に集まる二金会。いつもは現役記者を講師に招き、世の風潮をああでもない、こうでもないと論じ合っている。コロナの時代に対面集会は控えるにしても、自粛と巣ごもりばかりではつまらない。今を時めくZoomを使ってビデオ会議を開いた。新聞記者はいくつになっても、世相に敏感たるべし。息切れしながらもバージョンアップは怠るな。

 5月の第2金曜、8日午後8時、Zoomの画面が立ち上がった。どこをどう押せばどう動くか分からない面々ばかり。「なんだ、これは」とぼやき声が聞こえるが、元気な顔が一人ずつ見えてきた。合計11人。この日は、レクチャー役の後輩記者は呼ばず、OBだけで懇談会という位置づけだ。

 まずは近況報告。「散歩が多くなった」「外に出ないと酒の量が減ってね」「晴『走』雨読の毎日だな」「こっちは晴眠雨眠だ」。社の旧友の消息を確認し合い、「あの人も亡くなったか」と嘆息も。遠隔授業の大変さを語る大学教員もいて、話題は広がり早くも収拾はつかない。これぞ、いつもの二金会。

 遠くは九州の宮崎市から。「散歩の途中で草花を撮ると、スマホが名前から何からすべて教えてくれるんだ」。旧軽井沢からは「標高1,100メートル、本日氷点下2度。南に八ヶ岳連峰、西に浅間山。槍と穂高も見えます」と。女子大の研究室からの参加も。

 1時間ほどたったころ「ところで、肝心のコロナの話はないのかい」「そうだ、文明論とからめて、これからどうなるんだ」と長老が挑発する。ロシアや中国のウオッチャーがそれぞれのコロナ論を展開すると、日本政府のコロナ対策を批判する論者もいれば、「いや、このまま収まれば欧米に比べて日本はうまくやったと評価されるのでは」という声も出る。よく言えば談論風発、悪く言えば、言いたい放題。皆さん、言論の自由を謳歌し、初夏の夜は更けていく。

 一人だけ「この紅茶にはウイスキーを入れている」と白状したが、ほかは酒を飲んでいない。現役のころと違うのは、「酒なし」でも話は弾むことぐらいか。気がつくと2時間以上経過し、お開きに。Zoomでもなんとかなりそう、と確認だけはできた。

 次回は顔を突き合わせて、今夜の続きができればいいが。

(中井 良則)

【Zoom参加者】(カッコ内は現役時代の背番号の上2ケタ、つまり入社年)
(画面上段左から右へ)天野勝文(59)橋場義之(71)中井良則(75)金子秀敏(73)
(画面中段左から右へ)中田彰生(69)石郷岡建(74)磯野彰彦(78)高尾義彦(69)
(画面下段左から右へ)重里徹也(82)堤 哲(64)諸岡達一(59)

2020年3月15日

千葉旧友会 「春のゴルフコンペ」

 千葉旧友会「春のゴルフコンペ」は3月6日、市原市のブリック&ウッドクラブで行われました。この3月末で引退する館山、木更津の両通信部長の慰労を兼ねたイベント。ゲスト2人を含め3組11人が集い、アップダウンの激しい難コースに挑みました。

 温かなゴルフ日和に恵まれたものの、新型コロナウィルス旋風、花粉症シーズンが重なり何となく不安材料もいっぱい。そんな中でも真に旧友との再会を楽しみつつ自然を駆け巡る仲間たちの姿にコンペ開催の成功を実感した一日でした。表彰式はノンアルコールビールで乾杯。各自、コンペ成績表を手に「たら、れば」談議で盛り上がった。

 ゴルフは1打1打の積み重ね。「無駄、無理、諦めないゴルフ」を心掛け、歳はとっても明るく前向きにゴルフライフを楽しみたいものです。さて次回への準備に入りますか。 (吉村)

 上位成績含め参加者は次の通り。

 優勝・楡原光太郎(N74/G92)、準優勝・上遠野健一(N74・6/G95)、3位・吉村建二(N75/G105)、滝川徹、中楯徳義、伊藤匡、高梨一夫、河内孝、中島健一郎、作田和三、中島章隆

2020年2月28日

決行して“血行ばしばし” ウイルス撃退
「ゆうLUCKペン」42集刊行
中止するもんか! 爆笑の集い

 ……無観客だ延期だマスクだ消毒だ一斉休校だ非常事態だ、世間は某政権の「国家主義」に従うしかなく、なんか昭和15年のような一億総動員情勢ですが、毎日新聞OB文集「ゆうLUCKペン」同人会員仲間は『戦局は茲まできた。竹槍では間に合わぬっ』精神?で大集合しました。国家の命令には逆らうのだ。

 「ゆうLUCKペン」42集は2020年2月26日刊行(227ページ)。それを祝う刊行パーティが同日パレスサイドビル9F「アラスカ」で開催されました。マスクなんぞしている奴はおらず、70歳80歳90歳面々15人。

 「ゆうLUCKペン」42集は『私の履歴書 人に歴史あり 自分史 ファミリーヒストリー』。みなさん筆に心が入った入った。胸を打つ物語ばかりです。国民学校時代の事件・事故・騒然とした社会……戦前戦後のハザマを乗り越えて来た人生論が読ませます。「ひゃー! あの人、こんな体験があったんかいな。すっげエわー」というような、初めて聞く意外な事柄が相次いで書かれています。

 「九回裏二死満塁ツースリー 俺のベースボールクラシック」「ニューオーリンズでブルースの女王に会った噺」「毒キノコを食って味覚分類学を研究」「終の住家で戦争中の懐かしい川を思う今」「おカネは入ってくる代わりに支出も多い。文筆業に向いている、との星占術をいただいた人生」

 「あこがれの府立一高に入学して学徒出陣があったこと」「何だこれは…… いままでの俺と違っちゃったのか。解脱と開眼で霧が晴れた日」「石原裕次郎とがっちり握手、美空ひばりとの一席……」「死の淵を一か月。食と健康は切り離されないのだ」「12歳で会社の給仕をしなければならない昭和17年頃。某氏との出会いがあればこそ」

 「北京で生まれて免許証返納までの怒り・爆笑・悲しみ・喜び」「名字が同名の神社を熊野古道まで行って尋ねたら天照大神との所縁を知る」「満蒙支那の低気圧……編集局ミナミ酒場の旅一座と、ガキ事件の数々」

 「胸を揺さぶる醍醐味……あの生命観を知る喜び、幻走組曲メジャーシックス」「40歳の母親が突然アメリカ留学して……私の国際血脈は始まった」「シカゴの北280キロ、グリーンベイ市へ行って、人生勝つしかないを知る」「雷のごとくなり……富士山大爆発を学ぶ」「支局・通信部を八回もの異動を経験、40歳にして惑う」「新聞記者の原点……それは集団疎開での差別と学校の宿題だった」「都市対抗野球と選抜高校野球をがっちり担当して球場に住み続けの記」「米屋から製材工場をやっていた家に生まれ……大火に3度も遭った」「自分史は中途半端に生きた罰 孫だけに記す 外に展けず」「社会部時代の特ダネ写真は某国主席の某子息だった」「大学入学も毎日新聞社もすべてエンコエンコで履歴書不要、ぼーっと生きてきた、わっはっはの記録」

 毎日新聞入社以後、あっちこっちの部署を巡って、あんな記事こんな記事を書き、特ダネを書いたか書かなかったかどうだったか、どっちでもいいけれど、とんでもない紙面を作ったり立派な紙面を作ったり、俺にしか出来ない事柄・事件も多彩。自由を謳歌させてくれた毎日新聞記者を「しっかり楽しんだ」のでした。困難も少しはあったようですが、好きな仕事をつづけられて幸せでした。だから、自己免疫力の高さを今誇っておるんヨネ。オーケーオーケー。

 ゆうLUCKペン第42集を、一部1000円でおわけします。
 購入・問い合わせは幹事・中谷(080・1027・9340)まで。

(諸岡達一・記)

「ゆうLUCKペン」42集・執筆者および刊行パーティ出席者(順不同)
▽中谷範行▽大島幸夫▽松上文彦▽野島孝一▽神倉力▽横山敏彦▽堤哲▽加納嘉昭▽大住広人▽福島清彦▽本田克夫▽松﨑仁紀▽糟谷雅章▽鳥井守幸▽今吉賢一郎▽半田一麿▽舟橋渡一▽山埜井乙彦▽渡辺直喜▽髙杉治男▽倉嶋康▽藤川敏久▽石綿清一▽岩崎鴻一▽斎藤文男▽澁澤重和▽諸岡達一▽北村勝彦(毎栄・ゆうLUCKペン事務局)

2020年2月11日

いっぱい集まりました、田沼武能さんの文化勲章受章を祝う会

文化勲章を下げて壇上からカメラを向ける田沼さん。右は敦子夫人。
挨拶は細田博之衆議院議員(「日本写真保存センター」設立推進連盟代表)

 写真家田沼武能さんは、毎日新聞東京本社のあるパレスサイドビルに長いことオフィスを構え、毎日新聞社との行き来も多く、お隣さんの付き合いだった。

 その田沼さんが写真家として初めて文化勲章を受章し、祝う会が2月10日帝国ホテル富士の間(定員1千人)で開かれた。

 田沼さんといえば、トットちゃん。黒柳徹子さんは1984年にユニセフ(国際連合児童基金)の親善大使となって以来、アフリカ、アジアなどの各国を毎年欠かさず訪問しているが、カメラマンとして同行しているのが田沼さんだ。

 黒柳さんは「私は芸能生活60年ですが、田沼さんはカメラマン70年。先ほど細田博之衆院議員が主賓の挨拶をされましたが、田沼さんは壇上からカメラを向けていました。いつまでも現役でいてください」とユーモアたっぷりに挨拶した。

 田沼さんの挨拶もユニークだった。「何故、この日を選んだのか。2月11日建国記念日は結婚記念日。で、その前日にと思いました」

 敦子夫人は1953年生まれだから、2回りも年齢が違う。「向うの両親が許してくれない。すでに両親とも亡くなりましたが、受章を喜んでくれていると思う」と話すと、脇の敦子夫人が目頭を押さえた。

にこやかに田村武能さんと丸山昌宏社長

 田沼さんは、2月18日が誕生日で91歳を迎える。日本写真家協会第5代会長。「初代会長木村伊兵衛、2代目渡辺義雄、3代目三木淳、4代目藤本四八会長を継ぎました」と、スラスラと名前が出てきた。ちなみに6代目は熊切圭介、現7代目は野町和嘉会長だ。

 「サムエル・ウルマンの詩『青春』ではありませんが、年齢は関係ないんです。今がシュン(旬)なのです」

 雅楽の東儀秀樹、母親の九十九さんら3人による「ジュピター」「仰げば尊し」の演奏で始まったこの祝う会。参加者だれもが、田沼さんの「元気」にあてられた感じだった。

 毎日新聞社からは写真部長を務めたこともある丸山昌宏社長と、写真映像報道部の平田明浩部長らが出席した。

 丸山社長は、この会の発起人でもある。毎日書道会の書家矢萩春恵さんも発起人の1人だった。

(堤  哲)

2019年12月23日

絵画同好会「逍遥会展」

 絵画同好会「逍遥会(しょうようかい)」の展覧会が2019年12月2日から20日まで、ビル1階「ティールーム 花」で開催しました。

 過去、社から補助を受け先輩の方々から引き継がれた当会ですが、22年間同好会「逍遥会」として自主運営で続けています。また、退職後も自由に参加できる会です。

 今回は、水彩、油彩、テンペラ油彩、ガラス絵、鉛筆画、立体と多岐にわたりました。私は油彩で「伊豆下田」と「静物」を出品しました。

 毎年、現役の中林透・会長(情報編成局情報編成総センタービジュアルG)から参加の呼びかけがあり、今回から、木村文香さん(同)が参加してくれました。

 初日の取付け後、1年ぶりにOB、現役の皆さんが顔を合わせ、元会員、取付け作業を手伝ってくれた人、会の応援団の皆さん方と飲み会で親睦を深めました。

 皆さんの参加をお待ちしております。中林まで(03-3212-1649)。

木村文香「バーバラ婦人の肖像」(模写)=テンペラ油彩
中林透「森の径」=水彩画
中林透「大山巌騎馬像 北の丸公園」=鉛筆画
菊地義正「立冬立春」=水彩画
菊地義正「風景」=水彩画
松田宏一「散策」=ガラス絵
今野当夫「静物」=油彩画
今野当夫「伊豆 下田」=油彩画
田原ツトム「星座時計」と「海へ」=立体

(元制作部・今野当夫)

2019年12月7日

論説 OB会を開催

 今年も恒例の論説OB会が11月25日夜、東京パレスサイドビルのアラスカで開かれ、北村正任元委員長(毎日新聞社名誉顧問)をはじめOBの皆さん計23人が出席した。現役の論説委員も仕事に区切りをつけて参加し、交流を楽しんだ。

 昨年のOB会以降、阿部汎克さん(1月13日死去)、首藤宣弘さん(5月20日同)、菅沼完夫さん(8月25日同)、山野寿彦さん(9月28日同)の4人が他界された。会のはじめに、皆さんのご冥福をお祈りした。

 北村元委員長のご発声により乾杯、全員で集合写真を撮影した=写真。

 OB会は、韓国政府が、日本政府に破棄を通知していた日韓の軍事情報包括保護協定(GSOMIA)を一転して当面維持する方針を決定した直後の開催となった。現役最年少の大貫智子編集委員が戦後最悪と言われる日韓関係について説明した。

 懇談では、それぞれの近況報告ばかりでなく、「安倍首相に退陣勧告の社説を書くべきだ」といった現役論説委員へのリアルな注文も。

 「また、来年お会いしましょう」。小松浩主筆の中締めで散会した。

(前田 浩智)

2019年11月22日

添川光一さんのお別れ会に109人

 東京本社広告局長、常務取締役東京本社代表広告担当、毎日広告社社長、会長などを歴任し、8月31日に92歳で亡くなった添川光一さんのお別れの会が、11月14日(木)毎日ホールで行われました。元電通社長の俣木盾夫さん、朝比奈豊会長をはじめ、社内外から109人が出席しました。

