随筆集

2019年4月3日

脊椎6個も骨折手術 闘病記 2019/3/24

 2011年1月末にリタイアした。それから1か月半後に東北大震災が起きて、忘れられない年になった。

 さらに4か月後、私は自宅で脳梗塞になって救急車で病院に運ばれて、2週間入院した。回復はしたが、長年の疲労も重なって、心身脳力は落ちて日常生活のペースはなかなか戻らなかった。

 さらにさらに、2016年8月には乳がんの手術をしたが、術後すぐに動いて炎症を起こして再入院、結局2か月をまた病床ですごすハメになった。

 がんは克服したが、足の筋肉が衰えて歩くことが難しい。少しずつ自己流トレーニングで長い距離も歩けるようになったら、こんどは脊椎をやられてしまった!

 というわけで、竹橋を離れてからの8年のほとんどを、病気を道連れに過ごすことになっている。その間、『サンデー毎日』連載、文春新書上梓と「終活」ができたことは、周囲の方々のご支援の賜物、感謝、感謝です。

 さて、最新情報の「脊椎圧迫骨折」の闘病記をお届けしたい。高齢社会のほとりで出会った「災難」は、寝たきり・介護・入院・リハビリなどなど、カケラではあるけれど、やがて来る日々の予行演習みたいなものだと、反省も込めて向き合っている。

 お役に立つ情報もあるかと思い、悪魔のような痛みの記憶のなかから、3か月を再現してみた。

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 気の向くままにバス停に立って、やってきたバスに乗る。都バスを利用すると、「遠出」の選択は広がる。高齢者用のシルバーパスのおかげで、懐具合を気にせずに出歩ける。

 2018年12月22日、冬至の午後。友人宅を訪ね、バス停近くまで来たら、目の前をバスが! 乗り遅れては大変と猛ダッシュして、間に合った。長いこと、ゆっくり歩いて、青信号でも時間の余裕を見てわたるほど用心していたのに、これはもう長年身体に刻み込まれた「条件反射」としかいえない危険行為だった。しかし、なんという反応もなく帰宅して、小さな「勇気」は忘れてしまった。

 夜更けに、ベッドで寝がえりを打とうとした瞬間、ギャーっと声をあげるほどの痛みが襲った。胸の骨組みがバラバラになってしまうように激しく揺らいで、そのままうずくまり、どれほど経ったか、ようやく少し身動きできた。それでも痛みが治まったので、翌日はクリスマスイヴの日曜日だから、病院は何処も休みだろうと、じっと、そっと、ベッドに横たわって過ごしたが痛みは治まらず、救急外来を訪れた。ヘルパーさんに頼んで同行してもらった。しかし、担当が内科医だけとのことで、心電図と血液検査だけで内臓には問題はないと帰された。

 翌日に整形外科へという選択もあったが、救急外来で紹介なしなので1万円も取られていたため、また同じ請求を受けるのかと二の足を踏んで、鍼灸治療に行った。痛みは変わらなかったが、身体はほぐれて楽になった気分だった。しかし、ちょっと動くと激痛が襲う状態は変わらない。思い切って、友人が通ったという整形外科に、タクシーで出かけた。

 レントゲンを撮るだけで痛い! しかし、丁寧に診察してくれて、「リハビリを3か月ほどすれば痛みは消えるだろう」とのこと、痛み止めと湿布をもらって帰宅するが、近くのタクシー乗り場までも行けずに、クリニックの事務員が介助してくれた。この整形外科はAKAー博方式という独自のリハビリで、結果も良いといわれている評判に背中を押されて、二週間に一度の通院を始めた。

 並行して鍼灸治療も続けて年を越し、1月半ばになると、激痛が取れてきた。痛みはあるが、寝返りもできない状態から解放されて、また出歩き始めた2月末の朝、軽いはずの小さな椅子を持ち上げたとたん、ギックリ腰になって、動けなくなった。

 都内の高齢者向けのサービスに、警備会社にコールすれば、すぐに駆け付けてくれるシステムがあって、連絡して、警備会社からガードマンが駆けつけて、119番通報、救急車がやってきた。友人も駆けつけて救急車に同乗し、病院へ。ガードマンは同乗できないので、付き添いが必要になる。

 救急対応で入院、数日して歩けるからと退院させられ、自宅に帰ったが、その晩再び寝返りが打てない。痛み止めを手の届く枕のわきに置いておいたが、反対側を向いていた時に痛みが襲ったので、これを取ることができない。深夜ながら、近所の友人が助けてくれた。

 独り暮らしの知恵で、緊急事態が予想されるときは、携帯電話をパジャマのポケットに入れて取り出せるようにしておいたので、これを使って再び警備会社に連絡した。システムとしては、緊急用のボタンがついてペンダントともう一つの器械を手元近くにおいて、誰かの手が必要と思ったら、ボタンを押せばガードマンが駆けつける。しかし、手元にないとダメ、今回も警備会社には携帯で連絡し、ふたたび呼びだして救急車を呼んで医療センターに行った。

 今度も、痛みが取れたら帰宅、というふうなことをドクターが言うので、「入院!」と強く要求し、その晩から入った。有料個室だが、広くて新しい部屋が1日15000円、痛みがなければ快適ではある。生命保険で全額ではないがカバーできる。

 MRIの結果、脊椎6個に損傷があり、4個は完全に圧迫骨折、2個はスカスカ状態と血管がダメとかで、一度に手術、通常は2時間だが、倍はかかったようだ。局部麻酔ではあるが、意識はなく、終了後は痛み止めを必要としている。しかし、すさまじい痛みから解放されて、救われた。

 救急病院のリハビリ体制は完ぺきではないとのことで、リハビリに重点を置く病院に移り、現在は午前と午後にみっちりリハビリをしている。

 独り身で、身近に動いてくれる親族もなく、転院手続きはすべて救急病院のソーシャルワーカーと先方病院の事務方が進めてくれた。さらに、これまで介護予防システムの世話をしてくれたケアマネージャーが、介護申請もしてくれ、また、脳梗塞以来ケアしてくれるヘルパー事務所からヘルパーに来てもらって、退院や外出をサポートしてもらった。

 行政窓口に相談すると、困っているところは、かなりサポートしてもらえることを、高齢者はもっと知ったほうが、安心して暮らせると思う。それぞれの地方自治体でシステムは異なるが、選択できるものを利用したほうが、そしてできれば困ってからではなく、早めに調べておいたらいいかと、思っている。私は、脳梗塞のあと、「区報」の情報を頼りに支援を依頼したのが、今回の援護につながっていた。

(岩尾光代)