随筆集

2016年2月3日

植木信吉さんのこと

植木信吉さん氏
若いころの植木信吉さん=「天に問う手紙」の表紙より

 2016年1月、天皇、皇后両陛下のフィリピン訪問で、天皇がキリノ大統領(当時)の孫娘と会い「63年前のことは忘れません」と語ったとの報道に接し、思い浮かんだのは植木信吉さんのことだった。1953年、BC級戦犯が恩赦によって死刑囚含め108人全員がマニラのモンテンルパ刑務所から釈放され帰国できた陰に、1947年以降復員局(現厚労省)の法務調査官、植木さんの献身的救済活動があったのを知っていたからだ。

 マニラ裁判では、すでに17人が処刑されていた。戦時中の日本軍の「暴虐」に対する復讐裁判との声 も聞かれる中、植木さんは公務員の分限をはみ出し、服役囚支援にひたすら没頭した。1950年、ワラ半紙にガリ切りした冊子「問天」を創刊して刑務所に送り、以後一人で定期発行しで受刑者の詩歌、手紙も掲載した。死刑囚の作詞作曲による歌謡曲「あゝモンテンルパの夜は更けて」はこの過程で生まれた。政治家、著名人に恩赦を働きかけ、日本から慰問団を派遣するまでにこぎつけ、これら一連の行動が大統領の心を動かしたのである。

 私は植木さんの許可を得て、創刊号以来年月別にバインダーに分散格納されている膨大な冊子をバッグに詰めるだけ詰めて借り、返却するとまたつぎの冊子を借りる方法で、神奈川県座間市のお宅と東京の自宅を毎月5、6回往復、「問天」の全部に目を通し、2008年7月『天に問う手紙』(毎日新聞社刊)としてまとめた。冊子は戦犯たちが帰国した後も発行され、親睦・支援団体「モンテンルパの会」もつくられた。植木さんは2015年3月、93歳で他界したが会は存続、子、孫へと感謝の心が受け継がれている。

(小林 弘忠)