随筆集

2020年6月25日

田中角栄元首相を撮った!新聞協会賞に輝いた写真部

《「出た、出た」「田中元首相が母屋から庭内の集会場へ入った」田中邸張り番から写真部デスクへ一報が入ったのは午後2時7分だった》

《写真部デスクが直ちに航空部羽田格納庫へ連絡した。2時11分、ヘリは離陸態勢に入った。その間わずか4分。ヘリは池袋上空で待機。次の指示を待った》

《「今度は木立の間を横切った元首相がチラッと見えた」「元首相が車椅子で庭にいる。急げ!」》

《2時36分、ヘリは元首相邸へ降下。…ヘリに気づいて車椅子を押す女性(元衆院議員の田中真紀子さん)。あわてて車椅子用のスロープを登ろうとする。母屋からは手伝いの人も飛び出して大騒ぎだ》

《5秒間のシャッターチャンスだった。「600ミリレンズを使って、モータードライブのシャッターを押し続けた」と振り返る永田勝茂写真部員(当時43歳)》

 1986(昭和61)年1月30日。毎日新聞東京本社写真部の取材班が田中角栄元首相の撮影に成功したドキュメントである。

 取材班を統括した写真部デスク小林理幸さん(当時42歳)が『疾風50年~駅前で刻んだ毎日新聞中部本社史』(2003年2月発行)に書き残している。

 高尾義彦さんが発刊した『無償の愛をつぶやくⅢ』=このHP新刊紹介参照=の15ページに新聞協会賞を受賞したリハビリ中の田中角栄元首相の写真が載っていた。

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 高尾さんは、ハワイで発行されている日本語紙「日刊サン」にコラムを持っているが、昨夏「蝉の鳴く頃」と題して、ロッキード事件取材の思い出を書いている。そのカット写真に、1986年1月31日付毎日新聞1面を使った。

 高尾さんは社会部司法クラブ担当で、1976(昭和51)年7月27日、田中角栄元首相が5億円の受託収賄罪で逮捕された時、霞が関の検察合同庁舎正面玄関で特捜検事に伴われて黒塗りの車から降りた元首相を撮影した。その写真は、夕刊1面を飾った。

 それから10年——。社会部のデスク会の後、司法クラブのキャップをしていた高尾さんと、警視庁クラブキャップの中島健一郎さん、それにデスクだった私の3人でパレスサイドビルB1のとんかつ屋で夕食をとった。

 確か正月休み明け最初のデスク会で、まず新年の乾杯をした。中島さんと私は元ロッキード事件取材班のメンバーで、高尾さんは「田中逮捕」の日の朝刊1面トップで「検察重大決意」の原稿を書いた。

 3人の話題は、自然と「ロッキード事件から10年」になった。

 そこで中島警視庁キャップが「角栄が目白の私邸から車で外出しているという情報がある」といった。

 田中元首相は、83(昭和58)年に有罪判決を受け、控訴中の85年2月に脳梗塞で倒れ、私邸でリハビリ中だった。しかし「闇将軍」の力は永田町を支配していた。

 「角栄の写真、撮れないかな」

 そこでお開きになったのだが、3人が店から出ると、写真部の小林デスクとばったり顔を合わせた。

 「コバちゃん、いいところで会った。角栄を撮ってくれないか」

 「それはマンシュか」と小林デスク。マージャンの満貫かと聞いてきた。

 「役満だよ。新聞協会賞モノだ」

 小林デスクは、翌日取材班をつくった。

《中堅の立川汎、岡崎一仁君を指名。そして佐藤泰則、平野幸久の両君を加えた》

 立川と岡崎両君は当時38歳、若手の2人、佐藤君は入社2年目の25歳、平野君は入社1年目の23歳だった。

《1月20日から高層住宅の屋上と田中邸での張り込みが始まった》

《屋上の班は北風にさらされ、小雪まじりの悪天候に悩まされた。交代で望遠レンズをのぞく。5分もすると、右目から涙が出る。今度は左目と、交互に変えても涙は止まらない》

《その日、1月30日はマイナス40度の寒気団が日本海から張り出し、東京も今季最低の冷え込みが予想された》

《屋上の張り込みは立川・岡崎組と、若手の佐藤・平野組が交代で当たった。朝から日没まで2000ミリの望遠レンズと600ミリレンズに2倍のテレスコープをつけて、田中邸を観察していた》

 田中角栄元首相の写真撮影成功に編集局は沸いた。

 偶然ながらこの日の朝刊社会面担当のデスクは私だった。興奮していた。こんなに早く注文どおりの特ダネ写真の撮影に成功するとは、思ってもみなかった。

 マンシュを自模ったコバちゃん、写真部の小林理幸デスクはニコニコ顔だった。「ありがとう!コバちゃん」と何度も握手を交わした。

 記事は、高尾キャップの司法クラブに依頼した。高尾さんは、ロッキード事件のあとも、毎年元旦に目白の田中角栄邸に張り込み、政治家の出入りをウォッチングしていた。
この写真報道の影響は大きかった。写真を見た医師たちは、元首相が再起不能であることを証言した。「闇将軍」は足元から崩れ落ちた。竹下派「経世会」の発足、田中派の消滅につながった。

 この特ダネ写真取材の経緯は、山本祐司元社会部長著『毎日新聞社会部』(2006年河出書房新社刊)に詳しいが、「酒はアイデアの宝庫」と綴っている。社会部デスク会後のとんかつ屋での懇談をいっている。

 新聞協会賞を受賞した写真部小林デスク。「航空部の協力なしにこの偉業はなかった。編集局のチームワークの勝利であった」と述懐している。

(堤  哲)