献杯の音頭をとる春日桂太郎さん
添川さんの遺影に献花する参会者
弔問に訪れた大島衆院議長(前列中央)、両隣は遺族。後列左から石井毎友会会長、朝比奈会長、手塚取締役

 冒頭、発起人代表の手塚泰彦毎日新聞グループホールディングス取締役が、参会に感謝の意を表しながら「直接、仕事上のご指導をいただいたことはありませんが、ゴルフと麻雀では何回もご一緒させていただきました。ゴルフも麻雀も淡々とプレーされ、マナーには厳しい方でした。その半面、ミス・ショットをした時に人間的な一面を見せていただいたこともありました」と故人を振り返りました。続いて春日桂太郎元広告局長による献杯の発声があり、会がスタートしました。

 会場には、添川さんが1977(昭和52)年に東京本社広告局長に就任されてからのものを中心に、誕生直後から最近の広告OB会まで数々の写真が飾られるとともに、大画面ディスプレイでもスライド上映されました。懐かしい画像の数々に出席者の輪ができ、思い出話に花が咲いていました。また、元日本経済新聞社常務取締役の千葉昌信さん、元毎日広告社取締役常務執行役員の髙木二郎さんから思い出の披露がありました。

 最後に、遺族を代表して添川光二郎さんが「父は、家では仕事の話はしなかったので、旅立ってから皆様のお話を聞いて、初めて仕事ぶりがイメージできるようになりました。きょうこの会場に来て毎日新聞社の家族的な雰囲気を実感しました」と謝辞を述べられました。

 また会に先立って、大島理森衆議院議長が多忙なスケジュールを縫って本社を訪れ、遺族に弔意を表されました。朝比奈会長、石井国範毎友会会長が同席しました。大島議長は1970(昭和45)年毎日新聞社に入社、4年間広告局で添川さんとともに勤務されました。

(元広告局・円谷 英夫)

2019年9月10日

ロッキード事件取材班の会開かる

94歳の誕生日を迎えたばかりの元スポニチ社長 牧内節男さんのHP「銀座1丁目新聞」9月10日号から。
「銀座1丁目新聞」 http://ginnews.whoselab.com/190910/hana.htm

 いつの頃からかロッキード事件(昭和51年3月)を取材した記者たちが集まって年に1,2度会合を開く。今年は事件が起きて43年である。事件は一向に風化しない。元総理の田中角栄が逮捕されたとはいえ流れた資金の全容が解明されていないからだ。話題になるのは『眠っている巨悪は誰か』である。幹事はいつも板垣雅夫君。集まったのは7人であった(9月2日。午後12時半集合・市ヶ谷・中華料理店)。私は会合には常に30分前到着を原則としている。中華料理店には12時に着いた。到着順序は1番中島健一郎君、一番遠い市原市から来た。2番目沢畠毅君、3番目渋沢重和君、4番目堤哲君、5番目板垣君、6番目寺田健一君であった。私の予想と全く逆であった。これまでの人柄から到着順序を判断したのだが到着順序は今の彼らの生活実態から来ているのかもしれない。私の勘も鈍ったと思った。最近『国鉄・JRラグビー物語』を出版した堤君はすこぶる元気であった。

 彼の調べによると現在、社会部OBで90歳以上は4人いる。常に会合に顔を見せるのは私だけという。だが私も10月に開かれる「社会部旧友ゴルフ会」が最後の参加になりそうだ。沢畠君が「間近なり三途の渡し秋の風」の句は淋しいといった。そこで私は「三途の川から追い返された」という話をした。今日、参拝した靖国神社でひいたくじが「三途の川には今舟がないから出直せ」という卦であった。正確に書くと「このみくじにあう人は進むに悪く川の岸に到って 舟なくまどう心に似て 物あらため またはじめること 時をまつがよい」とあった。偶然とはいえ不思議なことがある。みんなには私の心境を伝えるため予め本誌9月1日号の『安全地帯』を配った。その中にこの私の俳句が紹介されてあった。中島君は千葉県市原市で自然エネルギー村である『土太郎』(どたろう)を開発中で目下140戸のうち75戸がうまった。昨今は養蜂事業に専念している。はちみつを瓶詰めにして養蜂事業に出資した人の配当として渡しているという。コーヒータイムで聞いた彼の浅間山荘事件〈昭和42年2月〉の特ダネ秘話は面白かった。堤君が達筆で『悠々』と書かれた文字を背景に12、3人が写っている写真を示す。毎日書道展の事務局長をしていた寺田君が即座に書道会の先生に書いて頂いた書だとう。『悠々』は私の俳号である。私が80歳になった記念も兼ねた「ロッキード会」であったと思う。今でもこの書は自宅の居間に飾ってある。すでに14年。何人かはあの世に旅立った。『健康法』を聞かれて毎朝つづけている『冷水摩擦』と『くよくよしないこと』を上げた。みんなから誕生日にお祝いにバラとひまわりをあしらった花を頂いた。ひまわりは私の好きな花である。

 「ひまわりに集う侍笑顔なり」悠々

(並木 徹)

2019年8月2日

阿部汎克さんを偲ぶ会に86人

 「温かい人でした」「包容力がありました」「優しく相談に乗ってくれたのが忘れられません」

 スピーチに立つ皆さんが異口同音に穏やかな人柄を懐かしみました。2019年1月13日、87歳で亡くなった阿部汎克(ひろよし)さん。真夏の8月1日、日本記者クラブで開かれた偲ぶ会に86人が出席しました。毎日新聞の同僚、後輩だけでなく、退職後、阿部さんが力を入れた国際交流、文化交流の知人や教え子たちも集まりました。

 まず献杯に立った平野裕さんは1953年の同期入社だった阿部さんの仕事を詳しく紹介しました。

 続いて家族が振り返る阿部さんの生涯が圧巻です。語り手はフランス在住の長女、淳子さんとイギリスで暮らす二女の菜穂子さん。自宅で古いトランクを見つけ、何かと思って開けると戦後間もないころのノートや日記、卒業論文が詰め込まれていたそうです。スクリーンに写真やノート、通信簿などの資料が次々に映し出されました。戦国時代から代々医師だった家に生まれ、ランボーに傾倒する文学青年だった若い日々を淳子さんが説明します。毎日新聞記者時代の活躍ぶりは、同じ記者の道を進んだ菜穂子さんがやはり写真とともに語りました。中部報道部、東京社会部、サイゴン特派員、ジュネーブ支局長、論説副委員長と多彩な仕事が浮き彫りになりました。二人のお孫さんが「じーたん」の思い出を語ると、大きな拍手に包まれました。

 会場には阿部さんの書いた記事や取材メモ、スクラップブック、著書が並び、読みふける出席者もいました。

 外信部で一緒に仕事をした黒岩徹さんが特派員時代の裏話を披露すると、やはり外信部の後輩、永井浩さんが長い付き合いで教えられたことを話しました。元国際交流基金で跡見学園女子大学教授、小川忠さんは国際交流の現場で阿部さんの言葉に励まされた人がたくさんいたことを紹介しました。

 阿部さんはさまざまな学びの場に集う若い人の面倒をよく見たようです。インターカルト日本語学校の教員養成講座で阿部さんの指導を受けた教え子4人も、口々に「先生」と呼びかけ公私にわたり学んだ日々に感謝しました。

 最後にあいさつされた奥様の昭子さんによると、晩年のある日「何人集まるかな」とつぶやいたそうです。

 阿部さん、ご心配には及びません。阿部さんの思いと願いはご家族、教え子、後輩に引き継がれています。

(中井良則)

2019年8月1日

山本祐司さんの三回忌法要

 過日(7月21日)、社会部同人・山本祐司の三回忌法要が山本家にて執り行われ、案内受けた『新聞記者 山本祐司』編纂・刊行の会も参列、供花して在りし日をしのびました。併せて本会活動の残務整理も、これにて完了、本欄をお借りし、報告とさせていただきます。

 刊行後寄金は、会の最終報告(本年3月1日)の後、5人増えて計103人、2万6000円増の62万7000円となりました。これに基金振込み(119人290口145万3000円)、実費頒布(3部9800円増)、その他寄金を合わせると、総額217万5800円で、最終報告時より3万5800円の増となります。

 一方、支出は、最終報告時に計上した留保分(2万7340円)を取り崩し、この間に生じた配送費(見直し含む)、振込み手数料負担の増に振替え、総額184万2246円となり、差引残高は最終報告時より3万5976円増の33万3554円となります。最終報告どおり、全額を三回忌法要の花代として施主口座に振込み、これをもって本会口座も閉鎖致しました。

 刊本は、印刷工程での予備分も引き取り、総部数は418部。頒布は、最終報告時の364部に加え、各方面に謹呈するなどして、三回忌終了時で、基金振込み119部、寄金要請付151部、実費19部、謹呈108部(親族等26部、公益機関61部、個人21部)、総計400部。残り18部は、事務局有志で分散保有としました。今後しばらくの間の連絡は高尾(090-1500-8740)まで。

(記・大住広人)

2019年6月8日

東京写真部OB会に丸山社長ら18人

 毎年恒例の東京本社写真部OB会が6月8日(土)午後1時からパレスサイドビル1階の喫茶「花」で開かれた。

 最長老は88歳の中西浩さん(この毎友会HPトピックス《元写真部長中西浩さんの撮影写真から「ひばりヶ丘55年」》参照)。

 昨年亡くなった関根武、三矢元城さん(2人ともこの毎友会HP追悼録参照)に黙祷をしたあと、喜寿のお祝いを受けた永田勝茂さんが乾杯の音頭をとった。

 この会の特徴は、かつて写真部長をつとめた丸山昌宏社長が出席すること。丸山社長は毎日新聞グループホールディングス(GHD)の社長に就任することになっており(6月25日の株主総会後)、「2022年の創刊150年に向けて、毎日グループ全体の発展を図りたい」と抱負を述べた。

 続いて4月1日付で写真映像報道センター長に就任した長尾真輔さん(88年入社)、平田明浩写真映像報道部長から写真部現況報告。6月1日付紙面で安保久武特派員撮影のヘルシンキ五輪を1ページ特集したが、7月1日はメルボルン五輪特集。2020年東京五輪・パラリンピックに向け準備を進めていることを明らかにした。

 参加者の近況報告では、まず江成常夫さん(82歳)。「在社12年で退社した私に毎日芸術賞のごほうびをくれた(1995年、「まぼろし国・満州」「記憶の光景・十人のヒロシマ」の写真展と出版に対して)。毎日新聞は温かい会社です。土門拳賞もいただきましたが、この賞は毎日新聞創刊110年記念で私が提案して創設されたものです」

 近く写真集『被爆 ヒロシマ・ナガサキ いのちの証』(小学館、@4,600円+税)を出版するとともに、同写真展を7月23日~8月19日、ニコンプラザ新宿で開く。

 江成さんの入社1年先輩の大住広人さん(82歳)。「現像・定着液づくりが大変で、カメラもなかなか持たせてもらえなかった」と徒弟制度時代の写真部の思い出をフォローした。大住さんは、毎年、京都からはるばる出席するよき先輩である。

写真、前列左から永田勝茂、中西浩、丸山昌宏、大住広人、滝雄一。
中列左から中村太郎、荒牧万佐行、三浦拓也、栗山増夫、江成常夫、渡部聡、山田茂雄、木村滋、黒川将光、堤哲。
後列左から伊藤俊文、平田明浩、長尾真輔、横井直樹、橋口正。(敬称略)

(堤  哲 )

2019年6月5日

千葉旧友会総会 会員減少の難題に対応策を模索

 千葉旧友会の「令和元年度定期総会」が6月2日、千葉中央区の形成ホテル・ミラマーレで開催されました。総会が始まる前、隣の部屋では7月の参議院選挙に向けた保守系ベテラン議員の選対会議が開かれていた。あちらは「これから戦おうという」血気盛んな連中。歳はとってもこちらは元気な高齢者。93歳の折茂仲次郎さん、92歳の本田克夫さんをはじめ、県内各地から20人の会員が足を運んでくれました。

 総会は作田和三事務局長の司会進行で始まり、物故会員に対して黙とうを捧げた後、平成を最後に4年間の会長職を務め退任した齋藤修会長があいさつ。「令和新時代に入り、千葉旧友会のこれまで以上の活性化を期待する」と、運営を吉村建二新会長に託した。協議事項は平成30年度会務報告、会計報告などが行われ承認された。

 続いて会員の一人で先の市議選で5期目当選を果たした船橋市議会議員の中村静雄さんがお礼と、議員活動に尽力する決意を述べた。新任の鮎川耕史・千葉支局長も社の現状説明やこれからの支局活動への抱負を語り、会場は頑張るOB、現職の言葉に刺激を受けていた。

 懇親会では酒を交わしながら、新時代の千葉旧友会の在り方について意見を出し合った。「運用内容を含めマンネリだ。酒を飲むだけではだめだ」「集まる会員が少人数になっても旧友会は継続してほしい」「本社からも首都圏唯一のOB会組織への期待は大きい」など、厳しくも愛のある声が寄せられた。中でも、会員の減少化傾向については「会員の範囲を県内在住者に限らず、県内に想いを持つ人ならだれでも参加できるといい」との声もあり、役員会では真剣に会員減少への対策を検討していくことを確認した。

総会参加者は次の通り(敬称略)

折茂仲次郎、齋藤修、本田克夫、鮎川耕史、青木靖夫、伊藤隆、伊藤匤、岡田弘志、尾形忠義、河内孝、作田和三、佐藤和子、滝川徹、鳥井輝昭、中島章隆、中村静雄、橋口正、藤城幸一、深山健一、吉村建二

(吉村建二)

2019年2月28日

2・26「ゆうLUCKペン」第41集刊行記念

 2月26日午後1時半~竹橋パレスサイドビル9階「アラスカ」で、社内同人誌「ゆうLUCKペン」第41集の刊行記念パーティーが開かれた。

 いつもは、開会即記念撮影で、帰りには、その記念写真を持ち帰っていただいているが、ことしはマラソンランナー大島幸夫さん(81歳)が健診結果の出る日とぶつかって、30分ほど遅刻した。「不整脈があるといわれての検査でしたが、問題ないとの結果でした。これで晴れて4月15日のボストンマラソンに出場できることになりました。完走すれば最高齢になると思います」と、全員の1分スピーチでこう述べた。

 公務員ランナーからプロとなった川内優輝選手(昨年の優勝者)も出場する。大島選手の健闘を祈ろう!

