随筆集

2021年1月3日

4本足のニワトリ ― 元気な倉嶋康さん

 社会部の先輩・倉嶋康さんが元気だ。今週中に米寿を迎えるが、Facebookに精力的に書き続けている。

 〖新年のごあいさつ〗

 あけまして おめでとう ございます

 激しく揺れる世の中ですが、せめてお正月だけは心安らかに、そして豊かに過ごしたいと思っています。私も今月7日でようやく88歳になります。さまざまなことがありましたが、人の幸せとはそれぞれの心の立脚点によって違うものだと思っています。

 私は小さな幸せで満足する方です。そしてここまで来れば後方確認はしないで前方注視のみでゴールインする心算です。

 今年も昨年からのフェイスブック(FB)の連載2本を続けます(注:奇数日は「走れ!! 五輪へ」、偶数日は「記者クラブ」)。続いての企画も立てていますので、どうぞよろしくお付き合い頂きたく存じます。皆様もどうかお健やかに。そしてそれぞれの思いの中の幸せをつかまれますように。

 倉嶋さんは、暮れに「4本足のニワトリ」をアップした。

 《もう40年余り前になりますが、当時いた新聞社で同僚が「いまどきの若者はニワトリが4本足だと思っている」と発言したので周りにいた記者たちは「まさか」とか「そりゃあ飛ばしすぎだぜ」と笑いました。言い出した記者は憤然として「じゃあ、待ってろ」と姿を消しました。

 数日後、意気揚々と出社した彼は、おもむろに皆の前で大きな画用紙を広げました。のぞきこんだ一同、思わず息を吞みました。立派なニワトリが4本の足でしっかり大地を踏みしめているではありませんか》

 その絵が――。

画像

 倉嶋さんの文章にある同僚が私(堤)なんです。1974(昭和49)年5月、大阪社会部から東京社会部に戻って遊軍・夕刊3面担当になった。キャップが高井磊壮さん(1990年没、59歳)、サブキャップが倉嶋康さん、兵隊が1年先輩の寺光忠男さんと私だった。

 夕刊3面については、整理マンの鬼才・諸岡達一さんが「ゆうLUCKペン」第42集(2020年発行)にスタート時のことを書いている。夕刊改革の目玉として誕生、1971(昭和46)年3月1日の初日は、国鉄鶴見線の12駅が無人駅となって「駅員76人が”消えた”」。

 社会部の名文記者・杉山康之助さん(1979年没、42歳)がルポを書き、諸さんがレイアウトを担当した。

 「4本足のニワトリ」の話は、秋田版から拾った。「都会ならあり得るかも知れないが、秋田で?」と疑問の声が出て、即現地へ出張。秋田大学の学生が画いた「4本足のニワトリ」の何枚かを先生から借りてきた。

 かなりの反響があった。

 夕刊3面誕生からことしで半世紀になるわけだ。

(堤  哲)