随筆集

2020年3月11日

川向こう7方面記者クラブは倍賞千恵子さんを招いた!

 警視庁5方面クラブのお宝・手塚治虫が描いたトキワ荘の天井板に関連して方面クラブをネット検索すると、7方面本所署記者クラブは、下町の太陽・女優の倍賞千恵子さんを警察署に招いたという記事が出てきた。それも毎日新聞の瀬下恵介記者の仕掛けによるとあった。

 元朝日新聞記者岩垂弘さんのブログで、『ジャーナリストの現場―もの書きをめざす人へ』(2011年同時代社刊)として発刊されている。

 ブログに写真が載っている。倍賞千恵子が東京五輪開幕直前の1964(昭和39)年10月1日「都民の日」に本所警察署を訪れ、方面クラブの記者たちから感謝状と記念品を受けたのである。今から56年前だ。

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 警視庁第七方面記者クラブは、墨田、江東、江戸川、葛飾、足立5区の警察署を担当する。各社2人の記者が常駐していた。

 以下岩垂さんのブログから。《その日も事件がなく、クラブ員は暇をもてあましていた。とりとめもない雑談にあきたころ、毎日新聞の瀬下恵介記者が叫んだ。

 「倍賞千恵子さんに来てもらおうじゃないか」

 倍賞千恵子さんといえば、当時、新進の若手女優であり、歌手だった。『下町の太陽』という歌が大ヒット。彼女主演で映画化もされた。今ふうにいえば、人気上昇中のアイドルといってよかった。

 「下町記者クラブとして感謝状を贈ろうじゃないか。彼女、下町の出身でもあるし」と瀬下記者。クラブ員はみな仰天した。彼の、そのとっぴょうしもない発想というか、思いつきに、である。が、「こんなむさくるしい所にくるわけがない」と、だれも相手にしなかった。

 そんな中で、瀬下記者は記者クラブの隅にあった公衆電話に硬貨を入れ続けながら、どこ かに電話をかけた。いったん切ると、またかける。いずれも随分長い電話だった。そして、彼はついに叫んだのである。

 「おーい、みんな、倍賞千恵子がくるぞ」

 おちょぼ口をして満面笑みをたたえた瀬下記者のその時の表情はいまでも忘れられない》

 《瀬下記者によれば、松竹本社に電話し、倍賞さんを表彰したいから派遣してくれるよう頼んだ。相手は最初、難色を示していたが、どうしてもとねばったら、ついに「行かせましょう」と言ってくれたという》

 《「都民の日」の十月一日、彼女は本所署に一人でやってきた。私たちは署長室を借り、彼女を招き入れた。
 私たちはコーヒーとケーキで彼女と懇談した。感謝状を渡したが、そこには「あなたは、『下町の太陽』で、下町の良さを全国に知らしめた」といった意味のことが書かれていたと記憶している。それに、太陽をかたどったガラスの盆を贈った。それは、何を贈ろうかと思案したあげく、他のクラブ員と私が、両国駅近くのインテリア専門店の倉庫内を物色中に見つけたものだった。もちろん、みんなで金を出し合って買った。
 当時、彼女は二十三歳。それはそれは美しかった。「きれいだな。こりゃ、掃きだめに鶴 だ」。クラブ員から、そんな声がもれた。
 彼女自身も驚いたようだ。後にもれ聞いたところでは、本所署を訪ねる前、「わたし、何も 悪いことをしていないのに、どうして警察に行かなくてはならないのかしら」と周囲にもらしていたという。
 本所署記者クラブのこの“壮挙”は、他の警察記者クラブに波紋を広げた。「おれたちは吉 永小百合を招くんだ」などという威勢のいい声が聞こえてきた。しかし、結局、女優さんを招く ことができた警察記者クラブは他には一つもなかった》

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 話の続きがある。《これには後日談がある。九年後、私たちは倍賞千恵子さんと再会することになる。
 すでに本所署記者クラブを去っていた、私たちかつてのクラブメンバーから、「また、倍賞さんに会いたい」という声が起こり、私たちが、映画『男はつらいよ』シリーズのヒットを祝って、寅さんの妹さくらを演じていた倍賞さんを招いたのだ。こんどは、すぐ承諾してくれた。私たちは、山田洋次監督、寅さん役の渥美清も一緒に招いた。
 一九七三年十二月十六日、銀座のレストラン「三笠会館」。あの「下町の太陽」娘はいまや大スターに変身していたが、本所署署長室での初対面で感じさせた庶民的な雰囲気を失ってはいなかった。この時の楽しいひとときは忘れ難い》

 殊勲者瀬下記者については、こう書いている。《瀬下氏は、その後、ニューズウイーク日本版発行人を務め、今は東京・神田にあるマスコミ人養成塾「ペンの森」の主宰者である》

 瀬下さんはことし82歳になる。80歳を契機に「ペンの森」を引退したというが、2012年11月5日瀬下塾・ペンの森OB会が発足、という記事をネットで見つけた。

 《300名以上いる卒業生の交流を活発化し、ペンの森をますます応援するため、従来のペン森関係者の交流組織「瀬下塾」をバージョンアップ。「瀬下塾・ペンの森OB会」を発足させていただくことになりました》

 当時74歳の写真も載っていた。瀬下さん、お元気ですか。

(堤  哲)

 *方面記者クラブの話では、読売新聞の本田靖春著『警察(サツ)回り』(新潮社1986年刊)秀逸だ。6方面上野警察署で朝日新聞深代惇郎との交流などいずれの機会に紹介したい。