 大島さんは、写真の前列右から2番目。以下敬称略で、右端は大住広人、大島幸夫から左に倉嶋康、本田克夫、堤哲、今吉賢一郎、松尾康二。

 後列は、右から松崎仁紀、北村勝彦(毎栄)、神倉力、渡辺直喜、松上文彦、諸岡達一、横山敏彦、前田康博、福島清彦、半田一麿、高尾義彦、石塚浩、野島孝一、中谷範行。

 計22人。もうひとり大住さんがお孫さんを連れてきたが、写真には入っていない。「付け馬だよ」と大住さん。「おじいちゃんは、頭から血を流して帰ってきたこともあるんだから」とお孫さん。この付け馬、酒を控えて!の娘さんの配慮だったらしい。

 さて、この同人誌の編集を1人でやって、この刊行記念パーティーも仕切り役のモロチャンマン諸岡達一さん(82歳)。中締めの「来年も2・26パーティーはやりましょう。『ゆうLUCKペン』は発行されるか分かりませんが」という挨拶に、参加者は猛反発。

 最長老本田克夫さん(92歳)は「お金の不足分は皆で出し合えばいい。廃刊は惜しい。編集が大変なら、私がやってもよい」など、前田康博さん(82歳)らが次々に「継続」発言。結局、ガリ版刷りになっても、で第42集は発行されることになりました。

 最後に、同人・会員の皆さんにお願い。『ゆうLUCKペン』第41集に振込用紙が入っていたはずです。年会費の振り込みをお願い致します。振込の金額を増額して、寄付していただけるとなおありがたい! これは虫がよすぎますかね。

 新会員も募集中! 誰でも入れます。年会費5千円です。

事務局中谷範行 まで。

(堤 哲)

2019年2月18日

他社の記者らが5人も参加した「長野会」

 半世紀以上も前に信州で仕事をした記者たちの「長野会」が2月12日(火)日本プレスセンタービル10階のレストラン「アラスカ」で開かれた。

 毎日勢だけでなく、朝日、読売、NHK、東京(中日)のOBも参加して計17人。

 まず発起人を代表して大島幸夫さん(81歳、元日曜版編集長、ファッション記者・毎日ファッション大賞審査員、マラソンランナー)が挨拶。最長老倉嶋康さん(86歳、元長野支局長、スポニチ長野支局の初代支局長、1998長野冬期五輪組織委委員)が乾杯の音頭をとった。

 「オレ、あなたのオヤジが市長しているとき、NK(NHK長野放送局のコールサイン)にいたんだ」と元NHKの荒井清さん(84歳)。

 「善光寺の御開帳が2回目って嘆いていましたネ」と、県政記者クラブで一緒だった黒岩徹さん(78歳、元ロンドン、ワシントン特派員、東洋英和女学院名誉教授)が茶化す。御開帳は数え7年に1度だから、荒井さんは6年以上、倉嶋至長野市長は1962(昭和37)年12月退任だから、それ以前から長野勤務だったわけだ。

 しばらくして全員が自己紹介を兼ねた現況報告。朝日新聞の大熊一夫さん(81歳)。『ルポ精神病棟』は30万部のベストセラーとなり、2017年には監督としてドキュメント映画「精神病院のない社会……監獄型治療装置はいらない!」を製作。全国で上映会が開かれている。『精神病院を捨てたイタリア捨てない日本』(岩波書店)も好評だ。

 詳しくは http://okumakazuo.com/ へ。

 「毎日対朝日で野球の試合をやりましたねぇ」と大熊投手は懐かしがった。

 読売新聞OBの寺村敏さんは、現役の舞踊ジャーナリスト。バレエ界では、かなりの顔なのだという。松本深志高校―明大工学部からの変わり種。「長野支局には4年いました。中御所のアパートで、米ちゃんと一緒でした」。

 その米山郁夫さん(82歳)は中日新聞の支局にいた。黒岩夫人の千鶴子さんと早大文学部(美学)で同級生だったというから不思議だ。「3年ほど前、脳梗塞をやりましたが、今は元気です」。

 NHKの清水(旧姓宮内)保雄さんは、元中野市議会議長。ネットで検索すると、2005年に議長に就任したときの挨拶が写真付きであった。県警クラブでオイチョカブやコイコイにうつつを抜かしていた同一人物とは、とても思えない。

 もうひとり外部からの参加者は飛田紀久子さん。農協中央会の広報を担当していたマドンナ。独身記者たちの憧れのマトで、経済記者クラブ担当の希望者が多かった?

 飛田さんは別の用事で遅れたが、大島発起人代表は「マドンナ不在で開会は出来ないよ」とマドンナの到着を待った。

 毎日の参加者は、他に元英文毎日半田一麿、元サンデー毎日編集長小川悟、元政治部長・論説委員長・専務取締役長崎和夫、写真家の清水盟貴(70歳、最年少)、それに飛び入り参加の元長野支局デスクの横山敏彦、諏訪清陵高校出身で長野支局員だった中谷範行の各氏と、小生(堤)。

 今回、恒例の「信濃の国」の合唱はなかった。しかし、信州を愛する気持ちは誰も変わらない。黒岩夫妻は昨年、南アルプス「下栗の里」へ行った。「長野支局にいるとき、下栗には車道がなく、歩いてしか行けないのに、テッペンには車が走っているという話を聞いた。いつか行ってみたいと思っていた。日本のチロルと呼ばれているが、信州にはまだこんなところが残っている。感激した」。

写真は、前列左から清水盟貴、米山郁夫、飛田紀久子、大熊一夫、倉嶋康、荒井清、小川悟、半田一麿。後列左から清水(宮内)保雄、寺村敏、黒岩千鶴子、横山敏彦、長崎和夫、大島幸夫、黒岩徹、中谷範行、堤哲。(2019年2月12日、プレスセンタービル10F「アラスカ」で。)

(堤 哲)

2018年12月12日

論説 OB会を開催

 毎年恒例の論説OB会が11月29日に東京パレスサイドビルのアラスカで開かれ、北村正任元委員長はじめOBの皆さん約20人が出席、現役の論説委員20人との交流を楽しんだ。

 昨年のOB会以降、小池唯夫さん(昨年11月30日)、原田三朗さん(同12月24日)、藤原信一郎さん(今年2月13日)、松本博一さん(同5月3日)、岸井成格さん(同5月15日)、石丸和人さん(同10月6日)が他界された。

 特に社会部出身の原田さんは昨年11月のOB会に娘さんの押す車イスで元気に参加されたが、その半月後に急に体調を崩してそのまま帰らぬ人となった。冒頭で皆さんのご冥福をお祈りし、来年もまた健康で集まれるようにと集合写真を撮影した。

 今年のトピックは、1997年3月に論説室で在職死亡した野口昇さんの遺児3人(女性2人、男性1人)をゲストに迎えたことだ。3人は父の野口さんに続き数年後に母親も亡くしたため、長崎和夫元委員長らが時折3人に会って励ましてきたという。それぞれ自立している3人に、かっての同僚たちがいたわりの言葉をかけた。

(古賀 攻)

2018年11月28日

千葉旧友会・秋の総会はバスの旅

 千葉旧友会・秋の総会は11月25,26日の2日間県内北総地域の香取、潮来、鹿島から小江戸として知られる佐原をめぐるバスの旅を楽しんだ。

 JR千葉駅前を出発。車内はウキウキ気分で1日目の旅が始まった。千葉の市街地を走り抜け一路、成田市内から神崎町へ。利根川沿いに車窓から見る田園風景はすっかり晩秋の装い。小腹が空いたころ、バスは道の駅「発酵の里こうざき」に到着。

 地元醸造会社が経営する食堂で珍しい発酵定食を味わった。しばし休憩のあと、香取神宮へ。静寂に包まれる参道を進むと、黒塗りを基調として荘厳な拝殿、樹齢1000年を超える御神木の大杉などに心洗われる思いで参拝を済ませた。

 宿泊先の潮来のホテル。季節のアンコウ鍋に舌鼓。酔いが回るほどにカラオケによる歌合戦も。満足のうちに宴会場を部屋に移し、歳を忘れるほどに遅くまで笑いが絶えなかった。

 翌2日目は利根川を渡り茨城県の鹿島神宮を参拝。境内で飼育する約30頭の神鹿の愛らしい動きに癒された。

 旅の最終地は佐原。老舗のうなぎ屋で昼食。絶品のうな重を味わい腹を満たした後は市内を散策。小野川沿いに建ち並ぶ伊能忠敬の旧宅や醸造蔵など、江戸時代の街並みは人気だ。われわれも海外からの観光客に交じって、しばし散策を楽しみ平成最後の旅を終えた。

参加者は次の通り(敬称略)青木靖夫、伊藤 匡、岡田弘志、齊藤 修、作田和三、佐久間憲子、澤畠 毅、野口 亘、藤代幸一、本田克夫、深山健一

(幹事:吉村建二)

2018年11月27日

西山正さんを偲んでサンデー原人の集い

 西山さんを「サンデー原人」と呼ぶのは、先の「毎友会」ホームページに大島幸夫氏が書いた「西山さん追悼録」にある通りである。6月19日、誤嚥性肺炎のため、82歳で亡くなった西山正さんを偲ぶ会が11月10日、神田・神保町のすずらん通りにある揚子江菜館で行われた。集まったのはいうところのサンデー原人。最古参は昭和28年入社の野村勝美さん(88)。続いて山崎レイミさん、川合多喜夫さん、今吉賢一郎さん、大島幸夫さん、沢畠毅さん、築達栄八さん、竹内恒之さん、高橋豊さん、それに小生・遠藤満雄。それから厳密にはサンデー原人ではないが、西山さんと仕事上も私的にもずっと交友のあった元出版写真部・平嶋彰彦氏といった顔ぶれ11人だった。

 最長老の野村さんの音頭でまずは「献杯」から会は始まった。「偲ぶ会」だからそれぞれに西山さんの思い出を語ることが中心になる。幹事役の大島幸夫さんが口火を切った。

 大島さんの思い出―その1

 ・・・・・・西山さんはサンデー毎日にもたくさんの原稿を書いたが、サンデーを離れるとミュージカルの台本を書く、という離れ業もやってのけた。僕はその舞台を見に行ったがなかなか本格的なもので、全くプロの技だった。西山さんはそうした〝余技“を見せるときは面白いペンネームを使っていた。「そうなみ」というもので、逆さに読んだら「みなうそ」というもの。毎日出身の作詞家・丘灯至夫さんは「おしとかお」ということばをひっくり返してペンネームにしたというのは有名だが、西山さんもそれに負けないユーモアあふれるペンネームを使っていた。

 大島さんの思い出―その2

 ・・・・・・サンデー原人たちは仕事が一段落すると、新宿、赤坂など酒の匂いのする街に繰り出していくのが常だった。まず赤坂で飲んで、次に新宿に河岸を変えようとした時のこと。大島さんが赤坂の通りにとまっていた高級外車とトラブルになった。その車の持ち主が〝その筋“のもの。手の早い大島さんはその人物を殴ってしまったのだ。相手もさるもの、喧嘩に強い大島さんも顔にけがをした。二人は巡回中の赤坂署員に逮捕されてしまった。西山さんはこの騒ぎの一部始終を見ていたので「目撃者」ということで警察に同行させられた。警察官は西山さんに質問した。「喧嘩の原因は何ですか」。西山さん答えて曰く。「田中角栄です」。

 西山さんは1960年(昭和35年)の入社。世間は安保改定で揺れ動き、日本中でデモが繰り返されていた時代である。西山さんたち60年組の入社式の日に毎日新聞社(当時の社屋は当然有楽町)に右翼(やくざ)が押しかけてきて輪転機に砂をかけるという事件が発生した。『毎日の3世紀=新聞が見つめた激流130年』下巻によると、事件が起こったのは60年4月2日午前4時過ぎ。暴力団松葉会の組員約20人が新聞社に押しかけ、印刷場に乱入して輪転機に砂をかけ、発煙筒をたいたという事件だった。幸い被害は最小限にとどまって新聞発行は続けられた。西山さんはこの入社式の後、戦時中に疎開していた新潟支局に配属され、赴任した。新聞記者人生のスタートである。それから東京オリンピックの年に本社に上り、サンデー毎日編集部に配属されたのだった。以来、出版局から出たことはなかった。

 山崎レイミさんが、まじめな表情になって話し始めた。

 ・・・・・・自分は新しく創刊される旅の専門誌「旅に出ようよ」(すでに廃刊になっている)の編集長をすることになったが、デスクを誰にするか、自分で選べ、と上から言われたが、私はためらうことなく西山正さんを指名した。

 築達栄八さんも言葉を継いだ。

 ・・・・・・西山さんと二人で出張したことがあった。地方で大火があり、その火事のニュースをサンデーで特集するというはなしだった。締め切りは確かその日のうちだった。ところが現場に近づけない。手前から大渋滞で動けないのだ。ところが西山さんは全く現場を見ないのに確か2ページぐらいの原稿を書かれた。あれには本当にびっくりした。 

 西山さんとはそういう人だった。小生にとっても忘れることのできない人だった。小生は昭和44年(1969年)の10月に入社。支局にはいかずにいきなりサンデー毎日に配属された。その小生の教育係が西山さんだった。どこに行くのも西山さんについていき、原稿も見てもらった。忘れられないのが、翌1970年8月に発生した浜松でのハイジャック事件だった(全日空アカシア便ハイジャック事件)。小生は西山さんについて浜松に飛んだ。事件は奥さんに愛想をつかされた犯人が自暴自棄になって起こしたもので、犯行に使った拳銃は浜松駅のおもちゃ屋で買ったモデルガンだった。事件は間もなく解決したが、西山さんは天竜川の河口近くで生まれ育った犯人の環境を取材しろと指示されて、1日海沿いの村をうろついたことがあった。もちろん家族にも会えないし、近所の人の話も聞けなかった。それでも西山さんはどんなところだったか克明に描写しろといわれた。まさに取材のイロハを教わった。この事件はその後、ハイジャック防止法制定のきっかけになったし、モデルガンの規制も始まった。

