随筆集

2018年1月24日

「アンデスの聖餐」柴田寛二さん

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 1月に届いた社報2018年冬号で、元論説委員の柴田寛二さん(2017年10月12日逝去、82歳)が「アンデスの聖餐」をリポートした特ダネ記者であったことを初めて知った。論説OB主催の「毎日新聞メディア調査団」で何回か海外のメディア取材にご一緒したが、そのことを自慢するような人ではなかった。

 社報の「故人をしのんで」は当時のサンデー毎日デスク徳岡孝夫さんが「バンチョウ・ロッジ(社の麹町寮のことか)で一晩がかりで書き上げた」と偲んでいるが、「サンデー毎日」1973(昭和43)年2月4日号の表紙は――。

 本誌記者が南米に飛び
 現地取材した戦慄の人間記録
 アンデスの聖餐

 「氷雪の世界で72日間を死とたたかった若者たち」、「感動と戦慄の記録!」とうたう。

 「本誌 柴田寛二」の署名入り前書き――。

 「氷雪のアンデス山脈標高三千メートルに墜落した飛行機。その残骸の中で、死の谷をのぞきながら不屈の意志で七十二日間をたたかいぬき、苦しい熟慮と討論のすえ、死んだ友の肉を食い、そして文明への帰還をはたした十六人のことを、私は、南米ウルグアイとチリで取材して、いま帰ってきたばかりだ」

 特集記事は15ページに及ぶ。それにグラビアが9ページ。

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 事故は、1972年10月13日に起きた。ウルグアイからチリに向かった旅客機が遭難した。乗客・乗員45のうち、28人が生き残っていた。捜索は難航し、8日後には中止された。最終的に乗員5人全員と乗客24人が死亡、2人が山を下りて救助を求め、計16人が12月23日までに生還した。乗客はラグビーの試合に向かう頑健な若者たちだった。

 柴田リポートは、克明を極めた。スペイン語での取材が完璧だった。特集記事の最後にカトリック国ウルグアイのナンバー2の精神的指導者である副司教のインタビュー記事を載せている。「彼らが食べたのはキリストの血と肉」

 最後に編集長のお断りを掲載している。

 「人間が人間の肉を食べる――あまりにも恐ろしい、あまりにも異常なことです。

 本誌編集部は掲載に当たって正直なところ、二の足を踏みました。しかし、柴田記者の取材してきたものは、〈生きることとは何か〉〈死ぬこととは何か〉〈人間とは何か〉の根源を考えるうえで、きわめて感動を呼ぶ内容であり、陰惨な事実をも超越する瞑想性を持っていたことから、あえて、これほどまでのスペースをさき、記事とグラビアでとりあげました」

 翌週号に読者の声を特集している。

 ・凄絶なまでの人間ドラマ
 ・「アンデスの聖餐」涙が出ました!
 ・記者の勇気を称える
 ・柴田記者と編集部に敬意を表します
 ・私がもし、あの(友の肉を食べたと明かした)記者会見の席にいたら、おそらく私も大きな拍手を送るコトが出来たと思います

 当時の新聞報道も調べてみたが、各紙とも控えめに扱っているだけだった。それだけに柴田リポートのインパクトは強烈だった。

(堤  哲)