随筆集

2020年7月2日

NHK朝ドラ「エール」から思い出す丘灯至夫さん

 コロナが明けた!

 まるで冬眠から覚めたみたいに。

 思えば、長いコロナ新型ウイルスとの長期戦だった。

 やれ、ステイ・ホームだの、感染だの、と、なんとまあ、陰鬱にして、かったるい時の連なりであったことよ!

 梅雨の晴れ間の一日――。見上げれば、空は真っ青に輝いている。これぞ、初夏の気候である。

 で、気分も 浮き浮きと、久しぶりの外出は映画をエンジョイときた。

 いそいそと気ままな脚まかせ。さわやか風に頬洗われて、電車で向かった先は、横浜市内の一角に拓かれたファミリアスな小公園に位置する瀟洒な民営喫茶店スターバックスの、そのまた2階にある、こじんまりとした単館シネマ。コロナ騒ぎがなお尾を引く中でも、内部に入ればはがらがらに空いていて、それらしい観客は、やっと片手の指を折る人数にも、満たず、なんとかディスタンスとやらで、両隣りの席も無人。ゆったりと、まるで余裕の試写室にでもいるみたいなゆとりに富む映画鑑賞とは相なったのである。

 さて、その映画だが、これも小品ながら、全編、ゆとりに満ちた逸品だった。

 作品名が「アンティークの祝祭」という。

 主演はカトリーヌ・ドヌーヴ。

 ドヌーヴとくりゃあ、言わずと知れた、パリジェンヌ女優のアイコンである。恥ずかしながら、コチトラ、仮にも日本映画ペンクラブの末席メンバーであるからして、相応に心からの敬愛も込めて書くなら、その存在はフランス映画のまさしく至宝といっていい。

 「シェルブールの雨傘」(64年)をはじめ、「インドシナ」(92年)、「8人の女たち」(02年)などの新旧話題作に主演し、カンヌ、ヴェネチアの国際映画祭の女優賞に輝いた映画人は、当年77歳。さすがに、往年の美貌にも影が差しているとはいえ、老いを老いとして迎え入れる自由人の潔さに、白い乱れ髪さえ美しい。

 永年の銀幕キャリアで磨かれた演技力は、辺りをはらって、光彩を失することなく、セリフといい、一瞬の挙措、動作といい、すべてが自然体である。

 場面ごとに、てらうでなく、臆するでもなく、さりげないこれぞ存在感そのものの人間味がしみじみ観客の胸中に染み入る。

 年季の入った喜寿の女優の魅力は、それこそ年代物アンティークのそれに似て、たまりにたまったコロナ自粛のうっ憤を晴らすにもタイムリーな一刻の安らぎに通じたのであった。

 ところで、アートの世界は、奥が深い。

 カトリーヌ・ドヌーヴは、西欧文化の香気発する映像アートの職人芸を持ち前にした、いわばアルチザンの女匠といっていいだろうが、芸域の小宇宙こそ違うにしろ、盛んな名声に包まれた人気のアルチザンは、日本にも実在している。

 速い話、毎朝のテレビを開ければ、自ずからNHKの連続ドラマ「エール」の場面が視界に飛びこんでくる。今やヒット中のこのドラマの主人公は、かの有名な音楽家の古関裕而さんであり、昭和という激動の時代に添い寝するごとく、まさにドラマティックな音のアルチザンの日々に生きた半生が、日めくりエピソードに沿うようなシナリオと動画タッチで番組進行する……。

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丘灯至夫こと西山安吉さん

 私見ながら、都の西北に学び、神宮球場のスタンドで母校の応援歌「紺碧の空」を熱唱した思い出を懐かしむぼくとしては、毎朝のNHKを介してではあれ、応援歌作曲者の青春期に、遠い時代のブランクを跨ぎながら、バーチャルな面談をするみたいな楽しさがある。

 さて、「紺碧の空」の感懐はさておき、「エール」に関係してはまた別筋の、思い出が膨らむ。若き日の古関さんは、多くの知人、友人に恵まれたが,その中に、同郷のジャーナリストがいたのである。

 福島県に生まれ、戦前の東京日日新聞で地方記者のペンをとり、戦後は毎日新聞福島支局を経て出版局毎日グラフ編集部に所属し、さらに、コロンビアレコードで人気の作詞家として生きた西山安吉さん(2009年没、92歳)がその人で、ぼくが毎日新聞で長野支局から社会部、八王子支局を経て出版局毎日グラフ編集部に移った時は、すでに異色の有名人であった。

 社内では、本名よりも作詞家のペンネーム丘灯至夫さんの名で呼ばれていた。地方記者時代からのその命名のいわれは「ブン屋のモットーは『押しと顔』」という、その逆読みである。

 丘灯至夫作詞、古関裕而作曲で最大のヒットは、「高原列車は行く」(54年)。他に「長崎の雨」「白いランプの灯る道」(51年)、「あこがれの郵便馬車」(52年)、「みどりの馬車」(53年)、「百万石音頭」(54年)などがある。

 語感からして、ここは気風のいい素顔を連想するとろだが、実像はすこぶる謙虚にして、気配りにも富んでいた。毎日グラフに初見参した夏だったか。当時の朝日グラフ編集部との野球対抗試合が下町南千住のオリオンズ球場で開催されたことがあり、地元っ子のぼくが毎日勢のエースとしてマウンドを踏んだのだが、この時も、西山さんの心尽くしの手配により、そのころ売り出し中だった日活ロマンポルノの人気女優・田中真理さんが駆け付けてくれて、なんと、なんと、まさにエールの感動花束をいただいた。

 童謡の遊び歌「猫ふんじゃった」からワークソング「東京のバスガール」、トラベルソング「高原列車は行く」と、丘灯至夫さん作詞のヒット作は、レパートリーが広く、リズム感豊かな曲が多いが、伝説的な代表作といえば、やはり、舟木一夫が歌った「高校三年生」(63年)が真っ先に思い浮かぶ。発売1年にして、レコードは、1千万枚を売りつくしたそうである。

 目を閉じれば、偉大な実績とは対照的なまでに遠慮っぽい小駆を揺するがごとく、出版局内 をぴょこぴょこ歩いていた西山さんの姿が思い浮かぶ。口さがない遠巻きの仲間たちによる愛称は「スズメさん」だった。

 古き良き時代の毎日新聞出版局には、語るに誇らしく,思い起こせばかくもうれしいスズメアルチザンが羽ばたいていたのである。

(大島 幸夫)