随筆集

2020年10月30日

社会部警視庁キャップ物語

 一枚の写真をきっかけに、元社会部の堤哲さんが「社会部警視庁キャップ列伝」をまとめてくれた。関連して、キャップの一人、森浩一さんから「警視庁キャップの転勤」を寄稿していただいた。二つまとめて、「警視庁キャップ物語」。

老耄独語 21 警視庁キャップの転勤

森 浩一

 老いぼれでも何かがきっかけで、その何かにかかわる、ある一部分を鮮明に思い出すことがある。堤 哲君から毎日新聞社会部の歴代警視庁キャップ一覧表がメールで送られてきた。いつもながら堤君の作業に感心する。

 ・・・・・夜、王子でピストル射殺事件が起きた。王子署の捜査本部に警視庁捜査1課4号部屋が出動した。当時、捜査1課は班別に6つの部屋を構えていたと思う。その班の主任刑事を部屋長と呼んでいた。4号の部屋長は郷間六平氏であった。逃げる男を店主が追いかけ、男は振り向きざまピストルを発射して行方をくらましたという事件である。目撃者もなく捜査は難航した。しばらくしたある日、熱海の海岸でおぼれた男が救助されたという小さな記事があった。4号の一部の刑事が帰宅していない日夜が続いた。われわれは、この男と帰宅しない刑事がいることに関心を持った。

 山崎宗次さんと僕は熱海に飛んだ。救助されたからには男は熱海のどこかの病院にいるに違いない。病院をあたった。そこでいきなり出会ったのが白衣に聴診器を下げ、みごとに医者に変装した郷間部屋長ともう1人のK刑事だった。2人の顔だけは変えられない。

 われわれが熱海にいる間に、警視庁キャップの佐々木武惟さんが西部本社報道部デスクに転任の人事があった。山崎さんは佐々木さんが乗った列車が熱海駅に停車する時刻を調べ、われわれはウイスキーを買って駅で待機した。たしか車内放送を頼んだと思う。列車の先のほうに乗っていた佐々木さんが窓からだったかデッキからか身を乗り出した。手を振っている。われわれはホームを走った。列車は静かに動き出した。

 渡せずじまいのウイスキーを部屋長に差し入れようと話しながら、われわれは駅を後にした。自殺を図った男は間もなく逮捕された。名前はM。もう60年ほども前のことである。いまは亡き佐々木さん、山崎さん、郷間さんの顔が老骨には重なって見える。

(2020・10・29記)

社会部警視庁キャップ列伝

画像
堀越章キャップ時代、旧警視庁七社会のお別れ会。左からぐるっと(敬称略)、坂巻煕、その後、諸岡達一、白木東洋、前田昭、宮武剛、加納嘉昭、今吉賢一郎、市倉浩二郞、松田博史、(2人の女性を除いて)根上磐、山本進、内藤国夫、佐々木叶、開真、山口清二。中央に堀越章

 軍事アナリスト小川和久さんがFaceBookにアップした写真が10月21日毎友会HPに転載されたが、この写真を見ているうちに、オープンさん(右端の立っている方)から聞いた歴代警視庁キャップ列伝を思い出した。

 オープンこと開真さんは、仙台陸軍幼年学校→陸士59期。同期に、菅義偉首相が師と仰いだ故梶山静六元官房長官、毎日新聞では95歳でなお現役ジャーナリストの牧内節男さん、元東日印刷社長・故奈良泰夫さんがいる。

 戦後早大文学部を卒業して、毎日新聞記者となる。事件記者ひと筋。警視庁を担当しているときに東京消防庁の記者クラブに配属されたことから消防に食い込み、「消防総監」と呼ばれたほどだ。むろん警視庁キャップも務めている。1967年前後だ。1981年の定年退職時に『泣き笑い消防記者二十八年』(毎日新聞)を発刊した。

