随筆集

2019年8月25日

コラムニストから法曹へ司法試験に合格して修習中の大高和雄さん

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 福島支局の10年後輩で、経済部時代の同僚だった前「近事片々」子、大高和雄くんが、3月末に選択定年で退職し、法曹の道を歩むことになった。批判することに長けていたコラムニストが、どう実人生に関わっていくのか、今後が大いに見ものだ。

 千葉支局長から資材本部委員を歴任して論説室に移り、この2年間夕刊1面コラム「近事片々」を担当していた大高くん。「トランプもシンゾーくんもめちゃくちゃなので、コラムは書きやすい」と軽快なタッチでコラムを書いていたのに、4月に届いた社報には彼の選択定年が載っていてビックリした。まだ58歳だったはず、どうして?と電話して、またビックリした。

 日本で一番難しいとされる司法試験に受かり、12月から司法修習生になるので、少し早めに辞めさせてもらった、と言うのだ。「お前、そんなに優秀だったの?」と言ったら「えぇ、まぁ」だと。17年に予備試験に通り、昨年本試験に合格したのだとか。彼は「近事片々」を担当する前は、激務の論説副委員長も務め、そんな勉強をするヒマはなかったはず。どこで、どうして、なにゆえにそんな勉強をしたのかを尋ねたところ、うなってしまう答えが返ってきた。

 彼は東北大の経済学部出身で法律とは無縁だった。ところが、09年に千葉支局長から資材本部委員になった時、「これで記者職に戻る道はなくなった」と思ったのだとか。経済部の先輩から「時間に余裕があるなら、何か資格でも取ったら」と言われ、社業に役立つのは行政書士かなと思い、これは1年で資格が取れた。次に目標にしたのが、どうせやるならと、あの最難関の「司法試験」だった。

 法科大学院に入る余裕はない。それで、1万人が受験して400人が受かる予備試験を目指して、出勤前の1時間を大手町の喫茶店で勉強したのだとか。今は予備試験向けの参考書がたくさんある。受かるとも思わず、勉強を重ねたら、7年目に予備試験に通り、その7~8割が合格する司法試験にも18年に受かった。

 これから1年間、司法修習生として裁判所、検察庁、弁護士事務所で実務を学び、20年12月には弁護士資格を取って、自宅に弁護士事務所の看板を掲げるつもり。「弁護士の肩書きが役に立つこともある。少年絡みの事案で、世のため人のための支えとなる存在になれればいいな、と思っている」とか。

 大高くんには才媛の小学校教諭のカミサンはいるが、子どもはいないから、こんな思い切ったことができたのかも。あんまり金儲けがうまい方とも思えないから、こりゃ、髪結いの亭主弁護士だな。ともあれ、60歳にしてのコラムニストからの法曹の世界への転身を、注目して見守りたい。

文責・岩橋 豊(1973年入社、68歳)