随筆集

2018年10月14日

僕の後半生を育ててくれたのは、毎日新聞てした――井上靖

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井上靖氏

 毎日新聞10月14日付「今週の本棚」に、長男が選ぶ井上靖「この3冊」が掲載されたが、井上靖(1991年没、83歳)は元毎日新聞記者である。

 1936(昭和11)年入社。「サンデー毎日」に小説を応募・受賞したのがきっかけだった。「サンデー毎日」編集部、軍隊から戻って学芸部で美術と宗教を担当した。敗戦の45(昭和20)年8月15日、大阪本社社会部の当番デスクだった。「玉音放送を拝して」を自ら書いて、社会面を埋めた。

 《十五日正午――それは、われわれが否三千年の歴史がはじめて聞く思ひの「君が代の奏だった……詔書を拝し終わるとわれわれの職場毎日新聞社でも社員会議が二階会議室で開かれた……一億団結して己が職場を守り、皇国再建へ発足すること、これが日本臣民の道である。われわれは今日も明日も筆をとる!》

 1950(昭和25)年、小説「闘牛」で芥川賞を受賞した。モデルは同じ毎日新聞記者で5歳下の小谷正一(1992年没、80歳。早瀬圭一著『無理難題「プロデュース」します』=岩波書店、2011年刊)だった。

 その年に、下山事件を題材にした『黯い潮』(文藝春秋)を発表している。「自殺」説を貫いた毎日新聞社会部の平正一キャップら毎日新聞記者がモデルである。

 翌51年に退社して、作家生活へ。井上が新聞記者だったのは、29歳から44歳までの15年間だった。

 1976(昭和51)年文化勲章受章。新聞記者出身の作家としては初、と社史にある。

 『「毎日」の3世紀』には、こんな言葉を紹介している。

 《「僕の第2の故郷は関西です。気候が温暖な伊豆の田舎に育ったので、心情的に合わない面もありましたが、一生のうちでもっとも大切な時期を関西で送りました。僕の後半生を育ててくれたのは、毎日新聞てした》

 さて、長男の筑波大名誉教授・井上修一さんが選んだ「この3冊」は、①しろばんば②夏草冬濤(ふゆなみ)③北の海、である。

(堤  哲)