2019年4月9日
「EEE-CHEE-ROH」②
佐藤健著『イチロー物語』を読み返してみた。
――実物のイチローを初めて見たのは94年秋である。当時、私は新聞で「若者観察学入門」という記事を連載していた。若者としてのイチローを観察しに所沢の西武球場へ出かけて行ったのだ。
これが書き出しである。
毎日新聞の連載「わたしの生き方 イチロー」は1995年3月14日~7月1日とある。
95年10月5日発行で、手元の本は、2週間後の10月25日5刷となっているから、売れ行きがよかった。
イチローは1973(昭和48)年10月22日生まれ。体重が4280gもあった。
二男なのに、「一朗」だ。
3歳の時に野球に出会い、チチローは右利きのイチローを左バッターに変えた。
「何といっても左バッターは有利ですから」
小6の時に書いた「夢」という作文。
――ぼくの夢は、一流のプロ野球選手になることです。そのためには、中学、高校で全国大会へ出て、活躍しなければなりません。活躍できるようになるには、練習が必要です。ぼくは、その練習にはじしんがあります。ぼくは3歳の時から練習を始めています。3歳~7歳までは半年位、3年生の時から今までは365日中360日は、はげしい練習をやっています。…けいやく金は1億円以上が目標です。
愛工大名電で春、夏甲子園に出場。1991年ドラフト4位でオリックスから指名された。契約金4千万円、年俸430万円。
プロ入り3年目。新監督仰木彬が、登録名をイチローに変えた、といわれる。
「3試合で5本のヒットが打てる」とコーチから太鼓判を捺されていた。
ミスタータイガース藤村富美雄がシーズン140試合制の時につくった最多安打191本を115試合目に追いつき、130試合のシーズンを終えて210安打、本塁打13本、打点54、盗塁29、打率3割8分5厘。史上最年少でMVPを獲得した。
これから先の活躍は、ご存知の通り。今回も国民栄誉賞を辞退したというから立派だ。
(堤 哲)