随筆集

2018年3月18日

「諏訪メモ」スクープから60年

 昨年暮れに出版された元朝日新聞記者・上原光晴著『現代史の目撃者』(光人社NF文庫)に、「松川事件被告無罪の陰に(倉嶋康)」の見出しで、「諏訪メモ」スクープが紹介されている。

 門田勲、笠信太郎、深代淳郎、斎藤信也、疋田桂一郎などなど朝日新聞の名物記者が並ぶ。冒頭に下山事件で他殺説を展開した矢田喜美雄(1936年ベルリン五輪で走高跳5位入賞、朝日新聞社会部記者)を取り上げているのに違和感を覚えるが、毎日新聞社会部高橋久勝記者らの自殺説の証言、占領軍の命令で警視庁捜査本部が「自殺」発表を中止した事実も記している。

 さて、「諏訪メモ」である。山本祐司著『毎日新聞社会部』(2006年河出書房新社刊)の出版記念パーティーには、「諏訪メモ」により死刑判決から無罪となった佐藤一さん(2009年没、87歳)の姿もあった。

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1957年6月29日付毎日新聞福島版

 倉嶋康さん(85歳)は、当時入社2年目の福島支局員だった。サツ回りは、県警本部・所轄署とともに、地検・地裁を担当した。
 クラさんは、地検の検事に食い込んでいた。福島地検の宮本彦仙検事正に「諏訪メモ」の存在を確認した。大学ノートに鉛筆で書いた団交のメモ、佐藤死刑囚らのアリバイを証明するメモだった。
 クラさんは、「諏訪メモ」の存在を記事化したのである。

 松川事件は1949(昭和24)年8月17日未明、東北本線松川―金谷川間で貨物列車が脱線転覆し、機関士ら3人の乗務員が死亡した。警察は人員整理(首切り)に反対していた地元の東芝労組と国鉄労組などの組合員たちが引き起こしたものと見て20人を逮捕、起訴した。
 一審判決は東芝労組の佐藤一さんら5人に死刑、残り15人も有罪。二審仙台高裁でも死刑4人を含む17人が有罪。
 「諏訪メモ」スクープは、最高裁に上告中の報道だった。最高裁は二審判決を破棄し、仙台高裁に差し戻した(1959年)。そして1961(昭和36)年8月8日、仙台高裁は被告全員に無罪を言い渡した。

 『現代史の目撃者』にこうある。
 佐藤一は無罪となったあと、占領・戦後史研究家の道をあゆみ、平成18(2006)年3月、都内でひらかれた「占領当時を振り返る」講演会で、倉嶋を「私の命の恩人」と紹介、二人はかたい握手をかわした。

 倉嶋さんは元社会部。ことし発行の「ゆうLUCKペン」40集への寄稿によると、松本・長野両支局長を10年。定年後、スポニチ長野支局を立ち上げ、1998年長野冬季五輪の組織委員会委員。五輪終了後、次回開催の米ソルトレーク市まで化石燃料を使わずに帆船と自転車でメッセージを運んだ、NASL国際環境使節団の団長。
 私は、駆け出しが長野支局。クラさんとは社会部遊軍のとき、夕刊三面担当のサブキャップと兵隊という関係でお世話になりました。

(堤  哲)