随筆集

2020年4月9日

「意地悪ばあさん」はサンデー毎日に連載された

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「意地悪ばあさん」連載開始の予告
(1965年12月26日号)

 長谷川町子生誕100年を記念して月刊「東京人」5月号と、「週刊朝日」別冊が長谷川町子特集をしている。合わせて長谷川町子美術館・記念館を4月に開館する予定だったが、新型コロナウイルスの影響で延期となっている。

 長谷川町子といえば朝日新聞連載の「サザエさん」だが、サンデー毎日連載の「エプロンおばさん」「意地悪ばあさん」(単行本は「いじわるばあさん」)も人気があった。「意地悪ばあさんは、彼女の最高傑作」と、「東京人」誌で漫画研究家・清水勲氏が絶賛している。

 「意地悪ばあさん」がどうして始まったか。初出は「サンデー毎日」1963(昭和38)年1月6日新年増大号。4コマを8ページにわたって展開した。それが好評で、翌64(昭和39)年正月の特大号にも8ページ15本の作品を描いている。

 アイデアのきっかけはアメリカの漫画、ボブ・バトル作『エゴイスト』(Egoist)。これが日本では「意地悪爺さん」などと紹介され、町子さんは「主人公をおばあさんにした方がもっと面白い」と、設定を替えた。

 サンデー毎日では「エプロンおばさん」を1957(昭和32)年1月から65(昭和40)年7月まで8年半続けた。その連載中に、「意地悪おばさん」を書き下ろしたのである。

 65(昭和40)年2月に「サンデー毎日」編集長となった三木正(元社会部デスク)は、就任の挨拶に長谷川町子宅を訪ねた。町子さんはいきなり「『エプロンおばさん』を描くのをやめようと思っている」と言った。

 人気の「エプロンおばさん」を辞められては大変だ。とっさに「では、『意地悪ばあさん』で連載をお願いしたい」。

 町子さんは逡巡したが、翌66(昭和41)年1月2日号から連載が始まった。

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「意地悪ばあさん」第1回
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「自選 意地悪ばあさん」

 即「サンデー毎日」の売り物になった。連載は71(昭和46)年6月27日号の第225回まで続いた。その後はずっと休載、73(昭和48)年1月7日号に「帰ってきた意地悪ばあさん」2ページを掲載したが、それが最後となった。

 その間、72(昭和47)年1月16日号には「自選 意地悪ばあさんベスト32」を16ページにわたって特集。同年4月「サンデー毎日」創刊50周年特別号には、加藤芳郎さんと対談をしている。

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左端は三木元編集長か

 三木さんは月刊「文藝春秋」1990年2月号の「昭和を熱くした女性50人」で長谷川町子さんを紹介している。

 《私が定年退職したとき、女房と二人、食事に招待して下さって、「これからはあなたも自分だけのために人生を楽しまなくっちゃ」といっていたのが印象的でした》

 《(長谷川町子さんは)いまでも好奇心旺盛で、面白がり屋で若々しい、サザエさんそのもの。いじわるばあさんとはほど遠い方です》

 長谷川町子さんは、1920(大正9)年1月30日生まれ。92年5月27日没、72歳。

 三木正さんは、同じ1920年生まれ。90年8月27日没、70歳だった。

 「サンデー毎日」は、2022年4月、創刊100年を迎える。

 いや、その前に2022年2月21日「毎日新聞」が創刊150年を迎える。

(堤  哲)