随筆集

2017年6月18日

有楽町最後の写真部スナップ

 51年前、毎日新聞東京本社が有楽町から竹橋パレスサイドビルに引っ越すときの写真が、東京写真部OB会(6月10日開催、「集まりました」参照)で披露された。当時事務補助員の八木英雄さん(69歳)が保管していた。

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 真ん中で椅子に座っているのが寺尾勇、その後が木村謙二。顔半分の人は不詳で、右に佐藤龍彦、山内巌、橋本保治、手前新聞を開いているのが新倉義政。その右奥は地方部員。中央から左に三十尾清、影山日出男(敬称略)。全員鬼籍に入っている。左端が当時18歳の八木さんだ。

 写真の左端にカメラ機材搬送用のジュラルミンケースが数個と段ボール箱が山積みになっている。引っ越し作業が一段落して、写真部員が撮影したスナップである。

 八木さんによると、当時、航空写真は、有楽町の東京本社上空で生フィルムをパラシュートに付けて投下、地上でキャッチして現像していた。「この仕事がスリリングで面白かった」といっている。現在はデジカメで撮影したデータをパソコンに取り込み、スマホでヘリから機上電送する。フィルムの投下も現像もない。空撮の映像が写真部、いや写真映像報道部デスクのパソコンに現れる。暗室が消えて何年になるのだろうか。

 八木さんは、1963(昭和38)年中卒で補助員となり、定時制高校から24歳で大学を卒業するまで9年間働いた。その後、鷺宮製作所―高千穂交易―インテック。36歳で㈱八木ビジネスコンサルタントを設立。大型コンピューター向けのプログラム作成などで、年商5億円にのぼる。5年前に社長を引退、社員から登用した社長がすでに3代目になっている。2004年、創立20周年記念で200万円を毎日新聞東京社会事業団に寄託した。一番裕福な写真部OBである。

(堤 哲)