随筆集

2019年9月19日

物故社員は8099人!

 秋のお彼岸に合わせ、先覚記者と物故社員の追悼会が9月18日(水)に毎日新聞東京本社で開かれた。ことし新たに279柱が合祀(ごうし)され、物故社員は計8099柱になった。丸山昌宏社長は「社員一丸となって諸先輩方が築いた毎日新聞の伝統を守り、発展させていく」と、追悼の辞で述べた(9月19日付け毎日新聞朝刊)。

 追悼会で配られた合祀者の名簿には「第155回先覚記者・第159回物故社員中央追悼会」とあった。この行事は、一体いつから始まったのか。

 『毎日新聞は百年史』に大正6(1917)年9月24日第1回物故社員追悼会を浜寺本社倶楽部で催す、以後大毎と東日で毎年春秋2回交互に催す、とある。

 102年も続いていることになる。

 その3年後、大正9(1920)年3月21日先覚記者追悼会を物故社員追悼会と同時に開く(以後毎年春秋2回)。

 追悼会の名簿は、A4判、本文34ページに霊名がぎっしり並んでいる。

 先頭は先覚記者。当初は以下の10人だった。
 柳川 春三
 岸田 吟香
 栗本 鋤雲
 福地源一郎(東日初代社長)
 成島 柳北
 末広 鉄腸
 沼間 守一
 藤田 茂吉
 福沢 諭吉
 ジョン・R・ブラック

 大正14(1925)年に以下の10人を追加した。
 島田 三郎
 西村 天因
 中江 兆民
 黒岩 涙香
 原   敬(大毎3代社長)
 渡辺巳之次郎
 池辺 三山
 田口 卯吉
 小松原英太郎(大毎4代社長)

 その後、浜田彦造(ジョセフ・ヒコ)が加わり、さらに大毎の初代社長・渡辺治(台水)、朝日新聞の社主・村山龍平らを加え、現在は40人が先覚記者として掲載されている。

 時事新報で福沢諭吉の教えを受けたやり手経営者・大毎5代社長の本山彦一社長が始めた。第1回先覚記者追悼会は、大毎(大阪毎日)東日(東京日日新聞)とも記事を載せている。

  先覚新聞記者
   十名士の霊を祀る
    本社並びに東京日日主催
   献饌(神前に物を供えること)質素、儀式簡単
    故人の遺風を追慕す

 この時、追悼の言葉を述べた本山も没後、先覚記者に祀られている。

 残り19人は——。
   矢野 文雄(龍渓)
   陸  羯南
   本山 彦一(大毎5代社長)
   高木 利太
   村山 龍平
   高橋 健三
   鳥居 素川
   犬養  毅(木堂)
   内藤 湖南
   関  直彦
   三宅 雪嶺
   竹腰与三郎(三叉)
   奥村信太郎(大毎改め毎日新聞6代社長)
   徳富 蘇峰
   高石真五郎(毎日新聞7代社長)
   丸山 幹治(侃堂)
   阿部真之助
   城戸 元亮

 2ページ目からは「物故社員」で、先頭は甫喜山景雄56歳、次に初代「大毎」社長・渡辺治30歳。

 明治5(1872)年創刊の東京日日の創始者の名前もある。篠野伝平72歳、西田伝助73歳、落合幾次郎72歳、広岡幸助90歳、岸田吟香73歳、福地源一郎66歳……といった具合だ。

 2022年、毎日新聞は創刊150年を迎える。

画像
毎日新聞の電飾広告(東京メトロ有楽町駅で)

(堤  哲)