随筆集

2019年5月15日

森正蔵著『あるジャーナリストの敗戦日記』

 5月14日朝刊2面の「火論」で玉木研二客員編集委員が「大本営発表という麻酔」で森正蔵著『あるジャーナリストの敗戦日記』から引用している。

 <満州事変以来、新聞記者の活動が窮屈になつて、つひには発表ものだけで新聞を造ると云(い)ふ程度にまで押込まれて来た。記者はそこで特に勉強しなくてもやつてゆけることになり、殊に取材の苦心、記事の書きこなしなどといふことを知らなくなつてゐる。若い記者の再教育、新しい記者の養成が当面の大きな問題にとなつて現はれて来たのである>
=1945(昭和20)年8月25日の日記。

 玉木は、横浜の日本新聞博物館に展示された戦時新聞を素材に、大本営発表を基に、記事、写真、地図を展開した「殲滅(せんめつ)」紙面を批判している。

 1942年6月、「ミッドウェー海戦で致命的大敗をしたことをあたかも勝ったように取り繕ったものだが、記者たちが発表を深く疑った形跡はない。むしろ、景気よく戦勝ムード一色の紙面作りに、高揚していたかのようにも映る」と綴る。

 詳しくは「火論」を読んでもらいたい。

 森正蔵は敗戦まで論説委員をつとめ、辞表を提出している。

 「私儀今次戦争期間を通じ戦争に直接関係する社説を執筆し来り候処、戦局は我が敗北を以て終結致候段顧みて責の軽からざるを思ひ茲に辞表願出候也」

 しかし、辞表は受理されず、社会部長を命ぜられる。

 森正蔵が社会部の記者とともに執筆、敗戦4か月後に出版した『旋風二十年―解禁昭和裏面史』は一大ベストセラーとなった。「抑圧された言論、歪められた報道」で国民に知らされなかった「真実」を明らかにしたものだ。

 玉木客員編集委員が引用した『あるジャーナリストの敗戦日記』の続編として、森の息子で元毎日新聞編集委員の森桂(77歳)は父親の残した42冊の日記を3年がかりで『挙国の体当たり―戦時社説150本を書き通した新聞人の独白』(2014年、毎日ワンズ刊)を発刊している。

画像
画像

(堤  哲)