 この年は大阪万博の年だった。サンデーでは「万博別冊」を作るというので、西山さんをキャップに小生も後をついて開会式からざっと1か月くらい大阪に行ったことがあった。ここでも西山さんのすごさを目の当たりにした。会場が閉まった夜になると西山さんは次々にパビリオンを訪れ、各国のホステスたちと流ちょうなフランス語で交流する。神様のような憧れの存在だった。

 今回の偲ぶ会のきっかけを作ったのは高橋豊さんだった。

 高橋さんは、西山さんがなくなったことを奥様から直接連絡を受けたのだそうだ。西山さんの長く広い交流の中から、ただ一人だけ連絡を受けた人物である。高橋さんは連絡を受けると、すぐに港区三田の西山邸を訪れ、西山さんの最期を奥様から伺ったという。

 「2時間余り、西山さんの遺骨の前で奥様の思い出話を聞いた。会社では自由そのものの人であったが、家庭人としてはどうだったか。ほとんど家に帰ってこなかったという話だった」と高橋さんからの報告があった。

 名物記者・西山正を偲ぶ催しは3時間近くも続き、みんな雨が降り出したのにも気づかないほどだった。

(遠藤満雄)

2018年10月24日

秋田支局同人の会を開催

 かつて秋田支局に勤務したゆかりの皆さんの「同人のつどい」を、秋晴れに皇居の森もさわやかな10月18日、アラスカパレスサイド店で開催しました。

 発端はおよそ1年前のある毎日新聞OBを偲ぶ会でした。

 「偲ぶのはお互い元気のうちがいいね。秋田支局同人皆さんと往事を偲びたいね」
との声が上がり、早速名簿づくりに取りかかりましたが、個人情報集めの難しい時代です。かつての同僚らとの記憶と年賀状などをたよりにした作業は難航しました。

 動きに弾みをつけたのは春からの秋田ブーム。「マサル」でブレイクの秋田犬人気、好調な学力テスト成績ランキング、そして甲子園の金足農高ナインたち……。名簿づくりにも拍車がかかり9月にパレスサイドビル・ニュートーキョーで発起人会が発足。「まずは集まっていただけそうな範囲で……」と、今回は現役最年長クラスである入社1981年組以前の方々で首都圏在住者中心に「ご案内」を送り、13人の出席となりました。

 最古参は森浩一さん(59入社、以下同じ)、最若手は専門編集委員坂東賢治さん(81)。歴代パンチャーで初代から3代続いて支局員との良縁が結ばれた夫人の皆さんの参加は適いませんでしたが、夫君は3方ともご出席。欠席の方からの「お手紙参加」もあって、八郎潟の干拓事業など半世紀以上前からの折々の出来事や秋田市内の街並み、インフラの変遷、大地震などの災害、夏の竿灯、冬の梵天まつり、球児たちの甲子園取材など、想い出話に花が咲きました。

 中締め代わりの、ジャーナリスト嶌信彦さん(67)と坂東専門編集委員の米中を巡るカレントトピックに、森さんが東京本社編集局長時代の江沢民主席との対談秘話で彩りを添えるなど、設定した3時間を超過する盛会でした。元パンチャーの夫君からは「次は夫婦で」と確約する声も出ていました。

 参会者は他に、佐々木晃逸(49)、里見和男(62)、佐藤忠峯(65)、上野晶博(71)、七井辰男(80)の各氏。発起人会メンバーは、勝又啓二郎(64)、星輝雄(68)、小川厖(68)、鈴木充(71)、恩田重男(74)、坂東賢治。

前列右から、佐々木晃逸さん、森浩一さん、里見和男さん、嶌信彦さん。 後列右から、七井辰男さん、佐藤忠峯さん、坂東賢治さん、小川厖さん、鈴木充さん、勝又啓二郎さん、星輝雄さん、上野晶博さん、恩田重男。

(発起人会:恩田 重男)

2018年10月17日

優勝は奈良から参加の山野壽彦さん

写真は、前列右から、田中正延、塩田学、堤哲
後列右から大野裕朗、上西朗夫、石黒克己、山野寿彦

 10月15日(月)37回目の「39会」を若洲ゴルフリンクスで開いた。

 東京オリンピックが開かれた1964(昭和39)年の入社。参加7人。平均年齢77.3歳。

 優勝は、毎回奈良から参加している山野寿彦さん。グロス95、ネット79。第2位がネット83だから、ぶっちぎり優勝だ。つい最近届いた社報で、大阪本社のゴルフ会で優勝したことが報じられていた。調子がいいんだぁ。

 その優勝スピーチ。「昨日、娘夫妻と孫が喜寿のお祝いをしてくました。プレゼントにもらったのが、ニコンの距離測定器。それを使ってアプローチがピタリ、といいたいところだが、初めて使ったので、ピンフラッグにうまく焦点が合わせられなかったんだ」

 ネットで調べると、ニコンゴルフ用レーザー距離測定器COOL SHOT。3万円もする高級品である。

 山野さんは、1か月後の11月26日が誕生日で、77歳になる。「元気でいる限り、この会には参加しますので、よろしく」

 「39会」第1回は、1999(平成11)年9月に開いている。参加17人。物故者が4人。白石貞次郎(2000年没、60歳)、滝本道生(2004年没、62歳)、橋本靖正(2009年没、67歳)、武藤完(2009 年没、68歳)。

 17人の中に、永井誠さん(80歳)。写真部に入ったが、スピンアウト。志木市議を10期40年、議長もつとめ、2017年春の叙勲で旭日小綬章を受章している。毎回、優勝賞金を提供してくれる貴重な存在だ。

 この日参加の上西さんを除く6人は、第1回大会に出場している。「また来春、元気で会いましょう!」と誓って、散会した。

(常任幹事・堤  哲)

2018年10月12日

中村恭一さんを偲ぶ会

 「中村は毎日新聞記者、国連広報責任者、大学教授という人生でしたが、記者時代をもっとも誇りに思い、それが自分の原点だと、いつも言っていました。特にロッキード事件取材班の皆さんは素晴らしい方々と尊敬していました」

 2018年6月23日に咽頭ガンで逝去した中村恭一さんを偲ぶ会で、妻、公子さんが語った。さらに公子さんは「中村は正義感が強く、不正を看過できないため、いつ辞めることになるかもしれない、と私に言っていた」と恭一さんの覚悟を明かした。それは毎日時代には見られなかった不正がどの組織にもあり、ジャーナリスト精神から不正に立ち向かったからだった。

 10月5日、東京国際フォーラム7階の中華料理店「東天紅」で開かれた「中村恭一さんを偲ぶ会」には、公子さん、長女、美奈子さん、次女、加奈子さんをお招きして、当時の社会部長、牧内節男さんらロッキード事件取材班の9人と元サントリー広報部長で、つい先日まで日本ペンクラブの事務局長をしていた吉澤一成さんも参加した。

 公子さんのとても面はゆい言葉に「社会部長が良かったからだ」と牧内さんが冗談を飛ばす。優しい微笑みを浮かべた恭一さんの遺影の前で、時には笑ったり、涙ぐんだりの和やかな偲ぶ会が行われた。

 恭一さんはいつも穏やかで淡々としていた。けして激することはなかった。だが内に秘めた正義感、ジャーナリスト魂は強固なものだった。

 板垣雅夫さんが1978年4月20日に発生した大韓航空機銃撃(ムルマンスク)事件の取材裏話を披露した。乗客乗員269人全員が死亡した1983年9月1日の大韓航空機撃墜事件の前段のような事件で日本人と韓国人の2人が死亡、13人が重傷を負った。

 パリを出発、アンカレッジ経由でソウルに向かう途中、ソ連の北方艦隊が駐留しているコラ半島上空で、領空侵犯をとがめたソ連戦闘機2機に迎撃された。ミサイルは左翼外側のエンジン付近に命中し、飛散した破片が客室の一部も破壊したが、ムルマンスク郊外の凍結した湖に胴体着陸してほとんどの乗客、乗務員は助かった。

 板垣さんと恭一さんは帰国した大学生が写真を撮っていたことを外信部からの連絡で突き止め、羽田空港から車に乗せて毎日新聞まで連れてきた。だが大学生はその貴重な特ダネ写真を毎日独占ではなく他社にも提供すると言い張った。

 そこで大学生を見事に説得したのが恭一さん。「まるで大学教授のように静かに論理的に二股をかけるのは良くない、人生は一つのことに絞らないと中途半端になるよ、とじゅんじゅんと諭した。それですべてのネガが毎日新聞に提供された。素晴らしい説得力だった」と板垣さん。だが後で分かるのだが共同通信社の写真部長が「うちにも提供するといわれている」と毎日新聞写真部に乗り込んで来たら、ネガを渡してしまい、全国に配信されたため特ダネ写真は幻となってしまった。

 「とにかく苦労して写真を確保した外信部や恭ちゃんと僕に何の相談もなく渡すんだから。毎日の写真部長は人が良いので有名だったけどね」。板垣さんはそんな思い出を語り、話は好人物が多い毎日新聞の社風や、写真部どうしのいざという時(撮りそびれた時)の貸し借りまでと発展した。多分、恭一さんも毎日新聞社の温かな雰囲気が大好きで、公子さんによると、転職して何年たってもロッキード事件取材班のOB会があるというと、いつもそわそわして遠くからも駆け付けていたという。

 恭一さんは1969年に入社し英文毎日から東京社会部記者として活躍したが、国連の広報官としてもらいがかかり、1983年から東京、ニューヨーク、コソボで国連広報の責任者を務めた。2001年から2013年までは文教大学教授。毎日新聞社には15年弱の在籍だったが、公子さんがいうように一番好きな時代だったようだ。

 娘の美奈子さんから「皆様のお話をお聞きし、なぜ軽井沢の旅行(ロッキード班OBの集まり)をあれだけ楽しみにしていたのか理解できました」とのメール。公子さんからも「娘たちも、父親のエピソードを皆様から直接お伺いする初めての貴重な機会になりました」とお礼メールが届いた。

(文責、中島健一郎)

写真は、前列右から瀬下恵介、美奈子さん、牧内節男、公子さん、加奈子さん
後列右から板垣雅夫、澁澤重和、中島健一郎、堀一郎、澤畠毅、寺田健一、吉澤一成、堤哲

2018年10月2日

アラスカで「タケノコ会」改め「竹橋女子会」

パレスサイドビル9階のレストラン「アラスカ」で(9月29日)
写真は、前列右から
成田紀子さん、塚本邦子さん、岩尾光代さん。
後列右から
伊藤由美子さん、佐久間憲子さん、幸川はるひさん、大洞敬さん、沢口紀代子さん、高尾義彦さん、松下礼子さん、そして堤哲の11人。

 現役は総務部の塚本邦子さんと、その真後ろ編集総務部・沢口紀代子さんの2人。あとはOGである。

 阪神大震災のころから社内で続いていた毎日新聞の社内女性勉強会を源流とするOGの「タケノコ会」が、今春からは「竹橋女子会」と名付けて現役もともにアラスカに集まった。その話を聞いて、2回目の集まりに、男性3人が迷い込んだというわけ。月1で毎友会カフェが開かられるようになって、「雑談」のヒョウタンから生まれたコマだった。

 9月29日(土曜日)昼に集まって、それぞれの自己紹介を聞いて、隠れた女子パワーが毎日新聞の今昔を支えていることを知った。なじみがなかった人を紹介しておこう。

 佐久間さんは出版局から財務部を最後に繰定した「千葉旧友会」の名世話役で、千葉関係者にはよく知られている。

 成田さんは1963年入社といっていたから、一番のお姉さんか。現在は保育施設の責任者(理事長)をしているが「私、子どもが苦手なのよ」と笑う。

 伊藤由美子さんは、『重要文化財』『国宝』シリーズ編集を長年続けて、『佛教藝術』(1948年8月創刊。隔月刊誌。2017年1月350号を発行して休刊した)を、最後は独りで編集していた。文化財のプロフェッショナルで、八王子市夢美術館の館長を務めた。

 幸川はるひさんは、整理本部の異才・幸川彰(1996年没、70歳)さんのお嬢さん。毎日旅行から毎日書道会勤務で竹橋生活を終えている。

(堤  哲)

 私の拙文に手を入れてくれたのは、大姉御の岩尾さん。20日に書店に並んだ『姫君たちの明治維新』(文春新書)の「増刷が決まった」と喜んでいた。

2018年8月13日

定位置に夫と茶筒と守宮かな
「池田龍夫さんを偲ぶ会」

 故人にふさわしく「笑い」と「議論」で賑やかにすすめられた「池田龍夫さんを偲ぶ会(2018・7・13 パレスサイドビル・アラスカ)」も終わるころ、しみじみとした真実が披露された。愛しあっていた夫婦とは「そういうものか」。

 いま、人気絶頂の俳人「池田澄子さん」(池ちゃんの奥様)が、総合誌「世界」の<岩波俳句>欄(2018年7月号)に書いた一文……

 『(夫は)逝く時点で老人であったけれど、若いときを私はよく知っている。逝ったことで、若い日のその人が私に甦った。その人の死は久しぶりに、若い時のその人に再び逢わせてくれた。』

 そして、<岩波俳句>選者でもある澄子さんは夫を思う追悼句を三句。

 ◇初恋のあとの永生き春満月
 ◇定位置に夫と茶筒と守宮かな
 ◇屠蘇散や夫は他人なので好き 澄子

 澄子さんの「俳句論」は、知識を表に出さず、かっこよくしようとせず、自分の思いそのものを書かない……普通の言葉でつくる、というものである。この三句をスマホで撮影したり、手帳にメモる出席者が多数いた。「池ちゃん」の見出しは奥さんの言葉がヒントになっていたんかな? 

