随筆集

2020年4月5日

松江・岡山・大津・広島と支局長を4つも歴任した藤田紀一さん ――同人誌『人生八聲』を読んで思い出したこと

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 木戸湊元主筆提案の季刊同人誌『人生八聲』第22号(2020年4月発行)に、私と同期入社の勝又啓二郎さんがこんなことを書いている。

 勝又さんは、秋田支局4年目の1967(昭和42)年春、宇都宮支局へ異動することを支局長から内示された。それを嗅ぎつけた1年先輩がその晩、「その異動、オレに代わってくれないか」と勝又さんに直訴したのだ。

 「秋田に来て4年。いまオレはおおきな壁にぶつかって仕事も生活もどうしようもない状態だ。このままでは完全にダメ人間になってしまう。どこかに転勤して仕事や生活環境を変えてもう一度やりなおしたい。オレを助けると思って異動を代わってくれないか」

 翌日、支局長に事情を話すと、「人事を何と心得ているのか」と大目玉を食らったが、その先輩は5月10日の定期異動で大阪本社社会部へ、勝又さんは秋田支局に残ったというのだ。

 身代わり先輩記者のことはあとで触れるとして、勝又さんの同期64(昭和39)年入社組は、67年5月10日異動でセット版と統合版支局の入れ替え人事が行われたのだ。

 東京オリンピック後の不況などの影響で、新入社員の採用が減った。2年下の66年入社は、全国で記者職11人。64入社組が地方支局へ赴任したときは、62(昭和37)年入社が本社に上がった。地方支局2年である。64組は支局生活が4、5年になるのは必至となり、過去に例のない支局交流異動が行われたのだ。

 山形支局・石黒克己→川崎支局 川崎支局・佐藤良一→山形支局
 盛岡支局・新井敏司→千葉支局 千葉支局・中安宏規→盛岡支局
 いわき支局・遠井信久→横浜支局 横浜支局・柿崎紀男→福島支局
 青森支局・武藤 完→前橋支局 前橋支局・花形静哉→青森支局
 新潟支局・鬼沢正義→宇都宮支局 宇都宮支局・大洞 敬→長岡支局
 長野支局・堤  哲→水戸支局 水戸支局・畠山和久→長野支局

といった具合に、6組のトレードが成立した。

 ほかに仙台支局・上西朗夫は甲府支局に転勤することに決まっていたが、甲府支局・細野徳治が2階から落ちて足を骨折。この異動は取りやめになったという。

 勝又さんは宇都宮支局に内示されたわけだから、宇都宮支局・大洞さんは長岡支局でなく、秋田支局行きだったはずだ。大洞さんの人生はどう変わった?

 秋田に残った勝又さんも、思わぬ事故に遭遇する。5月13日、秋田県阿仁町の大火を写真部員(40歳)が毎日新聞の新鋭ジェット機で取材、秋田空港に着陸して、撮影したフィルムを秋田支局員に手渡そうとして、プロペラに触れてしまったのだ。

 写真部員の殉職。その現場に勝又さんはいたのだ。そのショックはいかばかりだったか(※)。

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藤田紀一さん

 身代わり異動で大阪に転勤したその先輩記者と、私は大阪社会部で一緒になった。勝又さんはF記者と匿名で書いているが、藤田紀一さん。「フジキ」さんとか、「キイチ」さんと呼んでいた。当時、大阪社会部には、藤田姓が4人もいたのだ。

 私が街頭班と呼ばれるサツ回りをしているとき、藤紀さんは大阪府警回りの事件記者だった。残念ながら大阪在勤2年9か月の間、一緒に仕事をしたことはなかったが、気のいい先輩だった。

 ネットを検索すると、秋田県政を担当している時の「県政寸評」が見つかった。秋田湾地区が新産都市に指定されたことに関連しての考察だが、こんなことを書いている。

 《フランスの近代写実主義の代表的な作家、バルザックは借金の返済に追われてあれだけぼう大な作品を書いたという。もし、バルザックが金に困らなかったら「ゴリオ爺さん」「従妹ベット」を含む一大叢書「人間喜劇」は生まれなかったかも知れない。……バルザックにとって借金は少なくとも小説を書く動機の一つであったことは間違いない》
=1966年(昭和41年)2月1日発行「あきた」(通巻45号)。

 さすが早大文学部の出身!?

 大阪では社会部から整理部・副部長→松江支局長→岡山支局長→大津支局長→広島支局長→夕刊特集版編集長→論説委員。

 支局長を4つも経験した人は、そういないと思う。

 退職後は、熊本県鹿北町(現山鹿市)に移住、農夫をしていた。

 2019年5月23日没、78歳。

 63(昭和38)年同期入社のフジケン藤田健次郎さんが社報に追悼録を書いている。

 《暮らしぶりを冷やかしてやろうと訪ねたことがある。部屋の壁を埋める蔵書。外では段々畑六枚など550坪を耕し、果実のなる山林を守っていた。 「キユウリ4本100円だから、儲からないけど自足には十分」。イノシシ除けの柵を直したりする足元にマムシが2匹。厳しい過疎地だった》

 《のちに紀一さんは農家をリフォームし、念願の大きな暖炉がある書斎を設け、それを機にテレビを捨てた。その夢を思い描いたように見事に貫いたと思う》

 記者人生さまざまである。

(堤  哲)

 ※勝又さんは秋田空港で起きた「新ニッポン号」の事故について、『人生八聲』第4巻(2015年10月)で目撃体験を報告しています。

 『人生八聲』22巻は、まだ余部がありますので、ご希望の方には送料込み1,000円でお送りします。申し込みは、下記アドレスの高尾義彦までよろしく。