随筆集

2016年8月12日

思い出のモントリオール五輪取材

 女子重量挙げ48キロ級で銅メタルに輝いた三宅宏美選手だが、競技終了後、一旦戻りかけた足を競技台に戻し、いとおし気にバーベルを抱きしめ、頬摺りした姿をTVで見て心打たれた。16年間、一緒に練習を続けてきたバーベルに「ありがとう」と感謝の言葉を語りかけたのだという。ガッツな父に育てられ、自身もハードな競技を戦ってきた彼女の予想もしなかった心根の優しさに思わず“大和撫子”と呟いていた。

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 翌日の新聞は、単純に喜びの写真だけで、私が期待していた頬摺りの写真は載っていない。軽い失望と同時に、1976年のモントリオール・オリンピック取材での痛恨事が生々しく蘇ってきた。重量挙げスーパーヘビー級のソ連のワシリ・アレクセーエフ選手が世界新記録で優勝した喜びの写真を撮り落とした悔しい思い出だ。

 重量挙げの撮影は、単純、退屈な作業である。そして、この時も、称賛の大歓声を聴きながら、いつもの通りに写真説明をつけようとカメラから指を離したその瞬間だった。

 アレクセーエフ選手が、挙げていたバーベルを競技台に落とすと、その反動に乗って高々と歓喜のジャンプする姿が、視野の片隅に見えた。すかさずシャッターは切った。とは言うものの、その瞬間にカメラから指を離していた失態は覆うべくもない。世界から集まったカメラマンが、三脚にカメラを据え、露出から構図まで決めているその前で起きた感動の一瞬を逃した大きさに私は絶句した。

 当時、撮影したカラーフィルムは、翌朝の航空便で東京に送って現像する。13時間の時差に対応するためだ。そのため、撮影した一コマ、一コマには、東京の編集者に判るようにきちんとした説明をつけておかねばならなかった。とは言え、世界から集まった5?60人ものカメラマンの前で起きた感動的シーンを撮りそこなったのは事実である。

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 翌朝、各社の朝刊を開くのが怖ろしかった。ところが、何とした事か、この写真がどこにも載っていない。誰も写せなかった・・・?痛恨の思いが一瞬和らいだが、最後に地元紙モントリオール・スターを開いて愕然とした。あの瞬間が、しかも感動的ショットで載っているではないか。すぐスターの写真部に電話を入れた。写真部デスクは、前年に開かれた万国博覧会の取材で知り合ったマックニールだ。オリンピック取材の各国カメラマン懇親パーティーで、日本・カナダ親善の証しと、二人並んで壇上に立ち挨拶を交わした仲である。

 私のぶしつけな質問に「あの写真な?。実は、系列の地方紙の記者から頼まれ、義理もあってな、遊びに行かせてたんだ。仕事に真っ当なカメラマンには撮れる瞬間じゃないヨ。並みいる本職は誰も撮れなかったんだから、気にしなさんな。でも、スゲ?、胸震える感激の一枚だね」。

 写真(上)が翌年の世界報道写真コンテストのスポーツ部門で金賞に輝いた。(下)は私が撮った月並みな写真(毎日グラフ)

(東 康生)