 会の冒頭、献杯の音頭をとった昭和28年入社同期の平野裕さんが「入社式の前々日にあった見習生のディスカッション」のエピソードを紹介した。議論のテーマは4月2日付け朝刊社会面トップを飾った客船ウイルソン号甲板上の皇太子(現・天皇陛下)の特ダネ写真(当時は異例の5段扱い)についてどう思うか? その時「池ちゃん」だけが「愚にもつかない特ダネだ」と決めつけたそうだ。かの特ダネ写真は毎日新聞の伝書鳩のみが他社の伝書鳩がすべて行方不明になった中、唯一、野島崎沖合を航行中の船舶に(疲れ果てて)羽を休めたところを船員が見つけ下田通信部に届けた。当時は「超優秀な毎日新聞の伝書鳩」と讃えられ話題を呼んだ。「池ちゃん」は伝書鳩には目もくれず、皇太子(エリザベス女王の戴冠式に出席のため渡航)に触れた。ハナから「左っぽい男?」を証明していたんである。

 「池ちゃん」は「新聞社ほど他業種には厳しく自社製品には甘い」……新聞社の驕りと間違っても訂正記事さえ出せば許される、という意識が潜んでいる、と言い続けて来た。

 天野勝文さん(元毎日新聞論説委員、元筑波大学教授、元日大教授、メディア研究者。84歳)のスピーチが会場の耳目をひいた。

 「昭和60年、池田さんの定年後30年。ジャーナリズム観をほぼ同じくする同志として併走、毎日OBでは最も濃密なお付き合いをさせていただきました。池田さんは自ら実証的な新聞研究と位置付け、活字媒体やネットメディアへの旺盛な執筆活動……その膨大な量は圧倒的壮烈です。中学3年で終戦を迎えた戦後民主主義の輝かしい部分を一身に浴び、左派社会党・日教組路線と……時に煙たがる後輩もいたようですが、池田ジャーナリズム論を毎日新聞整理部のDNAとして、ぜひ継承してほしい。私自身も、池田さんの遺志を受け継いで、池田さんが書き残した分を含めて、ネット上で“電子紙つぶて”を投げ続けたいと思っています」。

 ついで山埜井乙彦さん(有楽町整理部時代からのレジェンド記者。94歳)は「整理本部OB仲間の旅行はゼンブ池ちゃんが仕切って計画を練り、細かく設定されて、全国いろんなところに行きました。あの“編集能力”は見上げたものです。私は池ちゃんに火を点けられて……以来ひとりで全国を旅しています。94歳になっても旅に出られるのは池ちゃんのおかげです。その池ちゃんが……先に旅立たれて……」と。

昭和30年初頭頃の「池ちゃん」

 懐かしくも強烈な思い出噺も出た。昭和35(1960)年6月15日(水)夕方も遅く、「池ちゃん」とある後輩は夕刊が終わって有楽町の毎日新聞社を出てお馴染みの「すし屋横丁」へ飲みに行くところだった。「池ちゃん」は突如「おい、国会前に行こう!」。

 時は「60年安保闘争」真っ最中の夜。4日前には「ハガチー事件」があったばかり。新安保条約は「民主主義の破壊だ」……全学連どころか一般市民にも反対運動が広がり、国会議事堂周囲をデモ隊が連日取り囲んでいた。「池ちゃん」は俺たちも加わろうというのである。後輩は「やっぱア、新聞記者は行かない方がいいんじゃないの……」と、なだめた。「池ちゃん」はしつこい。しかし、ちょっと冷静になったのか、足は「すし横」へ向かい、入った店が「赤星(あかぼし)」。なんかトロツキストみたいですね、店の名前。

 ま、いいのだいいのだ。毎日新聞の記者連が寄り集まるハシゴ段を登った二階の飲み屋だった。店ではラジオが鳴っていた。「池ちゃん」の酔談はもっぱら安保闘争の推移と新聞紙面の扱い。その頃、紙面は硬派軟派そろって安保安保で埋まっていた。「岸信介が安保騒動」と称したことに「冗談じゃア、ないヨっ」と怒る「池ちゃん」。その頃、国会前デモは30万人。赤星の女将が叫んだ。「ラジオが言ってるわよ、死者が出たらしいってサ。タイヘンなことになってるようよ……」。二人は黙って飛び出し編集局へ駆け上った。日付変わって6月16日深夜には岸内閣が緊急臨時閣議声明を出すほどの大事件。紙面づくりはひっくりかえっていた。それもそのはず、樺美智子の死んだ夜であった。 

 ◇

 「池田龍夫さんを偲ぶ会」は笑いと昔噺が交錯して面白く終幕。いちばん喜んだのは「池ちゃん」であろう。「池ちゃん」が本当に出席しているのであれば ”締め” に「俺に歌わせろよ……」と言って登壇。イベット・ジローばりに『 〽 あの子と ただ〜二人 石けり〜をしては〜〜遊んだ〜懐かしい〜春の日イ〜〜』……『バラ色の桜んぼの木と白い林檎の木』を歌うのだが……。

(諸岡達一・記)

2018年6月6日

千葉旧友会の総会に20人

 千葉旧友会の平成30年度総会が6月3日、千葉市のホテル・ミラマーレで20人が出席して開かれた。

 総会にしては少々寂しい集まりだったが、旧友会最年長の折茂仲治郎さん(92歳)と本田克夫さん(91歳)の両長老がそろって元気な姿を見せられ、会場は拍手につつまれた。

 作田和三事務局長が年次報告の後、ここ数年高齢化が著しく、縮小化する旧友会をいったん解散し、旧知の人がグループごとに集まりを続けていくのはと提案した。しかし、会の閉鎖を潔しとするものは誰一人おらず、暫くは現状維持で春、秋の総会を継続することになった。

 会の創立発起人の一人だった折茂さんからは「ここは元気をいただく若返りの場」と言われては、軽々に解散などと口にしてはいけない。事務局は反省!

 旧友会の継続が決まったところで、出席者一人一人が近況報告や懐かしい現役時代の思い出話を披露して盛り上がり、終わりに齊藤修会長から丸4年間任期を果たし、満80歳を迎えるに当たり会長職の辞意表明があり、後任にはこの春、茂原通信部長を辞した県内取材経験豊富な吉村建二さんが推され、出席者全員の拍手で承認された。

 こうして平成最後の千葉旧友会はお開きとなり、新元号下は吉村会長。作田事務局長の新体制でスタートすることになった。

 総会出席者次の通り(敬称略)
 青木晴夫、伊藤隆、伊藤匡、尾形忠義、岡田弘志、折茂仲治郎、児玉賢二、齊藤修、作田和三、佐久間憲子、佐藤和子,沢畠毅、鳥井輝昭、中島章隆,中村静雄、野口亘、藤代幸一、本田克夫、深山健一、吉村建二

(齊藤 修)

2018年6月4日

東京写真部のOB会に丸山社長ら

 開会直後に記念撮影をするのが、写真部OB会の習いである。帰りにプリントアウトしたものが渡される。従って遅刻した人は写っていない。今回は元志木市会議長、永井誠さん(昭和39年入社)がオミットされた。

 前列中央に元部長の丸山昌宏社長、その左隣に、元部長で今回の最長老、ことし米寿を迎える中西浩さん。OB15人と現役2人の計17人が並ぶ。

 6月2日(土)竹橋パレスサイドビル1階、ティ―ルーム「花」。

今年米寿迎える中西浩さん

 写真部の存在感が増している、という嬉しい報告が山下浩一写真映像報道センター長と、平田明浩写真映像報道部長からあった。

 2年連続で新聞協会賞を受けた。2016年度は、熊本地震で西部本社写真部の和田大典カメラマン。

 昨年は、リオ五輪の陸上男子400メートルリレー。「何故、日本がこんなところにいるんだ」。ジャマイカのウサイン・ボルト選手の驚がくの表情がなんともいえない。梅村直承カメラマン(現北海道支社報道部写真グループ)が捉えた。

 「先輩たちのDNAを受け継いでいます。3年連続受賞を目指しています」

 もうひとつ。IT時代に、資料写真が稼いでいることだ。売り上げは億単位にのぼるという。「昔の自信作をぜひ提供してください」

 OBからこんな証言もあった。日本写真家協会(JPS)の会員で、日本写真年鑑の編集に携わっている木村滋さん(記念撮影の後列右端)。「ニコンの元社長、小野茂夫さんは写真展をよく開いていますが、『毎日新聞の写真が素晴らしい。各紙で一番』といつもいっています。うれしいことです」

 参加者は五十音順に、荒牧万佐行、伊藤俊文、大住広人、加藤敬、木村滋、黒川将光、酒井孝一、滝雄一、堤哲、永井誠、中西浩、永田勝茂、平澤一郎、丸山昌宏、三浦拓也、吉田真太郎。

 今回欠席した大正15年生まれの川島良夫さん(92歳)のはがきには「大正生まれは小生を除いて皆去ってしまいました」とあったが、OB会の資料を整理していたこんな写真が出てきた。

 いつの写真かは不明。東京駅が建て替える前のステーションホテルだった記憶はある。前列中央に安保久武、佐藤振寿。その左は二村次郎、吉村正治。右へ石井清、辻口文三の各氏。

 後列は左から中村太郎、接待健一、三浦拓也、江成常夫、堤哲、岩合徳光、岩尾光代、納富通、三十尾清、中西浩、佐伯格五郎、橋本保治の各氏。

 存命は中西浩さんをはじめ、後列の6人だけだ。

(堤  哲)

多士済済!昭和40年入社の25人

 5月14日(月)、日本記者クラブで毎日新聞、昭和40(1965)年入社、東京本社在勤経験者55人の同期会があった。亡くなったのは14人、老残の何と25人が集まった。九州、大阪、名古屋から掛けつけたメンバーもいた。スゴイね。

 つい最近、幹事5人のご苦労さん会をやった。当方(佐々木宏人)は司会をしたのだが、その時の写真を元写真部・社会部の板垣雅夫君が手渡してくれた。出席者全員にすでに送っていたのだが、その同封文書にみんなで大笑い。

 「急にアップ写真が必要になる方(!)ご連絡ください」

 要するに葬儀用の写真のことではないか!

 板垣君にいわせると「全員個別写真を撮ったが、佐々木君のが一番いい!絶対喜ばれるよ!」。なんだかなー。帰って女房に見せたら「是非データで送ってもらって!」と嬉しそう。

 でもこの同期会、面白かった。元社長で現在横綱審議委員会委員長でテレビに良く出てくるアゴヒゲの北村正任君、元テレビキャスターで都知事選にも出た鳥越俊太郎君。

 大学教授を含めて教壇に立ったのは、苫米地重亨君、永井浩君、五島昭君、脇地炯君、冨田昌志君、田中良太君、熊澤誠吾君、板垣雅夫君。そういえば鳥越君も大学教授をやっていたなぁ。竹内恒之君は、点字毎日の元編集長。点訳奉仕は今でも続けている。

 社長になった人も結構いて、RKB毎日放送の石上大和君、日本新聞インキの清水敬之君、毎日エージェントの竹内敬康君。水野弘敏君はスポニチの大阪本社の元代表、経理の稲山輝機、石井潔両君は、毎日新聞や下野新聞で役員を務めた。

司会の小生

 1人1分の近況報告、という事で始めた挨拶。どうせオーバーすると思って45分を予定していたが、何と110分。最長の人が17分というからスゴイ。新聞記者ならぬ「新聞話者」だね。

 でもそれぞれ人生の決算期に来て思うこと、言えなかったこと、これまでの人生での山谷を越えて吹っ切れて、ホンネを吐露して、聞いていて本当に気持ちが良かった。

 丁度、我々の入社のときは、1964年の東京オリンピックの時。入社前にオリンピック取材のアルバイトにこき使われた。それだけに同期意識が強いのかもしれない。

 次回の東京オリンピックの年の2020年にまたやろうという事になったが、この写真を使わないように元気で開催したい。

 出席者(五十音順、敬称略)
 赤松徳禎、浅沼英範、稲山輝機、石井潔、石上大和、板垣雅夫、大井弘久、尾島一平、北村正任、木脇洋、熊澤誠吾、五島昭、佐々木宏人、斎藤光紀、清水敬之、竹内敬康、竹内恒之、田中良太、鳥越俊太郎、苫米地重亨、冨田昌志、永井浩、三浦碩哉、水野弘敏、脇地炯。

(佐々木宏人)

大学教授らの「さつき会」が、竹橋「花」で

 毎日新聞OBで大学などで教壇に立った元論説委員や編集委員の集まり「さつき会」が5月24日、竹橋パレスサイドビル1階ティールーム「花」で開かれた。

 さつき会の誕生は1965(昭和40)年。何度かの中断を経て今回は38回目。85(昭和60)年以降は毎年5月に開かれている。

 参加25人といつもよりちょっぴり少な目だったが、本社側からは朝比奈豊会長、丸山昌宏社長や小島明日奈教育担当執行役員、中根正義大学センター長らが参加した。

 丸山社長は「若者に新聞を読んでもらえるよう、皆さんのお力を拝借したい」と挨拶して、乾杯の音頭をとった。

 最長老は、85歳の新実慎八さんと北畠霞さん。次いで84歳の天野勝文さん、83歳の辻康吾さん、秋山哲さん。昭和一桁はここまでで、82歳の大久保貞義さん、諸岡達一さん、81歳の前田康博さん。

 「これから講義に出掛けます」と津武欣也さん(72歳)がいうので、開始早々に撮影したのがこの写真だ。白髪とハゲが目立つのは致し方ないとこころ。

 会員の訃報も相次ぐ。この1年で、小林弘忠さん(80歳)、近藤健さん(84歳)、柴田寛二さん(82歳)、原田三朗さん(82歳)、藤原新一郎さん(92歳)、池田龍夫さん(87歳)、松本博一さん(96歳)、松島利行さん(80歳)。ゲストスピーカーでお見えになったこともある富重圭以子さん(62歳)も。

 最近では、主筆をつとめた岸井成格さん(73歳)、橋本達明さん(73歳)が亡くなった。

 岸井さんをめぐって、1972(昭和47)年の佐藤栄作首相の退陣会見が話題になった。「新聞記者は出て行け!」と机を叩き、新聞記者たちが一斉に会見場をあとにした、あの事件である。

 佐藤首相は、そのあと誰もいなくなった記者会見場で、テレビ画面に向かってひとり話をするのだが、毎日新聞に掲載された評伝には《「じゃあ出よう」と真っ先に他社の記者に呼びかけたのは岸井さんだった。これが政治史に残る「延々とテレビカメラに向かい1人で語り続けた首相」の逸話につながる》とある。

 これに対し、他紙から「首相から売られた喧嘩に、真っ先に応じたのは、朝日新聞の官邸キャップ田中豊蔵記者(1933年生まれ、元取締役論説主幹)」と指摘があったという。

