随筆集

2016年12月26日

戦艦武蔵の生き残り、塚田義明さんの思い

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 12月4日放映のNHKスペシャル「戦艦武蔵の最期」に、社会部の先輩、皇室ジャーナリスト塚田義明さん(89歳)が出演した。

 「戦艦武蔵」の生き残りの塚田さんは、1942年(昭和17年)中学2年のとき、第1期海軍練習兵(特別年少兵)を志願。砲術学校を卒業して、「武蔵」の乗組員となった。16歳だった。

 全長263メートル、最大幅38・9メートル。排水量6万4千トン。

 主砲の46センチ砲は、砲身の長さ20メートル、射程距離四方2キロ。主砲弾は長さ2メートル、重さ2トン。

 とてつもない装備をした不沈艦だった。

 しかし、1944(昭和19)年10月24日のレイテ沖海戦で米軍機の爆撃・魚雷を受け、沈没する。「乗組員2399人のうち生還者は430人。沈没時に救助された乗組員(1千人以上)の多くが陸上戦に動員され玉砕した」

 番組で塚田さんはこうコメントしている。「乗組員がいかに戦い死んでいったのか、知ってもらいたい」「悲惨な結末、戦争のむなしさを知って欲しい」

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 塚田さんが書いた『戦艦武蔵の最後:海軍特別年少兵の見た太平洋海戦』(1994年光人社刊)は文庫本にもなっているが、この中で唯一の救いは、塚田さんが「艦内の有名人になった」という項目。昼食後、当番以外の乗組員全員が甲板に出て「海軍体操」を行う。約30分。その号令をかける人は決まっていない。乗艦して20日ほど経ったとき、号令台に人がいなかった。「私は号令台になる機銃指揮所の塔頂に、一気に駆け上がった」。

 その後、兵学校出身の少尉と2人で交代でやるようになったが、「あの少年兵やるじゃないか」とすっかり有名人になったという。

 私の知っている塚田さんは、シャイで、大勢の前で号令をかけるのは得意と思わなかったが、水兵さんは元気いっぱいだったのである。

(堤 哲)