追悼録
2024年
- 選手名鑑に「悪がきチームのオン大将」小川悟さん(2024年11月8日)
- リタイア後地元奥州市の「肝江(たんこう)日日」で渋い活躍をした吉田英男(えいお) さん(2024年11月5日)
- 皆に慕われた高木康紀君。早すぎる。戻って来いよ。(2024年11月1日)
- 元北海道支社制作部の頼りになる先輩、越智幹夫さんを偲んで(2024年10月28日)
- 凛として毎友会のお世話をしてくれた名誉会員、森川恭子さんを偲ぶ(2024年10月21日)
- 強烈な個性の持ち主だった異能のジャーナリスト、歌川令三さんを悼む(2024年10月10日)
- 事業本部で活躍、千葉旧友会元事務局長菊池吉晃さんを偲ぶ(2024年10月2日)
- 伝わったか、病床での「ありがとう」 取材対象への優しい視線、美麗な文章…大島幸夫さんを悼む(2024年9月25日)
- 80歳でボストンマラソンに挑戦したスーパースター大島幸夫さん(2024年9月24日)
- 元オリンピック選手で、映画記者への道を開いてくれた元学芸部長、齊藤修さんに感謝(2024年9月19日)
- 毎日新聞書道クラブの世話役を30年以上、元制作部、松本冨士朗さんを偲んで(2024年8月20日)
- 自由に仕事をさせてくれた元出版局長、川合多喜夫さん=牧太郎の二代目魁新聞社から要約・転載(2024年8月19日)
- 文革のテレビ出演が最後の晴れ姿だった元写真部、荒牧万佐行さん(2024年8月9日)
- 河井特捜部長の「威圧」の下、社会部司法記者の先輩、藤岡周三さんを偲ぶ(2024年6月19日)
- 「人間の顔」をした社会をめざした元新聞労連委員長、田村徳章さん(2024年6月18日)
- 「三億円事件」現場一番乗りだった元社会部警視庁捜査一課担当、加納嘉昭さん(2024年6月11日)
- 元英文毎日編集部長、松井頴敏さんの訃報に接して(2024年5月27日)
- ゴルフでも同期会でも永久(A級)幹事 岩橋豊君を悼む(2024年5月16日)
- さよなら、近藤勝重さん(2024年5月14日)
- 読書欄デスク、毎日書道会を担当した元出版局図書編集部長、深瀬正頼さん(2024年5月10日)
- 「あれからもう30年」市倉浩二郎を追悼する太田伸之さん(2024年4月24日)
- 200カイリ元年の正月紙面「空跳ぶカツオ」を撮った山本哲正さん(2024年4月15日)
- 赤いポケットチーフの苫米地重亨さん、政治部当時の思い出など追悼(2024年4月9日)
- NIE活動の基礎を築いた元販売局販売企画室長、妹尾彰さんを偲ぶ(2024年4月9日)
- 元政治部・情報調査部、南蓁誼さんへ「元気か、生きてるか⁉」と声の健康診断、2月が最後に(2024年4月9日)
- 「フォトジャーナリズムの確立」を目指した元写真部、米津孝さん、95歳(2024年4月9日)
- 「〝やっせんぼ〟の人生アラカルト」―「プーさん」こと西部本社編集局・新福信夫さんを偲んで 育てられた5人が連名で(2024年4月3日)
- 毎日新聞と半世紀、初代柏支局長の児玉賢二さん(78歳)を偲ぶ(2024年4月1日)
- 連載企画「雪再考」、地震・津波取材…秋田支局次長当時の櫻田忠孝さんを偲んで(2024年3月25日)
- 販売局同期の本田盛秀さん追悼(2024年3月25日)
- 「再び戦争に加担しないために」と訴え続けた荒武一彦さん85歳(2024年3月22日)
- アニマル的広告営業ウーマンだった十代田洋子さん(2024年3月18日)
- 時代の先を読んだ元販売局長・販売協栄社長、本田盛秀さんを偲ぶ(2024年3月11日)
- 目標に向かって常に一直線だった元制作部副部長、埼玉東支局員の栗原一郎さん(2024年3月8日)
- 「くりくり」編集部で子どもたちの人気者だった元広告局の乗松邦彦さん(2024年2月27日)
- 「学芸部英雄時代の影の主役」と呼ばれた河谷俊也さんを偲んで(2024年2月14日)
- 「自分の書く文章が一番いいと思いなさい」と文章講座の水野順右さん(2024年2月13日)
- 広告連絡本部長として活躍した猪股豊さんを偲んで(2024年2月5日)
- 「門仲会」メンバー、新聞再販取材の元政治部副部長、土屋繁さんを偲んで(2024年2月2日)
- 全日空機と自衛隊機が空中衝突した雫石事故取材の元社会部、中安宏規さん(2024年1月24日)
- 「あちらで会いましょう」――最期に残された元スポニチ社長、山本進さんのメッセージ(2024年1月16日)
- 仙チョン会のボス、アップジョン賞受賞の仙台支局長時代——追悼・越後喜一郎さん(2024年1月16日)
- 毎日新聞再建に奮闘、隙間活躍の名手、大洋ランドの松尾大洋さん逝く(2024年1月4日)