 岸井さん自身は、生前、毎日新聞記者の検証取材に、こう語っている。「出て行けと言われても、じーっと座っている(記者がいる)。それで『出よう、出よう』と。若気の至りだった」と答えている。当時27歳。政治部記者になったばかり、と記事にある。

 そんな話題もあって、会員たちは久闊を叙した。

 この他の参加者は、磯野彰彦、薄木秀夫、大橋弘、荻野祥三、奥武則、梶原英之、瀬川至朗、玉木研二、中井良則、長崎和夫、西敏彦、西田實、福島清彦、福原直樹、細野徳治(五十音順、敬称略)。

(堤   哲)

春の社会部旧友会懇親ゴルフ会

「きょうの荒天は、私がボストンから持ち帰ったようです」

 大島幸夫さん(80歳)がラウンド終了後の懇親会でこう言った。公務員ランナー川内優輝さん(31歳、埼玉県庁)が優勝した第122回ボストンマラソン(4月16日)。大雨と強風、季節外れの寒波に見舞われ、最高気温が3度だった。

 「スタート前に低体温となり、震えながら走り始めた。ボストンマラソンは今回で3回目だったが、こんなにひどい天候は初めて。でも、来年も挑戦しようと思っています」

 5月9日、雨の若洲ゴルフリンクスで行われた第55回社会部旧友会懇親ゴルフ会。午後には雨があがったものの、最高気温14度の肌寒い1日だった。

 参加は写真の11人。澁澤重和さん(78歳)=後列右から2人目=は、2006年春以来、12年ぶり2度目の参加。懇親会で最初に近況報告をしたが、「体形が変わってしまって誰だかわからない。まず姓名を名乗ってください」と要望が出て、まず自分の名前を言ったあと、身長・体重を報告するのが定番となった。

 最長老は牧野賢治さん(84歳)、次いで川合多喜夫さん(82歳)。最若手が高尾義彦さんと山本進さん(72歳)。平均77・6歳だった。

 優勝は37入社の畝村治男さん(79歳)=前列左端。袋の中にカルビー元会長の松尾康二さんからの参加賞。大会名入りのじゃがりこ(写真)、かっぱえびせんやフルグラなどが入っている。

 吉沢孝さん(78歳)は週一野菜づくりをして、農産物を市場に出している。勝又啓二郎さん(77歳)はちょうど1年前に狭心症による心臓バイパス手術をした。この日もベスグロで3位に入り、元気だ。湘南ボーイ熊澤誠吾さん(76歳)は、中国首相の来日で道路が大渋滞、滑り込みセーフのスタートだった。

 このゴルフ会は、1987(昭和62)年に第1回、1991(平成3)年から春秋2回、定期開催している。交通の便がよいことから、最近はもっぱら若洲ゴルフリンクスだが、コンペ予約の電話がなかなか繋がらない、幹事泣かせの会場でもある。

五月なのに 震えてゴルフ 風と雨   河彦(高尾義彦さんの俳号)

 若洲ゴルフリンクス。社会部旧友会のゴルフコンペが昨日あった。雨が降り風も強く、五月としては最低の気温。アイアンでボールを打つと、水しぶきが上がる。スコアはともかく八〇歳代も多いメンバー11人が無事、“完走”出来たことが収穫。今回で55回目。

(幹事・堤  哲、76歳)

『ゆうLUCKペン』刊行の集い&ハラサブさんを偲ぶ会

 毎日新聞OB同人誌『ゆうLUCKペン』(第40集)の刊行記念パーティーが2月26日、東京一ツ橋のパレスサイドビル9階レストラン「アラスカ」で開かれた。

 今回は同人の駿河台大学名誉教授原田三朗さんが昨年暮れのクリスマスイブに亡くなり(享年82)、その偲ぶ会を兼ねた。ハラサブさんは、編集委員らの草野球チーム「大東京野球団」S・ライターズの発足にかかわり、第4代監督。同球団が2014年に刊行した『野球博覧』(菊判、本文416ページ)から抜き刷りした小冊子『不動の一塁手』が、出席者50人に配られた。

 最長老は、93歳の山埜井乙彦さん。整理部の大ベテランで、世論調査部長、新聞研究室委員などをつとめた。司会は、だじゃれの諸さん・諸岡達一さん(81歳)。

 まず幹事団を代表して牧内節男さん(92歳)が「現役時代、先輩から芥川賞は必ず読めといわれ、今月の文春も購入して読んだ。しかし、この『ゆうLUCKペン』の方が遙かに面白い」といつもながらの「独断と偏見」。

 例えばとしてあげたのが、定年退職後、中国南京大学で日本語教師を12年続けた斎藤文男さん(76歳)。「所沢通信部にこんな逸材がいるんですから、人材豊富な毎日新聞だ」とドクヘン氏。

 乾杯の音頭は、初執筆の元サンデー毎日編集長今吉賢一郎さん(80歳)。「歩いて引っ越せます」と、巻頭を名文で飾っているが、「平昌五輪のテレビで、元気をもらいました、とアナウンサーらがいっているが、元気は出すもので、もらうものではない」などと日本語の乱れを厳しく指摘したあと「かんぱ〜い!」。

 元英文毎日の半田一麿さん(83歳)が、ハラサブさんが駆け出しの長野支局時代、元論説委員長清水幹夫さん(78歳)が論説委員時代を語り、教育担当論説委員から駿河台大学教授と直系後輩の瀬戸純一さん(69歳)が、同大学でも論客ぶりを発揮していたことを証言した。

 朝比奈豊現毎日新聞社会長(70歳)は東大安田講堂封鎖の際、構内で毎日新聞社会部の取材を受けたことを明らかにしたが、元社会部長森浩一さん(82歳)は、ハラサブさんとともに「安保学生取材班」(高井磊壮キャップ、吉野正弘、松尾康二、内藤国夫)の一員。1968(昭和43)年東大医学部から始まった学園紛争が全国へ、さらにはパリなど全世界のスチューデントパワーに火をつけた、歴史的な報道だったことを力説した。

 参加者の平均年齢は、70歳を優に超えている。90歳超は、もうひとり本田克夫さん(91歳)。元気な老人パワーの「春一番」であった。

 参加者は次のとおり。

 朝比奈豊、天野勝文、荒川冨士男、石井國範、石塚浩、池田達雄、★磯崎由美(社会部長)、今吉賢一郎、大久保貞義、大島幸夫、大住広人、大坪信剛(編集編成局次長)、尾崎美千生、加藤順一、加納嘉昭、神倉力、北村勝彦(毎栄)、熊澤誠吾、倉嶋康、坂巻熙、佐藤哲朗、佐藤忠峯、清水敬之、清水幹夫、瀬戸純一、高尾義彦、田中正延、堤哲、苫米地重亨、中井良則、中谷範行、長崎和夫、★新実慎八、野島孝一、野村勝美、半田一麿、福島清彦、藤川敏久、堀一郎、堀越章、本田克夫、前田昭、牧内節男、松崎仁紀、森浩一、諸岡達一、山埜井乙彦、山本進、横山敏彦、横山裕道、蕨南暢雄 以上51人(★印は会費参加者)

(堤 哲)

絵画展・今野当夫(元制作部)

 絵画グループ「逍遥会(会長・中林透)」の年1回の展示を、2017年11月22日から12月22日までビル1階「喫茶 花」でおこないました。フラワーアレンジメントなど絵画以外の作品も含めて10点の作品が並びました。

 私は、青森県白神山地の未だになぜ青色なのか分からない神秘的な青池①を描きました。静かな森の中に青池はありました。

 近隣で目にした日常の景色②、幻想的な日本海に沈む夕陽③、海の安全を守る灯台④と、それぞれが地元や旅先で心に留めた風景を描き持ち寄りました。

 作品の取り付け日には、お手伝いしてくれる人やメンバー以外の方々も参加して、楽しい飲み会で親睦を深めました。写真は会場から撮りました。

① 青池(白神山地)/今野当夫
② 赤い屋根の家(入間市)/ 中林 透
③ 千畳敷海岸(青森県深浦町)/ 菊池義正
④ 地蔵埼海岸(小豆島)/ 松田宏一

ロッキード事件社会部取材班

 写真を見て下さい。前列中央は当時の社会部長牧内節男さん(92歳)。ロッキード事件発覚直後に論説委員から現場復帰した。ドクヘン(独断と偏見)部長、50歳だった。

 その右が取材班のキャップ澁澤重和さん(77歳)。逮捕予定稿をどれほど書かされたか。紙面展開、特集の紙面どり、取材費の予算要求など一切を取り仕切った。取材班の動きを克明に、誰が何をしゃべったまで一字一句大学ノートに記録。それがアンコとなって『毎日新聞ロッキード取材全行動』(講談社1977年2月刊)が生まれた。

 『全行動』のアンカーを務めたのがナンパ記者瀬下恵介さん(牧内さんの左、79歳)。ロッキード事件の起きた1976(昭和51)年の元旦社会面から連載「大都会の日々」第1部ホテルで、を始めた。「ニューズウィーク」日本版初代編集長。

 前列左端堀一郎さん(76歳)。米上院チャーチ委員会の議事録を、お隣の丸紅広報部からいち早く入手、その議事録が資料分析班の吉川泰雄さん(78歳)と寺田健一さん(76歳)=後列左から2,3人目=に渡って、いくつもの特ダネが生まれた。

 後列右端の板垣雅夫さん(75歳)、その左中島健一郎さん(72歳)は、澁澤キャップの特命取材班。「中板コンビ」が、国内取材でどれだけ特ダネを放ったか。草野靖夫さん(2012年没72歳)も航空に詳しく、有力な取材メンバーだった。

 その左は英語使いの中村恭一さん(74歳)。『全行動』裏表紙にあるロ事件の大がかりな構図。それを逐一解説しながら黒板に描いた。事件の途中で四方洋さん(2016年没80歳)とともにモントリオール五輪の特派員。

 前列右端は、沢畠毅さん(78歳)。田中角栄元首相が逮捕されたとき、本社主催の都市対抗野球大会の社会面取材キャップだった。球場内の放送室へ行って、「田中逮捕」のニュース速報を場内放送で流すよう交渉し、観客のどよめきをナンパ面に送稿した。

 後列左端が堤哲(75歳)。警視庁公安3課(右翼担当)で児玉誉士夫の動静取材をしているうちに「児玉担当」となって、『児玉番日記』(毎日新聞社1976年刊)のアンカー。取材班の遊軍的立場で、全日空だ、丸紅だ、と取材に出された。

 10月7日(土)新宿に集まって、2時間の旧友会。マスコミ塾「ペンの森」を主宰する瀬下さんが「95年設立以来、マスコミ各社に500人を送り出した。ただ、最近はマスコミ志望者が減っているね。存続の危機だ」。菅官房長官の会見で一躍有名になった東京新聞望月衣塑子記者も出身者だそうだ。

 最後に立った牧内さんの話に迫力があった。昨年、事件発覚40年の機会に事件の本筋を知る某大物にインタビューを試みた。「ロ事件の本質はトライスターでなくP3C。それを証言してもらいたかったが、結局口を開かなかった」と語った。まだ特ダネを狙っている記者魂に、一同呆然、ア然。一拍置いて感嘆の拍手だった。

 この取材グループが1991年軽井沢72でゴルフに興じたときの写真が出てきた。

前列左から2人目から牧内節男、堤哲、沢畠毅。後列左から板垣雅夫、寺田健一、瀬下恵介、澁澤重和、吉川泰雄。

 皆、若かった。

(堤 哲)

山本祐司さんお別れの会

大住広人

 2017年9月15日、竹橋の毎日ホールで山本祐司さんお別れの会が催された。亡くなったのは7月22日午前10時7分。その2月半前の5月6日に4回目の脳出血で救急病院に送られ、意識混濁から覚めることなく病床で最後の呼吸を終えた。火葬の順番待ちで密葬は29日、ディズニーランドとほとんど隣り合わせの浦安市斎場で営まれている。享年81。

 お別れの会には123人が集った。司会(小川一さん)、呼びかけ人挨拶(朝比奈豊さん=社内、瀧鼻卓雄さん=社外)、献杯(牧内節男さん)と、ここまで全て元社会部長。数において、さながら社会部旧友会の趣だった。だが、追悼に立った学窓同期(坂倉重徳さん)、応援知人(中嶋義臣さん)、友人代表(森浩一さん)をはじめ、参会者から期せずして上がった声は「山本祐司は正義と優しさの社会部記者だった」。

 これは祐司の像にして、社会部記者が共有せんとした社会部の真髄だったのかもしれない。これを60年間支え切ったのが喪主の久子さん。「さよならも言わず手も握らず一人でいってしまいました。いつものように」の思いを胸に止めつつ、長年、祐司を囲んでくれた参会者をはじめ多くの仲間に「ありがとう」の五文字をもって謝辞とした。

 同期・杉山康之助が若くして死んだとき、祐司は杉山をピーターパンに擬えて羨ましがった。だが半生みれば祐司自身が「大人になりたくない」社会部記者だった。日本記者クラブ賞をはじめ手中にした賞は数えきれないが、祐司が最初に手にし最後まで大事にした賞は、滝本学校(入社研修)の修了時に得た「大人はいやで賞」だった。

 正義と優しさは、実は子供の心。そう、祐司、子供たちは大きく育ってるぞ。「凄いねえ」「いいねえ」「大丈夫だよ」といい続ければ、時に真に受けて化けてくるから堪えられんよなあ。会長、社長、支社長、代表、編集局長となっても、その師を祐司と公言し、いまも祐司の旨を旨としている。祐司のいう人間万歳だ。最後に、現・社会部長の磯崎由美さんが中締めの名において、名残り尽きないお別れの会をお開きとした。

 なお、祐司の絶筆となる『ルパン文芸創立二十周年記念誌』の会場販売で、74冊のお買い上げを頂きました。ありがとうございます。ルパン文芸は祐司晩年の心地好き居場所でした。同人9人が参加しています。南無

献杯(牧内節男さん)=B1:毎日ホール=

堀井淳夫さんを偲ぶ会

堀井さんの祭壇

 5月31日に逝去された元社会部・堀井淳夫さん(享年90)を偲ぶ会が7月29日(土)午後零時半から竹橋パレスサイドビル9Fレストラン「アラスカ」で開かれた。参加60人余。戦艦武蔵の生き残り・塚田義明さん(92歳)が奥さまとともに出席した。

発起人代表の添川光一氏の挨拶

 黙祷のあと、発起人を代表して添川光一氏(元常務取締役)が挨拶。元社会部長・スポニチ社長の森浩一氏が献杯の音頭をとった。

 引き続き堀井多津子夫人のお礼の言葉を司会の堤哲が代読した。

 堀井さんと慶應義塾大学の同級生2人、競走部で一緒だった平野重樹氏(元明治生命)と三代目田村駒治郎氏(野球殿堂入りしている田村駒治郎氏=戦前の大陽ロビンス、セ・リーグ初代優勝松竹ロビンスのオーナー=の長男)が学生時代の思い出を語った。

 引き続き、元社会部長の愛波健氏が、堀井さんは大山康晴15世名人と雀卓を囲むほどで、将棋の名人戦が毎日新聞に戻ったこと喜んでいたなどと話した。西支局で堀井支局長を支えた?水野順右氏が2度目の献杯!

