随筆集

2017年7月27日

フクちゃん横山隆一さんの珍コレクション

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上の写真は「週刊新潮」7月27日号に掲載
上は、東大安田講堂事件の時壊された「大理石」
下は、洞爺丸遭難 「一等船室の窓枠」「救命具のひも」「救命ボートの破片」など

 高知市の横山隆一記念まんが館(高知市文化プラザかるぽーと内、電話088-883-5029)で開催中の「隆一 珍コレクション展」(8月27日まで)。どんな珍品があるか、『週刊新潮』7月27日号で紹介された。

         

 冒険家植村直己さんの足の豆だこ、ハイセ―コーの毛などと並んで、〈東大安田講堂事件の時こわされた大理石、鍛治(壮一)氏贈〉、〈洞爺丸遭難、一等船室の窓枠など、毎日新聞函館支局坪松竹雄氏〉と、毎日新聞記者からが2点あった。

 横山隆一さんは毎日新聞朝刊に「フクちゃん」を長期連載(1956(昭和30)年1月1日?71(昭和46)年5月31日まで5534回)、毎日新聞社内でよく姿を見かけた。

 写真部から社会部記者となった鍛冶さんは、「母校」東大安田講堂事件の取材をして、現場から投石された同講堂の壁石を持ち帰ったのだろう。安田講堂落城(封鎖解除)は1969(昭和44)年1月19日だった。

 洞爺丸事故(1954(昭和29)年9月26日青函連絡船「洞爺丸」が台風第15号の暴風雨によって転覆、死者・行方不明1155人を出した。海難史上最大の惨事)の坪松さん(1994年没、81歳)は、当時函館支局長。支局員に命じて洞爺丸の乗船名簿を入手、それを特報した記者として名を残している。その詳細は『毎日新聞の24時間』(1955年刊、鱒書房)に本人が書いている。

 当時の新聞を見ると、毎日新聞は発生を報じる9月27日付朝刊1面に乗客名簿を載せている。専用線で電話送稿したのだから1千人を超す名簿を送り終えるまで何時間かかったのだろうか。翌日の夕刊にもさらにスペースを割いて掲載している。他紙は27日夕刊からで、名簿が特ダネになったわけだ。参考までに、この日の朝刊1面を。

昭和29年(1954年)9月27日(月曜日)本紙朝刊紙面

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(堤 哲)