随筆集

2017年1月11日

円谷幸吉選手に銅メダルをかけた高石真五郎IOC委員

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 東京五輪まであと3年。毎日新聞社会面の連載「東京2020への伝言」は、第1回にマラソンの円谷幸吉選手を取り上げた。1964東京五輪の陸上競技で日本が獲得した唯一のメダル。国立競技場に初めて日の丸を揚げたのだ。

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 「よくぞ円谷! 闘志の“日の丸”」毎日新聞は社会面トップで円谷の健闘を伝えた(10月22日朝刊)。金メダルは五輪2連覇のアベベ(エチオピア)、銀メダルが国立競技場内で円谷を抜いたヒートレー(英国)。メダルを授与したのが、手前の禿頭・高石真五郎元毎日新聞社長(86歳)である。

 高石は、20世紀最初の1901年(明治34年)慶應義塾大学法学部を卒業して大阪毎日新聞社に入社。日露戦争後のロシアへ一番乗り。文豪トルストイと会見など「外電の毎日」を背負って立った花形記者、と社史にある。

 東京五輪の標語「世界は一つ 東京オリンピック」は、毎日新聞が募集して35万通の中から選ばれたが、その最終選考委員会で「世界は一つ」でどうだろうか、と発言したのが高石だった。

 IOC(国際オリンピック委員会)委員となったのが、戦前の1939(昭和14)年。敗戦直後に毎日新聞の社長を3か月務め、その後日本自転車振興会(現JKA)の会長。64年東京五輪、72年札幌冬季五輪招致に寄与したが、1967(昭和42)年に亡くなった。88歳だった。

 慶應義塾野球部の初期のメンバー。ゴルフ好きで、相模原ゴルフ倶楽部や武蔵カントリークラブの初代理事長。「一眼 二足 三胆 四力」。柳生新陰流の極意がゴルフに通じると、真五郎書の額が相模原ゴルフ倶楽部などに掲げられている。

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世界は一つ標語の垂れ幕が掛かった
毎日新聞旧社屋

 毎日新聞社内のゴルフコンペで一番の伝統と格式を誇る「高石杯」は、今も続いている。

 「東京五輪の報道戦は大勝利」と、仁藤正俊東京本社運動部長に社長賞が贈られたが、高石をはじめ取材班をバックアップしたOB人脈もスゴかった。日本選手団長・大島鎌吉(1932年ロス五輪三段跳び銅メダル)▽陸上競技監督・南部忠平(同金メダル、元大阪本社運動部長)▽マラソンコーチ・村社講平(1936年ベルリン五輪陸上5千、1万メートル入賞。びわ湖毎日マラソン、全国高校駅伝を創設)▽水泳監督・葉室鉄夫(1936ベルリン五輪水泳200メートル平泳ぎ金メダル、甲子園ボウルを創設)▽組織委競技部長・藤岡端(前東京本社運動部長)▽組織委接伴部委員・藤田信勝(論説委員、「余録」筆者)▽日本陸連国際部長・北沢清(戦前ツールドフランスに倣って大毎・東日主催で自転車競技大会をいくつも企画・実行した。戦時中の文部省体育課長。元運動部記者)▽日本陸連管理部長・小沢豊(広告OB)▽国立競技場長・久富達夫(元政治部長)。

 2020年東京五輪の紙面はどうなるのか、楽しみでもある。 [敬称略]

(堤 哲)