随筆集

2017年3月2日

「金メダル16個! 五輪成功の“立役者”」大島鎌吉

 1964年東京五輪の日本選手団団長、故大島鎌吉さん(毎日新聞運動部OB、1985年没76歳)が、「東京五輪を作った男」として2月22日午後9時からのNHKニュースウォッチ9で紹介された。

 NHKのHP:http://www9.nhk.or.jp/nw9/digest/2017/02/0222.htmlからまず写真を2枚。

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東京オリンピックの開会式。日本選手団団長として行進する大島鎌吉さん。
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1932年関西大学生としてロス五輪三段跳びで銅メダル(15メートル21)

1934(昭和9)年 毎日新聞社入社。
1936(同 11)年 ベルリン五輪出場。旗手兼主将。
1939(同 14)年 毎日新聞ベルリン特派員。
1945(同 20)年 ベルリン陥落を送稿。帰国後政治部→運動部。
1952(同 27)年 ヘルシンキ五輪特派員。ローマ法王謁見。アテネ採火式。
1959(同 34)年 ミュンヘンIOC総会で64東京五輪開催決定。JOC委員。
1964(同 39)年 東京五輪で日本が金メダル16個を獲得。選手団長。

 大島さんは、選手強化対策本部長として、競技ごとに専属のコーチやドクターをおき、最新のスポーツ科学や栄養学を導入した。伴義孝関大名誉教授は「竹槍精神ではどうにもならないんだぞ、根性主義と科学をミックスさせないと、金メダルを取ることはできない」と大島さんはいっていたという。

 番組では、大島さんが生涯にわたって訴え続けたメッセージを紹介する。「オリンピックは平和のためにある」。日本はアメリカに同調して1980年モスクワ五輪をボイコットしたが、当時71歳の大島さんは「日本はボイコットすべきではない」という声明文を英語とドイツ語で100か国以上のオリンピック委員会に送っている。

 そして録音テープに残されたメッセージを紹介する。

 「世界の平和を考えるのはオリンピックだけじゃないかと確信している。この空気が日本によく伝わっていない。スポーツが毒されちゃ困る、何とかしなけりゃならんというのは、“スポーツ馬鹿”がこれからやる仕事のひとつだ。まぁ、しっかりやってくれよな」

 これが2020年東京五輪・パラリンピックへの遺言だ、と番組はいう。

 大島さんから直接指導を受けた毎日新聞の後輩、元大阪本社運動部長の中島直矢さん(2009年没96歳)は『スポーツの人 大島鎌吉』(1993年関大出版部刊、伴教授との共著)を出版、東京本社運動部の伊東春雄(1993年没69歳、東京体育専門学校(現筑波大学)が箱根駅伝に初参加した1947年から2大会連続出場、48年の第24回大会は1区2位の記録が残っている)は大島鎌吉の後継者として国民皆スポーツ運動に取り組んだ。ヘルシンキ五輪の400H、1600メートルリレーに出場した岡野栄太郞さん(86歳、元東京本社運動部長、同事業本部長、元毎日新聞取締役)は大島イズムを中央大学の学生時代から聞かされ、東京五輪の取材で活躍した。

 そして現役の滝口隆司記者(現水戸支局長)は、「五輪の哲人 大島鎌吉物語」を2014年11月から35回連載、2014年度ミズノスポーツライター賞優秀賞に輝いた。

ベルリン陥落直前の模様を伝える大島特派員の電話連絡

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(1945年4月24日付毎日新聞)

(堤 哲)