随筆集

2021年1月25日

「諏訪メモ」スクープの紙面—倉嶋康さんのFacebookから

画像
1957(昭和32)年6月29日付毎日新聞福島版

 2021年1月24日付け倉嶋康さん(88歳)のFacebook。連載している「記者クラブ」の第66回になって、やっと「諏訪メモ」のスクープ紙面が登場した。

 この報道をきっかけに、死刑判決を受け上告中の佐藤一被告(当時35歳)のアリバイが立証され、最高裁で無罪判決が言い渡される。 山本祐司著『毎日新聞社会部』の出版記念パーティーで、壇上に呼び上げられた佐藤さんは、「命の恩人」倉嶋さんと固い握手をして喜び合っていたのを思い出す。

 「サンデー毎日」に連載エッセーを書いている中野翠さんの『コラムニストになりたかった』(新潮社刊)を読んでいて、佐藤さんの夫人が三宅菊子さんだったことを知った。

 三宅菊子さんは、洋画家阿部金剛と作家三宅艶子の娘。《レッキとした「東京山の手のお嬢様」なのだが、変わり者のお嬢様だった。10代の頃は同じ山の手育ちのお坊ちゃんたちと乗馬やパーティーなどで遊んでいたらしいが、やがて新聞に取材記事を書くようになり、作家・広津和郎のおともをして松川事件を取材しに行き、被告の一人だった佐藤一さん(のちに無罪)と出会い、1965年に結婚。当時菊子さんは27歳、佐藤さんは44歳だった》。

 《佐藤さんは下山事件の解明に打ち込んでいて、それは、この76年に分厚い一冊の本、『下山事件全研究』(時事通信社)となって出版された。私も買って読ませてもらったが、まさに渾身の一冊だった。今では下山事件関連書の「決定版」と言われている。菊子さんはほんとうに嬉しそうだった》

 《最愛の佐藤一さんが他界してから3年後、2012年、菊子さんは亡くなった。74歳だった》

 中野翠さんは、1985(昭和60)年7月から始まった「サンデー毎日」連載のことも書いている。執筆を依頼したのは「サンデー毎日」のデスクをしていた元社会部のナンパ記者・市倉浩二郎(94年没、53歳)である。

 これはすでにこの毎友会HP「随筆欄」で紹介しているが、中野さんと市倉の父親は、読売新聞横浜支局で記者をしていた「奇縁」も明らかにしている。

 《父にIさんの話をしたら「エーッ、I君の息子さんが!」とうれしそうにしていた。ちょっと親孝行をした気分》=「サンデー毎日」2016年4月17日号「満月雑記帳」1095回。

(堤  哲)