随筆集

2020年5月19日

88年前の今頃、喜劇王チャップリンが東京にいた!

画像 画像

 この新聞は、チャーリー・チャップリン(1889~1977)が初来日、東京駅で歓迎のファンにもみくちゃにされたことを伝える毎日新聞の前身「東京日日新聞」の朝刊社会面=1932(昭和7)年5月15日付=である。

 何故かチャップリンは「東京日日新聞」の社旗を持っている。左は、兄のシドニーである。

 写真部のカメラマンが「この旗を記念に持って」と頼んでパチリとやったのだろう。

 コロナstay home で断捨離作業中に見つけたコピーである。写真部が出版した『【激写】昭和』(毎日新聞東京本社写真部OB会編、1989年平河出版社刊)にはさんであった。

 同書には「世界の喜劇王チャーリー・チャップリンが照国丸にて来日」と、出迎えた女優の夏川静江さんが入ったカットを載せている。残念ながら誰がどうして社旗を渡したのか記述がない。

 チャップリンは5月14日午前8時、神戸港に着いた。午後0時29分三宮駅発超特急「燕」の増結した1等車に乗車、午後9時20分終着東京駅へ。

 《チャーリー来る!異常な昂奮に酔った人間、人間、人間の群れは、到着前3時間の前の6時といふのに降車口(現在の丸の内北口)をいっぱいにしてかれの顔の、かれの銀髪のひとすじだに見逃さないといふ意気込みをみせている。凄惨!ちょっとそんな感じだ》

 《列車到着の5番ホームは、これまた金10銭の入場券でかれを見る優先権を得ようとするファンで一杯だ。何のことはない。震災当時の避難民の喧騒と怒号が渦巻いてゐる》

 社会部の遊軍記者が思い入れたっぷりに書き込んでいる。

 一夜明けた日曜日、チャップリンは官邸に招かれていた。5・15事件が起きた。犬養毅首相が海軍の青年将校に「問答無用」と射殺された事件である。チャップリンは予定を変更して相撲を観戦、危うく難を逃れたという。

 チャップリンは20日間日本に滞在、6月2日横浜港から「氷川丸」で帰国した。

 その間、チャップリンは歌舞伎座や明治座で役者たちと交流。「一国の文化水準は監獄を見れば分かる」と小菅刑務所(現・東京拘置所)を視察している。

 チャップリンで思い起こすのは、コロナ禍で亡くなったコメディアンの志村けん(3月29日没、70歳)である。「ひげダンス」や「バカ殿」に代表される「動きの笑い」。その原点は、無声映画時代のチャップリンだ。

 「チャップリンに会いたい」と自宅に押し掛けて、84歳のチャップリンとツーショット写真をモノにしたのは、欽ちゃんこと萩本欽一(79歳)だった。もう半世紀前の1971(昭和46)年のことである。

 「動きの笑い」の先輩欽ちゃんも、志村けんのコメディアンぶりを大層評価していた。「普通に動いているだけでも、何だかおかしい」と。ご冥福を祈りたい。

(堤  哲)