随筆集

2017年4月4日

45年前のセンバツ優勝戦も雨で一日順延された!

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1972年4月8日付 運動面と東京版

 ことしのセンバツは話題豊富で面白かった。早実・清宮幸太郎クン人気に、延長15回引き分け再試合が2試合連続であったうえ、決勝は大阪勢同士。89回を数える大会で、史上初が重なった。

 同じ地区代表が優勝を争うのは、1972(昭和47)年以来45年ぶりと話題になったが、大阪本社社会部員だった私は、この年(毎日新聞創刊100年)のセンバツ担当だった。キャップが3年先輩の津田康さん。京都大学野球部時代、関大の村山実投手(のち阪神)と投げ合ったというのが自慢だった。

 決勝は、2連覇を目前にした日大三高と、ジャンボ仲根正広投手(のち近鉄、故人)の日大桜丘。今回同様、雨で一日順延となり「決勝は神宮球場に帰ってやったら」と嫌みをいわれた。観客席に空席が目立った。

 社会面をどんな記事で埋めるか。ドキュメント東京勢兄弟決戦を企画、両校キャプテンが大会本部でジャンケンで先攻・後攻を決める現場から取材を始め、15時14分のゲームセットまで球場内を駆けずり回った。そこそこ面白い読み物になったと思った。しかし、いかんせん長すぎた。ナンパは応援の先輩記者がサラサラと書いてくれた。

 ドキュメントは東京版に掲載されたことをあとで知った。

 大阪桐蔭の優勝を詳報することしの運動面には、高校日本代表監督小枝守さん(65歳)の大会観戦記が載っていた。その小枝さんは、45年前の甲子園ではV2を逃した日大三高のコーチだった。その後、日大三高、拓大紅陵高校の監督として、甲子園でおなじみの顔となった。

 ついでながら1年置いて1974(昭和49)年に再度センバツを担当した。さわやかイレブン池田高校が準優勝した年で、相方は酒井啓輔さん(元毎日グラフ編集長)だった。

(堤 哲)