随筆集

2019年1月10日

60年安保6.15の社会面をつくった三木正デスク

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毎日新聞時代の三木正さん

 『新聞記者 山本祐司』(水書房2018年刊)に、牧内節男さんが追悼文を寄せているが、山本祐司さんが入社した昭和36年は「逸材が少なくない」として、その理由に、毎日新聞の60年安保6.15報道を挙げている。

 《6月16日朝の毎日新聞の紙面は朝日・読売と違って異彩を放っていた。それはなぜか。わが社は感情的な部分を削って、起こった事実だけを報道したのに、他社は編集局の幹部が原稿をチェックしたからである》

 《この紙面を見て有為な人材が毎日新聞に入って来た。山本君はその一人であった》と。

 では、この日の社会面は、誰がつくったのか。社会部長杉浦克己、当番デスクは三木正。

 《毎日新聞の紙面に対し、読者室にも販売店にも、感謝と激励の電話が寄せられた。しかし当時の社会部長は社長や編集局長から叱責を食った》とも書いている。

 毎月一回、毎日新聞5階の毎友会の事務局で、毎日カフェが開かれている。主は元情報調査部の松下礼子さんだが、ここの書棚で三木正さんの著作を見つけた。6.15社会面づくりのことも書いているが、三木さんは「直前まで各紙の先頭に立って安保闘争の世論をあおっていた対抗紙が、6月16日付朝刊で豹変した紙面づくりをした」と ショックを受けたことを吐露している。

 三木さんは、その後「サンデー毎日」デスクから編集長になるが、最大のヒットは「大学合格者高校別一覧」の掲載である。

 1964(昭和39)年3月末。編集長岡本博。デスクの三木は、帰宅の電車内で大学新聞の東大合格者の名簿を見ているうち「合格者を高校別に調べたら面白い記事になるかもしれない」。帰宅してすぐ編集部の増田れい子さんにペラ30枚(200字の原稿用紙で30枚)の記事を手配。自らは高校別の一覧表を徹夜して作成した。

 「これが東大合格ベスト20高校」

 5ページの特集記事だった。それが売れた。

 翌年は編集長になって、大学を広げて「有名大学へどの高校から入るか――出身校別合格者一覧」となった。

 三木さんは、サンデー毎日の発売日、都心のターミナル駅の売店を見て回っていたが、この号は、2日目にはどこの売店も売り切れだった、と書いている。

 社内から「教育の毎日が受験戦争をあおるような企画をやるのはケシカラン」という批判があり、筋の通ったタテマエ論に、説得力のある反論は難しかった、とも。

 この企画は、現在も続いている。「サンデー毎日」の売り物のひとつには違いない。

 もうひとつ、三木さんの当意即妙ぶりに感心したことがある。かつて「サンデー毎日」の売り物だった長谷川町子の「いじわるばあさん」連載開始のいきさつである。

 三木さんは編集長になって、連載「エプロンおばさん」の作者、長谷川町子さんに挨拶に行った際、《「エプロンおばさん」は「サザエさん」と同じホームマンガで、疲れたから、もうやめたい》といわれた。

 その時、とっさに《それなら「いじわるばあさん」をお願いしたい》と対案を出した。

 長谷川町子さんによると、「サザエさん」はヒューマニズム、「いじわるばあさん」は煩悩だという。自由奔放、果敢に世の偽悪をあばいて痛快無比。「サンデー毎日」で圧倒的な人気を誇った。

 三木正さんは、1990年8月27日没、70歳だった。

(堤  哲)