 最後に、社会部・総推3人娘=国井道子(旧姓茂木)、伊藤敏子(旧姓寺岡)、田村みどり(旧姓柳)が堀井さんの人情味と懐の深さ口々に語り、そこに山本祐司元社会部長(7月22日没、81歳)の密葬から駆けつけた大住広人氏が秋口に山本さんのお別れ会を開くことを予告した。 

              

 中締めは、毎日新聞で初の女性社会部長・磯崎由美さん。堀井さんとは無縁の世代だが、紙面から陰徳を探し出した。

 「東北大震災の直後、毎日社会事業団への寄託者に名前を見つけました」

 会場から思わす「エライ!」と感嘆の言葉が洩れた。堀井さんならではのエピソードの披露で、真夏の偲ぶ会はお開きとなった。

堀井淳夫さんへのエピソードを語る

献杯する元社会部長
森 浩一 氏
元社会部長
愛波 健 氏
元社会部西支局デスク
水野 順右 氏
元毎日労組委員長
大住 広人 氏
堀井氏の慶応大の同級生
田村 駒治郎 氏(左)、平野 重樹 氏
社会部・総推の三人娘
右から国井さん、伊藤さん、田村さん

(堤 哲)

大学教授らの「さつき会」が、竹橋ニュートーキヨーで

向って右側 中央 朝比奈会長、同じく一番手前 丸山社長

 本社出身の大学教職員が集まる「さつき会」が、5月23日夕、パレスサイドビル内のニユートーキヨーで開かれた。「さつき会」は、毎年5月の火曜日に行われ、今回で37回目を迎えた。この日、会員約30人が集まり、本社側からは朝比奈豊会長、丸山昌宏社長や「さつき会」の運営をサポートしている教育事業本部の小島明日奈・本部長、中根正義・大学センター長らが参加した。

 開会宣言のあと、朝比奈会長が「『さつき会』は、37回目を迎えた。今年も元気な先輩の皆さんに会えてうれしい。持ち株会社の毎日新聞グループホールディングスを発足させて7年目に入った。おかげさまで、HD、そして毎日新聞社は昨年度も黒字を出すことができた」と挨拶。丸山社長は「社員との対話集会を開いて意見を聞いている。選ばれる新聞を目指して頑張っていきたい」と述べた。

 乾杯のあとは、グラスを片手に歓談、朝比奈会長、丸山社長らを囲み楽しげに語り合った。会場では、この日、出席できなかった会員からのメッセージ集が配布され、その近況報告を話題に話も弾んだ。

 「さつき会」は、これまで本社会議室を借りて開かれたが、今回、パレスサイドビル内のレストランに会場を移した。会場のスペースが狭く、歓談は肩を寄せ合いながら、だったが、かえって会員同士の「親密度」は増したようだった。

(薄木 秀夫)

 

春の社会部旧友会懇親ゴルフ会

 平均年齢77・3歳。15人が参加した春の社会部旧友会懇親ゴルフ会。栄冠を手にしたのは、最高齢91歳の牧内節男さんだった。

 4月7日若洲ゴルフリンクス。桜満開。しかし残念ながら断続的な小雨に加えて、湾岸特有の強い海風。誰もがスコアメイクに苦しむ中、元ドクヘン部長だけはスイスイ?とラウンド。ネット74、2オーバーで2007年春以来、10年ぶり5回目の優勝を飾った。

優勝された牧内節男さん

 全員が近況を報告した後、成績発表。驚嘆、続いて祝福の声があがった。「同伴競技者のお蔭です」。牧内さんの優勝スピーチは謙虚だった。

 ちょうど30年前に始まったこのゴルフ会。1991(平成3)年から春秋2回、定期開催していて、今春で第53回を数える(雨天中止が1回)。すでに22人が鬼籍に入っている。

(堤 哲)

 

絵画展・今野当夫(元制作部)

 2016年11月25日、絵画グループ「逍遥会」を喫茶花で開き、絵画、書道、フラワーアレンジメントなど10点を展示しました。

 バス旅で房総の景勝地をめぐってきました。人気の濃溝の滝、大山千枚田も良かったのですが、赤いサルビアが咲く初秋のマザー牧場を描いてみました(①今野)。

 仲間を紹介します。(敬称略)

 ②中林透=当会の代表で水彩も油彩も。奥多摩を原風景とし画材持ち込みで描きます。過去、5回個展を開いています。③菊地義正=大画布に風景画を繊細に描きます。上野の絵画展に数多く出品しており、定年時にはアートサロン毎日で個展を開きました。④松田宏一=ガラス絵。裏側から手前に見えるものから出来上がりを意識しながら絵の具を重ねていきます。 当日は、取り付けに協力してくれた人も含め男女10名が飲み会に参加しました。年1回の楽しいひと時です。

今野当夫「サルビア咲くマザー牧場・油彩F8」
中林透「真鶴・F6」29.02.22
菊池義正「日本海(深浦)・油彩F4」
松田宏一「日比谷公園・ガラス絵」
 

「野球文化學會」が再興、笑顔のモロさん

野球文化學會・諸岡達一氏

 野球を「歓喜の学問」にする――1999年秋、毎日新聞OBの諸岡達一さんが事務局長となって立ち上げた「野球文化學會」。諸事情で活動が休止していたが、立春の2月4日、東京ドームホテルで再興の総会を開いて新体制を決め、秋にも学会誌「ベースボーロジー」第12号を発刊することになった。

 総会では理事7人、監事1人を新たに選出し、会長には鈴村裕輔氏(法政大学国際日本学研究所客員学術研究員・博士)が就任した。事務局は野球雑誌『野球雲』を発刊する啓文社に置き、事務局長に同社社長の漆原亮太氏を選任した。

 新設の顧問には、慶大名誉教授の池井優氏と、初代事務局長の諸岡達一氏が就いた。

 総会には田和一浩氏(国際野球連盟(IBAF)第一副会長、全日本アマチュア野球連盟専務理事、東大野球部OB)、功力靖雄氏(筑波大名誉教授、元同大野球部監督)、毎日新聞OB松崎仁紀氏ら約50人が出席した。

 議事が終わって最後に挨拶した諸岡さん。「やっとここまで漕ぎ着けました。あとは若い人たちにお任せしたい。野球を研究するという行為は野球の尊厳に対する人類の礼儀です!」

(堤 哲=監事に選出された)

一般財団法人全日本野球協会 Baseball Federation of Japan (略称B.F.J.)の英文サイトに、鈴木美嶺さんの野球殿堂入りと、「野球文化學會」再興総会の記事が掲載されました。

Researchers of Baseball Culture in Japan Opened Doors of 2017 Baseball Season

The Forum for Researchers of Baseball Culture established in 1999 has taken first step on the road to recovery after 5 years’ recess by holding an Extraordinary Congress in Tokyo on February 4, 2017 (Photo).

前列中央に諸岡達一名誉顧問(赤いセーターの左)、その左隣が鈴村裕輔新会長。
前列左から2人目が、この記事を書いた田和一浩IBAF(国際野球連盟)副会長。
後列野球帽・マスク姿の左隣に松崎仁紀氏(毎日新聞OB)、1人おいて堤哲監事。

The Congress unanimously approved new Constitution and elected Dr. Yusuke SUZUMURA of Hosei University, as President, Ryota Urushibara as Secretary General and 7 Directors. The Forum is an assembly of researchers, historians, baseball fans and other like-minded people of about 200 which may well grow under the new administration. The flagship publication of the Forum is “BEESUBOLOGY” (Baseballogy) magazine in Japanese issued at odd intervals and contains variety of articles contributed by members. For example, some of the 30+ articles in the 10th Anniversary issue of “BEESUBOLOGY” in 2009 include: rn History of Women’s Baseball in Japan – in the Meiji and the Taisho era. Historical Analysis of “Poisonous Effect Theory” of Baseball (in 1911) “Ball Four” and Jim Bouton Baseball Physics – Process of bodily movement to produce fast ballrnTemporary office of the Forum is located as follows: Yakyu Bunka Gakkai, c/o Kei-Bunsha, 6-10-5, Minami Koiwa, Edogawa-li. Tokyo 133-0056

◇Baseball Federation of Japan 公式サイト:http://baseballjapan.org/eng/

 

「開かれた毎日」の三金会へどうぞ

 整理本部OBが集う三金会は、数十年も続く懇親会です。毎月、第三金曜日の午後3時からパレスサイドビル地下1階の毎日食堂の個室で開催しています。高齢化に伴い参加者は年々減ってきましたが、時たま思わぬ方もお出でになります。写真は2016年12月の例会ですが、活版部OBの長谷川恭弘さん、1959年入社で整理本部にも少し在席し、間もなく退社し、現在は介護付有料老人ホーム「ロイヤル川口」代表取締役の大久保貞義さん、ソウル特派員などをされた前田康博さんも初めて出席、思い出話に花が咲きました。

 写真の常連は山埜井乙彦さん、高杉治男さん、本田克夫さん、萩原康則さん、諸岡達一さん、岩崎鴻一さん、吉沢孝さん、清水敬之さん、松上文彦さん、星輝雄さん、松崎仁紀さんです。蔵王近くにお住まいの町田和男さんも参加されたことがあります。懐かしい皆さんにお会いしたかったら、ぜひお出でください。事前の連絡は不要です。貴兄の参加をお待ちしています。

(岩崎 鴻一)

 

東京経理同人会に34人が集う

 第34東京経理同人会は9月16日18時からパレスサイドビル・アラスカでOB23人、現役11人の34人が参加して行われた。

 村田経理本部次長の司会で開会し、この1年で亡くなられた同人会員の斎藤薫さん、石井潤太郎さんの冥福が祈られた。会長の稲山輝機さんの開会挨拶と乾杯で懇親会が始まり、宮井取締役が新聞社決算等の報告を行った。今年92歳になる国本清茂さんを始め久しぶりの再会に懇親の輪が広がり、盛会となった。

 最後に染谷良一さんが「来年も元気に会いましょう」との閉会の挨拶を行い散会した。

当日のOB23人の参加者は次の通り。(50音順)敬称略
荒川冨士男、石井潔、市川豊子、稲山輝機、井上信章、上野孝、太田尚、岡田弘志、
門永達郎、金井郁夫、国本清茂、久野三千夫、鈴木崇矩、染谷良一、高梨一夫、高橋猛、
忠保毅、中原和昭、野田定雄、飛沢誠一、松下林太郎、守屋清志、吉田稔。

(経理本部)

 

井草隆雄さんのお別れ会

 社会部のダンディ記者だった井草隆雄さん(6月6日死去、84歳)のお別れ会が、8月 5日午後1時から東京・有楽町の新国際ビル内、日本交通協会会議室で開かれた。猛暑、リオ・オリンピック開幕という気ぜわしいなか、毎日同人、友人、知人、井草夫人タミさん、長女の幸子さんら61人が出席した。演壇には遺影が、両脇には花が飾られた。(追悼欄参照)

 まず、司会の堤哲さんから、故人略歴(前橋高校-東京外国語大学イタリア語科-東京新聞-1967年<昭和42年>10月、毎日新聞入社)、毎日での職歴(警視庁キャップ、社会部デスク、千葉、横浜支局長、写真部長、地方部長、編集局次長)紹介があった。そして、森浩一さんの開会あいさつ、元日航スチュワーデス菅野道子さん(故人の大学後輩)献杯で歓談の輪が広がった。故人生前の仲間も姿を見せた。井上幸彦元警視総監、宮本泰介習志野市長、佐藤正巳千葉県議、友人の田村泰一氏ら8人が遺族に挨拶した。故人が警視庁クラブに長かったため、この日の参加者の中から警視庁キャップ経験者が呼ばれ演壇前に並んだ。堀越章、加藤順一、田中正延、中島健一郎、常田照雄さんら5人。それぞれ、故人との思い出や苦労話を披露した。井草さんは、当時、警視庁捜査一課の名物刑事、平塚八兵衛さんに食いこんでいた。そこで毎日が井草さんを引き抜いたのが”真相”との裏話も飛び出した。故人と競った社会部同人は高齢だが、田中浩さんは夫人の付き添いで浜松から、堀井淳夫さんは90歳ながら杖を片手に、加納嘉昭さんは入院先 の大学病院を抜け出して、参加した。長老格の愛波健さんが「井草さんは、千葉を愛し、毎日退職後は、千葉で働きたいと言っていた。希望通りに千葉で余生を過ごすことが出来て良かった」と挨拶をしめた。最後に夫人の井草タミさんが「主人のことをたくさん聞かせていただいてありがとうございました」と仲間の皆さんに御礼を述べた。

(沢畠 毅記)

 当日の毎日同人参加者(本文中の登場人物は除く、順不同、敬称略)天野勝文、石井富士男、石塚浩、板垣雅夫、岩尾光代、畝村治男、小川一、大坪信剛 勝又啓二郎、国井道子、河野健一、小松浩、佐藤忠峯、沢畠毅、渋澤重和、大洞敬、高尾義彦、高木康紀、高橋豊、寺田健一、中井良則、中田章、中村恭一、中村静雄、野村修右、永井康雄、橋口正、原田三朗、平野裕、堀一郎、前田昭、松田喬和、三浦正巳、水野順右、山田尚宏、山本貞夫、吉沢孝、横山敏彦、横山裕道、渡辺洋子