 定年後は青梅通信部主任として「生涯一記者」を貫いた。2008年没、82歳。

 さて、歴代警視庁キャップである。むろん戦後である。故人に●をつけたら、存命は牧内節男さん、森浩一さん、堀越章さん……。

 最初に名前があがった杉山為さん。国鉄ときわクラブの先輩として、昔話を聞いたことがあるが、警視庁キャップ経験者とは知らなかった。

 若月五郎さんは、2度警視庁キャップを務めた。その間の柳さんと石口さんは論説委員になっている。石口さんは小平義雄事件を担当し、小平の手記『小平のざんげ告白』を47年に発刊している。

 井上七郎さんは水戸支局の支局長として仕えたが、酔っぱらうと「たわけなやっちゃ」が口癖だった。事件記者として活躍ぶりは、残念ながら知らない。

 このあとのキャップたちは、牧内さんの「銀座一丁目新聞」に何らかの形で登場する。「銀座一丁目新聞」の検索欄にキャップ名を入れて下さい。

 皇太子妃美智子さんの取材班のデスクが柳本さん、牧内さんも宮廷記者桐山さんらと担当した。新聞協会賞、菊池寛賞を受賞した連載「官僚にっぽん」。森丘デスクの発案だったとある。

 佐々木武惟さんは、特ダネ記者だった。夜回りの元祖といわれる。ブーちゃんとかゴジさんと呼ばれた。『事件記者 ― スクープにかけた30年』(1980年刊)に、内藤国夫さんがまえがきを書いている。「特ダネより特オチの告白を」と持ちかけたが、「抜かれたことがないんだなぁ」とゴジさんは答えている。

 ゴジさんが社会部長のとき、警視庁キャップに命じたのが内藤国夫である。事件取材の素人は、「期待に応えることなく、キャップ失格のレッテルを貼られた」と。

 その後釜に中部本社報道部のデスクから呼び戻されたのが森浩一さんで、社会部長が牧内節男さんだった。ロッキード事件が始まった直後である。

 佐々木叶キャップからは、社会部の職制となったので、就任年月日がはっきりしている。

 以下に毎日新聞東京本社社会部の警視庁キャップ一覧を――。

 ●杉山 為七
 ●若月 五郎1950年
 ●柳  卯平
 ●石口  基
 ●若月 五郎1952年2度目
 ●井上 七郎
 ●桐山  真
 ●柳本 見一
 ●森丘 秀雄
 ●佐々木武惟1958年~
  牧内 節男1961年8月~
 ●藤野好太朗1963年3月~
 ●道村  博
 ●山口 清二
 ●開   真1967年
 ●佐々木 叶1968年2月~
 ●石谷 龍生1969年8月~
 ●高井 磊壮1970年8月~
 ●山崎 宗次1971年8月~
 ●米山 貢司1973年2月~
 ●井草 隆雄1974年2月~
 ●内藤 国夫1975年2月~
  森  浩一1976年3月~
  堀越  章1976年9月~
 ●根上  磐1977年9月~
 ●前田  明1979年5月~
  加藤 順一1982年5月~
  田中 正延1982年12月~
  比留間英一1983年11月~
  中島健一郎1985年8月~
  取違 孝昭1988年2月~
  朝比奈 豊1989年4月 
  三木 賢治1991年3月~
  常田 照雄1992年2月~
  臼井 研一1994年10月~
  斎藤 善也1996年4月~
  西川 光昭1999年2月~
  田中 公明2000年4月~
  尾崎  敦2001年10月~
  丸山 雅也2002年10月~
  大坪 信剛2004年4月~
  河嶋 浩司2006年4月~
  遠山 和彦2008年4月~
  千代崎聖史2010年4月~
  鮎川 耕史2012年4月~
  川辺 康広2014年4月~
  長谷川 豊2016年4月~
  川上 晃弘2018年4月~
  佐々木 洋2020年4月~

(堤  哲)