随筆集

50年前、1面を飾った特ダネ写真!

2017年10月31日

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 1967(昭和42)年8月2日付朝刊1面と社会面。北ア西穂高岳で長野県立松本深志高校の集団登山の列に落雷が直撃、11人が死亡、13人が負傷する惨事があった。その現場の生々しい写真が載っている。尾根道に雷撃で飛ばされて横たわる高校生が何人も写っている。特ダネ写真だった。

 その時の現場取材の模様を、長崎和夫さん(74歳)が、「日本記者クラブ会報」第572号(10月10日)に「報道写真 今と昔」というテーマで書いている。

 〈当時、各社は夏と冬に上高地に記者を駐在させており……、入社2年目の筆者も上高地駐在だったが、当日は単独で奥穂高岳に登山中。頂上直下で雷雨に見舞われ、下山しかけると西穂方面が騒々しい。あわてて西穂高岳に登り直したが、他社のように現場に行きつけない。シャッターチャンスどころではなく、下山者から写真をもらうことにした〉

 結果的にこの判断が正しかった。下山者から現場写真を借りることができたのだ。

 〈ところがその中に生徒と何体の遺体が一緒に写っている1枚があった。特ダネ写真だとして1面7段の破格な扱いとなった。今ならば絶対に紙面化できない類いの生々し過ぎる写真だ。半世紀で写真に対する考え方がずいぶんかわった〉

 長崎さんは、入社1年目にも社会面トップの記事を書いている。駆け出しの長野支局員として松代地震を取材中に、地滑りが起き、それに乗った、という体験ルポだった。

 事件・事故にツイている。長崎さんはその後、社会部にあがって警視庁捜査1課を担当、政治部に移って政治部長、論説委員長、専務取締役まで栄進した。

 私は長崎さんの入社2年先輩。誰からも好かれる人柄のよい後輩で、「チョーさん」とか「親分」と呼んで、よく権堂に繰り出した。

 この日の対社面に、都市対抗野球大会で日立製作所が前年優勝の熊谷組を破ったという記事が載っていた。それで思い出したが、私はその年、長野支局から水戸支局に転勤となり、水平雷撃のあったときは、水戸支局から日立製作所について後楽園球場で取材していた。

(堤  哲)