随筆集

2020年11月19日

関東大震災で炎上する警視庁赤レンガ庁舎 東京日日新聞は焼失を免れた

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 森浩一さん(85歳)から「燃える警視庁」の写真がメールで送られてきた。警視庁旧庁舎の最後の「七社会」毎日新聞キャップ堀越章さん(88歳)が大正12年9月1日の関東大震災で焼失したと書いたことに触発されて、書棚から見つけたものだ。

 《燃える警視庁の写真は,東京交通会館が昭和40年に出した『有楽町』(非売品)に関東大震災の記録として掲載。その冊子には、有楽町時代の毎日新聞社のこともいくつか載っていました。三菱地所が昭和15年発行の『丸の内今と昔』を定本として昭和27年に非売品として出した『縮刷 丸の内今と昔』も出てきました。ここにも燃え始めた警視庁の写真がありました》

―――警官は騎馬で活躍の時代なので、警視庁の裏から毎日新聞社のあたりまで厩が密集していた。

―――警視庁南面総監室官房の屋根のひさし合いから内部に火を吸い、(火は)赤煉瓦の庁舎の窓から噴き出した。午前3時20分警視庁は焼け落ち、隣の帝劇も焼けてしまった。(『有楽町』)

―――警視庁は厳めしい赤煉瓦造り、帝劇はルネッサンス式の典雅な白色タイル張り、その対象が・・・(『丸の内今と昔』)

 震災前の警視庁は、現在の第一生命館の場所にあった。朝日新聞社会部著『有楽町有情』によると、警視庁の裏手は、騎馬隊の馬小屋、警視総監官舎、さらに毎日新聞社のあった現在の新有楽町ビルのあたりまで警察官の官舎が並んでいた、とある。

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 毎日新聞のビルは延焼を免れた。罹災を免れた新聞社は、報知新聞、都新聞と計3社だけ。読売新聞は新社屋を建設してこの日落成式を行うことになっていたが、焼失した。現在マロニエゲート銀座があるところだ。

 『毎日新聞百年史』には《本社が火災から免れたのも、まず内部から火を出さなかったこと》《つぎは社内から道具を持出して破壊消防作業を実施したからである》とし、《本社が火災から免れたのは天祐であった》と記している。

 警視庁から迫る火勢を社員たちが破壊消防で食い止めたというのだ。

 「新聞は決して休刊しない」。当時の城戸主筆はこう宣言したが、電気は停電、ガスも供給停止で、印刷は不可能になった。で、当日発行した号外は、散乱した活字を拾い集め、足踏み機械で印刷した、と百年史にある。

 毎日新聞社内に関東大震災のパネルが掲げてある。

 翌日の新聞と、皇居前広場に設けた臨時編集局、下段左は焼け残った毎日新聞のビルである。