随筆集

2019年6月16日

週刊文春6月20号に板垣雅夫記者のロッキード事件取材秘話

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福田太郎氏の病床での証言を報じる紙面(左)=『毎日新聞 ロッキード取材 全行動』から

 NHK社会部の司法記者だった中尾庸蔵氏から電話があり、作家の真山仁氏が週刊文春 に連載しているノンフィクション「ロッキード」の取材に協力してくれないか、と頼まれた。新潟勤務時代に一緒だった中尾氏はロッキード事件当時、東京地検担当だったので、「自分は取材範囲が狭く、遊軍取材班にいた板さんにお願いしたい」というのである。

 その後、文春の編集者から電話があった。私は当初、会ってお話しするような材料はない、電話でしゃべるから、それでいいじゃないの、と断った。編集者は、作家の真山が会いたがっている、というので引き受けることにした。

 プレスセンターで真山氏と文春の編集者と3人で会った。真山氏は、40年以上前に刊行された『毎日新聞 ロッキード取材 全行動』の本を持参し、そこに何十枚もの付箋が付けられていることに驚いた。会話の中でも、実に多くの資料にあたり、事件のディテールを含めて深い知識を持っていた。かつて中部読売の記者をしていたという。

 その後、真山氏と編集者から「板垣さんが、事件のカギを握っていた福田太郎氏を追いかける取材話を聞いて、その臨場感に感激しました」と同じようなことを言ってきた。そんなつもりはまったくなかったので、はてどんなことかな、と自分では不思議だった。

 その時の取材結果は6月20日号の週刊文春に掲載された。私は実名で登場し、「76歳の板垣は、溌剌として、今でも事件が起きれば駆けだしていきそうだった」と紹介された。この記述は元社会部記者として率直に嬉しかった。

「すき間産業」の取材体験が効果的だったと大学校友会のサロンで講演

 もう40年以上前の事件について週刊文春から取材されたきっかけは、たぶん2年前、10人ほどを相手にロッキード事件について話した地元でのミニ講演会だったと思っている。早稲田大学校友会の逗子葉山稲門会で毎月、「早稲田サロン」を開き、会員たちが交互に現役時代の経験談を話している。新人会員の私は、講師が病気などで来られなくなった時のピンチヒッター役として登録していた。講演の機会は意外と早くやってきて、ビールで歓談しながらロッキード事件取材のよもやま話をした。

 その主な内容は、ロッキード事件前の警視庁取材担当時に、政治家らの圧力による事件つぶし・もみ消しが横行していたこと。警視庁の捜査員からネタが取れないので、銀行総務部や中小証券、興信所、企業情報発行人など新聞社にとって「すき間産業」を取材し、それがロ事件の取材に役立ったこと。アメリカから情報がもたらされたロ事件は既にその概要が国民に知られているので政治家の圧力による事件つぶしはできないと確信したこと。ロ事件を取材していてアメリカのカゲを何となく感じていたこと、などだった。

 しかし、この時の私のミニ講演は不評だった。講演の最後で私は「ロッキー事件の摘発によって、日本の政財界を取り巻く暗部が取り除かれ、日本は比較的きれいになった。これは結果的にはアメリカのおかげかもしれない」と私見を述べた。ところが海外勤務経験者も多かったサロンの出席者は「アメリカのおかげ」に猛反発した。「そんなことはない」「アメリカは日本のためを思って行動するはずがない」「日本の世の中はきれいになんかなっていない」と、酒の勢いもあって激しい反論だった。たまたま初めて参加していた元大学教授もあきれるほど騒がしい発言が続いた。

逗子のミニ講演が鎌倉、藤沢、横浜、東京の講演会と広がっていった

 こっちは無料で取材体験をしゃべっているのだから少しは遠慮しろ、と不機嫌になったが、捨てる神あれば拾う神ありである。ありがたい反響は意外なところからやってきた。このミニ講演を聴いた人のクチコミで知ったという鎌倉市の50人ほどの勉強会から声がかかり、同じテーマでしゃべってくれ、と言われた。鎌倉市後援の公的勉強会だった。見る人はちゃんと見ていたのである。

 鎌倉の会場で話をすると、今度は藤沢市と横浜市の方から声がかかり、70人、100人を相手の講演会を頼まれた。藤沢市の会場では、席の前方にロッキード事件当時の社会部長、牧内節男大先輩が「陸士の同期生から誘われた」と言ってドンと座っていた。これでは釈迦に説法ではないか。緊張からノドがカラカラになり、逃げ出したくなった。

 講演依頼はその後も続き、三井企業グループ各社のOB会では都内の某三井企業本社で80人近くを相手にしゃべった。三井物産はアメリカからの航空機輸入も扱っており、ロッキード事件の内情については私よりはるかに詳しい人もいたが、元第一線現場記者の奮闘ぶりを興味深く聴いてくれた。さらに、その後は神奈川県内のロータリークラブからも頼まれて、当時の自民党政治とロッキード事件について話をした。

 とにかく、この事件の世間の関心は40年以上たっても、ものすごく高いと思った。田中前首相逮捕という昭和の衝撃的大事件だったこと、何年か前から再び田中角栄元首相礼賛の本が出回っていたこと、などから、いまだに人々は事件に興味を示し、熱心に耳を傾けてくれた。

 10人余のミニ講演会から次々と大きな講演会に広がつた反響には自分でもびっくりするほどだった。そのことを今年の年賀状で元NHKの中尾氏に「昨年はロッキード事件の講演を5回もしました」と書いた。彼は新潟勤務時代から田中角栄について取材し、厳しい目を向けていた。世間の田中礼賛ムードを鋭く批判する本を2年ほど前に出版していた。

 中尾氏は、週刊文春からロッキード事件連載の取材に協力してほしいと言われ、私の名前を思い出して、冒頭の電話につながったのだろう。私はそう思っている。ご縁とは誠に不思議なものである。まったく予期しない方向へ発展するものだ。

(板垣 雅夫)