随筆集

2016年9月27日

「君は毎日オリオンズを覚えているかい?」

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野球雑誌「野球雲7号」表紙
絵は火の玉投手 荒巻 淳

 耄碌すると少年時代の出来事だけは「やたらと思い出す」。不思議だねえ。おとついも朝食時に電子レンジを開けたら昨夜チンしたカレーが入ったまんまになっていて「なんじゃこりゃ!」なのだが、小学4年生で観戦した「巨人・パシフィック戦」(昭和21年6月30日・後楽園)は詳細に覚えているんである。昭和25年の「毎日オリオンズ」なんぞは、親父が「株主優待券」を毎試合くれたんで、学校サボって観に行った。

 で、噺はぶっ飛ぶが「野球雲」という名の野球雑誌7号が「戦後の流星 毎日オリオンズ」特集号を刊行(2016年9月)した。1950(昭和25)年?1957(昭和32)年のパ・リーグを背負った球団の8年間の全貌を描いている。毎日新聞関係者なら「なんという、ああもう、なんちゅう本じゃっ」と絶叫するね。中身が濃いーの濃いの。「オリオンズ盛衰史」「パ・リーグ黎明の星 奇跡と軌跡」「オリオンズ・スター列伝 別当薫から榎本喜八まで」「断然強いと前評判の松竹ロビンスを負かした日本シリーズ全6試合のボックス・スコア」「オリオンズのファーム史」「8年間の全記録」「野球と共に歩んだ毎日新聞」……たまりません! 

 何故に、こよなくも、この特集号が愛おしいかというと、我が毎友会会員2人も耄碌アタマを絞りに絞ったら記者病がブリ返し、この特集に僅かながら協力したのである。自慢すりゃあキリないが僕は1950(昭和25)年3月18日、19日、後楽園球場での毎日2-1近鉄、毎日6-5大映、東都初見参(オリオンズ創設5、6戦目)を内野席最前列ネットに指を突っ込んで観たもんね。

 しっかしさ、新聞社運動部長からいきなりプロ野球の監督になったのは湯浅禎夫だけである。第1回日本シリーズ第1戦(神宮球場。モチ観たよ)で若林を先発投手とした思考は理論派湯浅の策謀。ランエンド・ヒットや中継ぎ抑えの継投策などを考案したのも湯浅野球哲学である。野球殿堂入りしてもいい「このうえなき大物」なのだが、惜しむらくは平和台事件……。

 オリオンズOB会で土井垣さんと喋った時「俺達ゃあ、引き抜かれたんとちゃうで! 若林も別当もな、それぞれが自分の意志でオリオンズに来たんや。本堂なんかはサイン盗みの名人だから、俺が連れてきたんよ」と、しつこく叱責された。むべなるかな。

(諸岡 達一)