写真(左)森氏(中央)左から堀越、加藤、田中、中島、常田各氏(右)お礼を述べるタミ夫人
 

日本エッセイスト・クラブ賞を受賞した阿部奈穂子さんを囲んで京都支局同人会が集う

 元毎日記者の阿部奈穂子さん(ロンドン在住、フリージャーナリスト)の日本エッセイスト・クラブ賞受賞・記念講演会が6月28日、日本記者クラブ(東京内幸町)で開かれた後、阿部さんの元毎日京都支局同人が祝杯を上げました。毎日京都支局は全国紙で最古の歴史を持つ伝統ある地方支局で、阿部さんは初の女性記者だった。(受賞著書『チェリー・イングラム 日本の桜を救ったイギリス人』については「随筆集」欄を参照)

 20世紀初め日本の桜を英国に紹介したイギリス人園芸家の生涯を描いたこの本は英国人「桜守」の奇跡を発掘して話題を呼んでいます。昔の仲間たちは阿部さんを囲んで「次は英語訳を出して、日英桜の秘話を世界に広めよう!」と祝杯を上げました。(磯貝喜兵衛)

京都支局同人会
写真は前列右から*西和久、*磯貝喜兵衛、*阿部菜穂子、天野勝文、堤哲。
後列右から倉重篤郎、河野健一、*大西督人、*前坂俊之、竹内光、*村山治、中井良則(日本記者クラブ専務理事)、*山梨博(*印は京都支局同人)

 当時の京都支局は、1928ビル(京都市登録有形文化財第2号)として中京区三条御幸町に現存する。3階の講堂にはグランドピアノがあった。「全国高校駅伝大会の打ち上げのとき、阿部さん(81年入社)が映画『スティング』の主題歌「エンターティナー」を弾いたのを憶えている」と磯貝支局長。「この本を書くきっかけは、何故か。疑問を持ったら取材をしなさい、と駆け出しのとき教わりました」と阿部さん。新人教育担当は“鬼デスク”として勇名を馳せた木戸湊支局次長と前坂俊之静岡県立大名誉教授だった。

 阿部さんのストールは、この日プレゼントされた桜染めである。

 (1928ビル「随筆」欄参照)

(堤哲付記)

 

千葉旧友会 平成28年度定期総会開く

平成28年度定期総会

 毎日新聞千葉旧友会の定期総会が6月12日(日)、京成ホテルミラマーレ(千葉市中央区本千葉)で開かれた。ちょうど梅雨入りで曇り空だったが、30人集まってやァやァと近況を語り合った。就任二年目の齊藤修会長は若い世代の入会が少ないと気にする。だが、会員は約100人。東京管内で最大の組織であることに変わりない。千葉会の特徴はあらゆる職場の仲間がなごやかに交歓できること。雰囲気がいいので時間が立つのを忘れてしまう。千葉市は戦後、海岸の埋め立てや市街地域の拡大でまるっきり変わってしまった。支局も引っ越しを重ね、昔の支局員もまるで「浦島太郎」だ。若い人に聞いてもさっぱり分からない。でも、安心。事務局の佐久間憲子さんが「昔の国鉄千葉駅はいまJR東千葉よ。古い支局はこっち」と地図の上で全くとんでもないところを指さしてくれる。もう一つ収穫は、この日も脳梗塞で倒れ救急車で運ばれてもピンピンしている人に会った。4時間以内で手当すれば元通りになる。つい最近もそんな話を聞いたっけ。来年もまた元気で会おうね!

(平野記)

 

卒寿の堀井淳夫さんを囲む社会部旧同人の集い

卒寿の堀井淳夫さん
卒寿の堀井淳夫さん

 ほりいダンプ、あるいは「ほりいのお父さん」と慕われる堀井淳夫さんが卒寿(7月20日)を迎えるにあたり、後輩たちが5月30日祝いの宴を開いた。本人は「俺なんか(社会部、あるいは社で)何も…」と嫌がったが、寄って集って実現した。伯楽も退く名支局長を演じた西支局長時代の同人を軸に、八王子、くりくり、山形、慶応、麻雀、そして労働組合などの縁をたぐり勝手幹事団の独断で呼びかけたところ、25人中21人が万障繰り合わせてきたから凄い。

 期せずして挙がった声は桃源郷。ダンプ父さんの行くところ、職場はいつも桃源郷と化したとの思い出だ。目先の働きを強要することなく酒を呑ませながら、結果、大きな仕事を引き出していた痕跡がある。それは当時の縮刷版を繙けば一目瞭然だ。ダンプ父さんは、この日も紹興酒をビールのように注ぎまくり(会場は新橋亭新館)、あとは半眼うたた寝風にて、「俺、幸せ者、いつ死んでもいい」。冗談じゃない。次は白寿。楽しみに、頼りにしてますよ、ダンプ父さん。

 同席は、蕨南暢雄、水野順右、天野勝文、加納嘉昭、田中康代、小元広悦、大住広人、吉川泰雄、瀬下恵介、吉澤孝、藤元節、堤哲、平井晋二、鳥潟貞幸、板垣雅夫、宮武剛、高橋豊、高尾義彦、荻野祥三、宗岡秀樹、大井裕、以上平均年齢75.67歳。

(記・大住)

 

写真部OB会で

GHQから国旗掲揚が許された1951年の元旦に、「毎日式多色印刷」で富士山に映える日の丸のカラー写真と広告が掲載された特集紙面。

 「生紙面、創刊号からデジタル化」。社報2016年春号の最終ページに、富士山と日の丸をカラー写真で撮影した1951(昭和26)年元日の1面が載っている。

 この写真について元写真部長の中西浩さん(85歳)が解説した。5月21日、新社長に決まった丸山昌宏元写真部長も出席した写真部OB会である。

 写真説明に「山梨県富士吉田より望む朝空の富士山」=安保特派員撮影の天然色写真(カメラ・スピードグラフィックス4×5、レンズ・テレオプター380ミリ、富士カラーフィルム)」とある。「天然色写真」にエッという声が出た。

 「富士山をバックに国旗掲揚塔に子供たちが日の丸を掲げているところ。撮影者の安保久武氏は、当時写真部のデスクで『敗戦から5年、当時日の丸を自由に揚げられなかった。そんな時、突如占領軍から国旗を掲げてもよいという解禁令が出されるという情報が占領軍。担当記者からもたらされた。当然来年の正月紙面には取り上げられなければならないし、どのような写真にするか各社共に秘策が練られた。

 この時の写真部長は、富士山麓の御殿場出身だけに、この写真は何としても富士山と日の丸を配することと決められた』と記している」と中西さん。写真部長は根上柏実さん(根上磐元常務の父親)、元日紙面は他紙を圧倒した、と説明した。

 凸版印刷の時代。色ずれが難敵だった。写真製版部、印刷部など現業部門の技術力が加わって見事な特ダネ写真となった。

堤 哲(元東京・写真部長)

 

雨で流れた社会部OBゴルフコンペ(4月7日)

じゃがりこ(デザインにネーム入り)

 春秋2回行っている社会部旧友会の懇親ゴルフ会。4月7日若洲ゴルフリンクスの第52回大会は雨と強風のため残念ながら中止。参加者全14人はコンペルームで近況報告して、午前9時45分のクラブバスで解散した。

 平均年齢75.9歳。最高齢は牧内節男さんの90歳。最若手が66歳である。「毎週1冊、本を読むように心がけ、昨年は80冊読んだ」「毎日3時間オペラを聴いている。オペラをよりよく楽しむために、4月からイタリア語の勉強を始めた」「畑づくりに励み、晴耕雨読です」。佐倉マラソンを5時間57分で走った完走者の最高齢(78歳)は「ボストンマラソンは80歳まで、5時間以内のタイム制限があるが、2年後に何とか出場したい」。

 参加賞は、元カルビー会長松尾康二さん(78・OB今回不参加)差し入れのカルビー製品。かっぱえびせん、フルーツグラノーラ、じゃがりこ(写真。デザインにネーム入り )。感謝!です。広島生まれで被爆者手帳を持つ松尾さんはNPO法人「音楽は平和を運ぶ」を立ち上げ、昨年に続きことしも7月10日に広島でコンサートを開く。広島を音楽の町に、音楽の町広島から「平和は楽しい」のメッセージを世界に発信し続ける。

(幹事・堤 哲)

 

同人誌「ゆうLUCKペン」刊行記念の集い

同人誌「ゆうLUCKペン」38集の刊行記念の集い

 同人誌「ゆうLUCKペン」38集の刊行記念の集いが、2月26日竹橋パレスサイドビル9階、レストラン「アラスカ」で開かれた。

 執筆者ら参加21人。最若手が70歳、平均80・4歳。

 最長老は、石綿清一さん、93歳。次いで山埜井乙彦さん、91歳、牧内節男さん、90歳。

 大正生まれがもう一人。ことし卆寿を迎える堀井淳夫さん。

 ことし89歳の誕生日を迎えた本田克夫さんが第5位。以下割愛――。

 諸岡達一編集長(79歳)の司会で全員が1分スピーチ。「喉をやられて、医者から大声を出せといわれた。XX(特に名を秘す)のバカヤローと毎日叫び続けたら、声がでるようになった」と石綿長老。毎友会会長の平野裕さん(84歳)。「私の現役だったKK時代(フルシチョフ、ケネディー)と似てきた。中国は崩壊するかどうか。もう少し長生きしてどうなるか見届けたい」

 OB参加に元カルビー会長の松尾康二さん(78歳)。昭和35年入社、創業の父親を助けるため47年に退社。広島生まれ、被爆者である。NPO法人「音楽は平和を運ぶ」理事長。ことしも「平和のとりでを築くコンサート」を開く。

  同人も会員も高齢化。「とりえず40集までは出そうや」といっているが、どうなりますか。若者の参加を求めます!

(堤 哲 74歳)

 

千葉旧友会秋の総会を兼ねた銚子の旅

千葉旧友会秋の総会を兼ねた銚子の旅

 小春日和の初日は南関東道を経て一路銚子・犬吠崎へ。名物濡れ煎餅の手焼き体験や名刹・満願寺に参内したあと、会場の「太陽の里」へ。

 若干迷路のようなかまえで、大浴場や宴会場へたどり着くのに難儀しつつも鮮魚の夕食と全員で得点を競うカラオケ大会で不満も解消。

 翌日も快晴。日頃鍛えた健脚(?)を生かして100段を超える犬吠崎灯台の展望台まで登り、360度の眺望を堪能するなど、銚子の晩秋を満喫して無事帰路についた。

 参加者はつぎの通り(敬称略)

 伊藤隆、伊藤匡、岡田弘志、菊池吉晃、齊藤修、作田和三、佐久間憲子、佐藤和子、澤畠毅、清水敬之、藤城幸一、本田克夫、深山健一、山崎進一

(菊池吉晃)

 

三金会で老化防止を

三金会で老化防止を

 老いたから出無精に? 出無精になったから老いたのか?

 整理本部の、出無精とは無縁のOBが毎月第三金曜日に集う「三金会」をご存じですか。何十年も続く懇親会です。90歳超の大先輩から、下は60歳台の若手までが、昼間から杯を重ねて、若き日の思い出や、世相を嘆き、本社の経営を心配して。

 「開かれた毎日新聞」の仲間なので、他部の方も大歓迎です。

 大組みをした活版の仲間も、社会部の仲間も顔を出してくれたこともありました。

 定年は遥か昔のことですので、いまさら上司も部下も関係なく、皆んなただの仲間です。心配は整理本部という組織がなくなり、新しい仲間の加入がないことです。やがて消滅の運命でしょうか。

 懐かしい顔に会たくなったら、ぜひお越しを。申し込みは不要です。第三金曜日の午後3時から本社ビル地下1階の社員食堂の 個室です(ビル1階の郵便局の脇の階段を下ります)。割り勘で2千円超です。

 世話役の岩崎鴻一は1959年入社の79歳。この年でも、この会では若手の部類です。

 長寿万歳 三金会よ永遠に!

(岩崎鴻一)

 

根上磐さんを偲ぶ会

追悼の辞を述べる朝比奈社長。正面に妙子夫人と友人代表たち
追悼の辞を述べる朝比奈社長。正面に妙子夫人と友人代表たち

 猛暑の7月22日、根上磐さん(5月19日逝去、80歳)を偲ぶ会がパレスサイドビルB1毎日ホールで開かれた。参加148人。出身の社会部だけでなく、多彩な交遊の関連で、他の新聞社や仕事先の警視庁、名古屋キャッスルホテルはじめ会社関係の友人も加わって、こもごも思い出を語り合って魅力ある人柄を浮き彫りにした。

 磐さんは、社会部ひとすじ20年。おそらく最長不倒距離である。三億円事件は発生から時効まで追って『三億円犯人の独白』、ロッキード事件ではサブデスクとして『児玉番日記』(いずれも毎日新聞社刊)を出版した。生活家庭部長、運動部長、地方部長のあと事業本部長。都市対抗野球大会の東京ドーム開催、日米野球を大成功させた。取締役中部本社代表、東京本社副代表。常務取締役で退任し、ホテルナゴヤキャッスル社長として最高級シティホテルの経営にも手腕を発揮した。

 発起人代表の朝比奈豊社長は、磐さんが警視庁キャップのときの捜査二課担当記者。依田智治元参議院議員氏は警視庁広報課長時代の思い出を話し、8月に卆寿を迎える牧内節男氏が献杯の音頭をとった。井草隆雄氏は磐さんと妙子夫人との馴れ初めを、高橋豊氏は『児玉番日記』の裏話を、 元日経新聞の野田幸雄氏は「夜回り先は根上邸だった」ことを、それぞれ披露した。

 磐さんと一緒に警視庁を担当した現産経新聞の古森義久氏はワシントンから。「あの心なごやむ体型、その体型とは対照的な鋭敏な取材、私たち後輩記者への温かい思いやりと慰めは、決して忘れられません」最後に妙子夫人がお礼の挨拶。大坪信剛社会部長が中締めをしてお開きとなった。

(堤 哲)